WORLD OF TRUTH 29.5
フィリアリナの屋敷の庭にある小さな”桜”の木。
その木には桃色の花がいくつか咲いている。
それをのんびりと、シリンと甲斐は見ていた。
甲斐は午後から王宮へ”仕事”に行かなければならないので、のんびり出来る時間は限られている。
「お茶でもしようか?」
「え…、お茶って言ったらアレだろ?」
「甲斐は紅茶苦手みたいだね」
「一応王宮で出されれば義理程度に口にはつけるけど、味がなぁ…」
思い出したのか顔を顰める甲斐に、シリンは思わずくすくすと笑ってしまう。
「大丈夫、桜に頼んで緑茶を手に入れたから。今日はそれにしよう」
「マジか?!」
「お茶うけにお煎餅とかもあるし」
「センベイあるのか?!……けど、シリン。桜ってエーアイのことだよな?いくらエーアイに頼んだからって言ってもどうやったんだよ」
「どうやって手に入れたのかは、桜しか知らないから」
本当は知っていたがシリンの言葉に、甲斐が少し首を傾げるのが分かった。
桜のその姿は立体映像なので、ものを食べないし飲まない。
甲斐はそれを知っているので不思議なのだろう。
(お茶の葉とか、お茶うけの材料は”日本”にあったものを使っているらしいんだよね)
朱里からこっそり盗んだものでは決してない。
日本は沈んでしまってはいるが、高度のある土地は完全に沈まずに残っている。
かつて日本があった場所には小島が点々とあるだけだ。
それでも、日は当たるので植物は育つ。
桜はそういう所から拝借して、あとは自分の本体がある場所で作り方を引き出し、作っているらしい。
「私も一緒にいいかな?」
突然の背後からの別の声に、シリンは驚きもせずに振り返る。
大きくため息をつきながら、にっこりと笑みを浮かべている相手を見る。
「クルス殿下…」
「やっと時間ができたから来てみたんだ、シリン姫。それに…」
クルスはシリンの隣に立つ甲斐にすっと視線を向ける。
甲斐もクルスを睨むように見る。
クルスの方は笑みを浮かべたまま、決して目は笑っていないのがすごく良く分かる。
(そう言えば、この2人って初対面じゃないけど、多分仲良くないよね)
1年程前は、捕えられていた者と捕えていた者の関係だった。
あの時甲斐はあまり気にしていないようにしていたが、実際はどうだろう。
クルスを睨んでいるという事は良く思っていないという事なのだろうし、クルスも決して目が笑っていないので甲斐に対して警戒心はあるのか。
「カイ・シドウがシリン姫に乱暴とかしていないかを確認しに、ね」
ぴくりっと甲斐が反応する。
「ティッシの王弟殿下ってのは随分と偏見持ってるんだな。イディスセラ族すべてが乱暴者だとでも言いたいのかよ?」
「いや、さすがの私もそこまでの先入観はないよ。ただ、君には前科があるからね」
「そうだな、それは認める。けど、人間ってのは変わるもんだぜ?クルス殿下?」
「頑固なまでに変わらない人間というものもいるけれどね」
「そういう人間も確かにいるな。生憎とオレはそんな人間じゃねぇよ」
「けれど、君が何かがあって1年前と変わったという保証なんてどこにもないよ」
シリンはため息をつきながら、口を挟む隙がなさそうな2人の言い合いを見ている。
やっぱり仲は良くないらしい。
しかし、冷静に淡々と話すクルスに対し、甲斐の方はだんだんと感情をあらわにしてきている。
性格の違いだから仕方ないだろうが、同じ年齢というのに随分と違うものだと思ってしまう。
(て、のんびり見てる場合じゃない…かも?)
段々と雰囲気が険悪になってきている。
「お前には1年前の借りを返さなきゃならねぇって思ってたんだよな」
「へぇ、面白い。法力が封じられた状態で何をするつもりなのか知りたいね」
「法力なんて必要ねぇよ!」
「それについては同感だね。君ごときに法力を使うなんて勿体ないよ」
甲斐が拳を構え、クルスも同様に構える。
法力なしの殴り合いでもする気なのだろうか、このフィリアリナの屋敷の庭で。
笑顔で談話して欲しいとまでは思わないが騒動は困るな、と思いながらシリンは大きなため息をつき、すいっと指を一本立てる。
「母なる大地の力にて、風の戒めを与えよ」
双方が攻撃を仕掛けようとした瞬間、ひゅぅっと風が吹きその風が彼らを戒める。
「なっ…?!」
「っ?!」
甲斐のクルスに仕掛けようとしていた拳はぴたりっと止まり、クルスの動きも風によって封じられる。
2人の足元には小さな法術陣、シリンが簡単な風の法術で2人の動きを封じたのだ。
勿論簡単な戒めの法術なので、解こうと思えばすぐに解ける程度のもの。
それでも、彼らを止めるには十分なものだ。
「お茶しながらゆっくり”話”をしようね、2人共」
にこりっと少しばかりひきつった笑みを浮かべているシリン。
甲斐とクルスは、風で戒められた体勢のまま”しまった”という表情をしたのだった。
ここはフィリアリナの屋敷。
甲斐はともかく、クルスまでもそれを気にせず騒動を起こそうとしたのは珍しいものである。
*
シリンの部屋のバルコニーはとても大きい。
椅子とテーブルを1セット置いても余裕があるほどだ。
天気のいい日は、このバルコニーでのんびりと読書をするのがシリンの楽しみの1つだ。
そのバルコニーのテーブルの上に今置かれているのは、ティーカップに入った緑茶と皿の上にのせられたお煎餅。
「シリン姫、このお茶は何だい?」
「これは朱里のお茶で緑茶ですよ。甘味がないのでクルス殿下には馴染みがないかもしれませんが、私は好きなんです」
「朱里のお茶ね」
透きとおった緑色のお茶を眺めながら、クルスは一口それを含む。
表情は変わらなかったが、不味いものだとは思わなかったようだ。
「本当に緑茶だな。けど、ティーカップにってのは妙な気分だ」
「甲斐とお茶する事は多いし、今度湯呑みでも置いておこうか」
「あるのか?湯呑み」
「どうだろう?桜に頼めば作る事もできるし、父様に頼めば職人さん紹介してくれると思うし」
朱里の文化を取り入れる事、それに対して父は反対しないはずだ。
そして桜ならば、湯呑みの作り方は知っているだろうし材料とかも普通に集めてきて作れそうな気がする。
「シリンって普通に朱里の文化受け入れるんだな」
「だって、緑茶は好きだし、お茶菓子も好きだから」
「菓子類なんかは抵抗ないかもしれないが、結構独特なモノもあるぞ?」
「例えば?」
「そうだな…、寿司とかか?生魚食べるなんて習慣ティッシにはないだろ」
そう言えば、とシリンは今までの食事を思い出す。
どちらかと言えば洋食を主としているティッシの文化。
地理的には昔のロシア、中国あたりの場所にあたるのだが、文化は思いっきり西洋風なのである為、日本独特の食事は勿論出てこない。
(そう思うと和食が食べたくなってくるかも)
白いご飯にお味噌汁、焼き魚に漬物。
甲斐が言ったように寿司も美味しそうだ。
「シリン姫は、カイには普通に話すんだね」
「へ?」
突然の言葉にきょとんっとするシリン。
普通にと言われても、シリンは甲斐に対しての話し方は最初からこうである。
「私にはいつまでたってもその丁寧な口調が抜けないのにね」
「そうは言いましても、クルス殿下は王弟殿下ですからティッシの国民の1人である以上は敬意を払うのが当然だと…」
「けれど、なんか嫌だな」
「嫌って…」
(んな子供みたいな我儘…って、そういえばクルス殿下はそういう人だった)
普段は大人に対して一歩も引けを取らないようだろうに、シリンと話をするクルスはどこか子供っぽい所がある。
「その言葉遣いは直せない?だって、シリン姫と私とカイ、3人がいる状況でシリン姫が私1人に丁寧な言葉遣いじゃ話しにくくないかい?」
「それはそうですけどね」
確かに話しにくいだろう。
だが、それは3人で会う事がまたあれば、の話だ。
「ちょっと待て。それって、お前がシリンの所にこれからちょくちょく来るって意味か?」
「そうか、君は知らないんだね。私とシリン姫はよくこうしてお茶をしているんだよ。1年も前からね」
「1年前?」
「その件では君に少し感謝すべきかな?何しろ私がシリン姫に興味を持った切欠は、君が脱獄できたからなんだしね」
「脱獄…てことは、シリン?!」
慌てたように甲斐がシリンを見る。
シリンは小さくため息をつきながらこくりっと頷く。
「うん、甲斐の脱獄の手助けしたのバレてる。他の人には言っていないみたいだけどね」
「あの時は確証がなかったから言えなかったけどね、誰にも言わなくて正解だったと今は思っているよ」
甲斐はシリンに脱獄の手伝いをしてもらった事をすごく気にしているようだ。
シリンもクルスもそれについては過ぎたことなので全く気にしていない。
クルスはシリンが手を貸した事を言うはずもなく、シリンもクルスがそんな事は言わないだろうと思っている。
「その時からその丁寧な言葉はやめてほしいって思っているんだけどな、シリン姫」
「う〜ん、そうですね」
年長者だからという言い訳は使えない。
シリンにとって一応甲斐も年長者であるのに、甲斐には普通に話しているから。
渋る理由はないのだが、ただ公の場で気をつけなければならないというのがある。
ついうっかりをしてしまいそうなので、できれば丁寧語対応で癖付けたいという事もある。
「公の場では勿論無理、こういう私的な場所…と言っても両親やセルド兄様の前でも無理だけど、それでいいなら」
「うん、それだけでも構わないよ」
ものすごく嬉しそうな笑みを浮かべるクルス。
「シリン。それって、やっぱりこれからも3人でお茶する機会があるってことか?」
「まぁ、クルス殿下がまたちょくちょく来るようになるだろうってことは分かってたし、私は甲斐と一緒にお茶するの楽しいし」
ね?とシリンはにこりっと笑う。
一瞬甲斐は詰まるが、すぐに小さなため息をついた。
「色々あって2人共仲良くって難しい事だとは思うけど、ここでは喧嘩しないで欲しいかな」
”色々”という一言だけでは片づけられない関係が、甲斐とクルスの間にはあるのだと思う。
仲良くしろとはシリンには言えない。
シリンだって、クルス・ティッシという人間を知らない段階ではクルスの事があまり好きではないと思っていたのだから。
それでも、少しずつ仲良くしていけたらいいな、と思ったのだ。
クルス・ティッシと紫藤甲斐。
実はこの2人、普段仲はあまり良くないのだが、ある1点においては互いに協力的になり意見が合う。
それをシリンが知るのは、もう少し後の事になる。
今、それを知っているのは、シリンの父であるグレンだけだろう。
Top