WOT -second- 51



ガタガタと揺れる馬車の中、シリンは多少緊張しながらふんわりしたクッションの上に座っている。
向かい合って座っているのは、どうしてか分からないがエルグ・ティッシ国王陛下である。

シリンが朱里行きを承知してから朱里へ行くまではあっという間だった。
両親に少しの間屋敷を離れる事で抱きしめられ、さらに兄セルドにもかなり強く抱きしめられ、シリンは今この朱里へ向かう馬車の中にいる。
朱里へはゆっくりと馬車で向かう事になっているのだ。
ティッシの首都から朱里までかなり離れているので、勿論途中で転移法術を使うのだが、ある程度までは馬車での移動だ。
そして、何故かシリンはエルグと一緒の馬車である。
1つ後ろの馬車には、クルスと甲斐が乗っている。

(こ、この人相手に沈黙はすごくつらい…)

エルグは緊張した素振りなど全くなく、のんびりとした様子でシリンに視線を注いでいる。
注がれる視線に何か話をしなければ、とてもではないが精神がもたない。

「あの、陛下」

とりあえず意を決してシリンから話しかけてみる。

「なんだ?シリン殿」

にこりっと笑みを返してくれるが、その笑みに良い印象はどうしても抱けない。
受け止めるシリンのエルグのイメージのせいだろう。
その笑みには裏がないと思いたい所だ。

「実は誕生日に頂いた手鏡なのですが…」
「ああ、あれか。あれがどうした?」
「ちょっと手鏡としては使い物にならなくなってしまいまして」

エルグから誕生日に贈られた手鏡を、グルド達がいる船の中でエルグとの通信代わりに使った。
それは良かったのだが、強力なシールドを通すように無理に法術をさらに重ねたのが悪かったようで鏡にヒビが入っていたのだ。

「そうか、使えなくなったか」
「流石にあのシールドを通すために法術を重ねてかけたのがマズかったようでして」
「まぁ、あれも簡易的なものだからな。ティッシに戻った時にもっと本格的なものを贈ろう」
「え…」
「勿論、受け取ってくれるのだろう?シリン殿」
「……は、はい」

エルグからのものをつき返せば後どうなるか分からないので怖いという事もあるが、シリンが受け取らなければ、高価な品であろうが捨てると言いそうなのだ。
それは勿体ない。
こんな時は、前世から染みついている一般庶民の感覚が妙に悲しくなる。

「それにしても、グレンも随分と過保護だな」

くくくっと何を思い出したのか笑いだすエルグ。
グレンが何を言ったのか分からないが、シリンを護れとかなり強く言っただろう事は想像がつく。
そんな父をシリンはすごく尊敬する。

「グレンとは幼い頃からの付き合いでな。実はシェナを強奪する際にも手伝ってもらった事がある」
「はい?」
「玉座につく前は色々無茶をやらかしてな、グレンにも何度か付き合ってもらった」

グレンとエルグ、同じくらいの年頃の子どもがいるのだから年齢は近いだろう。
幼い頃から付き合いという事は、親友のようなものという事なのだろうか。
遠慮をする必要などない仲という事か。

「シリン殿に余計な虫をつけるような素振りもするなとクギをさされたよ」
「虫?」
「今回の朱里訪問では、一応婚約者探しというのも含まれている。ティッシのご令嬢を朱里へ嫁がせるか、朱里の姫君がこちらに来てもらうかな」

政略結婚という事なのだろう。
ティッシ国内での政略結婚はそう珍しいものではなく、婚約者が決められている貴族の子も半数くらいはいる。
朱里との結びつきをより強くする為に、朱里とティッシで婚姻関係を結ぶというのは考えられる事だ。
そこで、シリンはふと思い出す。
建国祭の時、学院のダンスパーティーでクルスが唐突にシリンの婚約の話題を出した事。

(もしかして、陛下がクルスに何か言ったんじゃ…)

シリンへの婚約話に対して周囲がうるさくなったという事もなく、クルスが何故あんな事を突然言い出したのか、ちょっとした疑問だったのだ。

「何だ?シリン殿、聞きたい事でも?」
「…いえ」
「勿論この婚約者探しに関しては、クルスも承知している事だ」

シリンの考えている事などバレバレのような言葉である。
そして、やはりクルスが唐突に婚約者の話題を出してきたのも十中八苦エルグのせいだろう。

「幸い年頃の王位継承者は、イディスセラ族を必要以上に嫌悪しているわけでも憎悪しているわけでもない」
「王族に…娶らせるつもりなのですか?」
「勿論ティッシからもそれ相応の身分のご令嬢を嫁がせるつもりはある。だが、こちらも朱里を受け入れなければ対等ではないだろう?」

シリンが知っている王位継承者はクルスとクオン。
年頃と言えばクルスの方だが、エルグの言い方では他にもいるような口ぶりだ。
生憎とシリンは世間に疎いので他に王位継承者がいるかどうかは知らない。

「ティッシは、クルスかキールが朱里の姫君を娶る」
「キール?」
「第五王位継承者だ。確か今年で11だったか…」

どこかで聞いた事のあるような名前だと思った。
しかし、貴族に知り合いなど本当にごくわずかなので、本当に聞いたことあるだけの名前かもしれない。

「第五王位継承者の方という事は、第三王位継承者の方や第四王位継承者の方は対象にならないのですか?」
「年齢的に難しいと思ってな。第三王位継承者と第四王位継承者は父上の姉君…つまり伯母上の子で年齢は私と変わらない、もしくは上だ。それに、双方ともに妻帯者だ。流石に朱里の姫君を側室にするわけにはいないだろう?」

国同士の交友関係を深める為のものなのに、朱里から来た姫君を2番目の妻とは扱いが悪いと朱里側から確実に批判があるだろう。
関係を良いものにしていきたいのならば、妻を朱里の姫1人だけにする相手にしなければならない。
そしてその相手は、身分がかなり高い相手でなければならない。

「セルドも候補に入れたいところだったが…」
「陛下」

思わずエルグを睨むように見てしまうシリン。
優秀で努力家の兄セルドには政略結婚のような事はさせたくない。
自分で決めた人と、幸せになって笑顔でいて欲しいのはシリンの我儘である。
エルグは睨むシリンに苦笑する。

「分かっている。シリン殿が睨まなくとも、セルドは次期フィリアリナ当主だ。他国の姫を娶らせるような事をするつもりはない」

ティッシ王家、フィリアリナ家。
ティッシ内で力あるだろうその2家の次期当主へ他国の姫君を嫁がせるような事はしない。
国内トップとも言える所はティッシ国内の人間で固めると言う事なのだろう。

「キールもクルスも朱里の姫君を娶る事を受け入れているからいいんだが…」
「受け入れて…いるんですか?」
「ただの結婚相手だからな、別に誰でも構わないんだろうな」
「ただのって…」
「結婚相手が一番大切な人間だとは限らないという事だ」

政略結婚は別として、一番大切な相手と結婚するものではないのだろうか。
それとも、彼らはもともと結婚というのは政略結婚しかないとでも思っているのだろうか。
シリンとは感覚が違うのかもしれない。

「キールもクルスも素直でいいが、問題はこちらから朱里へと嫁がせる姫君選びでな」
「難しいんですか?」
「イディスセラ族を怖がらずに受け入れる事が出来るだろうそれなりの身分の姫君など、そうそういないだろう?」

肩をすくめるエルグ。
生まれた時から刷り込まれたような本能的な恐怖がそう簡単に変わる事はないだろう。
今はまだティッシと朱里が同盟を結んだばかり。
イディスセラ族への印象が改善されていくのは、まだまだこれからの事だ。

「シリン殿は理想的なんだが、グレンにクギをさされてしまったことだしな」

確かにシリンが一番理想的だ。
どうしてもイディスセラ族への刷り込まれた恐怖というのはぬぐいきれない。
数年ほど経てば平気だと思う人も増えてくるだろうが、現時点では欠片も恐怖を抱かない貴族の令嬢など、シリンくらいなものではないだろうか。
何よりも、朱里側としてはシリンが来るならば大歓迎だろう。
シリンは桜の主なのだから。

(父様が反対してるんじゃ、私が、朱里に行く事は…ないのかな)

少しだけ残念だと思ってしまうのは、心配してくれているグレンの想いを裏切ってしまう事になるだろうか。

「自分が候補でなくてガッカリしたか?」
「は、え…?」

にやりっと、何かを企むかのような、楽しむかのような笑みを浮かべているエルグ。

「シリン殿はカイ殿が好きなんだろう」
「へ、あの」

ここで肯定していいものだろうか。
とはいえ、以前シリンが真っ正直にエルグの言葉に反応してしまった為、シリンの気持ちなどバレバレなのでここで否定しても意味はないだろう。

「カイ殿のどこに惹かれたんだ?」
「え?」

エルグは楽しそうにシリンに質問をする。

「出会いは、やはりシリン殿が朱里に浚われた時か?」
「は、はい?」

どう答えたものか悩み言葉にならないシリンは肯定も否定も返せない。
だが、流石に正直にシリンと甲斐の出会いを話すわけにもいかないだろう。
何しろ出会いは牢獄のような場所。
甲斐の脱獄を手伝った事もエルグにバレるのはまずい。

「あの素直な性格が気に入ったのか?」
「…へ、陛下」
「人への気遣いを忘れない優しい所はカイ殿のいい所だな。あの辺りは見事にクルスと正反対だが、シリン殿はやはりその辺りが気に入ったのか?」

シリンは少し顔を引き攣らせる。

(お、お願いだから、勘弁して……)

どうしてこんな密室で、国王陛下と恋愛話をしなければならないのだろう。
しかも、聞かれるのはシリンの事だけだ。
ここでエルグの方はどうだったのだと切り返せればいいのだが、生憎そんな度胸は今のところシリンにはない。

「グレンが知れば、カイ殿はフィリアリナ家にいられなくなりそうだな」
「っ?!」
「グレンは娘馬鹿だからな」
「へ、陛下…!」
「ああ、勿論グレンに言うつもりなどないよ、シリン殿」

本当に言わないでくれるのだろうかと、思わず疑ってしまう。
しかし、それは口に出さないでおく。

「カイ殿は、朱里の中ではティッシに対してそう悪印象を抱いていない所は理想的だな」
「理想的…、ですか?」
「朱里にこちらの国の姫君を迎えてもらうにあたって、相手がカイ殿なら心配なさそうで理想的だと思うだろう?」

ぎょっとなるシリン。
シリンが甲斐の事を好きだと知っていて、言う言葉ではない気がするというのに、エルグは何故か心底楽しそうだ。
まるでシリンの反応を見て楽しんでいるように見える。

(も、もしかして…)

嫌な予感がシリンの中に浮かぶ。
馬車に乗っている時間はそう短くはなく、話でもしていなければ暇で暇で仕方ないだろう。
だが、日中ずっとというわけもないので、我慢できない時間でもない。

「どうした、シリン殿?」

笑みを浮かべたまま聞いてくるエルグ。
その表情が物語っている気がする。
エルグは今とても楽しそうだ。

(あ、遊ばれてる…っ?!)

暇つぶしにシリンの反応を見ながら遊んでいるとしか思えない。
クルスすらエルグにからかわれるのだから、シリンが言葉でエルグに敵う訳がない。
馬車が止まるまで、ずっとこの調子でからかわれ続ける事になるのだろうか。
沈黙も気まずいが、遊ばれるよりも沈黙のまま気まずい方が良かったと思わずにはいられないシリンだった。


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