ひだまりの君 00
若草陽菜は、日本人にしては色素の薄い髪と瞳の持ち主だった。
ふわふわっとしたこげ茶色の髪に同色の瞳、本人の両親曰く、母方が日本人では無かったらしいとの事。
しかし、陽菜は日本生まれの日本育ち、外の血が混じっているせいか可愛らしいといえる顔立ちだ。
だからと言って、飛びぬけて得意なものがあるわけでもなく、ごくごく平均的な公立高校に通う16歳だ。
ぱたぱたっと小走りで校舎の中を走り回る陽菜。
人を探しているのだ。
比較的成績が優秀な方で、先生方の評判も良い陽菜はクラスで副委員長というあまりありがたくない役目をもらっている。
先生に言われたプリントの提出期限が今日までで、それを提出していない人がいるのだ。
その人を探している。
「どこにいるんだろ、翔君…」
ぽそりっと陽菜が呟く名前は親しげだ。
探している彼の所属している部活にも顔を出してみたのだが、彼の姿は見えなかった。
きょろきょろしながら校舎の中を捜しまわる。
「翔君いつもなんだから」
はあ…と大きなため息をつく。
重要な提出物というわけでもなく、成績に関係するという事もない。
だからといって、出さなければいいというわけでもないだろう。
そんな中、ふと廊下に陽菜にとって見知った姿が見えた。
「あ、かなちゃーん!」
陽菜がひらひら手を振って陽菜が呼び止めるのは、肩までの黒髪に黒い瞳の陽菜と同じ制服を着た少女。
少女が陽菜に気づいたように足を止めて振り返る。
「陽菜?」
苦笑しながら陽菜の方を振りむく彼女は、陽菜にとっての幼馴染の1人だ。
1つ年が上だが、陽菜の生まれが早いので実質数か月しか年は違わない。
「翔君知らない?今日は部活にも出てないみたいだから」
「翔太?今日はお母さんの用事手伝うって事で、部活休むはずだと思ったけど」
「小母さんの?」
「荷物運び。部活でバイトできないから、こういう所で稼がないとって言ってたよ」
苦笑する彼女の弟が翔太という。
翔太は彼女の1つ下の弟で陽菜の幼馴染の1人だ。
陽菜と彼女と翔太の3人、小さい頃が一緒に育ったような兄弟のような関係となっている。
特に同性の彼女は、陽菜にとって良き相談相手で、姉のような存在で、親友のような存在でもある。
だからこそ、学年が違ってもこうやって気軽に話しかける事ができる。
「もう!翔君ってば、ちゃんとこれは今日までって朝言っておいたのに!」
「何?もしかして提出期限があるものだった?」
苦笑する彼女は翔太の事が、陽菜同様に良く分かっている。
翔太が提出物を忘れる事は結構多いのだ。
「うん。先生に今日中に全部集めるように言われて」
「放っておけば?出さない翔太が悪いんだし、明日みっちり先生にしかられればいいんだよ」
厳しい言葉は姉らしい言葉だ。
しかし、彼女は決して弟と仲が悪いわけではない。
姉弟仲は良い方だろう。
まるで悪友のような関係だと陽菜は思ったことがある。
それに、考え方がところどころ似ていたり、似たような意見を持つ事が多いのだ。
(翔君の事、全部わかってるみたいで、たまにかなちゃんがずるいって思っちゃうんだけどね)
姉である彼女の方が翔太に詳しいのは仕方のない事だ。
ずるいと思ってしまっても、陽菜が彼女を大好きなのは変わらない事。
だから、今の関係が続いている。
「陽菜は委員会あるんでしょ?」
「うん。かなちゃんは?」
「私は教室で進路希望調査票の記入しないとね」
「そっか、かなちゃん2年生だもんね」
「まだ、将来の事なんて全然考えられないんだけどさ」
困ったように笑う彼女に陽菜も小さく笑みを返す。
1学年違うと疎遠になってしまう事もあるのだが、陽菜と彼女はそんなことはなかった。
学校で会えばこうして気軽に声を掛け合う事が出来る。
「一応、かなちゃん家に帰ったら翔君に言ってくれる?」
「今日が期限なら、家に帰って行っても遅いんじゃない?」
「うん、でも、明日でもいいからちゃんと出せば先生もそんなうるさくないかもしれないじゃない?」
「陽菜、優しすぎ」
「だって、翔君が怒られるのは嫌だもん」
くすくすっと彼女は笑う。
幼馴染として一緒に育った少年に対して、陽菜は淡い想いを抱いている。
その想いは翔太の姉である彼女には筒抜けのようで、相変わらずの陽菜の様子に微笑ましいとでも思っているのだろう。
「ま、委員会、頑張れ」
「うん、かなちゃんも進路希望調査頑張って」
「頑張るようなものでもないけどね」
じゃあ、と手を軽く振って彼女と別れる。
陽菜は翔太を探すのを諦め、そのまま図書室へと向かう。
(家に帰ったら、翔君に声かけておこう)
翔太が帰ってしまったならば仕方ない。
陽菜が翔太の家に行ってまで提出しなければならないものでもない。
これが重要なものだったのならば、翔太の家まで行く事も考えたが、今回はいいだろうと思ったのだ。
翔太が提出物を遅らせるのは、何もこれが初めてではない。
(翔君って、どうしていつもこうなんだろ…)
呆れ半分、仕方ないと諦める気持ち半分である。
陽菜は目の前の図書室の扉を開き、室内を見渡す。
テストが近いわけでもない図書室にいるのはほんの数人だった。
テスト間近以外の図書館は、読書熱心な生徒くらいしかいないものだ。
(確か今日は奥の棚の本の整理をしなきゃならないんだよね、うん)
よしっと気合いを入れる陽菜。
「今日の当番は若草さん?」
にこりっと笑みを浮かべて陽菜を見るのは、この図書室を管理している先生だ。
優しそうな女の人で、本が大好きで図書室の管理を自分からやると言いだした先生らしい。
「はい。奥の棚の本の整理をすればいいんですよね」
「お願いね。重い本もたくさんあると思うから、全部やろうとしなくてもいいのよ」
「分かりました」
「興味がある本があったら、読んでいても構わないからね」
「先生、それじゃあ整理が進みませんよ?」
「いいのよ。本を自由に読めるのが図書委員の特権なんだから」
高校の図書室といえど、この学校の図書室の書物は色々だ。
どちらかといえば進学校だからだろうか、かなりマニアックなものまである。
図書委員は、基本的に本を読むのが好きな人がなる。
陽菜も本を読むのは結構好きだったりする。
しかし、活字中毒までとはいかないので、なんでも間でも読むわけではない。
(けど、奥の本って難しそうなのばっかりだから読みたい本なんてないと思うんだよね)
そんな事を思いながら陽菜は奥の棚へ向かう。
奥の棚の本はほとんど専門書だ。
中には洋書まであったりして、果たして誰かこれを読むのだろうかと陽菜はたまに思う。
目の前にあるのはバラバラに棚におさまっている本達。
誰もがあったところにきちんと本を返してくれるわけでもないので、委員が定期的に整理をしているのだ。
(間違ってる本を全部出そうかな…)
一番下の段から、明らかにこの場所に収まっているのはおかしいだろうと思われる本を出していく。
バラバラに収まっているといっても、半数以上がバラバラなわけではなく、多くても3分の1程度だろう。
陽菜はよし、っと気合を入れて取りかかり始めた。
*
半分くらい終わっただろうかという所で陽菜は一息つく。
「これで半分…、かな?」
日が沈みかけているので、早く終わらせなければならない。
本を棚の外に放り出して帰るわけにもいかないだろう。
どうしても終わらない時は、先生に声をかけて手伝ってもらうしかない。
再び取りかかろうとした陽菜は、疲れたからなのかあくびが出てしまう。
こくりっと思わず頭が揺れる。
はっとなり頭を振るが、何故か眠気が一気に襲ってくる。
(う、なんでだろ。別に寝不足ってわけじゃないのに、すごく眠くなってきた)
本棚からだした本がまだ外に積まれており、開いている場所がチラホラ。
ここは奥の棚で人もほとんど来ないため、陽菜が整理をしている事を知っているのも先生くらいだろう。
(ほんのちょっと、ちょっとだけ、5分とかだけ…)
どうしても眠気に逆らえない陽菜。
しゃがみこんで、積まれた本に寄りかかりながらゆっくりと目を閉じる。
意識が沈む前に陽菜はふと思い出す。
図書室は静かで寝心地がいい場所だ。
けれど、先生たちには図書室では絶対に居眠りをしないようにときつく言われている。
なぜならば、最近地震が多いからだ。
(けど、少しくらい…なら)
強い眠気がなく、いつもの陽菜ならばそんな事を思わなかっただろう。
だが、何故か分からないがぐいぐいと意識は深い所に引き込まれていく。
まるで本能で眠る事を強制しているかように。
ぐらりっと大地が揺れた事に陽菜は気づかなかった。
そこまで眠気は強いもので、意識はほとんど沈みかかっている。
揺れているかな?くらいしか感じないだろう。
陽菜の身体を淡い光が包み込む。
― 応え…さい
声が聞こえた気がした。
願うような、何かにすがるような声。
沈む意識の中、陽菜はその声にわずかな意識を集中させる。
(だ…れ?)
その声に引き込まれる。
― 私に…
静かに響くその声は、とても聞き心地がいい声。
ただ、その声が”言葉”ではなく、意思そのものである事を陽菜はこの時気づかなかった。
声に導かれるまま、陽菜は従う。
それは本能であり、陽菜の意思でもある。
― 我が元へ
力強い意思に導かれてる。
陽菜の身体が眩しいまでの光に包まれた。
焼けつくような輝くような光。
その光の輝きは一瞬で、しかし、光が消え去った後に陽菜の姿はどこにもなかった。
そして、それを目撃した人はいなかった。
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