WOT -second- 59



案内人は長い黒髪に黒い瞳の落ち着いた雰囲気を持つ青年だった。
エルグを見ると深くお辞儀をし、手で方向を示したあと黙ってそのまま示した方向に歩いていく。
一言も話をしない青年に、エルグは何も言う事はなく青年の後をついていく。

(挨拶とかもなし…?)

話す事ができないのか、それとも何も話すなと命じられているのか分からないが、青年はシリンの姿を見ても何も言う事はなかった。
エルグとは面識があったとしても、シリンとは完全初対面だ。
挨拶くらいはするのが常識ではないだろうか。
シリンが心底不思議そうに思っているのに気付いたのか、エルグが苦笑しながら説明をしてくる。

「彼はサク・ヒイラギ殿と言って、あのヒイラギ殿のご子息だそうだ。共通語を話す事ができないとの事でな」

成程と納得する。
愛理も共通語を話せる人は少ないと言っていた。

「それで、黙ったままなのですね」
「聞き取りは多少できるようだが、共通語を話すのはまだ難しいらしい。朱里の言語は共通語とはかなり違う所があるから、覚えるのが難しいのだろう」
「確かに文法からして結構違いますからね」

自分も共通語を覚えるのに苦労したので大きく頷くシリン。
文法が大きく違うのが一番の問題で、発音も違うのでどうしても日本語に慣れている人が綺麗な英語である共通語を話せるようになるのは少し時間がかかる。

「違いを知っているという事は、シリン殿はイディスセラ語を学んでいるんだな」
「…独学ですが」

イディスセラ語である日本語話せるようになる為に、シリンは誰かに教えを請うた事はない。
元々知っていた言語だ、教えてもらう事もないだろう。
何度か日本語の会話を続ければ自然と昔のように話せるようになる。

(独学には違いないよね。”お父さん”と”お母さん”に教わったというより、赤ちゃんの頃から自分で覚えていったわけだから)

嘘をついているわけではないと自分に言い聞かせるシリン。
ただ、真実を言っていないだけだ。

「エルグサマ」

ぎこちない口調で青年がエルグの名を呼ぶのが聞こえた。
気がつけば目の前には不思議な木造りの扉が1つ。
扉自体は普通の木の扉なのだが、丁度シリンの目のあるあたりに黒い四角いものがはめ込まれている。
青年がその黒い部分に右手を充てると、ぴっとどこからか機械音のような音が聞こえ、木造りの扉がガコンっと小さく音を立てて自動で横にスライドする。

(…もしかして、指紋認識の自動ドア?!)

エルグとシリン、双方ともに驚いた表情を浮かべている。
シリンはそんなものがここに存在する事に、エルグは自動で扉が開き、その先に見えた光景に。
扉の先には小さな部屋があるだけ。
それも頑張っても10人くらいしか入れないだろうかなり小さな部屋とは言えない空間だ。

(なんか、エレベーターみたい)

中へ促すように案内する青年サクに、エルグとシリンは中に入る。
エルグの表情からすでに驚きは消え、普段通りの表情に戻っている。
こんな得体のしれない小さな空間に驚きを表に出さないのはすごいと思う。
青年が同じようにこの空間に入り、部屋内にあるいくつかのボタンが付いたパネルのようなものを操作すると、扉がゆっくりと自動で閉まる。
そして、小さな振動と同時に感じるのは浮遊感。

(やっぱりエレベーターだ)

シリンは不思議に思う。
朱里の町並みをちらっとみても、紫藤の屋敷をみても、この城の中を少しみても、エレベーターを作れるような科学技術が発展しているとは思えなかった。
ここだけが特殊なのか、それともその技術を隠しているのか。

(んでも、朱里にエレベーターが当たり前に存在しているなら、翔太か桜が教えてくれると思うしな)

翔太と桜が認識できていない場所があるという事はないだろう。
となると、やはりこのような技術が使われているのはごく一部という事か。
しかも、今いる住人では再現できないだろう技術。
シリンが考え事をしている間に、小さく振動してエレベーターは目的地に着く。
再び扉が開いて見えた先は、先ほどまでの城の廊下とは全く違う場所。

「ここは…」

再度驚きの表情を浮かべるエルグ。
広がるのは磨き上げたばかりかのようなグレーの床、部屋の広さは部屋と言いきるべきか疑問に思うほどの広さ、奥には巨大なディスプレイとそれをコントロールするだろうパネル。
似たような場所をシリンは知っている。
海の底にある桜の本体のある研究所だ。
あそこに比べればこちらの方が簡素だが、今の時代の技術を考えるとこんなものがある事は、普通は考えられないだろう。

「ようこそ、エルグ殿。我が朱里最高機密のシステムルームへ」

にこやかな笑みを浮かべて迎えてくれたのは柊老人。
その隣に白衣姿の翔太もいる。

「おや、同行者は随分と可愛らしい方ですね」
「こんにちは」

にこりっと柊老人に笑みを向けられたので、取りあえず挨拶を返しておくシリン。
エルグはじっくりと、驚きをまだ隠せない様子で周囲を観察している。
柊老人はそれに対して何も言わずに、にこりっと笑顔のまま見守るだけだ。

『佐久、案内ありがとう。部屋に戻っても構わないよ』
『いえ、ここにいます』
『でも、ここでの会話は殆ど共通語になるから、いても佐久は見ている事しかできないよ?』
『それでも構いません』

サク…佐久は、何故かそう言いながらちらりっとシリンを見る。
その視線に少し驚くシリン。
あの短時間の間、特に注目されるような事は何もしてないつもりだが、何か彼の気になった事でもしてしまったのだろうか。

『なんだ、佐久。シリン姫が気になるなら素直にそう言わないと駄目だよ』
『違いますよ!』
『お前も20を過ぎたことだし、始祖が晩婚だったからと言ってそれに倣う必要はないんだよ。そろそろ恋人や婚約者の1人や2人ね…』
『何故、いつもそういう話に持って行くんですか!』
『ほら、親としてはやっぱり気になるだろう?お前のお嫁さんということは、私の義娘にもなるわけだしねぇ』

ニコニコしている柊老人とは対照的に、佐久は額に手を当ててため息をつく。

『俺はただ…、彼女はアレだから、彼女の人柄とかをもう少し知りたいと思っているだけです』

アレというのは桜の主を意味しているのだろう。
朱里の戦力を左右する存在なのだから、確かに気になるはずだ。
柊老人は佐久の答えに少し残念そうな表情をしながらも、状況を見て落ち着いてきたらしいエルグに視線を戻す。

「どうですかな、エルグ殿。我が国が誇る最高機密ルームは」

笑みを浮かべたままの柊老人とは反対に、エルグは口元は笑みをかたどってはいるが笑ってはいなかった。

「何故、この部屋を私に?」
「ティッシの王たるエルグ殿には我が国の全てをご覧になっていただき、この先より良い関係を築きたいと思ったからですよ」

ぎゅっとエルグが拳を握りしめるのが見えた。
シリンはその様子に驚く。
どんな感情を抱いたとしても、エルグがその感情をシリンに悟らせるような事はしないと思っていた。
それだけ彼は感情を隠すのが上手であると言う事。
だが、今のエルグが焦っている事がシリンにも分かる。

「より良い関係…ですか」
「過去、我が国の者がティッシを襲撃したのは事実。我が国の誠意を見せるためにも、我が国の全てをご覧になって頂く事が何よりかと」

シリンにはエルグがこんなにも焦る理由が分からない。
朱里の技術がティッシよりも進んでいる事は、これから同盟を結ぶ上でティッシに良い影響を与えるから良い事ではないのだろうか。

『流石、要。こういう駆け引きは、柊が得意なんだよな』

いつの間にかシリンの側に立っている翔太がぽつりっと呟いた。
どういうことだ、とシリンは目で翔太に問う。
エルグをこの部屋に案内したのは、魔族の情報を見てもらうためだけではなかったという事か。

『過去にイディスセラ族が虐げられたとしても、最近まで朱里の人間がティッシに攻め入っていたのは事実だろ?』
『うん。和平に結びつけるのは難しいって聞いてた』
『戦争をなくして同盟を結ぶ場合、朱里がどうしてもそれまでの賠償ってのが必要不可欠なわけだ。和平もこっちから言いだしたことだしな』
『それって、お金とか?』
『金もあるけど、物とか人とか色々な』

確かに、お互い悪かったからそれで終わりましょう、で納得する人ばかりではないだろう。
ティッシがいまだ受け入れられない朱里の人達もいるだろうし、朱里の人…イディスセラ族の襲撃で被害にあったティッシ国民もいる。

『ティッシの軍人は朱里に対して襲撃を行った事はありません。ですが、朱里ではティッシの領土に不法侵入して襲撃を行っています。明らかに我が国の賠償の方が大きいでしょう』

翔太の説明を続けるように口を開いたのは佐久だ。
少し驚いた翔太へ小さく笑みを向けて、シリンに視線を合わせる佐久。
シリンも少し驚いたが、シリンの驚きなど気にしていないかのように佐久は説明を続ける。

『我が国のこうした圧倒的な技術の差をティッシの王に見せつけたのは、ティッシからの要求を必要以上に大きくしないためなのです。その気になれば我が国はいつでもティッシを滅ぼす事などできる…と』

エルグはティッシと朱里の国力の差はそうないと思っていたのか、差はあったとしてもどうにかできると思っていたのか、どちらかは分からない。
しかし、見た事もない装置を利用している朱里の技術が予想以上のものであると感じているのは確かだろう。

『んでも、実際はこれは兵器とかじゃないでしょ?』
『ですが、知らぬ者がみれば脅威あるものには見えます』
『あー、そうだよね』

シリンはこの場に兵器らしい兵器がないだろう事と思っているので脅威とあまり感じない。
ここは恐らく情報管理の場であって、兵器が別にあるとしても、昔の兵器。
ミサイルなどがあっても、かつてはそれは法術に及ぶものではなかったのだから法術の使える者がいるティッシにとって、実際は脅威にはならない。
その知識がある者がいれば…という注釈はつくだろうが。

『…やっぱり、過ぎた事は忘れてみんな仲良く、ってのは無理なんだね』
『難しいだろーな。ティッシ側の被害は結構あるだろうし、対して朱里は結界に覆われていたわけだから一般市民への被害はゼロだしな』

同盟を結べるまでこぎつけただけでも十分なのだ。
今まで反発していた国同士が同盟を結ぶ事はそれだけ大変な事であり、国同士の問題と言うのはそう簡単にいくものではないのだ。

(まぁ、でも、エルグ陛下にはこのくらいでちょうどいいのかも…)

魔族犯人による誘拐事件で、シリン達浚われた令嬢をいざとなればさくっと見捨てていただろう事を思えば、ここで困って焦るくらい丁度いい薬になっていると思えばいい。
勿論、これはエルグだけの問題ではなくティッシ全体の問題になるのだが、時間をかけてどうにか解決していくだろう。

『シリン姫』
『はい?』
『エルグ殿に全て話しますか?』

静かに問いかけてくる佐久。

『姫は今ここにある技術が何かを理解されているのでしょう?』

この場でエルグ程の驚きや困惑を見せなかったために理解していると判断したのだろうか。
確かに、ここの部屋にある技術がどんなものか想像はついている。
シリンがこの部屋の技術やその利用方法の可能性をエルグに助言すれば、エルグはこれを脅威とは思わなくなるかもしれない。

『言わないよ。私が言わなければ、朱里が大きく不利になる事はないんでしょ』

争う事を好まないシリンは、争いの元となりかねない事を言うつもりなどない。
何より、朱里が不利になる事は絶対にしないだろう。
佐久はシリンの言葉に少し驚いた表情を浮かべ、にこりっと初めて笑顔を見せた。
綺麗な顔立ちな分、とても綺麗な笑みである。

『しかし、随分と綺麗な言葉を話せるのですね、シリン姫』

にっこり笑みのまま、佐久は鋭い言葉を投げかけてくる。
思わずぴしりっと固まるシリン。
綺麗なイディスセラ語話せる人は少ない。
愛理もシリンの言葉が綺麗な事を褒めていたくらいだ。
1ヵ月で日常会話をマスターしたらしいクルスは例外として、覚えるのも難しい言葉がイディスセラ語だ。
綺麗な言葉を話せるシリンに対して、疑問を持つ人はやはり出てくるだろう。

『言葉が分かるのならまた時間をとってゆっくりとお話しましょう、姫』

佐久のその誘いにシリンは勿論頷けない。
かといって、断ってもいいのか判断もつかない。
助けを求めるように翔太の方へ視線を向けるが、翔太は苦笑を返す。

『ま、頑張れ』

(ちょっとくらい止めてよー!)

翔太が了承しているという事は、シリンに対して悪い状況にはならないだろうが、問い詰められるというのはあまり嬉しいものではない。
しかも最近、どうも墓穴を掘る事が多いのだ。
ぽろっと本当の事を言ってしまいかねない。
最も、言った所で信じてもらえるか分からないし、信じてもらっても悪い事にはならないだろう。


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