WOT -second- 03



「シリン」

セルドがシリンの所を離れてすぐに、甲斐がシリンの側に近付いてきた。
誰かと話している最中の所を切り上げてきたのならば悪いなと思うが、どうやらそうでもなさそうだ。
シリンとセルドが隅っこにいる間に、挨拶はある程度終わったのだろう。

「挨拶は終わった?」
「ん、まぁな。殆どは王宮で、もう顔合わせた事がある人ばっかりだったしな」

終わったことにほっとしたように甲斐はため息をつく。

「疲れた?」
「そりゃあな。政治の専門用語なんて、まだ聞き取りが上手くないから意味分からねぇ時とかあるし」
「そうなの?甲斐の発音綺麗だし、会話も全然不自由ないように見えるよ」
「日常会話なら全然平気なんだけどさ」

専門用語を加えた話となると、分からなくなるのは仕方ないだろう。
シリンだって専門用語になると、共通語だろうがイディスセラ語だろうがきっと分からなくなくなるはずだ。

「にしても、意外と好意的なのは驚いた」
「好意的なの?」
「オレ、ティッシ来る時に、これからは敵意と悪意ばっかりの中で過ごさなきゃならないのかって思ってたんだよな」

現在の状況で嫌な視線が向けられていない事から分かる通り、甲斐への態度はそう酷いものではなかったりする。

「フィリアリナの屋敷の人たちは好意的な人達ばっかりだしさ」
「父様が先入観で人を見ないって人を選んでいるんだと思うよ」
「かもしれないな。それでも、寝る所で悪意がないってのは結構楽だ」

始終どこでもギスギスな雰囲気だったら、さすがの甲斐もずっと元気ではいられないだろう。
フィリアリナではシリンが甲斐と仲良くしている為、他の人たちが甲斐を危険な存在であると認識しなくなっている。

「朱里が受け入れられるようには、まだまだ時間がかかるだろうけど、夢で終わらずに済みそうだからよかった。兄さんなんて”絶対にティッシは朱里を受け入れない”って言いきってたから余計不安だったんだよな」
「兄さんって…えっと、昴だっけ?」
「そう、すっげぇ好戦的な、あの時セルドに突っかかった人」

あの時とは、ティッシが朱里に攻め入った時の事だろう。
あれからもう二か月ほどが経つ。
シリンはあの時の昴を思い浮かべて、確かに好戦的だったと心の中で同意する。

「昔何かあったとか、かな?」
「というか、兄さんは母親にそう言われて育ってきたからだと思う」
「母親?」

まるでその母が他人でもあるかのような言い方に、シリンは首を傾げる。
昴が兄ならば、昴の母は甲斐にとっても母にならないのだろうか。

「甲斐のお兄さんなんだよね?」
「あ、そっか。シリン知らないんだよな。オレと愛理は両親同じだけど、兄さんは母親が違うんだ」
「異母兄弟ってこと?」
「イボ…?」
「母親が違う兄弟を異母兄弟って言うの」
「成程。そう、それだ」

言われてみれば顔立ちは似ている所が少なかったかもしれない。
そして愛理は昴を”兄”とは呼んでいなかった。
母親が違うから、兄と呼んでいなかったのだろう。

「兄さんの母親ってのが過激派でさ、その影響受けた兄さんとオレは一緒にいる事が多かったから、考え方も結構影響受けてたんだよな」
「けど、甲斐は前からティッシに対してそんな敵意なかったように思えたよ?」

シリンと最初に会った時、甲斐は決してシリンに敵意など向けてこなかった。
ティッシの者がすべて憎いのならば、シリンに対する態度もそっけなかったはずだ。

「あの時はシリンが子供だったからだと思う。いや、今のシリンも十分子供なんだけどさ、…愛理って妹がいるから、愛理と同じ年くらいの女の子に敵意向けるほどオレは人でなしじゃなかったつもりだし」

シリンはその言葉に思わず笑みを浮かべる。
それが甲斐の優しい所なのだと思うのだ。
昔からティッシの人間を敵だと思いこむような状況下にいたとしても、ティッシ国の子供であったシリンに優しくできたのは甲斐の優しさなのだ。

「もしかして、みんなそうなのかな?」
「シリン?」

愛理とシリンが同じくらいの年だったから、甲斐はシリンに対しても優しかった。
フィリアリナ縁者である彼らの甲斐への態度がそうひどくないのは、それと同じようなことなのではないだろうか。
甲斐は大人とも子供とも言える微妙な年齢だ。

「甲斐と接した人たちの中には、甲斐と同じくらいの年の子供がいる人も多いと思うんだよね。だから、そう悪感情ばかりではないのかもしれないなって」
「あ〜、言われてみればそうかもな」
「もしティッシに来たのが、甲斐と違って完全に大人な人だったら対応は違ったかもしれないよ?」
「そうかもしれないけど、その可能性は低かっただろ。元々共通語を話せる人って少なかったからな、オレか柊のじいちゃんか父さんかって所だっただろうし」
「そうなの?」
「だって、難しいだろ?発音」

内心同意するシリン。
今でこそすらすら普通に話す事が出来ているシリンだが、生まれてから数年はものすごく苦労したものだ。
日本語を知っているだけに、他の言葉を頭がなかなか素直に受け入れてくれなかったのだ。

「じいちゃんは朱里ではエルグ陛下みたいな立場で忙しいし、父さんもちょっと動けないし、オレが来るしかなかったんだよな。共通語が話せないとティッシに来てもあまり意味ないしさ」

共通語が話せないとティッシに来ても確かに意味がない。
ティッシにはイディスセラ語をまともに話せるような人が殆どいないのだ。
シリンほど綺麗に話せる人はいないだろう。
共通語を話せない人が来ても、会話が成り立たないため意思疎通が出来ない。

「その”柊”のおじいさんと、甲斐のお父さんは話せるの?」
「じいちゃんは年の功ってとこだろうが、”紫藤”の家の者は共通語を覚えるってのが習わしみたいなものなんだよ。兄さんは覚えてないけどな」
「じゃあ、愛理もそのうち話せるようになるの?」
「15になるまでには覚えてるだろ。今でも聞き取りは十分できるしな…と、そうだ!」

甲斐は一度ぎゅっと右手を握って何か小さくつぶやく。
そして開いた甲斐の右手のひらには1つの指輪がある。
何か模様が描かれ、小さな白い石がはめ込まれた銀の細い指輪。

「誕生日プレゼント。オレだけからってわけじゃなくて、愛理とエーアイと相談して決めたもので、昔別の人が使ってたものだけどさ」
「使ってた?」
「始祖が作ったもので、エーアイがシリンなら使いこなせるだろうって」
「始祖?使いこなす?」

じっと指輪を見てみれば、表面に描かれた細かい模様は法術陣のようだ。
細かすぎてどんな陣が刻まれているのか見えないほどだ。

「始祖ってのはオレの先祖で、朱里の建国者の一人」

甲斐はシリンの右手をとり、その手のひらに指輪を置く。
手のひらで光る銀の細い指輪。
良く見れば内側にも何か刻まれている。
内側に刻まれたものは細かいものではないようで、何が書いてあるのか分かりそうだ。
シリンは指輪を手に取り、内側を覗きこむように見る。

「サイズは基本的にフリーサイズだから、指にはめれば自然と指の大きさに調整されるってさ。和菓子とかプレゼントって案もあったんだけど、エーアイが実用的なもののほうがいいだろうって」
「うん、確かに使えるものの方がもらって嬉しいけど、甲斐のご先祖様が作ったものなんてもらっていいの?」
「朱里には使える人間いないし、管理はほとんどエーアイがしているから、エーアイがいいって言ってたから構わないぜ」
「それなら後は桜に使い方……」

指輪の内側に刻まれた文字を目にして、シリンは思わず言葉を止めてしまう。
刻まれていた文字が読めなかったわけでもない。

「どうした?シリン」
「……なんというか…その、始祖って、随分と変わった人だった?」
「さあ?オレが聞く限りは偉大な人って聞いてるけど」
「けど、この内側に刻まれた文字って…」
「それ、始祖のサインらしいぜ。始祖が作ったものには全部その文字が入ってるってさ」
「……サイン」

(また、妙なサインを…)

刻まれた文字は”MADE IN JAPAN”である。
甲斐の苗字が”紫藤”という事から分かる通り、始祖は日本人だったのだろう。
余程愛国心があったのか、それともお茶目でそんなサインにしたのか。

「はめないのか?」

指輪を掴んでじっと見たままのシリンに、甲斐はシリンの指から指輪をひょいっと取り上げる。
シリンの左手を甲斐は右手で取る。
指輪をはめてくれる気なのだろうが、左手を取られて一瞬どきっとする。
甲斐は何も気にせずにシリンの左中指に指輪をはめた。

「中指…」

思わず呟いてしまうシリン。

「中指じゃまずかったか?指輪なんて朱里じゃ誰もしないから、どの指がいいのかとか分からないんだ」
「朱里って指輪ないの?」
「普通に流通はしてないな」

シリンは中指にはまった指輪を見る。
指輪が流通していないということは、左薬指に指輪をはめる意味というのを甲斐は知らないのではないだろうか。
ティッシでは既婚者は左薬指に指輪をはめる風習は残っているので、ティッシでは左薬指の指輪は特別な意味を持つ。

「ありがとね、甲斐」
「あ?」
「プレゼント。愛理に会えたら愛理にもお礼言いたいけど、会えるのはまだ先になりそうだから伝えられたら伝えてもらっていいかな?」
「分かった」

愛理と桜と話し合って決めたプレゼントということは、甲斐は愛理に会う事が結構頻繁にあるのだろう。
どのようにして愛理と会っているのか、それとも通信ができるようになっているのか手紙の交換でもしているのかは分からないが、甲斐が愛理と話し合いができる状況があるのならば、シリンが愛理に会う事が出来るのはそう遠くないかもしれない。

「悪いな、愛理とオレとエーアイの合同プレゼントで」
「ううん、十分嬉しいよ。それにこれ、確かにかなり実用的なものっぽいし」

シリンは指輪に刻まれた細かい陣をじっと見る。
目視では解読できないほどに細かい法術陣。
ティッシや朱里の法術は呪文を使うものを主としているが、この指輪は陣を主とした法術を組み込んでいる。

(難しい法術見ると、解読するのにワクワクしてくるんだよね)

楽しいのだ、法術を解くのが。
決して勉強は好きではないが、理解できるようなると一気に楽しくなる。
シリンにとってそれは法術だった。

「分かるのか?」
「ちょっとだけね。かなり高度な法術がたくさん組み込まれてるよ、これ」
「…やっぱり、相変わらず天才だな、シリン」
「そう?けど、私が天才かどうかは置いておいて、これを作った人は間違いなく法術の天才だよ」

甲斐のご先祖で朱里を建国するきっかけとなった人が生きていた時代というのは、恐らくまだ科学力が完全に無くなっていなかったのだろう。
人の手でここまで細かな陣を描くのはきっと難しいはずだ。
それでも、細かいからこそ多くの法術を組み合わせて作り上げているのが分かるため、ここまで複雑なものを作れた人が天才でないわけがないとシリンは思う。

(一番大きく見える法術陣が守り系のものっぽいってのしかわからないけど…)

この指輪が作られた時が大戦時だったのならば、戦いの場で有効なものか、その身を守るために有効なものか分からないが、恐らくどちらかだろう。
日常生活での便利道具だったらそれはそれで構わないのだが、使い方は覚えておくべきだ。
はめたばかりの指輪は少し違和感を与えるが、ずっとはめていればその違和感もなくなるだろう。
どうしてか分からないが、シリンはその指輪が懐かしいと思った。
今も”昔”も指輪に対して何か思い出を持っているわけでもないのだが、懐かしいと思ったのは、紫藤の始祖が刻んだお茶目なサインがあるからなのかもしれない。


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