WOT -second- 16



シェルファナとのお茶の帰り道、帰りも行きと同じ道をシリンは歩いていた。
前に歩く人はいないが、横にクオンが並んで歩いている。
こんな人通りのない場所を通って大丈夫かと言えば、”行きの襲撃が失敗したのに帰りも狙う馬鹿はいない”とクオン談。

「そう言えばシェルファナ様に、以前はクルス殿下とエルグ陛下の仲があまり良くなかったと聞いたのですが…」
「君は以前のクルス兄上を知らないんだな」
「知らないと言いますか、一応初対面のクルス殿下が”そう”なら知っていると言えば知っているのですが」

もやは初対面の印象はどこへやらのクルスである。
シリンを見れば飛びつくように抱きつき、のしかかり、ごろごろと甘えてくる。
冷たい人だと感じた印象はどこか遠く彼方へと消え去ってしまっている。

「今でこそクルス兄上は僕とも良く話してくれるようになったけれども、1年程前までは全然だった。それこそ返事があればいい方で、嫌われているのだと思っていた」

初対面のクルスを思い出せば、そっけないというか当たり障りのない態度をとっていたような気がする。

「認めるのは癪だがな、君がいたからクルス兄上は変わった。それは…感謝してる」

ぽそっと付け加えられた最後の言葉。
照れているのかクオンの顔はほんのり赤かった。

「私が何かをしたわけではありませんし、変わられたのはクルス殿下御自身が成長したからだと思います」

シリンの言葉にクオンは一瞬顔を顰める。

(え?何かまずいこと言った?)

一瞬焦るがそれを顔に出さないようにする。

「なんでそんな自分を過小評価してるんだ?自分に自信を持てばいいだろ?」
「えっと…、そう言われましても私にとってはそれが事実でして」
「事実という言葉をちゃんと調べてから頭に入れろ。君の事実は僕の事実とは違うようだからな」
「はあ…」

どうやらシリンの答えが気にいらなかったらしい。
自分では過小評価をしているつもりはないが、クオンから見るとシリンは過小評価しているように思えるようだ。
シリンは本当に自分が特別な存在である事など微塵も思ってないのだ。
最も、散々才能がない、能力がない、平凡だと言われて育ってきたシリンなので、そう思えないのも仕方ないだろう。
法術を組み上げる事が出来る事が特別であるとはしゃぐほど、子供でもなかったりするのだから。

「それから、その馬鹿丁寧な口調もやめろよな」
「ですが、クオン殿下はこの国の第一王位継承者で…」
「それならクルス兄上にもそんな馬鹿丁寧な口調で話しているのか?」
「あ、いえ」
「それなら僕にも普通に話せ。セルドだって学院内じゃそこまで馬鹿丁寧な口調じゃないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、普通に話すぞ」

パーティーでのクオンへの接し方を見たので、学院でもあれと同じようなものかと思っていた。
良く考えれば、学院であそこまで堅苦しく接していてはクオンが疲れるだろうし、本性も見せないだろう。
セルドはクオンの口調が少々乱暴である事は知っていた。

「それなら、お言葉に甘えて」
「そうしろ」

言葉遣いは悪いが、シリンはクオンが可愛いと思った。
比較的子供らしい子供であると思える。
セルドも確かに子供ではあるのだが、環境と自分に備わっている法力の大きさのせいか、同年代の子供よりも大人びているのだ。

「シリンはクルス兄上に法術を教えているって言っていたよな」
「うん、ちょっと対処が難しい法術を無効化できる法術を主にね」
「無効化?例えばどんなのだ?」

興味があるのかクオンは、興味津々という視線をシリンに向ける。
だが、すぐにはっとなり視線をそらす。

「いや、その、聞いた時気になってはいたんだが、父上がいたので詳細は聞けなかったんだ」
「陛下がいるとまずかったってこと?」
「…あのな、父上に聞かれたら絶対に父上に利用されるぞ」
「利用って言っても、別に無効化法術くらい大したものじゃないのに」
「父上に数百の法術一覧を渡されて”これの無効化法術を全部作っておいてくれ”とか命令されてもか?」
「う…」

それはものすごく嫌だ。
確かにエルグならばそのくらいしそうな気がしてくるので、クオンの言葉は冗談に聞こえない。
エルグに対しては慎重に接しているつもりなのだが、やっぱり警戒心が足りないのかもしれないとシリンは思い直す。

「で、どんな法術を無効化できるんだ?」
「えっと、主には状況変化系の補助法術の無効化かな」
「状況変化系?幻術や視界を塞いだりするような類のものか?」
「そんな感じ。力技で防げないものを主にやった方が身になるし」

法術は基本的に法力の大きさで左右される。
クルスや甲斐のように膨大な法力を持って生まれた存在ならば、中級法術しか使えない法術師程度は力技でどうにでもできる。
だが、視界を塞がれたり幻術での攻撃は力技ではどうにもならない。

「あと、予定では無効化だけじゃなくて、相手の存在を追尾するものとか」
「居場所を知ることができるってことか?」
「うん。応用すれば、私があの時使った炎の幻術みたいな事も出来るし」
「あれは追尾の応用なのか?」
「だって、私じゃああいう人たちの気配とかつかみとれないし、スピードにもついていけないから、追尾する法術と幻術を組み合わせたの」

気配など掴み取る事ができないシリンが幻術を発動させたとしても、対象を捉える事が出来ないのでは意味がない。
だから、とっさに組み上げたのがあの時の法術だった。

「まさに反則ような能力だな、君のは」
「そう?」
「シリンのような存在が何人もいたら、恐ろしいと思うよ」

遙か昔の大戦時、シリンように自分で法術を組み上げた人はそれこそ何人もいただろう。
だからこそ、大きな戦争となり自然に影響を及ぼすほどの事になってしまったのだ。
過去の研究者達が、遺伝子レベルでのプロテクトをかけたのは間違っていなかったのかもしれない

「シリンの場合、法力はどうしているんだ?あの時使った炎の幻術はかなりの法力を感じたが君はそこまで大きな法力は有していないだろう?」
「あれは、基本的に自然にあふれる法力を使わせてもらっているの。媒体は法力を吸い上げる法術陣を描いてある扇で、”生きている”ものすべてに法力というのは備わっているからそこからちょこっとずつ法力を拝借して集めればあれだけの法力も結構簡単に集まるという事」
「…それって簡単なことなのか?」
「そう簡単じゃないと思う。自然から法力を集めるための法術陣の仕組みを理解して、どこに法力を集めるかが問題というのもあるし、その法力をどう利用して…」
「やっぱりいい。説明が難しそうで僕には理解できそうもない」
「うーん」
「君とは、法術に関しては世界が違うと思う事にする」
「うーん」

またしても唸るシリン。
世界が違うというのは、間違った解釈ではないかもいしれない。
生まれた時の遺伝子構成が違うのだから、クオンがシリンのようにはできないのだ。
努力ではどうにもならないこと、というレベルになる。

「なあ、法術作れるなら、翻訳の法術とかもできるのか?」
「翻訳?」

何を翻訳するというのだろうか。
この世界の言語は、殆どが英語ととてもよく似ている共通語だ。
朱里のように独特の言語を持つ国がないわけではないが、大抵共通語を話すので言葉が通じないという事は少ない。

「シュリの言葉は違うだろ?」
「うん、知っている」
「けれど、習得がかなり難しいらしいんだ。子供の方が覚えるの速いだろうってことで、父上やクルス兄上と一緒にカイ・シドウに習っているんだけどさ」
「にほ…じゃなくてイディスセラ語を?」
「それ以外に何があるんだ?」

朱里と同盟を結んだ以上、言葉はどうにかしなければならない。
甲斐の言葉からすると、共通語をきちんと話せる人間は少なさそうである。

「エルグ陛下とクルス殿下とクオン殿下…、シェルファナ様は習ってないの?」
「父上が覚えてから、父上が母上に教える予定だ。色々口うるさい爺共がいるから、一緒にってわけにはいかないんだ」

シェルファナが他国から嫁いできた人間というのもあるのだろう。
その辺りの人間関係は分からないが、成す事柄に対して反発する人間というのはどこにでもいるものだ。
言語の習得程度で人間関係を悪化させるわけにもいかないから、エルグが一歩譲ったのだろうと思われる。

「翻訳法術ね…。うん、まぁ、不可能じゃないと思うけど、やっぱり言葉を覚えた方がいいと思うよ」
「勿論覚えるつもりはある。けどな、イディスセラ語はかなり難解なんだぞ!」
「そう?」
「文法は違うし、使う文字は50文字かと思えばごちゃごちゃとたくさんあるしな、ヒラガナ、カタカナ、カンジ…だったか?ありえん!シュリの人間はなんであんな難解な言語を好んで使ってるんだ?!」

(確かに文法は違うし、日本語は難しいんだよね。私も、日本語完璧かと言われると、そうだとは言い切れないし)

朱里が好んで日本語を使っているわけではなく、半分鎖国状態だった国の人間に日本人が多かっただけの結果なのだろうが、それがクオンに分かるはずもない。
話す分には平仮名も片仮名も漢字も関係ないのだが、それを区別するように覚えているという事は文章も読めるようになるつもりなのか。

「シリンも一度習ってみろ!難解さを体験すれば、翻訳法術を作る気にもなるだろ」
「とは言ってもねぇ」
「何だよ?」

シリンは少し考える。
翻訳法術を作ることに異論はないのだが、今法術に関しては、指輪の法術陣の解読と無効化法術を作ることに専念したいのだ。
何よりも、朱里と交流すためにシリンは翻訳法術など必要ない。

「やっぱり、自分で覚えるのが一番だと思うよ?」
「だから、それは分かっている。けど、間に合わなくて会話ができないってのは不便だ」
「間に合わない?」

朱里の人間がそうそうひょっこりティッシに来るはずもないだろう。
甲斐1人受け入れるだけでも今のような状況だ。

「シュリに訪問する予定が一応だがある」
「訪問?王族がってこと?」
「他に政務官が数人と軍の人間も数人、王族では父上と、僕かクルス兄上のどちらかが行くことになるはずだ」
「へぇ〜、朱里は結構いいところだよ。独特の文化だけどお茶菓子美味しかったし」
「何で知って…そうか、浚われたんだったな。…ん?」

クオンが一瞬言葉を止める。

「ちょっと待て。君は法術使えるじゃないか。何であっさり浚われたんだ?」
「あ〜…」

どう答えていいものかシリンは迷う。
今は法力を使う為の扇の法術陣があるから、あっさりと高度な法術も使える。
扇がなくては何もできないわけではないが、確かにあの時何もなくてもシリンは自分が逃げ出すことくらいは出来た。
それが出来なかった理由は1つだけ。

「びっくりしてて、つい」

そう、ただ単に純粋に驚いていたのだ。
イディスセラ族が逃げ出したという事も、彼女の髪が黒髪に黒い瞳であったという事も。
冷静さを取り戻した頃には、シリンは空の上。
彼女の手を振り払って逃げだす気にはなれず、その後は朱里の情景を見て懐かしさと驚きで逃げるどころではなかったという事だ。

「んでも、美味しいお茶菓子食べれたし、それなりに満足な滞在期間だったよ。流石に、両親や兄様やクルス殿下にはそんな事言えないけど…」
「当り前だっ!君が浚われた時のクルス兄上の様子はめちゃくちゃ怖かったんだぞ!」
「けど、朱里のお茶菓子本当に美味しいんだよ?」
「食べ物の話題から離れろ!」
「何を言うかな?食べ物こそ全世界共通!美味しいもので世界を救えるよ?」
「んなことがあってたまるかっ!」

シリンの言葉に綺麗に反応を返してくれるクオン。

(ちょっと面白い)

笑いそうになる表情をなんとか引き締めて、シリンはクオンをじっと見る。
癖がありまくりな性格のエルグの息子だから、それはそれは”いい性格”をしているかと思っていたが、そうでもないようだ。
とは言っても、まだ8歳。
8歳という年齢でこれだけ口達者ならば十分なのかもしれない。

「羊羹とかお煎餅美味しいのに」
「何だ?その意味不明物体みたいな名前は…」
「お茶菓子。羊羹にもいろいろ種類があってね、水羊羹でしょ、栗むし羊羹、芋羊羹、抹茶羊羹とか。お煎餅も、醤油味、塩味、ざらめもあるし、胡麻煎餅とか黒豆煎餅とかも美味しい」
「…全部菓子か」

呆れたようにクオンは大きなため息をつく。
しかし、和菓子は洋菓子と違って比較的ヘルシーだ。
甘いものばかりでもないし、種類も結構豊富。
クッキーやケーキが嫌いなわけではないが、和菓子を食べれるようになってからは、シリンは和菓子を好んで食べている。

「食べたいならば、屋敷にあるから今度来る?」
「僕が君に会いに行けば変な噂がたつだろ?」
「別に正面から来なければいいんだって」
「そんな失礼なこと出来るか」

(あ、意外と常識人だ)

クルスがひょこひょこ窓から乱入してくるので、クオンも気にしないものかと思っていたがそうでもないようだ。
確かにシリンとクオンは今日で会うのが2回目だ。
普通ならば、相手の事をよく知りもしないのに窓から侵入などできるはずもない。
初めて会って、3回目の対面の時からは窓から侵入してきたクルスは例外とすべきだろう。

「どうでもいいが、その菓子はどこから持ってくるんだ?ティッシに朱里の菓子はないぞ」
「内緒」
「密輸か?」
「さあ、どうだろ?朱里から持ってきてるわけじゃないから」

”日本”で作ったのを持ってきているので、密輸ではないだろう。
ならばどうやってと聞かれると、詳しくは説明できない。
美味しいものが食べられならばそれでいいとシリンは思う。
シリンがちゃんと答えないと分かったのか、クオンはそれ以上は聞いてこない。

「まあ、いい。機会があったら食べにいくから用意しておけよ」
「来てくれるの?」
「他国の食文化を知るのは悪い事じゃないからな」

ほんのりと顔を赤くしながら目をそらすクオン。
照れているのだろう。
和菓子が美味しいと言うシリンに気を遣ってくれたのかは分からないが、楽しく美味しく食べれることができればなによりだ。
甲斐とクルスとシリンでのお茶の時間に、いつかクオンが混じる事もあるのかもしれない。
シリンはそう思ったのだった。


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