WOT -second- 35
グルドが部屋に戻ってこないのは好都合。
シリンは指輪からぽんぽんっと法術を込める事が出来る石を出し、法術を込めて色々仕掛けをしていた。
石に法術を込めて、この船内の壁に埋め込む。
最初から法術を込めた石をばらまいて船内を調査していれば良かったのだろうが、持っている石にも限りがある。
仕掛けと、万が一の時の為に取っておきたかったのだ。
(甲板の法術陣が推測通りのものなら、これで船に関してはオッケー。念のため保険として、あそこと、あそこに仕掛けして)
シリンは持っていた扇をすっと指輪の中に戻し、ベッドにぼすんっとダイブする。
実行予定は明後日、2日後だ。
だが、それを早める必要がある。
となると外への連絡もしなければならない。
(連絡しなきゃ…)
そう思いながらも、シリンはベッドに横になったまま動かない。
目を閉じれば、泣きそうな彼女達の顔が思い浮かぶ。
シリンはグルド達と平気で接する事が出来るが、彼女達はそうではない。
ここにいる事の不安、助けてくれるかどうか確実ではない不安、シリンが今感じている不安よりもそれは大きいのではないのだろうか。
(悩んでいる場合じゃない。動かなきゃ)
ばっと上半身を起こし、シリンは手鏡を取り出す。
この部屋に鏡のようなものはなく、首にある法力封じも確認が出来ないが、この手鏡でその法力封じの構成を確認する事も出来る。
(大丈夫、大丈夫。最悪の事態にはまだなってない)
シリンが考える最悪は、オーセイ方面にあるらしい桜と同等の兵器が出てくる事、そしてドゥールガ・レサまでもが出てくる事。
そこまで相手の戦力が揃って、はたしてティッシ軍でどうにかなるだろうか。
ぱっと手鏡に映る自分の首にはまっている金色のリング。
手で触れてみるが、何かを刻み込んでいるようには見えない上に凹凸もない。
(ん〜、構成がよく分からないというか見えない…)
シリンは室内をきょろひょろ見回し、何かメモを取れるものがないか探す。
グルドには悪いが棚や引き出しを勝手に開けさせてもらう。
「あ、あった」
ペンと紙を見つけたのでそれを拝借する。
インクをつけ、さらっとシリンは紙に簡単な法術陣を4つほど描く。
ぱたぱたっと紙を軽く振り、インクが乾くまで少し待つ。
インクが乾いたのを確認してから手鏡をその法術陣の上に置き、とんっと軽く手鏡を叩く。
1度目は法術呪文で繋げたが、どうやれば繋がるか分かったので法術陣を使ったのだ。
一瞬歪んだ鏡に映る光景が変わっていく。
〔ずいぶんと変わった時間帯での連絡だな。やはり何かあったか?〕
鏡に映ったのはエルグだった。
随分とラフな服装に見えるので、仕事を終えて休むところだっただろうか。
「すみません、陛下。お休みする所だったでしょうか?」
〔いや、気にするな。…成程、感付かれたな、シリン殿〕
「うっ…!」
シリンの首にはめられているものへちらっと視線を向け、エルグは楽しそうな表情を浮かべる。
ここで何故楽しそうな表情になるのか、それがシリンには分からない。
シリンとしては全然楽しくない状況なのだ。
〔予定を早めるか。どうやら、気配にかなり敏感な奴がそちらにいるようだ。見張らせていた者の殆どが気付かれて片付けられた〕
「片付けって…」
〔命に別状はない。そちらは騒動を起こすことを好んでいないようだな。どうする、シリン殿。こちらは行動を今すぐにでも起こして構わないが、シリン殿の方は脱出のメドはついたか?〕
3日とこちらで提示した以上、3日以内には確実な方法を見つけるつもりだった。
なんとかなるだろうと思っていたのだが、予定が早まるのは想定外。
それでもどうにかしなければならない。
「色々仕掛けはしました。シールドなどの無効化はやってみなければ分からない、という状態です。保険を2つほどかけておいたので、手段がない場合は…えっと全部破壊して脱出予定なんですが…」
〔それはそれは随分と過激だな。森1つ丸焦げになる可能性をこちらは承知していればいいか?〕
「…す、すみません」
エルグが笑顔のまま対応するので、船を破壊するしかなくなってしまった場合の被害に申し訳なく思う。
出来ればそうなって欲しくないものだが、仕方がないと考えるべきか。
この周囲に民家がないのが何よりの幸いだ。
〔動くのは明日か?それとも今夜の方がいいか?〕
「明日でお願いします」
〔では、手配をしておこう〕
予定を1日だけ早める。
2日後にして船が既に出立してしまっていては、外でこちらの場所が分からなくなってしまう。
この船は外からは見えていないのだ。
「陛下、脱出後私達はどちらへ行けばよろしいですか」
〔姫君達を保護する者たちがいる。気づいた者がそちらへ誘導してくれるだろう〕
一番いいのは転移で貴族院まで行くことだ。
だが、この船のシールドを無効化または破壊した後では、どのような影響が周囲に残っているか分からない。
それだけこのシールドは強力で、決して正規とは言えない手段で消すのだから、少なからず影響はあるはずだ。
そんな不安定な状況で転移法術を使うわけにはいかない。
(無理やり転移することは可能だろうけど、その時そんな余裕があるか…)
追ってくる相手が必ずいるのだ。
それを相手にしつつ、不安定だろう場から安全に転移する様な法術を組み上げて転移するのは難しい。
〔ところでシリン殿〕
「はい」
〔その首輪は法力封じの類と見るが?〕
「はい、法力封じみたいですね。綺麗に法力封じられてます」
〔支障はないのか?〕
「私はもともと自分の法力を使って法術を使っているわけではありませんから」
シリンのその言葉にエルグがふっと笑みを浮かべる。
思わずその笑みに反射的にぎくりっとなってしまう。
何か言ってはいけない事を言っていしまった気分だ。
〔支障がないならばなによりだ。では、こちらは明日、日が昇った瞬間からいつでも対応できるようにしておこう〕
「はい。なるべく早く行動を起こすつもりです」
〔昼前という事か?〕
「の予定でいます」
船が動き始めてからでは遅い。
この船がどれだけの速さで移動できるか分からないが、行動は早い方がいいだろう。
本当ならば今夜にでも動きたいが、流石に今すぐに行動を起こせるほど準備ができているわけではない。
失敗して連れ戻されることなどないようにしたいのだ。
〔ひとつだけ言っておく、シリン殿〕
「何でしょう?」
〔生憎とティッシは今回の誘拐事件に、全戦力を向かわせる余裕があるわけではない〕
魔族との戦いに全ての戦力を注ぎ込める状況ではないことは分かる。
だからこそ、シリンの両親は参加しないだろうし、セルドもこの事を知らない。
ティッシ国内で今回の事を知る者はそう多くはないだろう。
「分かりました」
援軍を期待しても出せない、という事なのだろう。
エルグはエルグで出来うる限りの最大限の戦力を配してくれているはずだ。
だから、シリンは頷いて答えるだけに留めるのだった。
*
グルドの部屋のベッドは、グルドが就寝する様のベッドなので今までいたベッドよりも広い。
法力封じをかけられ、かなり切羽詰まった状況にも関わらず、シリンはそのベッドでぐっすりと一晩眠ってしまった。
ソファーで寝ていた状態ではやはり疲れが完全にとれていなかったのかもしれない。
ひょいっとベッドから飛び降り、ぐっと伸びをする。
窓から見える外は、明るくなってきている。
(よし、行動開始と行きますか)
シリンは解放を唱え扇を指輪の中から出す。
この指輪まで取られてしまえば、取れる手段が本当に少なくなってしまうので、これがあるのが何よりだ。
指輪からインカムを取り出して耳に取り付ける。
『姉さん、その首輪はすぐに壊すなよ!』
「は?」
唐突に聞こえてきた翔太の声に、思わずきょとんっとしてしまう。
『おはよう、翔太、桜』
『朝から行動的じゃな、主よ』
『おう、おはよう、姉さん。じゃなくてだな!』
シリンはドレスの一つに使われているリボンを外し、長い金髪を後ろで一つにざっとまとめる。
どうも長い髪は行動するのに邪魔に思えてしまうのだ。
『姉さんがつけられたその首輪、大戦の遺産の一つだ。法力封じの機能はあるが、大きな機能としては”鈴”の役目だ』
『鈴?』
『壊したら逃げたってのがすぐばれるんだよ』
『それは承知してるけど…』
『じゃなくて、壊れたと同時につけた相手の元に転移されちまう機能とかあるんだよ!』
『…げ』
すぐに壊そうと思っていたが、やはり何でもその構成を理解してからの方がいいらしい。
何も知らずに壊していたら、グルドの所へ即移動になっていたかもしれない。
『少々動いている事がバレても今更じゃろう。外へ出次第妾が物質ごと消滅させる故、それまで我慢じゃ』
『物質ごと消滅って、桜?』
『そのままの意味じゃ。物質分解、法術ではない科学の力じゃよ。もうその力の存在自体を知る者すら極僅かじゃ、流石に彼らとてそんなもので壊されるとは思わぬじゃろ』
『それって無茶苦茶物騒な力じゃ…』
『小さな小物しか分解できぬし、生物には効かぬ程度の代物じゃよ』
それでも十分物騒だ。
法術など使えなくても、桜の力はとんでもないものが多いのではないのだろうかと思えてきてしまう。
衛星すらも所有をしてるのだ、情報量もかなりのものだろう。
『やるか?姉さん』
『うん』
仕掛けた個所は、甲板と訓練室、それから食事をした場所、動力炉と思われる訓練室と同等の階にあるらしい部屋。
甲板の法術陣のバランスを崩し、この船の機能を一時的に全て停止させるつもりだ。
その為に法術を込めた石を、いくつかの所に転移させて組み込ませておいた。
発動はほんの小さく一言込めればいい。
(ここからは一切の失敗は許されない)
シリンは小さく深呼吸する。
ぱらりっと手に持つ扇をゆっくりと開く。
「発動」
キイィィィンと甲高い音が周囲に響いたように思えた。
ずずんっと船が一瞬大きく揺れる。
窓から見える歪みがだんだんと晴れていくのが見えた。
シリンは自分が仕掛けた法術陣が発動している事を確信する。
『どうやったんだ?姉さん』
『甲板の法術陣が船の構成の一部ってのは、翔太のおかげで分かったからそこから船の法術陣全部を推測して、”時”の属性の法術を割り込ませただけ』
『無効化ということかの?』
『そう、一時的だけど、船の機能の無効化。半分くらい自信がなかったから、駄目だったら次の手段、それでも駄目だったら破壊するつもりだったけどね』
完全に船の外のシールドが消えたのを見て、シリンはぽんっと小さな石を取り出す。
法術呪文もいいが、それでは時間的にロスがある。
必要と思われる法術はすべて石に先に組み込んでおいた。
「発動」
光の法術陣がシリンの足元に描かれ、次の瞬間シリンの身体がひゅっとその場からかき消える。
ぐんっと引っ張られる力とともに、シリンの身体は転移する。
転移先は彼女達が閉じ込められている部屋だ。
彼女達に指輪を渡しておいてこの時ばかりは良かったと思う。
それで場所の特定もしやすかったのだ。
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