WOT -second- 58



今日は愛理が用事があるという事で、シリンは暇だ。
行われている会議というのは、予定通りならば、昨日で終わっているはずなのだが、そのあたりの進行状況はさっぱり分からないので、シリンの予定は今日はない。
勝手に出歩くわけにもいかないだろうから、今日は指輪の法術陣でまだ解読できていない部分の解読でもしようかと思いながら、外の空気を吸うためにシリンは与えられた部屋を出た。

「おはよう、シリン殿」

部屋から一歩出たシリンの耳に聞こえてきた言葉に、シリンは必要以上にびくりっと肩を震わせて驚いた。
ギギギっと音がしそうな程にぎこちなく、声の聞こえた方に顔を向ける。
そこにはにこやかな笑みを浮かべて立つエルグだけ。
他の人達の姿は見えず、ティッシ国王陛下1人だけである。

「お、おはようございます、陛下。…どうされたのですか?」
「いや?今日はシリン殿と一緒に話でもしようと思ってね。何か、予定でもあったか?」
「いえ、特にありませんが…」
「それなら、少し歩きながら話でもしようか」

断る理由もないので、シリンは素直に頷く。
ゆっくりと歩き出すエルグの半歩後ろあたりを素直についていく。

「城内はある程度歩いて見て構わないと言われてね」
「そうなんですか」
「ティッシの石造りの城とは違って、朱里の城は木造。珍しい作りだと思わないか?」
「そうですね、ティッシでは見ない建築方式ですね」

ティッシの木造建築は、田舎の方にしかない。
あったとしても小屋程度のものであり、木造でここまで立派な建築物はないのだ。
貴族の屋敷や城のほとんどは石造り、城下町の店や家の多くも石造りだ。

「建築方式もそうだが、食事もティッシとは随分違う。情報としては聞いていたが、実際に目にしてみると驚く事ばかりだな」

エルグが驚くというのは珍しいものだとシリンは思ってしまう。
そこでふと疑問が浮かぶ。

「朱里は閉鎖的な国のようでしたが、朱里の情報を得る事は出来ていたんですね」

結界に覆われていて出入りが自由にできなかっただろう朱里。
その朱里から、どうやって情報を得ていたのか分からないが、きっちり調べている所はエルグらしいと言うべきか。

「以前は結界に覆われていた為無理だったが、先の襲撃で結界が一度解かれただろう?」
「あ、はい」
「その時の一斉攻撃にまぎれて、私兵を何人か送りこんでおいた」
「私兵、ですか」

そう言えばクルスからそのような事を聞いた覚えがある事を思い出す。
エルグには直属部の部下がいるという事。
私兵というのは彼らの事なのだろう。
ティッシ国軍とは関係のない、エルグのみの命令を聞く兵。

「朱里の文化を簡単に探らせていたんだがね、色々勝手が違うようで苦労したらしい」
「言葉も違いますしね」
「それもあるが…、一番苦労したのは、どこにいても彼には見つけられてしまったという事と言っていたな」
「彼、ですか…?」

つまり朱里に送ったエルグの私兵の存在が、朱里にバレていたという事だ。

「あの、それって、マズくないんですか?」
「かなりマズいな」

特に焦った様子もなく、エルグはあっさり肯定する。

(何でそんなに落ち着いているんですか、陛下)

思わず内心突っ込むシリン。
今回こうしてティッシからの朱里への訪問が、順調に行われたという事は、特に大きな問題になっているわけではないはずだ。
だから、エルグはシリンの言葉をあっさり肯定したのだろう。

「彼は面白い人物のようでね、先日直接話をして、聞いていた通りの人物だと思ったよ。いや、”人物”と称するのは少し違うか?」

嫌な予感がしてくるシリン。
もしかして、その人物とはシリンが良く知っている人ではないだろうか。
人物と言いきれない人など、この朱里には2人しかいない。
桜か翔太のどちらかだ。
しかし、桜はエルグ達には紹介されておらず、その存在をエルグは知らないはずだ。

「ここまで言えば誰の事か、シリン殿も分かるか?」

楽しそうな表情でエルグはシリンに問う。
シリンは頷くことはせず、少し顔を顰めるだけだ。
内心は非常に苦々しい顔つきをしたい気持ちである。

「ショウタ殿は、害を及ぼさないのならばティッシの者が入り込んでも気にしないそうだ」

やっぱり翔太の事かと思うシリン。
思わず小さくだが、ため息をついてしまう。

「ショウタ殿は他国の者が朱里を見るのは、朱里の文化を知ってもらうチャンスと言っていたな。随分変わった考えだ」

敵意がないのならば大目に見るという事なのだろう。
元々平和な国で育った翔太は争いごとは好きではないはずだ。
下手にティッシの介入を拒んで戦争にでも発展するくらいならば、文化見学くらいは好きにしてもらって構わないという考えなのだろう。

「報告にあった内容から思うに、彼は争いごとが嫌いなのだろう」

それはそうだろう。
シリンだって香苗としての記憶があるから考え方は翔太と同じだ。
争いがなかった国で生まれ育ったのだから、誰かと誰かが殺しあう状況など絶対に嫌だ。
綺麗事だと分かっていても、仲良くしていけるのならばそれでいいではないだろうか。

「誰だって、争う事は嫌いだと思います」
「だが、人は互いにぶつかり合って成長し発展していくものだ」
「ですが、話し合いで解決する事が出来るならば、それに越した事はありません」

どこかエルグを睨むかのように答えるシリンに、エルグは苦笑する。
目を細めながら、笑みを浮かべてシリンを見るエルグ。

「シリン殿は、きっとショウタ殿と考え方が似ているのだろうな」

思わずギクリっとなってしまうが、表情に出ないようにかろうじてこらえる。
似ているのは当然だろう。
今の人格が形成される幼い頃、同じ場所で育ってきたのだから。

「ショウタ殿も同じ事を言ったそうだ」
「同じ事…ですか?」
「朱里に侵入した私の私兵にな」

朱里の状況を探るために侵入したエルグの私兵。
翔太に見つかった時に、先ほどシリンが言った言葉と同じ言葉を言われたのだろう。

「”朱里を知ることで話し合いでの解決する道ができるのならば、それに越したことはない”だそうだ。私からすれば甘い考え方だと思うがな」

そうかもしれない。
話し合いが通じない相手だっている。
話し合いのテーブルにどうあってもつかない頑固な相手もいるだろう。

「シリン殿とショウタ殿は、きっと話をすれば気が合うだろうな」
「…そう、かもしれませんね」

どう答えていいか迷ったシリンは、曖昧な答えを返すだけに留める。

「だが、シリン殿」

ふっとエルグの表情が真剣なものになる。
何を言われるのかと思わず身構えるシリン。

「彼に惚れては駄目だぞ」

ごんっとシリンは思いっきりふらつき壁に頭をぶつける。
そう狭い通路ではないのだが、壁の近くを歩いているのが悪かっただろうか、それともエルグの言葉にあまりにも衝撃を受けたからか。
シリンは頭を壁にぶつけたままで盛大に顔を引きつらせている。

「シリン殿?」

このシリンの反応には流石のエルグも驚いたらしい。
珍しく本当に驚いたような表情を浮かべている。

「す、すみません。ちょっと足が滑ってしまったようで」

頭をさすりながらシリンは壁側から離れる。

(あり得ない事を言われたから、一瞬頭の中が真っ白になったよ)

シリンにとって翔太に惚れる事など万が一にもあり得ない事であり、翔太も同じだろう。
そんな事を言われる事自体が予想外の事だったのだ。

「私が彼に惚れる事は絶対にありませんので、その点は安心して下さい」

そんな事は万にひとつもないときっぱりエルグに言っておくシリン。
あまりにもきっぱりと言い切ったシリンの言葉に、エルグは少し不思議そうにシリンを見る。
その視線にシリンは首を傾げる。
シリンが翔太に惚れる可能性などない事は、シリンにとって当たり前の事である。
だが、エルグから見ればそうではない。
エルグはふっと小さく笑みを浮かべる。

「そこまで言い切るという事は、シリン殿と彼との間には何か別の絆でもあるのか?」

思わず素直にぎょっとした表情をして反応してしまうシリン。
自分の前世と翔太が姉弟だったという事など誰が想像するだろう。
今の世界の常識ではな想像できない関係が、シリンと翔太の関係である。
しかし、エルグは鋭すぎる指摘をしてくる。

「あ、え…いえ、その…」

ここで平然と否定できないのがシリンである。
エルグは何が楽しいのか笑みを深くする。

「シリン殿」
「へ、あ、はい?」

エルグはすっと手を伸ばし、シリンの髪の毛をひと房優しくつかむ。
そのまま手を上にあげれば、シリンの金色の髪の毛がさらりっとこぼれる。
何気ない仕草だというのに、何故か背筋がぞくりっとなる。

「自分がシリン・フィリアリナである事を忘れないでくれ」

僅かに細められたエルグの瞳。
どくりっとシリンはその瞳を見て心臓の音が大きく響いた気がした。

(へい…か?)

エルグの瞳は全く笑っておらず、怖いとすら思える。
フィリアリナ家はティッシの中でもかなり高位の貴族だ。
朱里の者と親しくするのは構わない、だが、フィリアリナ家直系の者がティッシを裏切るような事は許されない。
エルグの言葉は警告のようなものだろう。
シリンの顔に恐怖が浮かんだのが分かったのだろうか、エルグはすぐにふっと優しい笑みを浮かべた。

「実はヒイラギ殿が朱里の機密情報のある部屋を見せてくれるとの事で、1人だけなら誰か同行しても構わないと許可をもらったんだが」
「え…?」

何事もなかったかのように話題が変わって、呆気にとられるシリン。
先ほどのエルグの表情が嘘のように、エルグは優しい笑みを浮かべている。

「魔族に関係する資料が多いようで、シリン殿が同行するのが一番だと思うが、来てもらえるか?」

シリンは言われた事をゆっくりと頭の中に浸透させてから、小さく頷いた。

「この先にその案内人を待たせてあるので急ごうか」
「…い、今からなのですか?」
「今日しか時間が取れないそうだ」

随分と急な話だと思う。
それとも急な話にしなければならない理由があったのか。
シリンは大人しくそのままエルグについていく。
エルグがシリンの部屋の外で待っていたのは、最初からその部屋に同行させるつもりだったのだろう。
シリンはゆっくりと自分の拳をぎゅっと握りしめる。
手のひらに汗をかいているのが分かった。
エルグ・ティッシという人間に、初めて本当の恐怖という感情を抱いたのかもしれないと思うシリンだった。


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