WOT -second- 56



指輪以外のものをお願いしたシリンだったが、とっさに使えるものがあれば嬉しいとは思うのだが、指輪だけでも十分役に立っている。
それにしても、再会してから翔太は何故か妙に過保護だ。
どんな事があってもシリンが安全でいられるようにと考えているように思える。
仲が悪かったわけでも、異様に良かったわけでもない。
普通に口喧嘩も、取っ組み合いの姉弟喧嘩もした事ある。

『翔太ってさ…』
『ん?』

実はずっと気になっていた。
この妙に過保護だと思える程、シリンの事を心配をする理由。

『なんでそんなに過保護なの?別にお姉ちゃん子じゃなかったよね』

翔太はシリンのその言葉に、少しだけ顔を顰めた。
聞かれたくない事だったのか、話したくない理由でもあるのか。
翔太は口を開くが、何か迷ったように言葉を口にせずに、視線を彷徨わせ口を閉じる。

『言いにくい事なら、別に無理に…』
『姉さんは』

無理して言わなくても構わないと言いかけたシリンの言葉を遮るように、翔太が話し始める。
その表情はどこか辛そうだ。
普段はそんな表情など見せず、大震災が起こってからはかなり大変な事が多かっただろうに、そんな事を感じさせない明るい表情。
再会してから初めて見た気がする、翔太の何かを堪えるような辛い表情。

『姉さんは、自分が死んだ時のこと覚えてるか?』

すっと静かにシリンへと視線を向ける翔太。
言われてシリンは9年前の事を思い出す。
シリン・フィリアリナとして生まれた時はやけに鮮明だったその記憶。
それはだんだんと薄れ、それでも忘れたわけではない。
揺れる校舎、友人と避難しようと階段へと向かった事、そして降ってきた天井の事。

『覚えているって言ってもそんなに今じゃ鮮明じゃないよ。地震が来て、校舎から出ようと階段を下りていったら天井が降ってきたって事だけ。痛みも、苦しみも、恐怖も、孤独も、そんなこと全然感じてる余裕もなかった』

自分が死んだと気づいたのは、生まれ変わった事に気づいたからだ。
眠っている自分の隣にセルドが一緒に眠っていた事、自分がシリンと呼ばれている事。
自分が”紫藤香苗”ではなく、シリン・フィリアリナである事を知ってから気づいたのだ。
紫藤香苗は死んだのだと。

『まさか、私が先に死んじゃったから過保護になってるの?別にそんな心配しなくても、今の時代はそんな危険は…』
『ないって言えるのかよ?ついこの間あいつ等に誘拐の囮なんかさせられたのにか?』
『あれは、例外って言うか、あんな事は多分二度もな…』
『けど!!…心配なもんな心配なんだよ』

シリンの軽い口調に、翔太は少し強い口調になる。
思わずぴたりっと表情が止まるシリン。
翔太は自分の手を強く握りしめ、泣きそうな表情をしながらシリンを見ている。
そんな表情を見てしまえば、軽い口調で話すことなんてできなくなる。
本当に、翔太はシリンの事を心の底から心配してくれているのだ。

『あの震災で俺の手に残ったのは、校舎から見つかった姉さんの血まみれの生徒手帳だけだったんだぞ』

絞り出すような翔太の声。
その言葉にはっとなるシリン。
シリンが覚えている香苗としての最後は、降ってきた天井だ。
その後自分がどうなったのか、亡くなったことを知った翔太がどう思ったかは知らない。
悲しんでくれただろう、寂しがってくれただろう、そうやって想像する事しか出来ない。

『遺体が身内の所に戻らなかった人は他にもいたし、姉さんだけってわけじゃなかった。けど、死んだという事も実感できない、何もない空の墓なんて悲しすぎるだろ』

ぎゅっと翔太は震えるほどに自分の拳を握りしめている。
悲しみなのか怒りなのか、強い感情を抑えているように見える。

『じゃあ、海の底にあるお墓の中に、私の遺骨はないって事?』
『今はちゃんとある』

翔太は苦しそうに顔を歪める。
今はあるという事は後で遺体が見つかったということなのだろうか。

『姉さんの身体、利用されたんだよ』
『利用?』

嫌な考えがシリンの頭によぎる。
震災後の事、シリンは詳しくは翔太に聞いていなかった。
歴史としてどういう事があったのかを大まかに聞いただけ。
文化レベルが一気に落ち込む程の事があったのだから、どれだけ酷いものだったのか、それは恐らくシリンが想像している以上のものなのだろう。
だから、桜も翔太も、今が比較的平和だからこそ、過ぎてしまった酷い歴史をシリンに詳しくは語っていない。

『イディスセラ族を作り出した研究機関に…だ。戦争が本格化してきた頃、すでに俺はイディスセラ族の中ではそれなりに名が通っていて、敵方にも警戒される存在だった』

法術をその場で創り出す事が出来る法術師。
どんな強大な法力を持つ相手でも、法術に長けた相手でも、その技術でもって押し返してしまう存在、それが紫藤翔太だった。
当時、イディスセラ族と彼らを作り出した研究機関のある国々とで戦争が起こっていた。
どれだけ法力が多くとも、新しく生み出された法術に対応できなければイディスセラ族など敵ではないと思っていた敵方にとっては、法術をその場で作り出してしまう翔太の存在はさぞかし目障りだっただろう。

『父さんと母さんの遺体はちゃんと埋葬したし、姉さんは遺体はなくてもまさかそんな事に使われるなんて思ってなかったんだ。どうやったのか、アイツらは姉さんの遺伝子情報を持っていて…』
『私と同じ姿の、翔太にとっての敵を作った?』

翔太は苦しげに頷く。
シリンは表情を変えず、だが、手に汗がにじみ出てきているのが自分で分かった。

『俺が姉さんに攻撃なんて出来るわけない…っ!そうだよ!俺はもともと平和な日本で育っただけの普通の学生だったんだ!人を殺す事はおろか、身内に攻撃何かできるはずないだろ!』

翔太が普通の学生として過ごしてきたこと、決して訓練された人間ではない事、それを敵対していた彼らは知っていたのだろう。
だから、”紫藤香苗”の姿を利用した。
人の感情を利用した、嫌なやり方だ。
シリン自身がもしその時代のその場にいたのならば、それを考えた人間を殴りつけたいくらいだ。

『ドゥールガの奴が教えてくれた。震災で海外から救助隊を受け入れた時、その救助隊の中に研究者が混じっていたんだそうだ』
『研究者?』
『震災が原因で新しいエネルギーの法力が発見されただろ?』
『うん』
『震災があったのはアジア全域で、法力が発見されたのも震災があったアジアだ』

地震によってあふれ出てきたエネルギー。
どこからあふれ出てきたかといえば、それは地震があった地域からだろう。
地震によって割れた地面からあふれ出てきたエネルギー。
それが法力だ。

『法力…法術の研究の為に、各国の研究機関が震災被害の酷かった地域に、救助隊にまじって研究者を送り込んでいたらしい。俺と姉さんが行ってた高校は、法力があふれ出てきた場所の一つだった』

紫藤香苗の遺体は見つからなかったのではなく、香苗の遺体も含めたそこにあった遺体は、法術研究機関に”回収”された可能性が高いということなのだろう。
法力を浴びた人間がどうなるか、その身体がどうなるか。
新しい未知なるエネルギーを研究したいと思う人たちにとって、瓦礫の下に埋まっていた法力を浴びた身体はさぞかし魅力的な”モノ”だったに違いない。

『たまたま回収された私の身体が、翔太の”姉”だということに気づいて、利用されたってことなんだね』

シリンは声が怒りで震えそうになるのを堪える。
脅威になる存在の身内の姿を利用しない手はない。
そして作られた紫藤香苗の姿をした、翔太の敵。

『”私”は翔太の事、襲った?』

落ち着くように小さく息をつきながらシリンはそう聞く。
翔太は首を横に振った。

『アイツが…、ドゥールガの奴がそうなる前に止めた』
『止めた?』
『腹に穴があいた姉さんの遺体…持って来たんだ』

シリンは思わず少し顔を引き攣らせる。
腹に穴のあいた自分の遺体を思わず想像してしまったのだ。
しかし、そこでふと気付く。
あの時、紫藤香苗の姿になって、ドゥールガがすぐにその姿を翔太に結び付けてくれた事。

(私の姿、知ってたんだ)

面影が似ている程度で、そっくりとは言えないとシリンは思う姉弟だったので、パッと見て繋がりが分かるかどうかはカケのようなものだったのだ。
あの時は、ドゥールガが翔太のことを深く愛しているからこそ、香苗の姿から翔太の面影を探し出す事が出来たのだと思ったのだが、姿を知っていたから分かったというのもあったのだろう。

『最初、その情報を知ったのは桜だったんだ。桜が俺にその事を言う時には、桜のやつ、ドゥールガに姉さんの事話していたらしい』
『だから、ドゥールガ・レサは翔太の為に先に動いてくれたんだね』

ドゥールガ・レサには再度礼を言うべきなのかもしれない。
例え自分でなくても、自分と同じ姿をした人間が、身内である”弟”を傷つけるなど許し難い事だ。
桜の判断は正しい。
そして、敵対していたはずなのに翔太の為に動いてくれたドゥールガ・レサは本当に翔太の事が大切だった…いや、今でも大切に想っているのだろう。

『俺が出来たことは、ドゥールガが持ってきた姉さんの遺体を墓に埋葬する事くらいで、俺、姉さんに何もできなかった…』
『何もって、別に翔太は何も悪くないでしょ』
『けどなっ!!』

泣きそうなほどに顔を歪める翔太。

『俺、あの時…、学校出る前に姉さんに声をかけてれば姉さん助かったかもしれないのに!地震多いの分かってたのに、建物の中にいるのは危険だって知ってたはずなのに、一言だけでも声かけてれば、姉さん、助かったかもって…俺、ずっと、ずっと…』

肩を震わせながら俯く翔太。
声は少し震えていた。

(ああ、そっか…)

シリンは翔太が過保護な理由が分かった気がした。
自分だけが生き残ったことでずっと後悔していたのだろう。
更には姉である香苗の身体は利用され、しかもそれは自分が敵方にとって邪魔な人物であったからこそ利用されていた。
今この世界で、生まれ変わった姉には、幸せに、自分に出来る事があるのならば手を貸してやりたいと思うほどに、翔太は大きな後悔を感じたのだろう。
シリンは、ぽんっと翔太の頭に右手を置く。

『ねえ…さん?』

そのままくしゃりっと翔太の髪をかき交ぜるように乱暴に撫でる。
感触は人のソレではないけれども、気持は伝わって欲しい。

『馬鹿翔太、後悔なんてしなくていいんだよ』

悲しまないで欲しい、笑顔でいて欲しい、幸せになって欲しい。
翔太がそう思うように、シリンだってそう思う。
紫藤翔太はすでに亡くなっているが、そんな後悔ばかり引きずっていないで笑顔でいて欲しい、いて欲しかったと思うのだ。

『馬鹿…は、ないだろ?』
『そんなに思いつめるのは馬鹿だよ。誰も…お父さんもお母さんだって、翔太を責めないから』
『そう、か?』
『そうだよ。寧ろ、翔太だけでも生きててくれてよかったって、喜ぶよ』

1人だけ生き残ったのは辛かっただろうが、シリンは翔太が生きていてくれたのは嬉しいと思うのだ。
だから、香苗と翔太の両親もそう思ったに違いない。
その言葉に、翔太は少し笑う。

『俺が落ち込んでた時、奥さんにも同じ事言われた』
『奥さんってことは私にとっては義妹だよね。さすが私の義妹、分かってるね』

にこっとシリンは笑みを浮かべる。
翔太とシリンの視線が合い、互いに小さく声をあげて笑いだす。
こうして翔太と笑い合ったのは、再会して初めてのように感じた。
遠慮も気遣いもいらない。
紫藤香苗と紫藤翔太の身体などなくとも、今のシリンと翔太は姉と弟である事は変わらないのだから。


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