WOT -second- 42



誘拐の理由、法術の事、船の事とシリンが知っている事は話した。
他にもグルドと話をして知った事はあったのだが、全てをシリンは話さなかった。
エルグにとって魔族は敵対すべき相手かもしれないが、シリンは彼らを敵視できないのだ。

「実はだな、シリン殿」

ある程度話し終えて、一息ついた所でエルグがシリンを見る。

「な、なんでしょう…」

思わず身構えてしまうシリン。
改めて話かけられると、相手がエルグの場合身構えてしまうのは反射的な行動だ。

「そう構えるな。以前から提案はあったのだが、今回魔族がティッシに現れた事もあって、シュリへの訪問予定が早まった」

クオンがシュリへの訪問予定があるような事を言っていた事を思い出す。
しかし、魔族が現れた事で、どうして朱里への訪問が早まる事に繋がるのか。
シリンは首を傾げるだけだ。

「ナラシルナにもティッシにも、そしてオーセイにも極秘文献として残っていると思うのだけれども、昔、魔族を唯一退ける事ができた種族がいたのよ」

”昔”、それがいつの時代の事を示しているのか分からないが、魔族を退ける事が出来た人がいたのをシリンは知っている。
殺す事をせず、撤退させることを選び、そして、その魔族に手を差し伸べた人。

「それが、イディスセラ族…シュリの者だ」

翔太1人の力ではないと言っていた。
朱里の者全てが協力し合い、そして今は魔族と呼ばれる種族の彼らを撃退したのだろう。
魔族に対抗できるだろう種族、イディスセラ族。
しかし、彼らが住まう朱里は閉鎖的で、交流を取ることすら難しい状態だった。
だが、それは今までの話であって、今は違う。

「それで、朱里への訪問ですか」
「そうだ。表向きは交流のためだがな。それに、カイ殿もずっとこちらにいて国に戻れないのは可哀想だろう?」

エルグが”可哀想”と言っても、心からそう思っていないように聞こえるのは何故だろう。

「シュリへは、私は勿論、政務官数名とクルスが行く予定だ」
「私とクオンはお留守番なのよ。他にも警護で何人か同行する予定だけれども、魔族についての話をしたいというのがエルグの考えなのね」
「はあ…」

にこりっと綺麗な笑みを浮かべているエルグとシェルファナ。
嫌な笑みだと思ってしまうのは、シリンが受け取り方が悪いのだろうか。

「やはり実際魔族を見た事がある者が同行すべきだろうと、そう思わないか?シリン殿」
「え…、まぁ、そうですね。実物を知っている人の意見はあったほうが良いで…しょう」

語尾が小声になってきてしまうシリン。
にこりと笑みを浮かべているエルグが、次に言うだろう事が想像ついてしまったのだ。
確かに魔族を知っているティッシの者が同行はすべきだろう。
そして、ティッシ内で魔族と直接対面して、彼らに対する知識が一番あるのはシリンだ。

「えっと、まさかとは思いますが、陛下…」
「そのまさかだ」
「…私はフィリアリナ家の者ですが、それ以外は表向き何の取り柄もありませんよ?」

朱里への訪問へ同行しろとエルグは言いたいのだろうが、シリン自身朱里へ行くこと自体は嫌ではない。
だが、今回は朱里とティッシの交流だ。
ティッシから国の代表であるエルグが行くという事は、それに同行する者はそれなりの地位と発言力がある者であり、周囲に納得されるような存在でもある。
だが、シリンはフィリアリナ家の者というだけで、他の取り柄など何もない。
シリンの同行に納得できる何かがあるかと聞かれると、何もないとしかシリンには思えない。

「大丈夫よ、シリン姫」
「カイ殿はフィリアリナ家に滞在していた。その滞在期間一番接する事が多かったシリン殿が同行した所で不思議に思う者は少ないだろう?」

その理由では少し弱いのではないのだろうか。
だが、エルグならば、それだけであとはどうにか周囲を納得させる事ができそうだ。

「それにあちらも、フィリアリナへと挨拶をしたいと言っていたからな」
「それでしたら、父か兄が行くのが妥当ではないのですか?」
「グレンかセルド、どちらにしても相手を警戒させてしまうだろう?友好な関係を築きたいからな、こちらから連れていく戦力になるような者は最低限にするつもりだ」

フィリアリナ家で到底戦力とは見なされないのはシリンくらいなものである。
だが、朱里ではどう思うだろうか。
朱里の上層部は、シリンが桜の主である事を知っているはずだ。

(このまま彼らとコンタクトとらないままってのも、色々まずいよね)

桜の主という立場になってから、シリンはいずれは朱里へと行って話し合いをする必要があるだろうとは思っていた。
その前置きとして、今回顔を合わせておくだけでもいいだろう。

「周囲の反対がなければ、私は朱里へ行く事は別に構いません」
「そうか」
「もう1度あの国には行ってみたいと思っていましたし」

桜の存在を知る彼らとの顔合わせの他に、あの国はとても懐かしい感じを受ける。
ティッシの文化が嫌いではないが、16年生きてきたあの国の昔を感じさせる国はやはり特別だ。

「シリン姫は、シュリに良い印象を持っているのね」
「はい。以前はとても良くして頂きましたから」
「その調子で、シュリの良い所をなるべく多く見つけて欲しいものだ」
「良い所、ですか」

朱里の文化かそれとも人柄か。
どうも両方の事を示しているように思える。

「そうだ。そして、それをなるべく多くの者に吹聴してくれ」
「べらべらしゃべっていいんですか?」
「それがエルグの狙いなのよ」

くすりっと笑うシェルファナ。
魔族の事を話し合うのが今回の目的ではないのだろうか。
いや、エルグの事だから他にも何か考えているのだろう。

「魔族について話し合うのが目的ではあるが、いくら話し合った所で我が国の民がシュリを受け入れる事が出来なければ、その話し合いもただの話し合いで終わりだ。協力し合うのならば、我が国はシュリを受け入れ、シュリには我が国を受けれてもらう必要がある」
「すぐには無理だと思うのだけれども、少しずつね」
「シリン殿には、魔族についての証言をいくつかしてもらう事も目的だが、シュリの良さを伝えられる者に伝えて欲しい」
「ミシェル姫や今回被害に合った子達は、いつの間にかシリン姫をとても慕っているようだから、シリン姫からシュリの良さを話せば信じてくれると思うわ」

ミシェル達のシリンへの信頼を、シェルファナやエルグは完全に信じているが、シリンはそこまでの信頼を得てるとは思っていない。
そもそも、シリンが話しただけで、イディスセラ族への恐怖が薄れるものだろうか。

「勿論シリン殿だけではない。我らシュリに行く者全てはその役目がある。ただ、シリン殿の言葉が一番説得力がある」

エルグの言葉にシリンははっとなる。
イディスセラ族が恐れられるのはその身の法力が強大であるからだ。
今回朱里に行く者で、シリン以外の殆どはイディスセラ族と同等まではいかずとも、退治して逃げることくらいはできる法力を有している者ばかり。

「フィリアリナの屋敷でもそうだったでしょう?」
「シリン殿がカイ殿に恐れず普通に接しているのを見ているから、屋敷の者達はカイ殿には好意的に接する事が出来ているはずだ」

シリンが平気ならば、”自分”も平気なのかもしれない。
そう思う人が出てくるだろう。
だが、それはシリンが見下されているという事だ。

(平気でそう言う事言える所、流石陛下といいますか…)

しかし、自分が他の人たちから下に見られようがシリンは気にしない。
高い地位や、尊敬の眼差しが欲しいとは全く思わないからだ。
見下される事は決して気分が良いとは言えないが、過度の期待をされるよりましである。

「今回のことは、あくまで切欠程度にしかならないだろうがな」
「それでも後々には繋がることだと思っているの」
「後々?」

この先の事をすでに考えているような口ぶりである。

「国同士の結びつきを強固にする為には、昔から使われてきた手段だが政略結婚が一番てっとり早い」
「それはつまり、どこかの貴族のご令嬢をあちらへと嫁がせるという事ですか?」
「その逆もありだがな」

政略結婚の話はこの時代の貴族間では、そう珍しい事ではない。
恋愛結婚をした、シリンの両親やエルグの方が珍しいのだ。
貴族の姫君として生まれた以上は、政略結婚をさせられる事は誰もが生まれた時から覚悟をしていることであり、それはシリンも同様である。
そしてエルグが”逆もあり”と言うように、身分の高い男子もまた、政略結婚による妻を迎えねばならない事もあるのだ。
特に王族という身分ならば、恋愛結婚できることなど珍しい事例になる。

「本当は、無理やりの政略結婚なんてさせたくないのよ。だから、今から少しでも好意を抱けるようにしていきましょう、という事なの」
「可能性としては低いかもしれないが、イディスセラ族に惚れる貴族の姫君がどこかにいるかもしれないからな」

シリンは思わずぴくりっと反応してしまう。
そんな言葉が出てくると思わなかったので無意識に反応してしまったのだが、すぐにこの反応はまずいと気づく。
その反応に、驚きを隠せず表情にだしたのはシェルファナもエルグも両方だ。
エルグの言葉に反応したという事は、シリンはイディスセラ族の人が好きだと言っているようなものなのだから、2人が驚くのは当然だろう。
”可能性が低い”のだと彼らは思っていたのだろうから。

(え?あ…ち、違ぁぁう!いや、違わないけど!た、確かに甲斐の事は好きだけど、け、け、け、結婚とかそういうのまで考えてる好きとかじゃなくて、一緒にいるだけで今は幸せで…そりゃ、ずっと一緒なら嬉しいんだけど)

思わずほんのりと頬を染めてしまうシリン。
これでは、違うと言っても言い訳にしか聞こえないだろう。

「ええっと、あの、可能性は決して低くはないと、私は思います」

混乱しながら言ったシリンの言葉は、あまり意味を成していないような気がする。
確かに”イディスセラ族に惚れる貴族の姫君”がいる、又はこの先でてくる可能性は低くはないだろう。
シリン自身でそれを証明してしまっているのだから。
くすくすっと笑いだしたのはシェルファナ、声に出して笑いはしないがエルグも笑みを浮かべている。

「そうね、可能性は低くないかもしれないわね」
「あちらも我が国と同様の人である事は確かなのだからな。畏怖という感情さえ消えれば、問題は文化の違いくらいなものだろう」

シリンの言葉に律儀に答えてくれる2人。

(ご、誤魔化せた……わけないよねぇ)

エルグとシェルファナの表情を見る限り、思いっきり気付かれてしまっているだろう事が分かる。
追及の言葉が来るだろうかとシリンは身構える。

「どちらにしろ、政略結婚の話が出るのはまだまだ後の事だ。それより、今回のシュリ訪問が重要だ」
「詳細については、また後日連絡をするようにするわ」
「グレンとラティを説得しなければならないしな」

追及の言葉は全く来なかった。
拍子抜けだが、ここで安心していても忘れたころにズバッと聞いてきそうで怖い。
気をつけておくべきだろう。

「父様と母様にはまだ言っていないのですか?」
「シリン殿が同行する事は、まだ正式に決定していなかったのでな」
「決まったのが少し前の事だから、正式な書類をまだ作成していないのよ。正式な書類が出来ないと口頭だけの通達というわけにもいかないでしょう?」

シリンはエルグの部下でもなければ、軍に属しているわけでもない。
部下ならば言葉の命令ひとつで構わず、エルグが国王として命じればそれでいい。
誘拐事件の囮のような周囲に知られては困るような依頼は例外だが、それ以外で貴族の令嬢を動かすには、やはり正式な書類が必要になるのだろう。

「早くてもひと月後くらいにはなってしまうだろうがな」
「そうですか」

ひと月後に朱里に行くというつもりでいればいいのか。
魔族についての情報の整理と、法術についてもまだ指輪の法術陣で解読出来ていない部分の完全解読はすべきだろう。
どちらにしても、朱里に正式に行けるのは嬉しい。
懐かしい風景、懐かしい食事、そして翔太が創り上げた国。
ゆっくりと見て回る事が出来ればいいな、とシリンは思うのだった。


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