WOT -second- 24



見上げなければ見えない法術陣だが、法術陣の構成は確認でき程度の高さにある。
問題はシリンの身長だ。
まだ9歳のシリンが届くような低い場所に法術陣があるはずもなく、手を伸ばしても届かない場所にある。

「シ、シリン様…」

どこか遠慮がちにシリンに声がかけられる。
振り向けば、まだ顔色が青いままのミシェルがこちらを見ている。

「あの、その…」
「ん?」

シリンはミシェルを安心させるようににこりっと笑みを浮かべる。
先ほどのやりとりは彼女たちにばっちり見られていた。
シリンが日本語…彼女たちにはイディスセラ語だと分からなくとも、共通語以外の言葉を話していた事、そしてゲインに対して治癒法術を使っていたこと。

「聞きたい事がありそうだけど、とりあえずはこれ、なんとかしてからね」

シリンがすっと法術陣を指さす。

「シリン様、その法術陣が何か…?」
「ん、これが法力封じの法術陣の一つでね、四方にある法術陣セットで効果がでているんだけど…、これ、法術陣をちょっとでも崩せれば無効にできると思うんだよね」

法術陣が刻まれている壁の部分をほんの少し傷つける事が出来るだけでいい。
それだけで恐らくこの法力封じは崩れる。
法術が使えるのと使えないのではやはり違うものだ。

「ど、どうして、そんな事が分かるんですの?」
「どうしてって、だってさっきガルファって人は法術使えたでしょ?」
「あ、あれは、魔族特有の力ではなく、法術…なのですか?」
「法術、だよ?」

ミシェルは不安そうに他の少女たちに目を向けて問う。
彼女達は首を傾げたり、首を横に振ったりする。

「わたくし達は、彼らの事を学院でほんの少しですが学んでおりました」
「”魔族”って?」

魔族という言葉にびくりっと肩を震わせる彼女達。
どういう説明をされているのか、学院に行っていないシリンは分からない。
だが、この怯えようではイディスセラ族の説明よりも怖いものであると教え込まれているのだろう。

「人ならざる力を持ち、呪文も陣もなく不思議な力を扱う…恐ろしい程の力をもつ残虐で、冷酷な種族。絵姿でしかその姿を見たことはありませんが、魔族については下手に恐怖を与える必要もないという事で、決して知らぬ者に話してはいけない内容なのです」
「じゃあ、ティッシで彼らの事を知っている人はいるって事だね」
「学院で学んだことがある者ならば、殆ど知ってらっしゃる事です」

エルグが言っていた犯人が最悪である可能性。
ミシェルが知っている事をエルグが知らないはずもなく、エルグは犯人が彼らである事の想像がついていた。
それでいてシリンに何の説明もなく囮を依頼した。

(そりゃ、下手に事前に知ってしまう事で怖くて混乱してしまうって可能性もあったわけだから、言わない事も間違ってはいないけどね)

何の説明もなかったことは、決して良いやり方とも言えないはずだ。

「シリン様は…、ど、どうして、彼らが平気、なのですか?」

ぎゅっと両手を握り締めているミシェルは、少し震えている。
グルド達の事を思い出して怖いのだろうか。

「どうしてって言われても…」

シリンの場合、彼らの一族が決して未知な存在ではないからだ。
彼らがどうして生まれ、どうして強大な力を持っているのかを知っている。
遺伝子をいじられて…と説明してもミシェル達には分からないだろう。

「彼らは同じ言葉を話す事ができて、自分の考えを持っていて、ちゃんと話し合う事ができるよ」

そう言ってみるものの、やはり頭でそれを理解しても受け入れるのは難しいだろう。
未知のものへの恐怖は本能的なものと言ってもいい。

「でも、やっぱり怖くて不安?」

小さく笑みを浮かべて、シリンは彼女達に問う。
不安な表情がありありと浮かべられている。
彼らの目的が分からない状態では、これからどうなってしまうか分からない状況だ。

「大丈夫だよ。1つずつ出来る事をやって行こう。貴女達がそこまで恐れるほど彼らは完璧な存在じゃないわけだし」

法術理論どころか、効果すらも正確に把握していない。
力で抑えつけられてしまえば逃げる事は難しいだろうが、彼らが自らの力の大きさを過信しているうちは付け入る隙はいくらでもある。

(グルドは鋭そうだから、慎重に行動しないと駄目なんだろうけどね)

「だから、まずはこれね」

シリンは法術陣を見上げる。

「シリン様、法術陣を崩すというのは、壁に傷をつけるだけでも良いのですか?」

ミシェルも法術陣を見上げながら、シリンに問う。
シリンはその言葉に頷く。

「届けば傷をつけるのも簡単なんだろうけど、手が届かないとなると何かを投げて…」

シリンの言葉の途中で、ひゅっと風を切る音と、ダンっと壁に突き刺さる音が聞こえる。
小さく風が吹いた気がしたが、法術陣を見れば、その中央に綺麗に刺さっている小さな刀。
そして、手を挙げているミシェルが少し照れたような笑みを浮かべる。

「了解も得ずに申し訳ありません」
「ミシェル嬢…?」
「父から何かあった時の為にという事で、小刀をいくつか持っているのです」
「そ、そう…、投げるのも上手だね」
「はい。わたくし、これだけはセルド様より上手なんですよ」

ここはミシェルの腕を褒めるべきだろうか。
法術陣の中心を狙って投げたのならば、命中率はかなりのものだ。
セルドよりという事はセルドも同じようなことができるということであり、これは学院で学んでいることなのだろうか。

(いや、学院で何を教えているかは今は関係ないわけで)

その考えは隅に置いておくことにする。

「これで法術を使えるようになったと思うけど…」
「遥かなる時を越え、導きし道を開かれん、緑輝く優しき風よ、深き眠りし静かな闇よ、我が願いし場所へ運びたまえ」
「ミシェル嬢?!転移法術はっ!」

ミシェルの手の中でばちっと何かがはじかれる音がする。

「きゃっ?!」

こんっと音をたてて、はじかれた”何か”が床に転がる。
それは小さな緑色の珠。
シリンも同じものを持っている。
エルグが連絡をする為のものとして、シリンに渡した法術具だ。

「ど、どうしてですの…」
「確かに法力封じは解かれたけど、多分外に張られているシールドのせいじゃないかな?」

ミシェルが先ほど使ったのは、自分を転移する法術ではなく、対象となるものを転移させる法術だ。
転移法術は難しい部類に入るらしいので、それを使えるミシェルは優秀なのだろう。
コントロールを誤ったようにも思えないので、外のシールドがここと外部を遮断していると考えていいはずだ。

「陛下からここを”見つけられない”って聞いた時点で、外からは見えないようになっているか、空間ごと外部と遮断しているか何かだとは思っていたんだけど…もしかしたら、両方かもね」
「シリン様…」

不安そうに、どこかシリンを縋るように見るミシェル。
法術が使えればどうにかなるかもしれないと思っていたのかもしれない。

「ま、たぶんこれだけ外に出すことは、そう難しいことじゃないと思うんだけど…」

シリンは転がっている緑色の珠をひょいっと拾い上げる。

「解放」

ぱっと指輪から扇を出し、扇を広げてその上に緑色の珠を乗せる。

「狭間の力、護りの壁にて限られた時を隔てよ、優しき風と静かなる闇よ、あまたの道を越え、我が願いし場所へ運べ」

ひゅっと緑色の珠が消える。
シリンはその珠が消えた所をじっと見ていたが、珠がはじかれて戻ってくる様子はない。
どうやらここからの転移に成功したようである。

「シリン様?!今のはどうやって…?!」
「そのまま転移させるとはじかれるから、転移対象そのものを”無いもの”として…つまり存在を認識させないよう法力で覆って転移させたの」

2種類の法術を組み合わせて使ったのだ。
実際、シリンは法力を余所からもらっているので、法力を集める法術陣を使った事を考えると、3種類の法術を同時に使ったことになる。

「けど、これは対象が小さいものだからできた事で、流石に人の転移となると、シールドぶち壊した方が楽だと思うよ」

先に言われる前に言っておく。
生憎と先ほどの手段は、転移させるのが壊れても平気なものだからできたまでだ。
人を転移させて失敗しました、では済まないのである。
一か八かの賭けのような事は、最悪の事態にならない限りはしたくない。

「けど、それでは、わたくし達はここから…」
「全部を自分たちでする必要はないと思うよ。助けは必ず来るだろうから、それまではちゃんと身体を休めよう?いざという時動けるようにね」

ミシェルはぐっと何かを我慢する様に唇をかみしめ、そしてへたりっとその場にしゃがみ込む。
シリンはミシェルの傍により、優しくミシェルを抱きしめる。
まだたった10歳の少女。
学院で優秀な教育を受けていたとしても、まだまだ幼いのだ。

「シリン様?」
「人の体温感じると安心するって言うからね」

ミシェルの肩がびくりっと震える。
そっとシリンの服に触れ、遠慮がちにだがそれを掴んで来る。

「…ふっ…く…」

泣き声をあげずに泣き始めるミシェル。
ミシェルの顔は伏せられていてぽろぽろ零れる涙は、シリンには見えない。
浚われた子達の中では、一番大丈夫そうに見えたが、それはやせ我慢だったのかもしれない。
囮となって浚われた身で、どうにかしなければならないという責任感があったのか。
シリンはこちらをじっと見る他の少女たちの視線に気づく。

「おいで」

にこりっと笑みを浮かべて、シリンは手を差し出す。
縋りたいかのような視線を向けられて、それを受け入れられないはずなどない。
どの少女もそれなりの身分で、だがまだまだ幼い。
差しのべられたシリンの手に飛びつくように、シリンの傍に寄ってくる彼女達。
シリンの腕にしがみつき、背中にしがみつき、首へ縋りつくように抱きついてくる。
小さくだが声を上げて泣き始める彼女達。

(早めに親元に戻してあげないとね)

何の目的で彼女達を浚ったのか分からない。
どうしても彼女達が必要である目的があるのかもしれない。
だが、必要だからと言って本人たちの意思も関係なく浚っていい理由にはならないのだ。

(桜か翔太に連絡、取れるかな)

中の状況は自分で調べられる。
だが、外へ連れ出してくれるとは思えないので、外の状況を知る必要がある。
ここはどこで、この場所は外からはどうなっているのか。
何かあった時に、適切な対応ができるように、恐らくシリンを頼りにしているだろう彼女達をこれ以上不安にさせないために。


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