WOT -second- 36



ぱっと室内に転移してきたシリンの姿に、彼女達は驚いたように目を開いていた。
決して離れることなく、ひとつの場所に集まっていてくれたのはありがたい事だろう。

「シリンさん?!」

だが、シリンの名を呼んだのは別の声だった。
はっとして声の方を振り向けば、扉の方にゲインの姿。
部屋の扉が閉まっている所を見ると、今部屋に入ろうとしていたわけではなく、ずっとこの室内にいたようだ。

「もしかしてゲインが見張りだった?」
「ど、どういうことっすか、シリンさん?!だってグルド様が…!」
「あ、ごめんね。説明してる暇ないんだ。色々グルドにバレちゃって時間がないから」
「は?シリンさん、それって…!」

彼女達が一か所に集まっていた理由が分かった。
ゲインが怖いのだろう。
ゲインがここにいるのは二度とガルファに勝手に何かされない為の見張りと、逃げださない為というのもあるのだろう。

(グルドは本当に…、ガルファみたいに自分の力を過信してくれれば動きやすいのに…!)

どんな相手でも例外というのが存在する事をグルドは分かっているという事なのか。
過去、ドゥールガが翔太達にあっさり負けたらしい事を考えると、これだけの警戒は分からなくもない。

「逃げるよ」

すっとシリンは彼女達に手を差し出す。
え?と顔を上げる彼女達は状況が分かっていないようだ。
それはそうだろう、昨夜急に決まったことなのだから。

「シリンさん!!」
「発動!」

ぴんっと法術の込められた石を弾き、発動させる。
ぼふんっと大きな音をたてて石から出てきたのは、白い煙だ。
部屋としては広い方だが、空間としては決して広いとは言えないこの部屋はすぐにこの煙幕で充満して視界がふさがる。
この煙に毒性はなく、身体への被害は全くない、本当に視界を防ぐだけの簡単なものだ。

「発動」

シリンはもう1つ石を取り出し同時に発動させる。
白い煙の中、蒼い光の法術陣がシリンと彼女達の足元に広がる。

「駄目です、シリンさん!逃げないで下さい!」
「そう言われてもね」

くすりっと小さく笑ったのを最後に、シリンと彼女達の姿がふっとかき消えた。
再び身体がぐんっと引っ張られる感覚。
そして身体に風を感じる場所へ転移される。
白い煙のない船外の視界は良好だ。

「きゃ、きゃぁぁ!」
「風の恩恵!」

叫び声を上げた彼女達を、ふわりっと緑の風が包み込む。
シリンはざっと周囲の状況を確認する。
転移は成功、彼女達4人共無事に船外へ転移ができた。
シリンの丁度背後には、巨大な船…造りは木製に見えるが実際は違うのだろう…が見える。

「し、シリン…様?」
「突然で本当にごめんね。とにかく、移動しよう」

彼女達が纏う風と、自分の纏う風をコントロールし、シリンはなるべくこの船から離れるように移動する。
だが、それを遮るかのようにごぅっと炎が襲うようにこちらに向かってくる。
風をコントロールして炎を避けるが、シリンはばっと炎が襲ってきた方向へ視線を向ける。
シリン達よりやや上空に浮かぶように存在するその姿は、グルド達5人だった。
グルド、ガルファ、そして他の獣人が3人。

「逃げるな、と俺は何度も言ったはずだがな?シリン」
「そうは言われても、誘拐されたら逃げるのが普通でしょ」

シリンが法術を使っている事に決して驚いていないグルド。
シリンにはまったままの首輪が見えていないわけではないだろう。
となると法力封じのためではなく、シリンの行動を見張る為につけたという事か。

「そんな状態で逃げ切れると思っているのか?」

今にも襲いかかってきそうな勢いでこちらを睨みつけているガルファを制しながら、グルドはシリンを見る。
確かにシリン達だけならば無理だろうが、5人だけで逃げるつもりなど最初からない。

「こちらも決して無策ではない事を一言言わせてもらう」

ここにいない第三者の男の声が聞こえたと思えば、ぱぱっと丁度シリン達の目の前に人が次々と転移してくる。
紫紺の軍服を着たティッシ軍人だ。
シリン達を護るように現れた彼らは十数人ほどだろうか、誰も突出した法力の持ち主に思える。
法術だけではない証として帯剣もしている。

「姫君達はこちらへ…」

いつのまに背後に来ていたのだろうか、3人ほどがシリン達の逃げる方向を促す。
彼女達はあからさまにほっとした表情をする。
安心のあまり、ぽろぽろ涙をこぼす子もいた。
彼らが促すまま、シリン達はその場をゆっくりと離れていく。
どんっと法術と法術がぶつかったような大きな音が響いた。
シリン達が離れてすぐに、戦闘が開始させれたようだ。

「シリン・フィリアリナ姫様。このたびはお疲れ様でした」
「いえ、助けて下さってありがとうございます」

礼儀正しく挨拶をする軍人に、シリンも丁寧に返す。
”お疲れ様でした”という言葉が出てくるという事は、どこまでかは分からないがエルグからシリンが動いていた事を聞いていたのだろう。

「まだ、油断はできませんけれどね」

苦笑する彼に、彼の雰囲気がまだ張り詰めたものである事にシリンは気づく。
そして、ほんの数メートルも離れていない場所での爆音。

「悪いが、逃がすわけにはいかねぇ!!」

いつの間に近くまで来ていたのだろうか、獣人が2名すぐそばまで来ていた。
うち1人はゲインのようだ。
彼女達を逃がす事を担当していた3名のうちの2名が彼らに対峙する。
その光景が遠ざかっていくのを見ながら、シリン達はその場から逃げる。
ゆっくりと大地が近づき、とんっと大地に地をつけるが、軍人は彼女達に隠れるように言い、大地に待機していたらしい他の軍人が彼女達の警護につく。
そして彼女達を誘導してきた彼は空へと戻った。

「シリン姫様、そちらにいらしていては危険です。早くこちらへ!」

恐らく結界が張られているだろう場所への避難を促されるが、シリンの足は動かず視線は上空だ。
グルド達と対峙している彼らは、グルドは何もせずに見ているだけでガルファをはじめとする4人に完全に圧されている。
ゲイン達2人と対峙している、シリン達を逃がしてくれようとした3人は、彼らをこちらに近づかせない事で精一杯のようだ。

「シリン様!」

ミシェルが声を上げてシリンを呼ぶ。
避難した方が安全なのは分かっている。
そして、自分は決して専用の戦闘訓練を受けているわけでも、学院に通っているわけでも、戦う才能に恵まれているわけでもないのだ。
運動神経は普通だが、法術に関してだけは飛びぬけているかもしれない。

(無茶なのは分かってるけど…!)

ぐっとシリンは拳を握り締めて、ばっと上空を睨みつけるように見上げる。

『翔太、桜』

インカムは耳につけたままだ。
2人が決して口を出してこなかったのは、シリンが言いだすのを待っているのだろうか。

『なんでも言ってくれ、姉さん』
『妾達は、主の言葉でどうとでも動くぞ』

頼もしい言葉にシリンはふっと笑みがこぼれる。

『どこまでやれるか分からないけど…』

ばっと扇を広げるシリン。
自分にはほんの少しかもしれないが、この状況を助ける事ができる力がある。
今動かなければ、絶対に後悔する。

『援助よろしく、翔太、桜』
『任せろ!』
『承知した』

こんな状況で嬉しいと思ってしまうのは可笑しいだろうか。
心から信用できる相手がいる。
それはとてもとても心強い。

『その前にその姿はどうにかした方がよかろう?』
『この姿?』
『ドレスでは動きにくかろう?』

シリンの姿は浚われた時のままの桃色のドレスだ。
確かにひらひらしたこの格好では動きにくい。

『主よ、父上の指輪を首輪に触れさせてもらえるかの?』
『ん?こう?』
『そうじゃ』

かつんっと音をたてて、指輪と首輪が触れる。
一瞬指輪が熱を持ったと思えば、ざらっと首輪が小さな粒子となってざっと風に舞う。
シリンは思わず首輪の外れた首をさすってしまう。
痛みも何もなかったが、流石に突然首にはまっているものが粒子となるのはぎょっとさせられる。

『ちょ、桜?!いつの間に俺の指輪にそんな細工を?!』
『細工なぞしておらぬよ。指輪をレーザーを転移する媒体としただけじゃ』
『あ、そっか、成程』

日本からレーザーを照射してもいいが、狙いが定まりにくいだろう。
レーザー自体を指輪のある場所へと転移させたという事だ。
科学と法術の組み合わせがあって出来ること。

『服に関しては、これが動きやすいじゃろう』
『これ?』

シリンの疑問をよそに、シリンの足元に法術陣が光り出す。
その法術陣は光輝きシリンの身体を包み込む。
ふわりっと風が舞い光が消える頃には、シリンの服装と髪型が変わっていた。
洒落た服装という訳ではなく、服装はシンプルにTシャツとジーパン、髪型は上で大きく一つにまとめてあるだけだ。
靴もスニーカーという、この時代では少し浮くかもしれない現代らしい服装。

『護りはすべて妾が担当する故、護りには全く気を配る必要はないぞ、主』
『うん、分かった』

自己防衛法術もどこまで効くか分からない以上、絶対防御とも言える桜の力があるのはとても心強い。
自分の命が保障されているという事なのだから。

『指示は全部俺が出す』
『うん』

戦いの経験が少ないシリンは、相手がどうやって行動するかを読むのは苦手だ。
確実に相手の実力が自分より下ならば余裕だろうが、相手はどう見ても戦闘慣れしている法力に関しても桁外れの相手。
遠くから強力な法術を放てばいいというわけでもないだろう。

『妾達は全てを持って、主を援護する故』
『姉さんは気にせず、その個性的な法術をぽんぽん組み上げていいからな』
『ん』

ふわりっとシリンは風で身体を浮かす。

「シリン様!」
「シリン姫様、危ないです!お戻り下さい!」

後ろから自分を呼ぶ声が聞こえるが、シリンはゆっくりと振り向き笑みを浮かべる。
その笑みに不安そうな様子は全く見られない。
こんな状況でそんな笑みを浮かべられたことに戸惑う彼ら。

「大丈夫、1人じゃないから」

そう、1人じゃない。
だから、自分にできることがある限り、それをやりたいのだ。
笑みを浮かべたまま、シリンはまずゲイン達の相手をしている方へ向かう。
3対2だというのに苦戦しているように見えるティッシ軍人。
ゲイン達にはまだ余裕が見える。

『妾があの3人を守護する』
『遠慮せずに相手を吹っ飛ばせ!』
『了解!』

シリンは扇から法力を集めながら、威力が高いだろう法術呪文を唱える。
周囲や人に気を遣わずにこうやって巨大な法術を使おうとするのは初めてかもしれない。

(けど…)

一瞬も、ほんの僅かも、今のシリンには遠慮や躊躇などなかった。


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