WOT -second- 53
愛理の隣に座り、シリンは器用に箸を使いながら9年ぶりの日本食を口に運ぶ。
ティッシから来た人で日本食に戸惑っていないのは、シリンとクルス、そしてエルグくらいなものではないだろうか。
シリンは普通に箸を使っているが、それ以外のティッシの人達は勿論スプーンとフォークで食べている。
日本食は箸が普通だと思うシリンにとって、それはとてつもなく違和感を覚える。
(まぁ、お箸使えないんじゃ仕方ないんだろうけど…)
味噌汁をすすり、白米を口に運びはむはむと日本食をじっくり味わう。
漬物がたくわんなのが懐かしい。
(やっぱりお米いいなぁ…、桜に育ててもらおうかな、おにぎりとか食べたいっ!)
洋食が別に嫌いなわけではないのだ。
だが、こうして日本食の味を知ってしまうと、やはり日本食も食べたいと思ってしまう。
そんな事を考えていたシリンだが、隣からじっと見つめてくる愛理の視線に気づく。
「愛理?」
何かおかしな食べ方でもしてしまったのだろうか。
くわえ箸もしていないし、箸を煮物に突き刺して食べているわけでもなし、持ち方も一応正しいはずである。
「相変わらず器用だね、シリンは」
「器用?」
「お箸そんなに綺麗に使えるのって、ティッシから来た人じゃシリンだけだよ」
使った事がないものだからこそ、ティッシの人たちは苦労するのだろう。
シリンは”昔”ではあるが使った事があるのだ。
だから、少し練習すればコツは知っているのだから、すぐに使えるようになる。
「んでも、慣れだと思うよ」
シリンが特別器用というわけではない。
エルグやクルスあたりならば、すぐに箸を使いこなせるようになりそうだ。
『だよな。特にティッシの王族連中は昔から要領いいらしいし、すぐに使えるようになるだろ』
ぽんっとシリンの頭に誰かの手がのせられたと同時に頭上からの声。
ぱっと愛理の顔が輝き、朱里の人たちがその姿を見てざわりっとざわつく。
(ちょ…と、まて)
シリンは聞こえてきた声が一瞬信じられなかった。
ゆっくりと顔を上げれば、そこには思った通りのシリンの頭に手を置いた翔太の姿。
白衣姿の翔太は、この場でかなり浮いているように見える。
『よ、要。遅れて悪いな!』
上座の方に座っている柊老人に対して、気さくそうにしかも名前の呼び捨てで声をかける翔太。
翔太の存在は桜とシリンしか知らないと思っていたので、シリンは翔太を困惑しながら見るしかない。
愛理は驚いていない、朱里の人たちは甲斐を除き、この場に突然現れた事に驚いているだけでその存在に驚いているわけではないようである。
『いえ、翔太殿。ご足労いただいて助かります』
『いいタイミング?』
『はい。丁度食事も終わりにさしかかりましたゆえ…』
にこにこした表情で話を進める翔太と柊老人。
丁度柊老人の側にいるエルグが、翔太をじっと見つめそれから柊老人に問う。
「ヒイラギ殿、あの方は?」
「紫藤翔太殿です、エルグ殿。我ら朱里の紫藤家の始祖になります」
「始祖、ですか?」
にこりっと笑顔で答えた柊老人に、流石のエルグも顔を顰めた。
始祖は始まりの先祖である。
朱里の歴史はそう短くもなく、太古の昔からと言われるほど長いものではないのだが、始祖ともなれば随分と昔の人間だと言う事は想像つくだろう。
翔太はシリンの頭から手を離し、ゆっくりと柊老人とエルグのもとへと近づいていく。
「むろん、翔太殿ご本人は700年以上前に亡くなっておられますが、あちらにおられるのはその翔太殿の影のようなものです。人であって人でないもの、我ら朱里を護り導いて下さる存在です」
「影…ですか」
「我ら朱里が、あのように強大な結界を張る事が出来たのも翔太殿あってこそなのですよ」
柊老人の説明にあれ?と思ったのはシリンだ。
朱里を護っていた結界を張っていたのは桜であって、今の翔太は法術が使えないはずである。
桜の存在を完全に隠すつもりなのだろうか。
くいくいっとシリンは、服を引っ張られる感覚にはっとする。
服を軽くだがひっぱっていたのは愛理のようだ。
「あのね、シリン。さっき言ってた私の共通語の先生なの」
「は…?」
「翔太さんに共通語教わってたの。最初翔太さんに会った時はすごくびっくりしたけど、伝説の人だから嬉しくて嬉しくて、お話する理由が欲しくって共通語教えてもらってたの」
ほんのり顔を赤くして照れたように小声で話す愛理。
まだ困惑しているシリンは、にこやかに柊老人とエルグと向き合う翔太をじっと見る。
「共通語?」
「うん、そう。共通語教わってたの…って、なんかシリンすごく驚いてるね」
翔太と愛理を見比べて、まだちょっと混乱中のシリン。
驚くも何も、まさか翔太が出てくるとは思わなかったのだ。
『翔太さんはね、エーアイと同じような存在だよ』
シリンだけに聞こえるように日本語で囁かれた声。
それはすでに知っているが、そうとは言えないだろう。
桜の封印が完全に解かれるまでは、翔太の存在は朱里では知らなかったはずだ。
この短期間でここまで存在を浸透させるとは、果たしてどうやったのだろうか。
(まぁ、始祖だってのが分かってもらえれば簡単なんだろうけど)
だが、生憎とこの時代にはDNA鑑定もできなければ、過去の人間と同じだと証明できるような科学技術も残っていない。
覚えている記憶を言いまくって信じさせたのか、それとも何らかの記述が昔から残っていたか。
最も、わざわざ立体映像を作って朱里を騙すような事ができる人もいないのだから、桜と同じ存在という時点で信用はされるのかもしれない。
「あ、えっと…、共通語話せる人、なんだね」
「うん、今は朱里の言葉しか話してないけどね。本来は苦手だったんだって」
翔太は勉強ができる方ではなかった。
いつになっても英語が苦手なのは変わらないままだったのだろう。
(てか、苦手なのに教える立場になって、しかも愛理がここまで話せるようになるなんて…)
まさに愛理の才能のたまものだろうと普通にそう思うシリン。
決して翔太が教え上手だったとは思わない。
『翔太さんって、エーアイが1人で寂しいだろうから精霊になったんだって。本当は朱里に顔を出す予定はなかったんだけど、他国…ティッシとの交流が本格的に始まりそうだから、心配して出てきてくれたの』
ティッシ側に聞かれたくない話だからか、それとも上手く話せないからか、愛理は日本語に変えて話し出す。
『心配?』
『朱里が表だって他国と交流するのって初めてだから。最初他国から隔離されて鎖国状態のような国にしちゃったのは自分たちだからって』
翔太の事、ものすごく過大評価されてないだろうか。
愛理の言っている事は、確かに間違ってはいない。
が、翔太がそこまで考えてこの場に姿を現したとは、かつて”姉”であったシリンとしてはどうしてもそうだとは思えないのだ。
『でも、イリスとは交流しているんでしょ?』
『あれ、シリンなんでそれ…ってお兄ちゃんが言ったんだね。でも、イリスとは非公式のもので、イリスでも朱里と交易しているなんて情報ないんだよ。公式な交易になると、下手な態度はとれないから慎重にしなきゃならないんだって』
公式な交易はすなわち、他の国にもその状況が多少なりとも漏れると言う事だ。
そこで対応を誤れば、未だ交流した事のない国に敵視される可能性だってあり得る。
今まで孤立していた分、外部との交流は慎重にしなければならない。
『あ、でもね』
愛理は何かを思い出したのか、突然くすくすっと笑いだす。
『翔太さん、本当はティッシの陛下と会うのすごい嫌だったみたいなの』
『…普通に接しているように見えるけど?』
柊老人の元に行った翔太は、エルグとにこやかに会話…をしているように見える。
愛理に共通語を教えたという事は、話せない事はないだろうから共通語で会話をしているのだろう。
『なんか、ティッシの陛下みたいな性格の人苦手なんだって。でも、エーアイを表に出すわけにはいかないから、我慢するって言ってた』
エルグと話すのは苦手というのは良く分かる。
シリンもエルグはどうも苦手だ。
あの手の相手と話すと、こちらの事を見透かされているような気分になってくるのだ。
『エーアイ…、桜の事を表に出すわけにはいかないって、やっぱり朱里じゃ表に出さない方針にしたの?』
『うん。でもね、エーアイの事何も言わないんじゃ、結界の事も説明つかないでしょ?それもあって翔太さんがこうやって出てきたの』
800年近く朱里を覆っていた強大な結界。
同じ人が維持し続けるにしても、あの規模の結界は普通に考えれば難しいだろう。
かと言って適当に誤魔化す事も通用しそうにない。
『だからね、シリン。エーアイの事は秘密に…してくれる?』
複雑そうな表情でシリンを見る愛理。
シリンはティッシの姫で、朱里を護る理由などどこにもないと思っているのだろう。
けれど、シリンは朱里を大切にする理由があるのだ。
だから、にこりっと愛理に笑みを浮かべる。
『勿論最初からそのつもりだよ。桜を陛下に利用されるのは嫌だから、どうにもならない状況にならない限りは話さないし、話したとしても利用なんかさせないよ』
シリンはなるべく桜に頼らないようにしている。
桜の力は強大で、その力を使えば出来ない事など何もないと思ってしまえるほどのものだ。
だからこそ、エルグには話したくないし、やむを得ない事情で話してしまったとしても利用させるつもりはない。
翔太の”娘”なのだ。
桜を利用する事など、”紫藤香苗”であったシリンにできるはずがない。
『ありがと、シリン』
『お礼を言われる程の事じゃないよ』
元々そのつもりだったのだ。
ふっと不意に愛理がぷっと吹き出すように笑う。
何があったのかと首を傾げるシリンだが、愛理が翔太のいる方を指さす。
その指さす方向に素直に視線を向けてみれば、にこやかに話していた筈の彼らの表情が変わっていた。
柊老人は苦笑し、エルグはとても楽しそうな笑みを浮かべており、翔太は顔が若干引きつ言っている。
(あ〜、陛下に何か言われているんだろうな)
まさに朱里に向かうまでのシリンがそうだった。
誰かに何か助言をもらったのか、自分で考えてそうしていたのかは分からないが、翔太は元々、にこやかにエルグのような人と話が出来るような性格ではないはずだ。
つつかれまくってボロが出たのだろう。
『翔太さん、本当に苦手なんだ…』
『陛下の相手が得意という人がいるなら、私見てみたいよ』
『シリンも苦手なの?』
『陛下とは、長時間話をしたいとは思わない』
本日の馬車の中で懲りた。
絶対に2人きりになるべきではない相手である。
『エルグ陛下、いい人だと思うんだけどな…』
ぽつりっと呟く愛理。
それは甲斐と同じような感想だ。
(陛下、きっと猫かぶって対応していたんだ)
内心断言するシリン。
エルグの本性を知って、それでもいい人と言える人間などいるだろうか。
弟であるクルス、息子であるクオン、そして妻であるシェルファナにまでも「性格が悪い」と言われる人なのだ。
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