WORLD OF TRUTH 09



身体を下ろされたのは、お茶会の庭の様子が見える部屋のソファーの上だった。
クルス自らお茶を入れて、シリンの前にあるテーブルに置いてくれる。

(毒でも入っているんじゃないだろうか…)

そんなことを思ってしまうが、ここでそんなことをしようものならば大騒ぎになるくらいのことはこの人でも分かるだろう。
何の身分もない小娘相手ならともかく、一応シリンはフィリアリナ家の長女だ。
法力もさっぱりない平凡な子供にすぎないが…。

「気分は大丈夫かな?シリン姫」
「申し訳ありません。クルス殿下のお手を煩わせてしまって…」

余計なことをしやがってコノヤロウと言いたいところだが、流石にそんなことを言えるはずもなく、笑顔で表面上のお礼のみを述べておく。

「やっぱり10日前の事でまだ疲れがとれてないのかな?」

ぴたりっとシリンの動きが止まる。
ゆっくりとクルスの方を見れば、クルスは変わらず優しげな笑みを浮かべたままである。
何を考えているのかさっぱり分からない笑みでもある。

「なんの事でしょうか?」

シリンはにっこりと笑みを返してやった。

(16歳のガキに負けてたまるか)

精神年齢上優位にあるということを心に言い聞かせて、シリンは焦ることなくクルスを見る。
16と23では結構差が大きい。
育ちの違いはあっても、7年の人生経験差は大きなもののはずだ。

(ドロドロな人間関係の王室育ちと、平凡一般市民の経験じゃ年数差があってもそう変わらないかもしれないけど…)

騙しきることは出来ないだろうとシリンは思っている。
それでも決定的な言葉は避けたい。

「覚えてないのかな?それとも私相手にシラをきるつもりなのかな?シリン姫」
「心当たりがないことを聞かれましてもお答えできませんから」
「そうかい?確かに私の方も確証があるわけじゃないんだけどね」

クルスはどこからか銀色の細い指輪を1つ取り出す。
何をするつもりなのかとシリンがそれを眺めていると、クルスはシリンの右手を取り、その指輪をシリンの中指にはめ込んだ。

「っ?!」

指輪を嵌めたとたんに襲ってくる脱力感。

(法力封じ?!)

シリンは嵌められた指輪を抜こうとするが、ビクともしない。
刻まれた文字を見る限り、恐らくカイに嵌めれていた法力封じの簡易版という所だろう。

「残念だけどそれは外れないよ。私にも外すことができないしね」
「はあ?!」

クルスの言葉に礼儀もなにもふっとんでシリンは声を上げてしまう。

「貴方が作ったものではないのですか?」
「そうだよ、私が作ったものだ」
「それならどうして外すことができないのですか?」
「それは簡単。使い方と作り方が分かっていても、理論が分かっていないからさ」

ひくりっとシリンの顔が一瞬引きつってしまったのは仕方ないと言えるだろう。
カイに嵌められていたものの簡易版なので、頑張ればシリンにも解くことは出来るだろう。
つまりあれよりも簡単なもののはずなのだ。

「貴族院や王宮の書庫には、多くの法術の本がある。それをなぞる様に作り上げればこういう複雑なものを作り上げることは簡単なんだ。でも、理論は分からない」

(理解しようとしないだけなんじゃないの?)

シリンにはそうとしか思えない。
頭痛がしそうになるが、このまま法力を封じられたままなのは困る。
クルスが本当にこれを外す方法を知らないのかは分からないが、外すつもりがないことは分かる。
シリンはため息をひとつ。

「汝の本来の姿を現したまえ」

ぽぅと指輪が光に包まれ、刻まれていた文字が浮かび上がる。
広がる光の文字でつづられた法術理論は手の平サイズ。
本当に簡易版のようだ。
赤く光る文字は2つ。
シリンの法力ではギリギリである。

「破壊せよ」

文字のみを破壊するよう法力をコントロールする。
ぱきんっと割れた音と共に光は失われ、指輪が綺麗に真っ二つに割れ外れる。
ぱちぱちっと手を叩く音が聞こえて、シリンは不機嫌そうにクルスを見る。

「何のつもりですか?」
「いや、純粋にすごいと思ったんだよ。私には無理だからね」
「あのですね、別に法術理論は難しくないですよ。この指輪の法術は基本的なもので、私の持つ法力でも解けるものです」
「そうかい?」
「法術理論くらい学院でやっているでしょう?」
「いや、全然」

思わずずっこけそうになるシリン。
シリンの今の法術の知識は殆ど独学だ。
基本用語は小さい頃にセルドと一緒に学んだ時に得たものだが、後は自分で調べようとして得たもの。

「学院で教わるのは法術理論などではなくて、実戦で使うことができる法術を暗記することくらいだったからね。あとは戦いの経験と暗記できた法術の数で法術師としてのレベルが決まるようなものだよ」

ひくりっとシリンの顔が今度こそ盛大に引きつる。
道理で法術の組み方に難しいものが少ないと思ったのだ。
強大な法力を持つものは、力だけで圧倒することしか考えずに新しいものを組み上げようとしない。

(単細胞集団か?)

「理論を学ぼうだなんて誰も考えないからね。だって、法力が強ければなんとかなるし」
「アホか」

思わず本音が口をついて出てしまう。
口を塞いだ時はすでに遅い。
1度でてしまった言葉は引っ込まない。
シリンの言葉にクルスは心底驚いたような表情を浮かべていた。
初めて本当の表情というのを見た気がする。

「法力がある人しか法術学べないようになっているから仕方ないんだろうし、どっから法術ができたのかどうしてこうなっているのかは分からないけど、向上心ってものはないの?」
「だから、多くの法術を覚えればそれだけ手段が増えて…」
「暗記じゃなくて理解するの!法術がどんだけ種類があるかわからないけど、限りがあるでしょう?!」
「未だかつて、全ての法術を使いこなせた法術師はいないよ」
「そんなにたくさんあるの?」
「正確な数は分からないけど、150万個くらい?」
「ひゃくごじゅうまん……」

確かにそれだけ種類があれば、覚えるだけでも大変だろう。
法術など基礎しか知らないシリンは、そんなに数があるとは思わなかった。

「シリン姫はどうして怒ってたの?」

唐突に変わった話題に、シリンは一瞬何のことだか分からなかった。

「怒ってた?いつ?」
「私と会ってから、ずっと怒るのを我慢しているように見えていたよ」

(この子はまさか分かってて言っているんじゃないよね?)

「法力封じの指輪を解いたのを見れば分かると思ったんだけど?」
「10日前の法力封じを解いたのがシリン姫じゃないかってことは検討つけてたけど、それが本当だったってことで、何故そこで怒るのかが分からないよ」

シリンは大きなため息をついて、入れてもらったお茶を口に運ぶことにした。
とりあえず落ち着こう。

「もしかして、あのディスセラ族を鞭で叩いたことが気に入らなかった?」

ぴくりっとシリンが反応する。

「そうか、そうなんだね。シリン姫が嫌なら、もうやらないことにするよ。イディスセラ族を捕まえても拷問のような事はしない」
「はい?」
「その代わり私に法術理論を教えて欲しいな」
「何で?」

身分を考えても、相手がした事を考えても、近づきたくもない相手にどうして法術理論を教えなければならないのだろうか。
冗談ではない。

「知りたいから」
「嫌だと言ったら?」
「え…?」

断られるとは思っていなかったのか、クルスは呆気にとられる。
王の弟として彼に逆らうような人などいなかったからなのかもしれない。
何が悪いと彼に言い聞かせる人がいなかったのかもしれない。
人と物を同じように見るようになってしまったのも、それを教えてたしなめる人がいなかったからかもしれない。

「あんなことをした貴方に近づきたいとは思わない。だから、嫌」

シリンはカップを置いて、さっさとこの部屋からもこの屋敷からも退散しようと思った。
誘ってくれたセルドには悪いが、これ以上ここにいるのはあまりいい気分ではない。
失礼します、くらいの挨拶くらいはかけようとクルスを見ると、クルスはぼろぼろと涙をこぼしている。
その状況にぎょっとするシリン。

「な、な、何で泣いてるの…?」

シリンの言葉でクルスは自分が泣いていることに初めて気づいたようだ。
驚きながらぼろぼろ涙をこぼしている。

「分からない。でも、すごく胸が痛い」

(何なの、この人…)

流石に泣いている子を放り出すわけにはいかないだろう。
シリンはクルスの方に近づき、目の前に立ってクルスにかがむように促す。
クルスは首をかしげながらもシリンが指示するまま、何故か膝を折ってしゃがむ。
16歳のクルスと7歳のシリンでは身長差は勿論かなりある。
そういうわけでしゃがんでもらったのだが、シリンは少しかがんでもらえるだけで良かったのだ。
シリンよりも低い視線になったクルスにシリンはぎゅっと抱きつく。

(私、何でこんなことやってるんだろ)

抱きついてきたシリンに一瞬びくりっとなったものの、大人しくしているクルス。
シリンはぽんぽんっとクルスの背中を軽く叩く。

「嫌だってハッキリ言ってごめん。流石にキツい事言った…と思う」

相手は子供、子供なのだ。
そう自分に言い聞かせる。

「じゃあ、法術理論教えてくれる?」
「それとこれとは別」

すぱんっと切り捨てておくが、またぼろぼろ泣き出したのがなんとなく分かる。
本当にこの人は何なのだろう。
確かに人と物の区別がつかないだろうとは思った。
だから、カイに酷いことも平気でしたんだろう。

「立場を考えても無理だと思うんだよね。貴方は副将軍で一応王位継承権を持ってる殿下で、私はフィリアリナ家ではあるけど小さな法力しか持たない国にとっては役に立たない存在なわけだから」

会うこと自体が難しいだろう。

「セルドも一緒なら大丈夫ではないかな?」
「兄様に迷惑かけたくないから駄目」

シリンはこの目の前のわけの分からない子よりも兄であるセルドの方が大事である。
セルドに迷惑がかかるのならば、迷いなくこっちを断る。

「それなら、私がフィリアリナ家に訪問するから」
「アホかっ!変な噂がたったらどうするの?!」
「変な噂?……あ、そうか。私がシリンを婚約者にすれば側にいても…」

ごんっととんでもないことを言い出したクルスに拳をひとつ落とす。
シリンはクルスから身体を離し、彼の目を見る。
離れてしまったシリンを寂しそうな目が見る。
巨大な犬に懐かれたような気分になってくる。

「連絡方法なら私が考えるから、貴方は何もしないで」
「でも、連絡方法なんてどうやって…」
「電話みたいなのが法術で出来ると思うからその辺を調べてみるから」
「でんわ?」
「説明しても分からないと思うから深く聞かないで」

なんでこんなこと言っているんだろう、と思いつつも放っておけないと思ってしまった。
許せない部分はあるし、彼のした事への怒りがなくなったわけではない。
でも、このまま放っておくのもできないと思ったのだ。

(城下町に出て遊ぶ計画がまた遅くなるなぁ…)

このままだとシリンは本当に箱入り娘になってしまいそうである。
箱入りにはなりたくないので、自分から城下町に出て、せめて少しでもこの世界のことを知っておきたいと思ったのだが、実行できるのは思ったより遅くなりそうだ。


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