WOT -second- 21
神妙な表情をしているのは、シリンの両親であるグレンとラティ。
エルグからの裏の依頼を受け、法術具の説明をしてもらい今に至る。
フィリアリナの屋敷の応接室で向かい合うのは、シリンの両親であるグレンとラティ、それから向かいにエルグとシェルファナ。
2人が言っていたように、シリンに依頼をし終わった後、本当に正式に表から訪問し直してきた。
「すまないな、グレン。シリン姫が無力である事は分かっているのだが、状況を変えようとするのならば、もう一度囮が必要になる」
グレンとラティは事前にエルグから話を聞いていたのか、シリンを囮にという話を持ち出してきた時に、そう驚きはしなかった。
だが、すぐに頷いて了承の返事を返したわけではない。
シリンは両親にかなり可愛がられていることは自覚している。
セルドも屋敷の人たちもそうなのだが、シリンを可愛いと褒める人が多いのだ。
(フィリアリナの人たちの美的感覚はちょっとおかしい)
シリンはそう思わずにはいられない。
特別自分が変な顔立ちだとは思っていないが、褒められるほど可愛らしい顔立ちでない事は分かっている。
「シリンの安全は保障されるのですね」
堅い声でグレンがエルグに問う。
エルグはにこりっと笑みを浮かべて頷く。
「勿論だ。犯人の居場所の特定の為に囮をしてもらうだけだ。シリン姫の後を私の部下がつけ、場所が特定でき次第救出部隊を編成しすぐに向かう」
「ですが、陛下。前回ミシェル嬢の時には犯人の居場所の特定ができなかったと聞いております」
「今回は確実に特定可能なように対策をしてある。そう心配するな、グレン」
(それって、私がどうにかして連絡するとかって事が対策ですか、陛下)
思わず内心突っ込むシリン。
何がどうなって居場所を特定できないでいるのか分からないが、どう考えても法術が関係しているだろう。
そしてシリンならばその法術を解読できるかもしれない。
自惚れではないが、シリンは四六時中見張られていない限り、場所の報告くらいはできると思っている。
「本当にすまないと思う。狙われるのはなぜか10歳前後のまだ子供ばかりだ。囮などという非常な手段を使わなければならない事に自分の不甲斐なさを感じる」
「陛下…」
「だが、分かるだろう?グレン。シリン姫はフィリアリナだ」
「分かっております」
名門である事はそれだけの責任という名の義務が付きまとう。
何かあれば自ら名乗り出て前に立つこともしなければならない。
「予想以上にシリン姫はしっかりしている」
「勿論です。シリンならば、陛下のおっしゃるお役目を果たすなど簡単でしょう」
(と、父様!そんなはっきりと…!)
グレンの言っているお役目が”ただの囮”であることは分かる。
しかし、父にこう断言されるのは照れくさい。
グレンがすごい人である事は分かっているので、その素晴らしいと思える人にそう言われるのはどうしても照れるのだ。
「グレン自慢の娘だ。私もシリン姫なら大丈夫だと確信しているよ」
にこりっと笑みを浮かべているエルグ。
その言葉と笑みの裏には言葉とはまた違う意味が込められていそうだ。
(そこで言い切られると、ちょっとプレッシャーです、陛下)
”ただの囮”以上の事を依頼されているシリンとしては複雑だ。
「囮なんてシリンは嫌じゃない?」
「母様…」
心配そうにシリンを見つめる母ラティ。
こうして母に心配させるような事はしたくないと思う。
けれど、もう事前に引き受けてしまっていることなのだ。
「大丈夫、母様。だって、陛下が私の安全を保障してくださっているでしょう?私が何かお役にたてればそれは嬉しい事だから」
エルグはシリンの安全の保障をするとは断言していない。
シリンも安全を保障してくれているとは思わないが、わざわざ”浚う”のだから、逆らわない限り暴行を加えられる可能性は低いだろう。
それに、誰かの役に立てるのは確かに嬉しい事なのだ。
「ごめんなさいね、ラティ。エルグも私も誰に頼むかはすごく悩んだの」
「分かっています、シェルファナ様」
申し訳なさそうに言うシェルファナ。
どこか納得いかないまでも、仕方なく了承しているらしい両親。
エルグはシリンへ視線を向ける。
「引き受けてもらえるかな?シリン姫」
「はい」
シリンは小さく頷きながら了承する。
「では、急で悪いが明日からグレンとラティは東へ行ってくれ。イリスとの小競り合いがあるようで、誰かを派遣する必要があったんだ」
「陛下…!ですが、それでは屋敷にシリンだけとなってしまいます。セルドも学院寮にいますし、屋敷の者の半数以上は建国祭の準備で実家に戻らせていますし」
「だから、だ。グレン」
学院は基本的に寮生活のため、セルドが屋敷に戻ってくるのは週末のみ。
居候の甲斐はクルスと一緒に西へ行っている。
「グレンとラティがいてシリン姫を浚われるということは、相手に罠であると気付かれる可能性が高い。そうなればシリン姫の安全が保障できない事態になりかねん」
軍人である両親が屋敷にいてシリンがあっさり浚われるという事は、浚った相手が相当優秀でないかぎり、2人がシリンの護りに手を抜いていたということだと思われかねない。
フィリアリナ家が名門で優秀な者が多い事は他国でも有名な事だ。
誘拐犯が誰であれ、フィリアリナの名を知っている可能性は高い。
囮であることがバレてしまえば、シリンが誘拐犯にどんな目にあわされるかも分からない。
「わかり…ました」
「すまないな」
謝罪の言葉を述べるエルグだが、あまりすまなそうに見えないと思ってしまうのは、事前に囮捜査の事を聞いていたからだろうか。
(もしかしてだけど…、クルス殿下と甲斐が西に行ったのって)
エルグの命令で西へと行ったクルスと甲斐。
それを聞いた時に、エルグが何か企んでいるのではという思いが過ったのだが、本当に何か企んでいたのかもしれない。
その企みがシリンへ囮捜査の依頼のではないだろうか。
(最初から陛下が考えてやった事なら、本当に性格悪い人だな)
エルグの事は苦手で、性格が悪い人だとは思うが、尊敬は出来る人だとシリンは思う。
だから彼の依頼を引き受ける事に了承し、なんとかしろと言われてそれに応えたいと思うのだ。
*
しんっとするフィリアリナの屋敷。
この屋敷がここまで静かなのは初めてではないだろうか。
クルスと甲斐は西へ、両親は東へ、セルドは学院寮、屋敷に仕えている者達の半数以上は建国祭の準備のために実家へ。
(指輪オッケー、連絡用の法術具もオッケー)
夜も更けはじめ、そろそろ就寝時間という時にシリンは身につけているものを確認する。
いつ浚われてもいいように、最低限必要なものは寝る時も身につけるようにしている。
こんな状況ではぐっすり眠れないだろうと思っていたが、思った以上に自分の神経は図太いようで何もなかったここ数日、ちゃんと熟睡をしていたようだ。
(けど、緊張していないわけじゃないんだよね)
何かあってからでは遅いので、シリンは常に自分の身に危険が迫れば自動で発動する法術陣を指輪に組み込んである。
エルグから贈られた手鏡にあった法術陣を少し応用したものだ。
精神年齢が実年齢より上で落ち着いているとはいえ、スリリングな生活を送っていたわけでもないのだ。
(毎晩こんな感じで妙な緊張感を持たなきゃならないくらいなら、さっさと浚ってほしいんだけどな)
流石にこちらの準備ができていても、誘拐犯がこちらの思い通りに動いてくれるはずもなく、シリンがこうして毎晩装備のチェックをし始めて数日。
果たして本当に誘拐犯がシリンを狙ってくるのだろうか。
(実は私じゃ囮になることができませんでした…とかだったら笑えな…)
「深き夜、果てなき闇、我が願いし静かなる眠りを与えよ」
「え?」
後ろから法術呪文の声が聞こえ振り向こうとした瞬間、一気に眠気が襲ってくるのを感じた。
対象を眠らせる法術呪文だ。
(駄目だ、意識が沈む…!)
自分の身に危険が迫れば法術が発動するようにはなっているが、眠らせる法術にはあまり効果はない。
眠ること自体は身の危険にならないのだ。
「おい、本当にこれがフィリアリナ家の娘か?」
「この部屋にいるんだからそうだろう」
意識が薄れてきているシリンの耳に聞こえた声は2つ。
どちらも男の声のようだ。
1人がシリンを抱き上げたようで、ぐいっと身体が持ち上げられる感覚がした。
「けど、本当にいいのか?」
「何がだ?」
「あの方がこの国には近づくなと言っていただろ?」
声だけで彼らの姿がシリンには見えない。
眠りの世界へ引きずり込まれそうになる意識をかろうじて保っていることしか出来ない。
彼らの言葉から、彼らがこの国の人間でない事は分かる。
「ガルファ様の命令だから仕方ない」
「そうだな」
「それより、無駄口叩いていないで行くぞ。流石に軍が動き出したら面倒だ」
「ちょろちょろかかってこられるはウザったいしな」
くくっと哂う声が聞こえる。
それはどこか見下したような物言いだ。
ティッシ軍など敵でもないということか。
決して弱くはなく、イディスセラ族と互角に戦う事が出来る者もいるティッシ軍だ。
それが自分たちの相手になどならないかのような言葉が平然と出るという事は、彼らは相当強いということか。
「それに、今更だ」
「そうだな。けど、あの方も何でこの国は駄目なんだろな?」
「さあな。俺達のようなヤツにはあの方の考えなど分からん」
ぐっと身体が引っ張られるような感覚とともに、ひんやりとした空気が身体を包み込む。
窓から外に出たらしい。
感じるのは浮遊感。
飛んで移動しているということなのだろう。
シリンの身体は抱きあげられているというわけではなく、担ぎあげられているような状態だ。
(もうちょっと大切に扱ってほしいかも)
と沈みそうになる意識の隅で思うシリンは呑気なのだろうか。
「人間ってのは随分と華奢だな」
「本当にこんな身体で耐えられんのか?」
「耐えさせるために、10歳くらいの女を浚うようになったんだろ?」
「けど、あんま効果もないけどな」
そう呟いた声が少し悲しそうなものに聞こえたのは気のせいか。
シリンを担いでいる男の手は暖かい。
移動方法は乱暴だが、その手は少しだけ優しいものに思える。
「俺達はそんな異形か…?」
「人間から見たらそうなんだろよ」
段々とシリンの意識が深く沈み始める。
異形という言葉に、ある”種族”の事が頭をよぎる。
翔太が説明してくれた、日本で見た獣姿の彼らの事。
「夜が明けないうちに急いで戻るぞ、ゲイン」
「…ああ」
シリンが意識を保っていられたのはそこまでだった。
聞こえた言葉に出てきた”ゲイン”という名前。
それはどこかで聞き覚えがあった。
(嫌な予感、的中……かも)
すぅっと意識が眠りの世界へ沈んでいく。
ぼうっとした頭のまま、シリンは何かを確信したのだった。
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