WORLD OF TRUTH 13



クルスはシリンに甘えるが、シリンを甘やかさない。
事実を誤魔化さずに、それがたとえどんな酷いものでも隠すことはしない。
箱入りお嬢様っぽく育てられてしまっているシリンとしては、クルスの事実が外からの唯一の情報源のようなものだ。

(忙しいだろうに)

シリンは自分のベッドの中で気持ちよく寝ているクルスを見る。
彼と初めて会ってから、もう3ヶ月ほどが経つだろうか。
1時間でも時間が空くと、法術を使ってシリンの部屋に訪れる。
大抵シリンに抱きついてのんびりしているか、シリンのベッドでぬくぬくと気持ち良さそうに眠るかのどちらかだ。

(何しに来ているんだか)

それを受け入れてしまっている自分も自分だが、どうしてもクルスを放り出そうとは思えなかった。
彼を否定すると、小さな子供を理論詰めで追い詰めて泣かせてしまうような気分になってくる。

(私の方が精神年齢では年上には年上だからいいんだけどね)

ふわふわしている髪の毛を撫でる。
クルスはシリンの知りたいことを惜しみなく正確に与えてくれる。
お陰でこの国の現状というのが、以前よりも詳しくなった。

シリンが全く怖くないと思っているイディスセラ族だが、昔からの思い込みなのか刷り込み教育なのか分からないが、この国に住む者は黒髪と黒目に恐怖を抱いている。
それはイディスセラ族が強力な法術でもって、村や街を襲っていることが原因でもあるだろう。
そして、この国だけでなく他の国も決してイディスセラ族の国であるシュリには手を出せない。
ただひたすら法術によって被害を与えられるだけの立場にあるのだ。

(確かに怖がらないはずない…か)

国が彼らを敵とみなしているのならば、シリンにそれをどうできようか。
何もしようとしない自分に、何も出来ない自分に腹が立つ。
何かをしようにも、この国は法力がなければ権力ある位につくことが出来ない仕組みになってしまっている。

「法力があれば止められるなんて自惚れているわけじゃないけど…」

何かしたいと思ってしまう。
シリンの知っているイディスセラ族はたった1人だけ。
だけど、そのたった1人は胸が締め付けられるほどに大切だと思える人。
ため息をつきそうになるシリンだったが、突然ぐいっと後ろに引っ張られる。

「ぅわっ?!」

ぽすんっと暖かい何かに受け止められ、後ろから手が伸びぎゅっと抱きしめらているのに気づく。

「クルス殿下、起きたんですか?」
「うん」

ゴロゴロとシリンに擦り寄るように抱きしめているクルス。
クルスがするのはシリンを抱きしめることくらいで、それ以上のことは決してしようともしないし、するそぶりも全くない。
抱き心地がかなり気に入っているようで、力加減など殆どせずにしがみついてくることもある。

「シリン姫は難しく考えすぎるところがあるんじゃないかな?」
「え?」
「もっと好きなように考えて行動してもいいと思うよ」

(確かに)

悩んでいても仕方がない。
何かしなければならない時がくるかもしれない、その時に自分が後悔しないような選択をするように自分の意思を明確にしておけばいい。
ただそれだけなのかもしれない。
さわりっと風が揺れ、シリンの考えを肯定してくれた気がした。



この世界の文明は遅れている。
そして基礎教育をする事ができる学校が、当たり前のように存在しているわけではない。
どの国も同じなのかは分からないが、少なくともティッシで学校と呼ばれているのは選ばれた貴族のみが通えるティッシ学院のみである。

(算数の基礎もできてないのは迂闊だった…)

シリンは”香苗”の頃に算数と数学の基礎を学んでいたので、数字の計算というものにあまり抵抗がない。
”香苗”として学んだものもこの国のレベルから見るとかなりレベルの高いものである。
ここでは政治や法術、戦術について学びはするが、計算については全くと言っていいほど学ばない。
簡単な足し算引き算ならば分かるだろうが、それまでだ。
掛算、割算はまだしも割合、確率の計算とまでいくと未知の世界となるらしい。

(掛算も割算もそう難しくないし、分からなくてもできると思ってたんだけど、そうでもないかもしれない)

シリンがその法術に触れてなんとなく分かるのは、属性の割合だけだ。
そこから今まで知っている法術の羅列を思い浮かべて、近い羅列のものを選び解読していく。
それがクルスには出来ない。

クルスに法術理論を月に1度ペースで教え始めてそろそろ1年。
つまり12回目になるのだが、あっさり出来ると思っていたシリンの考えとは裏腹に、クルスの理解はあまり進んでいなかった。
シリンの話す理論は分かるらしい。
だが、理論が分かっても法術の解読は出来ない。

「クルス殿下…、わざと理解してないふりしているわけじゃないですよね?」

そう疑いたくなってくるのも仕方ないだろう。

「私から見れば、そうあっさり解読できるシリン姫がすごいと思うよ」

困ったような笑みを浮かべるクルス。
国の違いがこんな所で出てくるとは思わなかった。
育ちが違えば、理解度も変わってくるだろう事は想像つくが、それがこんなところで現れるとは思いもしなかったのだ。

「でも、法術の組み方が分かれば解除ができるというのは分かったから、それだけでも今は十分だよ」
「クルス殿下?」

クルスは座っていた椅子から立って、シリンに近づき、圧し掛かるようにしてシリンを抱きしめる。
どうもクルスはこういう抱きしめ方が気に入っているのか、シリンに圧し掛かるのが好きなのか、よくこうしてくる。
これについてのシリンの感想は、重い、の一言に限る。

「シュリとの戦争が始まる」

ティッシとイディスセラ族の国と言われるシュリ国は、ほど近い場所にある。
シュリ国に一番近いのはイリスという国だが、イリスは海を挟んでいるので近いといっても海を簡単に渡ることもできないので、シュリと戦争をしたという事は聞かない。
大してティッシは大きな森を間に挟んでいるものの、シュリへは歩いて行こうと思えば行ける距離だ。
森を抜けるのに最短距離を馬で走ったとしても1週間ほどかかる距離で、その次に大きな河があるようだが、詳しくは知らない。

「強硬派の意思が思った以上に強くて、多分動くことになると思う」
「大きな戦争になってしまいそうですか?」
「多分。やるなら全戦力を投入しないと無理だろうね。シュリはそれだけの戦力を持つ国だろうから」

戦争と言われても、戦争というものを経験したことがないシリンは想像でしか分からない。
イディスセラ族とどうして戦争などしなければならないか、その理由がシリンには分からないが、1年前に会ったカイも今目の前にいるクルスも、いなくなるのは嫌だと思う。

「戦争なんて嫌だ」
「クルス殿下」
「戦争なんて、ただ今より犠牲が大きくなるだけなのにね」

確かにそうかもしれない。

「イディスセラ族を全滅させることなんてできやしないのに、どうして戦争なんてしようと思うのか、私には分からないよ」
「クルス殿下は反対なんですか?」

意外だと思う。
イディスセラ族のことはどうでもいいとは思っているが、命令があれば抗いもせずに従うと思っていたのだ。
どうでもいいからこそ、傷つけることも殺すこともなんとも思わない。
それはシリンにとっては悲しいことだが、自分の考えを人に押し付けようとは思わないシリンは、クルスのする事を強固に反対することは出来ない。

「兄上が攻めることを決めた理由も納得はできるけれど、私は自分のことの方が大事だからね。シリン姫とこうしていられる時間がなくなるのは嫌だ」
「それだけ…ですか?」
「それだけじゃ理由にならないかい?」

(そんなことはないけど…)

「ここ数年で被害が以前より大きくならなければ、せめて彼らがこちらから連絡を取れる手段を残しておいてくれれば、こんなことにはならなかっただろうけどね」

シリンは詳しいことは知らないのだが、以前のように村への小さな被害くらいならば目をつむっていることも出来たらしい。
だが、ここ数年イディスセラ族は数人ほどの集団でもって、まるで侵略をするかのように村や街を襲う。
歯向かわなければ被害はさほど大きくならないが、自分達の生活の場を荒らされ黙っている者ばかりではないのを考えれば、犠牲が出てしまうのは仕方ないだろう。

「でも、それは一部の人達のやったことで、彼ら全体が悪いわけではないかもしれないのに戦争になってしまうんですね」
「シリン姫のように、イディスセラ族を私たち人と同じように感じている人は殆どいないからね。たった1人でもこの国へ害を及ぼすことをすれば、それが全てであると皆思い込む」

このティッシという国に住む人にとって、イディスセラ族の国であるシュリは、どうあっても受け入れられないのだ。

「彼らが何らかの賠償をしてくれない限りは、和平なんて無理だろうね」

それだけの被害を受けている。
あちらは何の被害もないのに。
どうしてイディスセラ族はティッシを襲うのか、いや、話によれば被害にあっているのはティッシだけではないらしい。
何故、とシリンは思うが、考えたところで分かるものではない。
イディスセラ族について書かれた文献というのはかなり少ないからだ。

「シリン姫…」

ぎゅっとクルスがシリンを抱きしめる腕に力を込める。

(い、痛い、重いーっ!)

戦争に行くのが寂しいのか分からないが、かなり痛い。
もうちょっと手加減というのを学んで欲しいものだ。

「クルス殿下、痛いです、重いです、退いてください…」
「シリン姫はいつもそう言うね」

どこかむすっとした様子で、名残惜しそうに身体を離すクルス。
重みと痛みが消えたことでシリンはほっとする。

「法術理論に関しては、クルス殿下がいない間教え方を変えるかどうか考えて見ます」

戦争を止める事もついていくことも、シリンには出来ない。
ならば待っている間、出来る事をやるだけだ。

「なるべく早く再開できように頑張ってくるよ」
「無理しない程度に頑張ってください」

無理しないで欲しいと思う気持ちは本当だ。
まだ17歳の大人になりきれていない少年。

窓の外から賑やかな声が聞こえてくる。
城下町はとても平和に見えて、イディスセラ族が襲ってくるような雰囲気に思えない。
襲われるのはこのティッシの城から離れた場所にある村や街ばかりらしい。
しかし、ここから外に出たことがないシリンには、この平和な城下町の様子と、貴族院しか知らないのだ。
本当に戦争が始まるのだろうか。
そう思えるほどに、城下町はいつもと変わらないように見えた。


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