WOT -second- 44



そう言えば、とふとシリンは思う。
こうして3人、シリン、クルス、甲斐でお茶をするようになってから、クルスと甲斐は段々と仲良くなってきていると。
最初の頃は喧嘩も多かったが、最近ではそう多くはない。
寧ろ気が合っているように見える。

「シリン姫は、ティッシからシュリへ何人か訪問する件は知っているかい?」
「あ、うん。エルグ陛下から聞いたよ。同行して欲しいって」
「……そう、兄上から聞いたんだ」

あ、失敗したとシリンは言ってから気づく。
クルスの機嫌が降下したのが分かった。
ただでさえ、今のクルスはあまり機嫌が良くないのだ。

「シリンも来るのか?」
「ん。魔族を直接見たからってのと、甲斐がフィリアリナにお世話になってるからって事でね」

両方とも表向きの理由のような気がしないでもないが、朱里訪問はシリンにとって歓迎する事だ。
桜の主として朱里の上層部とのコンタクトも必要な事だが、何よりも食べ物が結構楽しみだったりする。
ティッシで和食などは食事で出るはずもなく、あるとすれば桜が作ってくれた和菓子とこの間のちらし寿司くらいなものだろう。

「何もかも兄上の掌でコロコロ転がっているようで、気に入らないな」

シリンは朱里行きを純粋に楽しみにしているのだが、クルスとしてはシリンが朱里へ行くことはエルグが何かを企んでいるように思えるのだろう。
確かに、シリンも何か裏があるのではないだろうかとは思わないでもないが、考えてもその裏が分かるわけでもない。

(エルグ陛下も、朱里とティッシの関係を良くしたいと思っているはずだから、変な事にはならないと思うんだけど)

魔族が現れた時点で、朱里との関係を悪化させるような事はしないだろう。
その点だけは安心である。

「それなら、エルグ陛下を出し抜いてみればいいじゃないか?」
「簡単に言うね、カイ。それが出来れば、もうやってるよ」
「エルグ陛下を出し抜くというか、驚かせることだって難しいと思う」

エルグが何を考えているかすらも分からない。
恐らく驚く事もあるのだろうが、それを表情に現す事がめったにないので、エルグが何を考えているのか分からないのだ。
とりあえず何かを企んでいる時だけは、あまり嬉しくはないのだが、シリンはなんとなくだが分かってしまう。

「驚かせることくらいならできるんじゃないか?」
「そう簡単じゃないよ」
「そうか?んでも、朱里の文化って外の国とは大きく違うから、朱里に来るだけで驚くことは多いと思うぞ」

その言葉に、そう言われれば…とシリンは思う。
シリンは朱里を見て驚いたには驚いたが、それはあまりにもティッシと違うという事ではなく昔の日本に似ていたからだ。
だが、ティッシとは違う城があり、家の中では靴を脱ぎ、正座をしてご飯を食べるなどという文化は知らなければ想像もつかないだろう。
シリンはその文化を知っていたのですぐに馴染んでしまったが、ティッシの暮らしに慣れている人にとってはものすごい違和感があるのではないだろうか。
最も、朱里の文化をある程度は甲斐が説明しているだろうが。

「料理なんか特にな。前にシリンが作ってくれたチラシ寿司もそうだけどさ、独特なものとか多いぜ」

寿司などはその代表だろう。
ティッシで生魚は食べない。
野菜や果物以外は、ほとんど火を通した食べ物だ。

「けど、甲斐が少しは朱里の事教えているんでしょ?」

事前に説明しているならば、エルグが驚く事もないのでないだろうか。

「少しはな。けど、言葉だけじゃなかなか伝わらない所ってあるだろ?」
「そうだね。私も兄上と一緒にカイの説明を聞いているけど、どんなものかあまり想像がつかない事もあったね」
「クルスはそれでも、あの時軍に参加していたから朱里の町並みは見ただろうけど、陛下は全然だろ?」

あの時というのは、シリンが朱里に浚われティッシが朱里に攻め込んだ時の事だ。
まだ1年弱しか経っていないというのに、随分前の事のように思える。

「クルスとシリンが町中ぶらついて、めちゃくちゃ馴染んでるようなところ見せれば、驚くんじゃないか?外からの人間って言葉が違うって事もあるんだろうけど、町にはあんまりすぐに馴染めないしな」
「それは前例があるという事かい?」

少なくともシリンは朱里がどこかの国と交流があるという事は聞いたことがない。
ずっと結界に覆われていた謎の多い国というのが一般的な認識だ。
だが、少しだけ愛理と話をした中で、もしかしたら他国と交流があるのでは?と思った事はある。

「公にはしてないんだけどな、一応イリスと交流があってな。イリスの人間は、イディスセラ語が下手ってのもあるんだけど、全然町には馴染まなかったし、町には1度行ったきりで二度と行くことないし」
「イリスはイリス、ティッシはティッシだよ。けれど、言っても良かったのかい?」
「何がだ?」
「イリスと交流があることをだよ」

イリスはティッシの東南に位置するそう大きくはないが、この世界では珍しい民主主義を代表する国だ。
朱里の丁度南、大陸の形状上海を挟む形になるが、朱里からも近い。
甲斐はほんの少しだけ考えるような仕草をする。

「公にしてないから言うべきじゃないんだろうけど、エルグ陛下は知ってたからな」

そこで、あ…と小さく声をもらすシリン。
エルグが知っている理由に心当たりがあるのだ。
イリスとは言わなかったが、以前エルグに、朱里は外と交流があるのではないかと言ったことがある。

「ごめん、多分それ私のせい」
「シリン?」
「愛理が外の人の事知ってるみたいだったから、外と交流があるんじゃないですか?っぽい事をエルグ陛下に言ったことがある」

朱里がどこかと交流があるという可能性を聞けば、エルグならばそれがどこの国か特定する事くらいは簡単だろう。
そして後は裏をとれば確証が出来る。
大国の王だ、そのくらいは容易くやってのけるだろう。

「そうなのか?」
「うん、ごめん」
「別にいいって。どうせティッシと交流すると決まった時点で、イリスとの交流はいずれエルグ陛下には言うつもりだったしな」

シリンが言わなくても、いずれは朱里からエルグには話すつもりだった。
朱里はそれだけティッシと誠実に向かい合うつもりだという事なのだろう。

「兄上が知っているなら、逆に本当に朱里に馴染んだ方が驚かせるかもしれないね」
「イリスが知っている朱里の情報を調べているだろうから?」

シリンの言葉にクルスは頷く。
朱里への訪問と言っても何も朱里の事を知らずに行くという事はないだろう。
朱里とイリスの交流があると知っているのならば、イリスから朱里の情報を引き出そうとするはずだ。
そして、イリスは朱里に馴染んでいないのならば、イリスから出てくる朱里の情報は好印象のものは少ないだろう。

「クルスもシリンもイディスセラ語話せるし、すぐに馴染めるだろ」

さらっと言った甲斐の言葉に驚いたのはシリンとクルス両方だ。
シリンはクルスにイディスセラ語を話せる事は言っていないし、クルスがイディスセラ語を学び始めたのはここ数か月の事だ。
そんなすぐにイディスセラ語を話せるようになるとは、シリンは思っていなかった。

「クルス殿下、朱里の言葉話せるの?」
「シリン姫も話せるのかい?」

シリンがイディスセラ語を話せることは、シリンと直接イディスセラ語で会話した事がある甲斐と愛理くらいしか知らないだろう。
付け加えるならば、翔太と桜もだが、この2人はシリンがイディスセラ語である日本語を話せて当たり前と思っている為例外と言えるかもしれない。

「この間の仕事の休憩時間はほとんど強制的にイディスセラ語オンリーの会話してたからな。日常会話はほとんど問題ないぜ」
「え、だって、この間の仕事って言っても1ヵ月あったかなかったかくらいじゃない?」
「会話くらいだったら1ヵ月集中で勉強すればどうにかなるよ。読み書きはできないけどね」

普通の人は1ヵ月だけでは言葉を覚える事など無理だろう。
片言ならばともかく、日常会話が問題ないほどまでできるようになるのは難しい。

「シリン姫だって話せるから同じだよ」
「お、同じ…かな?」
「オレからすれば、シリンもクルスも規格外だ」

クルスが規格外であることは同意するが、シリンは自分に関しては否定したい気持ちだ。
イディスセラ語である日本語をシリンが話せるのは、元々覚えていたからであり、勉強して覚えたのは共通語の方のようなものだ。

「シリン姫がイディスセラ語を話せるのはどうして?って聞いてもいいかい?」
「うっ…!」

やはりその問いが来たか、と思ってしまう。
答えに詰まるシリンを見て、クルスは苦笑する。

「話せない理由なら今は別にいいよ。他にも色々、そのうち時期が来たら全部聞くから」
「時期?」
「そう、時期」
「翔太さんの事とか全部な」

クルスの言葉に付け加えるような形の甲斐の言葉。
2人が話し合って決めたのだろうか、どうやらシリンが墓穴を掘った言葉に突っ込んで聞こうとは今は思っていないらしい。

「…てっきり、翔太の事もそうだけど、色々すぐに問い詰められると思ってた」

シリンとしては、どう言い訳するか結構考えていたのだ。
全部を話せるほど、内容は軽いものでもない。
シリン自身に関わることでもあり、この世界全部に関わる事でもある。

「気にはなるけど、無理やり聞きだしたりはしないよ。私もカイもね」
「話せない事聞こうとした時のシリンが、なんつーか、すごく困っていてけどすごく寂しそうにも見えるからな」

思ってもみない事を言われ、シリンは驚きで目を開く。

「うそ?」

ぺたぺたっと自分の頬を手で触れてみる。
自覚はないが寂しそうな表情でもしてしまったのだろうか。
すごく困るには困るのだが、寂しいという感情は自覚していなかった。

「何だ、自覚なかったのか?」
「えっと…、まぁ、でも、よく考えてみれば…ちょっと悲しい内容でもあるかもしれないし」

無意識にそう感じてしまっていたのだろう。
16年間育った世界がもうすでに遥か過去のものになってしまっているという事に他ならないのだから。
時を超える法術を作ろうと思えば作れるかもしれない。
そして過去に戻る事は出来るかもしれない。
だが、今シリンはシリン・フィリアリナであり、今の生活が不幸で昔に戻りたいと強く思っているわけではないのだ。
何よりも、過ぎ去った歴史に手を加えるなどとはあってはならない。
未来が変わってしまう可能性に手を出してはいけないのだ。

「けど、そうだね、うん。いつかは話そうとは思ってるよ」

そう簡単に誰かに話す事などできない、シリンの事とこの世界の事。
クルスと甲斐、この2人にならばいつか話してもいいのではないかと思える。
心から信じられる相手だとシリンは感じているから。

「シリン姫の心の整理がついたら、話してくれればいいよ」
「今知らなくても、生活に支障があるわけでもないしな」

その気遣いが純粋に嬉しいと思う。

「うん、ありがとう」

本当に彼らにはちゃんと話そうと思うのだ。
それは恐らくそう遠くない日になるはずだ。


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