WOT -second- 45



朱里への訪問は予定されているが、シリンへの正式な打診は未だなく、両親やセルドはそれを知らない。
まだ先の事でもあるし、建国祭が終わってからになるだろうと思っていた。
現にその通りで建国祭まで、シリンの暮らしは今までと変わる事がなく、変わった事と言えば、以前よりも法術の解読などに力を入れるようになったくらいだろうか。
部屋の中で法術の勉強をしている事が多いシリンだが、建国祭である本日だけは違っていた。
毎年建国祭の日でも、シリンは屋敷で大人しくしている事が多い。
毎年屋敷にいるので今年ものんびりしようと思っていたのだが、誘いが来たのだ。
約束も何もなく、突然訪問してきたのはミシェル・サディーラ嬢。

「シリン様は建国祭で街中に出た事ありますか?」
「建国祭は年に1度だけ、貴族院が一部解放されるのですよ」

頬をほんの少し赤くしながら笑顔を浮かべているのは、あの誘拐事件に巻き込まれたミシェルともう一人、金髪の少女フローラ。
フィリアリナの屋敷にシリンを誘いに来たのはミシェルだけだったのだが、誘われて半ば強引に外に出てみれば、フローラもいたのだ。

「本当はカナリアとセレンもシリン様と一緒に回りたいと言っていたのですよ」

カナリアとセレンは、彼女達同様誘拐事件の被害者の令嬢だ。

「けれども、婚約者の誘いがあったそうで、仕方ないと諦めていましたの」
「婚約者の誘いなど蹴ってしまいたいそうでしたが、やはり家同士の付き合いというものがあるそうで、とても残念がっていましたわ」

その言葉にシリンはどう答えればいいのだろうか。
曖昧な笑みを返すだけに留めておく。

(いや、でも、婚約者とか普通にいるんだね)

貴族の政略結婚はそう珍しくはない。
幼い頃から婚約者が決められているのも珍しくないのだ。

「フィリアリナ姫様。実はわたくしもミシェルも毎年建国祭には参加しているのですけれど、街に行くのは今年が初めてですのよ」
「そうなの?」
「学院の催し物の準備で、下の学年ほど準備でする事が多くとても忙しいのです」
「今年はあの事件もありまして、あまり準備に関わることができなくて時間が余ってしまったのですよ」

シリンもそうだったが、恐らく彼女達もしばらくは屋敷に閉じこもりきりだったはずだ。
建国祭の準備に参加などできるはずもなく、彼女達がやるはずだった役割は誰かがこなし、自分たちは手伝いが少ししかできなかったという事なのだろう。

「あの事件はとても恐ろしい事件でしたけれど、あの事件のお陰でシリン様の知らない一面を見る事が出来ましたもの、少し感謝ですわ」
「ミシェルともお話していたのですけれども、あの事件で出会ったのも何かの縁。せっかくですから、フィリアリナ姫様とも一緒にお祭りを見て回りましょうという提案がありまして、今回お誘いしましたの」

建国祭を一緒にまわろうと誘われたのは正直嬉しかった。
1人でまわっていてもつまらないというのもあるが、何よりも両親をはじめとするシリンの身近な人達がそれをどうしてか許してくれない。
こっそり抜け出すという事も出来るのだが、そうまでして見たい何かがあるわけでもなかったので毎年屋敷で大人しくしていたのだ。

「うん、ありがとう」

シリンは素直に笑みを浮かべてお礼を言う。
自分一人で行こうとは思わなかったので、その点でも感謝だ。
お祭りはやはり誰かと一緒の方が楽しい。
そう思うシリンを、ミシェルとフローラはじっと見ながらお互いの目を合わせて頷く。

(え?何?)

何かおかしい返事だったのだろうかと思ってしまう。
しかし、ミシェルががしっとシリンの手を持ち上げて握る。
その表情は少し怒ったような感情が含まれているように思える。

「シリン様!」
「は、はい?」
「フィリアリナ家のお屋敷に訪問した時から思っていたのですけれども…」
「フィリアリナ姫様、もう少しアクセサリを身につけるべきですわ!」

ミシェルの言葉を引き継ぐようにフローラが何故か拳を握り締めてまで力説する。
シリンは今いつものようなシンプルな薄紅色のドレスに、アクセサリ類はほとんど身につけていない。
髪のサイドをまとめているドレスと同じ色のリボン、翔太作成の指輪くらいだ。
どちらもアクセサリと言える程のものでもない。
対するミシェルとフローラは、ドレスは外へ出るからなのかシンプルであるものの、髪飾りにピアス、プチネックレス程度を身につけている。
どれも小さな石がついた、貴族の令嬢らしい高価そうなものだ。

(って、言ってもあんまり持ってないし、母様が買ってくれたものがあるにはあるけど高そうだから使って失くすの怖いし)

元一般庶民である紫藤香苗だった頃の考え方の影響のせいか、シリンはアクセサリ類をあまり身につけない。
勿体ない、失くしそうで怖いという、名門貴族の令嬢とは思えない考え方である。

「ちょうど街に良いアクセサリの出店が今出ていると聞いてますわ」
「わたくしとミシェルでプレゼントしますわ、フィリアリナ姫様」
「え?え?」
「あの事件で助けて頂いたお礼もまだしていませんもの」
「小さなアクセサリひとつでは大したお礼にはなりませんけれども、張り切ってフィリアリナ姫様に似合うものを選びますわ!」
「え?ちょっと…!」

シリンの手を握り締めたまま駆けだすミシェル。
その後をフローラも楽しそうに追う。

「あの、待って、ミシェル嬢、フローラ嬢!そんなお礼なんて…!」

その言葉に反応してなのか、唐突にぴたりっと足を止めるミシェル。
ばっとシリンの方を振り向いてシリンを見据える。

「シリン様!」
「は、はい!」

何故か自分が怒られているような気分になってしまうシリン。
しかし、シリンにはまだ10歳前後の彼女達に何かを言い返す事などできない。
精神年齢では10以上も下の子供が相手なのだ。

「何かをしていただいたらお礼をするのは当然ですわ!素直に受け取って下さいませ!」
「ミシェルの言う通りですわ!」

怒鳴るようにそう言われれば、シリンは頷くしかない。
頷いたシリンを見て、満足そうに笑みを浮かべるミシェルとフローラ。

「本当ならばわたくしもフローラも、そしてカナリアとセレンも、きちんとしたお礼を返したいと話し合っていたのですよ?」
「ですが、エルグ陛下やシェルファナ様が直々にいらっしゃって、今回の事は内密に、決して口外しない、それがあった事を感付かせる行動もしては駄目とおっしゃられて…」

フィリアリナ家へ彼女達の家から正式のお礼の品が届いたとして、それはおかしいと思う者は多いだろう。
今回の事件で多くの者には、シリンも他の令嬢達と変わらぬ誘拐の被害者の1人であるとしか伝わっていない。
不自然な行動は、シリンに対しての疑いをどこかでつくり出してしまうかもしれないのだ。

「ですから、街で買ったアクセサリ位はちゃんと受け取ってくださいませ」
「あの時フィリアリナ姫様には高価な指輪を頂いていますもの。お返しをしなければ気がすみませんわ」

フローラの高価な指輪という言葉に、はて?と首を傾げるシリン。
心当たりは全くない。

「シリン様、法術具はとても高価なものですわ」
「あ、あの時の指輪の事ね」

法術具が高価なものである事はシリンも分かっている。
あれは状況が特殊だったらからこそ、あの場で作って彼女達に渡したのだ。
シリンとしては見返りなど全く気にしていないのだが、お礼をしたいならばそれを素直に受け取るべきだろうか。

「わたくし、フィリアリナ姫様に頂いたあの時の指輪、今でも持っていますのよ」
「あら、フローラもですの?」
「ミシェルも?」
「勿論ですわ!」

あの指輪の法術陣の護りの効果はほぼ永続だ。
強力な攻撃法術を受けて、法術陣が耐えられなくならない限りは使える。
お守りのような感覚で持っている分には、彼女達の安全も多少は保障されるから良いことなのだろう。

「何と言いますか、手作りの贈り物を頂いたのは初めてでしたので、後で思うとシリン様から頂いたあの指輪、とても嬉しかったのだと感じますわ」
「ええ、わたくしも。高価なお金のかけた贈り物などはありましたけれども、わたくし達の環境を考えると手作りというのは殆どありませんもの」

確かに手作りと言えば手作りだ。
法術で作ったので、厳密に言えば違うような気がしないでもないのだが。

「ですから、ほんの僅かなお返しですが、シリン様に素敵なアクセサリを選んで贈りますわ」
「わたくし、センスには自信があるのですよ、フィリアリナ姫様」

ぎゅっとシリンの手を握りミシェルは再び歩き出す。
ミシェルもフローラも楽しそうに笑みを浮かべている。
歩く周囲に人は多く、ふわふわっと浮かぶのは恐らく法術の明かり。
お祭りらしく道の脇に飾り付けも綺麗にされており、道行く人の表情は皆笑顔だ。

「フィリアリナ姫様にはシンプルなものがきっと似合うと思いますわ、ミシェル」
「そうですわね。こう、ゴテゴテキラキラしたものはシリン様の雰囲気には合いませんものね」

雰囲気に合うか合わないかはともかく、派手なものはシリンは身につけたいとは思わない。

「街中の出店にフィリアリナ姫様に似合うものがあれば良いのですけれど…」
「街中の出店にどのようなものが置いてあるのか分からないのですものね」

貴族の令嬢が街中に買い物に出る事はないのが一般的だ。
街に出た事がないのならば、街でどんなものが売っているのかも分からないだろう。
貴族たちの買い物は、商人が屋敷に来て買うという事が殆どだ。
シリンの身の回りののものも、買ったのは両親だが、屋敷に商人が売りに来ていたのを見た事がある。

(恐ろしい事に、ドレスとかオーダーメイドなんだよね)

オーダーメイドのドレスなど高価すぎて値段を聞くのが怖いくらいだ。
それでも着るのは、まだまだ成長期のシリンでは今着なければそのうち着れなくなってしまうので勿体ないからだ。

「わたくし、街に出るのは本当に初めてなので、実は少しドキドキしていますわ」

ふふっとほんのり頬を赤くしながら笑うフローラ。
街に出て遊ぶような貴族の令嬢は殆どいない。
だからか、街に出た事がない令嬢というのが殆どだ。
シリンはクルスに法術理論を教えていた時、街中のとある一室でやっていたので街に行った事はあるにはあるが、街中を見て回った事はない。

「わたくしも、馬車で街中を見た事はあるのですが、自分の足で歩いて回るのは初めてですわ。シリン様は?」
「私も初めて…かな?結構屋敷に籠っている事多いし」

ご令嬢誘拐事件以来は殆ど屋敷に籠りきりだ。
それでもそのうちまた、元日本であった地には頻繁に行くだろうが。

「それより、フローラ嬢。私の事はシリンでいいよ」

初対面の時から”フィリアリナ姫様”という呼び方が少し気になっていたのだ。
フィリアリナ家の姫なので間違った呼び方ではないのだが、どうもこうして親しげな話をするにはその呼び名は違和感がある。
シリンのその言葉に何故か驚くフローラ。

「宜しいのですか?」
「うん、全然構わないよ」
「ふふ、でしたらシリン姫様と呼ばせて頂きますわ」

嬉しそうにそう言うフローラ。

(結局、様付けは無くならないんだ…)

フィリアリナ家は貴族の名門だ。
親類や貴族は多く、その力はかなり強大だ。
王家がフィリアリナ家を敵にまわす事などあり得ないと思えるほどに。
シリンを様付けで呼ばないのは、身内か王家か、甲斐のような外の国の者くらいだろう。


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