WOT -second- 55



しんっとした夜。
シリンに与えられた部屋は1人部屋で、客間のようだが、部屋は畳で勿論ベッドなどあるはずもなく、畳の上に布団がぽつり。
寂しい部屋なのだが、ティッシから朱里に来た人で女はシリンだけ。
流石にエルグと同じ部屋というわけにはいかないだろう。
シリンとしては、1人部屋の方が気が楽でいい。
真っ暗な室内で、ぼんやりとして外を眺めがらシリンは、はぁ…と大きなため息をひとつ。

『でっかい、ため息だなぁ』

シリンしか居ない筈の部屋に、別の声が響く。
むっと顔をしかめながら声の方へと視線を向ければ、室内でぼぅっと白くほんのり光っているかのような翔太の姿がそこにある。

『誰のせいだと思ってるの…』
『悪い悪い』

軽く謝罪をしてくるのは白衣姿の翔太だ。

『朱里に顔出しても良かったの?』
『予定はなかったんだが、まぁ、仕方ないだろ』
『理由は愛理が言ってた理由?』
『んまぁ、概ねな。やっぱ、桜の存在は、最後の最後にしないとな。切り札ってのは隠してこそのモンだし』

シリンの側にすとんっと腰を降ろす翔太。
この朱里という国の建国者の1人である翔太としては、やはりこの国が良い方向に変わっていくように少しでも手を貸したいのだろう。
最も、外交関係で翔太の知識や経験が役に立つかどうかは不明だろうが、その存在だけでも何か良い影響を与える事が出来ればいいのかもしれない。

『そう言えば、愛理に聞いたよ。英語教えてたんだって?』
『あ〜〜、えっと、一応な』
『苦手じゃなかったっけ?』
『いや、普通に苦手だ。はっきり言ってどうしても必要な時じゃなけりゃ使いたくもない』
『だよね』

勉強が苦手で嫌いだった翔太が、英語を話せるようになるほど一生懸命勉強したとはどうしても思えない。
法術を学んだ事に関しては唯一例外と言えるだろう。

『話せないわけじゃないんでしょ?』
『一応はな。英語が世界共通語みたいなもんだろ?てか、今はすでに共通語なんだけどさ』
『国によって多少の違いはあるけどね』
『違いっつっても、イギリス英語かアメリカ英語かの違いくらいだろ?だから、外と交流する為にはどうしても英語が必須でさ』
『んで、覚えた?』
『覚えさせられたんだよ、友人と嫁に』

苦々しげな表情をする翔太。
その時の勉強がいかに苦痛と感じていたかが分かる。

『聞き取りはほとんどできるようになったし、困らない程度に話は出来る。けど、思考は日本語だから気張ってないと英語聞きとれねぇし、話せないんだよ』
『エルグ陛下とは随分と綺麗な英語で話していたようだけど?』
『翻訳機能使ったに決まってるだろ?下手に言葉でモタついて、上げ足取られちゃ俺が出てきた意味ねぇし』
『翻訳機能っていうと…』
『桜お手製の翻訳ソフトを使わせてもらった。翻訳するのに1秒もかからない優れモノ!ちなみに、昔は翻訳法術本気で作って何とかしてた頃もあったぞ』

予想通りの翔太の言葉に、シリンは呆れてため息が出てしまう。
そんな事だろうとは思っていたが、実際それを聞くと呆れる以外なにもできない。
翔太に、一応ではあるが英語を叩きこんだその友人と嫁はすごい人なのかもしれない。

『普通に覚えればいいのに…』
『んなこと言っても、英語難しいだろ?』
『否定はしないでおく。私も覚えるのに苦労したし』

しかし、覚えたら覚えたで楽だ。
今のシリンは英語…共通語が標準になっている。
普通に日本語も綺麗に話せるが、今では共通語の方が慣れている。

『英語苦手なのに、何で愛理に英語なんて教えることになったの?』
『…頼まれて断りきれなかったんだよ』

むっとする翔太。
決して愛理は押しが強いような性格には見えないが、やはり可愛い女の子からの頼みは断れないのが男なのだろうか。

『そういえば、愛理には私に会いたいって言ったんだって?』
『う、愛理がそれ言ったのか?』
『翔太が会いたがってるから、後で紹介するって言われたよ?』
『あの時は、桜の主が姉さんだって知らなかったんだよ…』

翔太とシリンが再会してから数か月は経っている。
となると翔太が朱里に姿を見せたのはそれ以前なのだろう。
桜が覚醒したのは約1年前なので、それより後の事は確かだ。

『桜の存在をティッシに隠す事に決めたのって結構前?』
『ティッシへ和平を申し出るって朱里で決まってすぐだな』

桜の存在を隠すのはいいが、朱里を覆った強力なシールドを張った人間がいなければティッシから桜を隠しきるのは難しいだろう。
代々誰かが朱里を覆う大きな結界を張ってきたという案もあったのだが、朱里を覆う程の大きなシールドはそう簡単に張れるものではない。
あれだけ大きなシールドを張るとすると、2〜3人の力は必要で、それを常時となると普通の人間では難しいのだ。
だから翔太が表に出てきた。
実際翔太は何もできないが、ティッシはそれを知らないからこそできること。

『娘の主になった人間がどんな人なのか、やっぱり普通なら会ってみたいと思うのが父親だろ?』
『確かにね』
『ティッシの貴族の姫っつーから、どんなガキかと思えば姉さんだったし。信用できる人間か調べようとしてたのが全部意味なしだ』
『あれ、信用してくれてるんだ?』
『だって、姉さんは朱里が不利になるような事なんかしないだろ』

それが当り前であるかのように翔太は言う。
香苗がシリンとしてティッシに生まれて、考えが変わったとは思わないのだろうか。
全く疑っていないかのような表情に、シリンは思わず照れる。

(確かに、朱里の不利になるような事なんてしないけどさ)

紫藤香苗としての記憶は今のシリンを作った元になるもの。
その香苗が暮らしていた日本の面影が大きく残る日本、そして弟翔太が建国者の1人である事、それがあるからシリンは朱里の不利になるような事は絶対に望まない。
翔太の言う事は正しいのだが、疑いもなく信頼を向けられるのは少し恥ずかしい。

『その信頼、裏切らないように頑張るよ』
『おう!頼んだ。けど、無茶だけはすんなよ?』
『分かってる』

無茶を進んでしたいとは思わない。
だから、自分に出来る範囲の出来る事をするだけだ。

『で、それからさ、これなんだけど…』

シャランと翔太がとり出したのは銀色の細いチェーンだ。

『これに指輪通しておいたらどうかと思ってさ。細かく簡単な硬化法術組み込んでるからそう簡単に切れる事ないし』

随分と細いチェーンで、引っ張れば切れてしまいそうな気がするが、首にかけておくにはこのくらい細い方が違和感がなくていいだろう。
しかし、何故わざわざ指輪をチェーンに通して首にかけておかなければならないのだろうか。

『何でかって聞きたいんだろ?俺だってこんな面倒な事しなくても指にはめてた方が使いやすいだろうって思ってたさ。けどな、桜に言われてな』
『桜に?』

何を言われたというのか。

『それって俺が作ったものだろ?』
『そうだね』

中に刻み込まれている法術はすべて翔太が組み上げたもの。
かなり独創的で、おそらくシリンにしか使えないだろうものと思われる。
シリンにしてみれば、自分の組み上げる法術と同じような組み上げ方なので使いやすかったりする。

『俺が作った指輪を、姉さんが指にはめて大事にしてるってのは問題あるんじゃないかって…』

シリンはその言葉に思わず自分の指にはまっている指輪をじっと見てしまう。
確かにこの指輪は大事だ。
法力のすくないシリンが、自分への身体の負担を少なく大きな法術を使う為にかなり重宝するし、色々と便利機能が盛りだくさん。
そして、いくらこの指輪に刻み込まれた法術陣がデータで残っていたとしても、今の科学技術ではこれを複製することはほとんど無理だろう。
失くしたり、壊れたりしても変わりがないから大事なのだ。

『問題ある?』
『俺もないと思ってたんだけどな、ハタから見れば、俺と姉さんって全くの他人だろ?』
『まぁ、事情知らない人から見ればそうだね』

血のつながりなど欠片もない、繋がりと言えば桜に関しての事くらい。
その桜に関しての事も知っているのは一部の人のみ。
周囲から見れば、シリンと翔太は他人なのだ。

『姉さんが持っているのが指輪ってのも問題らしくてさ…』

もごもごと言いにくそうに言葉を濁す翔太。
そこまで言われればシリンも翔太が言いたい事に想像がつく。
思わず盛大に顔を顰めるシリン。

『あり得ない…』
『俺もそう思う』

互いに大きなため息をひとつ。
指輪は基本的に婚約や結婚の証として使われる事が多い。
貴族の令嬢や婦人などはお洒落でつける事もあるが、宝石好きでなければそんなに指輪好んでつける人はいないのだ。
細い金属の指にはめる輪を作り出すのは、今の技術では結構難しい方なのだ。
だから、金属の指輪は基本的に高い。
その高い指輪を作った人がシリンの近くにいて、シリンと親しそうに話をし、さらにシリンはその指輪を大切にしているとすれば、誤解する人が出てくるだろう。

『分かった、チェーンに通しておく』
『そうしてくれ』

翔太からチェーンをもらい、はめていた指輪をそのチェーンに通す。
シャランと音をさせながら首にそれをかけて服の中にしまう。
そこで、指輪の内側に刻まれていた文字のことをふと思い出す。

『そう言えば、何で”MADE IN JAPAN”なの?』
『は?』
『指輪の内側に刻まれてたサイン』
『ああ〜、あれか』

思いだしたように頷く翔太。

『別に深い意味はなかったんだけどさ、いろんな物にメイド・インなんとかってよく書いてあるだろ?日本人の俺が作ったからそうしただけ』
『深い意味は?』
『全くない!』

お茶目なつもりでも、愛国心があったわけでもなく、なんとなくで刻んだ文字。
翔太らしいが、呆れた理由だとも思ってしまう。

『んでも、そうやって服の中にあると、使う時ちょっと手間だよな?』
『そうだけど、変な噂が立つよりいいよ』
『そうなんだけどさ…、やっぱ、何かあった時心配なんだよな』

そう言いながら唸る翔太。
確かに指輪を服の中から出すという動作が必要なので、今までよりワンテンポ遅れる。
とっさの時は使う事が出来ないのは不便だ。

『他に使えそうなモンないか探してみるな』
『あれば欲しいけど、今度は誤解されないような物でお願い』
『髪飾りや耳飾りくらいなら平気だと思うか?』
『…多分』

周囲がシリンと翔太を他人だと思っていても、シリンにとって翔太は弟で、翔太にとってシリンは姉なのだ。
姉弟の禁断の愛など芽生えるはずもなく、姉弟として以外の感情などない。
お互い親しく話をするのも、息のあったコンビぶりを見せたとしても、それは姉弟だからにすぎない。


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