WOT -second- 16.5



ここティッシに存在する公的な学校はたった一つ。
貴族院の中にあり、才能ある者だけが通う事が出来るティッシ学院だけである。
城下町に下れば、気まぐれな貴族が教師を雇い教室を開いている事もあり、才能がなければ決して勉強が出来ない訳ではないが、学院に入れなければティッシ国内で出世は無理だろうと言われている程に、学院の教育のレベルは高い。
貴族達は生まれた時の法力で学院への強制入学が決まり、ほとんど貴族は学院に通う事になる。
それは王族とて例外ではない。
6歳から入学、最長で17歳までの11年間だが、優秀な者は飛び級制度を使い、3年足らずで卒業してしまう事もある。
3年足らずで卒業した最高記録保持者は、現在の第二王位継承者であるクルス・ティッシである。
そのクルスに次ぐだろうと言われている存在は、名門フィリアリナ家長子であるセルド・フィリアリナだ。


セルドは優秀だ。
故に、いやだからこそと言うべきか、さりげなく声をかけられるような存在ではなかった。
本人に人を寄せ付けないオーラがあるわけではないが、彼に声をかけるのは、彼に釣り合うだろうと周囲が認める身分のものくらいだった。

「セルド」

気軽にセルドに声をかける1人の少年。
セルドはその声に顔を上げて、ふっと小さく笑みを浮かべる。

「クオン殿下。今日の講義は終わりました?」
「とりあえずはな。昨日は母上の用に付き合ったから、課題を出されたけどな」
「クオン殿下ならば課題くらい平気でしょうに」
「平気は平気だが、すでに分かっている課題をやってもなぁ…と僕は思うんだ」

並んで歩き始めるクオンとセルド。
このティッシの第一王位継承者であるクオン・ティッシがセルドを気に入っている事は、この学院に通っている者の殆どが知っている事だ。

「セルド、いい加減その丁寧な話し方はやめないか?」
「クオン殿下は、皇子殿下ですから。これでも砕けた話し方をしているんですよ」
「頑固だな。シリンはあっさりと口調変えたのにな」
「シリン?」

溜息をついているクオンに、セルドの方は少し驚きの表情を浮かべた。
この学院内でその名を口にする人は少ない、セルドの双子の妹の名。
生れながらの法力の少なさ故、シリンは学院への入学を認められなかった。
それを哀れと思われ哂う者や、形だけの同情を寄せる者がいる。
知ってはいるものの、セルドに出来るのはそんな人たちを睨むことくらいだ。
今セルドの隣にいるクオンも、彼らと同じとは言わずとも、シリンの存在を快く思っていたわけではない事を、セルドは知っている。

”力ないものが傍にいることは、いつかその者を危険にさらすことになるんだ”

クオンが少し寂しそうにそう言ったのをセルドは聞いた事がある。
だから、クオンがシリンをあまり良く思っていないのは悲しい事だが、仕方のない事だと思っていた。
いつか、シリンの事を分かってもらえればそれでいいと考えていたのだ。

「あれから、シリンに会ったのですか?」
「昨日な。母上がシリンに会いたいとお茶会に招待したのは知っているか?」
「はい、シリンから聞きました」
「その送り迎えをしただけだ」

シリンと一体何を話したのだろう。
セルドはそれが気になる。
1日話をしただけで、シリンへの態度がそんなに変わるものだろうか。

「セルドとは普通に話をしているぞ、と言って丁寧語を改めさせたんだ」
「クオン殿下…」
「だから、シリンにもし聞かれることがあったら、話をあわせろよ?」
「構いませんが、何があったんです?」

シリンに年の近い親しい相手が出来るのは、セルドとしては歓迎すべき所だ。
だが、気になる事がある。
どうして、あのどうしようもなく可愛い妹は、こうして国の中枢に関わる人ばかりを魅了していくのだろうか。

「セルドはシリンが法術を使える事は知っているか?」
「それは、僕とシリンが一緒に学んだ初級法術、ということではないですね」

シリンとセルドは、幼い頃一緒に法術の基礎と呼べるものを学んだ。
法力のコントロールと、初級法術の使い方と実践。
初級の法術は、明かりを灯したり、小さな風を起こしたり、コップ一杯程度の水を呼んだりする程度のもの。
それを、使えるのを知っているかとはわざわざ聞いてこないだろう。

「クルス殿下から、シリンは法術の才能があるという事は聞いた事がありますが、実際シリンがどれほど法術使えるのかは知りません」
「知らないのか?」
「という事になっていますね」
「セルド?」

セルドはくすりっと笑う。
シリンからは何も聞いていないし、敬愛するクルスも詳しい事は何も言ってくれなかった。
だが、セルドはなんとなくだが気づいている。

「シリンの使える法術がどの程度なのか、どういうものなのか、詳しくは知らないんです。けれど、シリンは僕と一緒に習った初級法術しか使えないわけじゃないことは、知っています」
「気づいているのならば、どうして知らないふりをしているんだ?」

気にならないのだろうか、とクオンは思う。
セルドは妹のシリンをとても大切に思っている。
だらこそ、シリンの事が気にならないはずはない。

「シリンから話してくれるのを待っているんです」
「何でだ?」
「だって、やっぱり本人の口から聞きたいじゃないですか。もしかしたら、簡単に口に出来ない事情があるのかもしれませんが、僕はシリンから直接聞きたいんです」

クルスはシリンの事情に関してセルドよりも多少詳しいだろう事を、セルドは知っている。
ティッシ軍がシュリへ攻め入ろうとした時、シリンは自力でシュリを抜け出してきた。
その時使っていた法術は、シリンの法力では使えない筈のもの。
それを誤魔化す役を引き受けたのはクルスだった。

「クオン殿下が、シリンへの印象が変わったのは、シリンが法術を使える事を知ったからですか?」

力の強い者や優秀な者を好むクオン。
クオンの身分を考えれば、力なき者をそばに置く危険性というのは理解できる。
だからこそ、シリンをあまり良く思っていなかった事も分かっている。

「理由の1つはそれだ。僕はやっぱり力ない者を傍に置く事はできないし、仲良くするつもりもない。危険は最小限でありたい」

護りきることができないから、最初から傍に置かない。
クオンはそういう考え方だ。
それも確かに一つの方法だろう。

「けど、何と言うか…、あれだな。話してみて思ったんだが、シリンは自然だな」
「自然、ですか?」
「遠慮がないというかなんというか、一緒に話をして心地よいと思った」

シリンのあの天才的な法術は何よりの武器だろうが、本当のシリンの良さというのは身分にこだわらないという所だ。
こんな貴族の中で育てば、自分の身分にプライド持ち、上目線で物事を考えるのが普通になってきてしまいがちだ。
フィリアリナではそういう教育はしていないからかもしれないが、シリンは身分の垣根というものを感じさせない。

「僕の自慢の妹ですから。けれど、渡しませんよ?」
「大丈夫だ。そんな恐ろしい事できるか」
「恐ろしいですか?」
「セルドとクルス兄上を敵にまわすようようなものだ」

セルドは誰よりも妹であるシリンを大切に思っている。
それは幼いころから、シリンがセルドを支えてきてくれたからだろう。
クルスもシリンに救われた。
だから、誰よりもシリンを優先する。

「シリンがシュリに浚われた時のクルス兄上の様子を知ってるか?」
「知っています、あれはかなり怖かったですね」
「だろう?それに、シリンを査問するとか言いだしたラングリード卿に対して、笑顔で”貴様らの無能を棚に上げて何を言う”というニュアンスの言葉を投げつけたらしいしな」
「それは当然ラングリード卿が悪いですね」
「…当然になるのか」

シリンが朱里から”逃げ出して”すぐに張られた朱里の結界。
逃げ出してきたシリンに傷はひとつもなく、朱里の衣装らしきものを着ていて、ティッシに戻って早々に倒れた。
普通に考えれば、精神的に参ってしまって倒れてしまったかわいそうな姫君という所だろうが、ラングリード卿というのはフィリアリナ家が昔から気に入らない様子だったので、つついてきただけだろう。
そこを予想外の相手、クルスに叩きのめされたのは少し可哀そうだったとクオンは思っていたのだ。

「セルドはシリンの為に飛び級してるようなものだから、そんなものか」
「何の事ですか?」
「とぼけるな。飛び級までして、シリンを悪し様に言った奴らを叩きのめしているだろう?」
「純粋によりレベルの高い事を学びたかったから飛び級をしただけですよ」
「セルドが飛び級してトップの成績をとった教科だが、今までその教科のトップクラスだったやつらが皆シリンの事を見下していたような連中だったばかり、というのは偶然か?」
「偶然ですよ、クオン殿下」

にこりっと平然と偶然と言ってのけるセルド。
セルドをよく知る者は、それが偶然であるとは決して思っていない。
誰よりも妹を大切にしている事を知っている者ならば、決して目立つ事を好むわけではないセルドが目立つような飛び級などをしたのは、シリンのためである事が分かるだろう。

「妹馬鹿と言われた事はないか?」
「何度もあります」
「自覚はしているのか?」
「だって、シリンは可愛いですから仕方ないじゃないですか」
「可愛い…」
「不満そうですね、クオン殿下。シリンは可愛いですよ。美味しいお茶菓子を食べている時の笑顔なんてそれこそ、つられて笑みを浮かべたくなるほどに可愛いです」

可愛い、可愛い言うセルドだが、クオンのシリンへの印象に”可愛い”はない。
最初は無知なお姫様だったのが、先日の法術の1件で”格好いい”に変わっている。
少女に対して使うような表現ではないかもしれないが、クオンの目にはシリンは、凛々しくて格好いいと映るのである。

「1度シリンとお茶でもしてみれば分かりますよ。楽しくて病みつきになります」

自信満々のセルド。
決して気まずいお茶会になる事はないだろうし、普通の貴族の令嬢たちのお茶会に参加するくらいならば、シリンとお茶をした方が楽しいだろうとは思える。

「そうだな、機会があればな」

話に聞く貴族のご令嬢のお茶会とは違うものになるだろう。
シリンともう一度話をしてみたい。
クオンは自然とそう思えたのだった。


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