WORLD OF TRUTH 23
ゆっくりと意識が覚醒する。
覚えているのは生まれて初めて大きな法力を制御しながら、転移法術を使ったこと。
無事に転移先に出たまでは覚えていたが、その先の記憶がない。
ぼやっとしながら目を開き、シリンの目に入ったのは見慣れた天井だった。
(あれ?ここって私の部屋)
フィリアリナの屋敷の自分の部屋だと分かった瞬間、ぱちりっと目がはっきり覚める。
身体を起こそうとするが身体に力が入らない。
(やっぱり…。”昴”の法力根こそぎ奪い取って制御したから、身体にかなり負担がかかるのは覚悟していたんだけど)
イディスセラ族である昴の持つ法力はかなり巨大だ。
カイと同等であると考えて、あれだけの強力は法術をぽんぽんつかってカイはけろっとしていたのだから、根こそぎ奪い取った法力の大きさはかなりのものだろう。
ぐっと何とか身体に力を入れて起き上がろうとするが、やはり無理なようだ。
(…て、ん?なんか重いものがのっかっているような…)
ベッドの上を確認してみれば、シリンの丁度お腹のあたりに亜麻色のふんわりとした髪の頭が乗っかっている。
(何でクルス殿下が…?)
何故シリンのベッドに頭を乗っけている状態なのだろう。
シュリと停戦状態にあるだろうとしても、今後の対処も考えなければならないだろうし、忙しいだろうに。
この状態のシリンから見えるのは後頭部なので、クルスがどんな表情をしているのか分からない。
寝ているのか、それとも起きているのか。
起きているのならば頭をのけて、起き上がる手伝いをして欲しい。
転移が”全て”成功したのかを知りたいシリンとしては、寝転がっているだけでは今どうなっているかが気になって仕方がない。
あの時、桜は強力な結界を元々結界を張っていた場所まで広げるつもりだった。
シリンも最初の予定ではそうしてもらうつもりだったし、現在結界はそうなっているだろう。
セルドとクルス、そしてグレンを転移させればいいと思っていたのだが、カイの法術で中途半端に吹き飛ばされたティッシ軍人がいることに途中で気付いたのだ。
当初の予定の桜の結界強度ならば巻き込まれてもはじかれるだけで危険はなかったはずなのだ。
だが、桜が最初から強固な結界を張ることで結界内にいる人を避難させる必要性が出てきた。
結界範囲内を簡易探査、人と思われる生命反応全てに転移法術を発動。
そんなことをすれば、元々高位法術を使う身体ではないシリンに負担がかかるのは当然。
(なんにしても…)
シリンはクルスを見る。
「無事でなにより、…です」
クルスが無事ならばセルドもグレンも無事でいるのだろう。
ティッシ軍人の事も気になるが、3人が無事でいるのがシリンにとって一番嬉しい。
「なにより、…じゃないよ、シリン姫」
「へ?」
ゆっくりとクルスが顔を上げる。
ふっと顔を少し歪めて泣きそうな表情でシリンを見ながら、シリンの頬に手を添える。
シリンの体温を感じてどこかほっとした表情になるクルス。
「イディスセラ族に浚われた時もとても心配した」
「はい」
「けれど…、君が無茶して倒れた時の方がもっと心配したよ」
「すみません」
苦笑するシリンに、クルスはむっとしながらがばっと覆いかぶさってくる。
「ちょ…、クルス殿下?!」
身体に力が入らないシリンにとって、今のしかかられるのはかなり困る。
だが、思った以上に重みを感じない事に気付く。
のしかかれたと思ったが、クルスはシリンに体重をかけているわけではなく、ただ覆いかぶさっているだけのようだ。
クルスの顔はシリンの肩にうずめられ、ふんわりとしたクルスの亜麻色の髪がシリンの頬にかかる。
「もう、目を開けないんじゃないかって…思った」
クルスの声が少しだけ震えている。
「それはちょっと大げさですよ」
シリンはなんとか右手を動かし、クルスの頭にぽんっと置く。
優しく頭を撫でれば、クルスが力を抜いてきたのかクルスの体重がのしかかってくる。
のしかかってくる重さに自分の右手を出したことにちょっと後悔したが、仕方ないだろう。
恐らく今回はシリンが悪いのだ。
「無茶と言ってもちょっと倒れるくらいで済むって分かっていましたし、死ぬことはないだろうって確信していましたから」
自分を犠牲にして大切な人が助かるならばいいという考え方はシリンにはない。
多少無理をしてしまったが、寝ていれば回復する程度のものだと分かっていたし、あの場で自分が何もしないのは性にも合わない。
だから、自分で出来る限りの事をしたまでだ。
「それは、5日間も寝込むことが分かっていたということかい?」
ほんの少しクルスの声が低くなる。
(ということは、ティッシ国内に転移して5日間が経っているんだ)
最低でも3日間は覚悟していたシリンにとって、5日間は予想範囲内だ。
元々高位法術の発動には慣れていない事に加えて、他人の法力を使ったことで身体はかなりの休息を欲するだろうことは分かっていた。
「…えっと、まぁ、そうですね」
誤魔化してもきっと信じてくれないだろう。
なによりも、シリンはクルスを騙しきる自信はない。
法力理論ならばこの国の誰よりも詳しい自信があるが、頭の回転ではクルスには及ばないことは分かっているのだ。
シリンの返答が気に入らなかったのか、のしかかっているだけでなくぎゅっと抱きしめて…というより力の入れ方が締め付けてきたと表現したほうがいいかもしれない。
「いっ…、ちょ、い、痛いです、クルス殿下」
「ずるいよ、シリン姫は」
「……はい?」
重いし痛いのが一瞬分からなくなるくらい呆けるシリン。
何がずるいと言うのか。
「誰にも何にも言わずに、自分で全部決めちゃうんだね」
「クルス殿下?」
少しだけクルスが力を緩めてくれる。
「君がイディスセラ族に浚われて、私は何をしても君を助けようって思ってた。シュリで君がどんな酷い扱いを受けるか分からない、彼らが何も知らない君に何をするのかも分からない。それなのに…」
シリンは気まずそうに、視線をクルスの頭がある方とは反対側に向ける。
心配されていたのは今なら分かる。
シュリに浚われた頃はそんなことなど考えずに、自分は思いっきりあそこでの暮らしを楽しんでいた。
(う、後ろめたい…)
実は破格の待遇で、懐かしい気分に浸っていましたとは言えない。
「君は私達が助けるどころか、逆に私達が助けられてしまった」
助けたという気持ちはシリンにはない。
元々あの結界はシリンが頼んだものであって、シュリの攻撃でも指示でもないのだから。
「君に頼られないのはとても寂しいけど…、今こうして無事でいてくれることがなにより嬉しいよ、シリン姫」
心の底からそう思っているのが分かる言葉。
「私も、クルス殿下達が無事で嬉しいですよ」
「私としては、その”達”の中に一体誰が入っているのか少し気になるけれどね」
反射的に顔が引きつりそうになるシリン。
シリンのクルス殿下”達”の中には、カイと愛理も入っている。
やはり鋭いクルスにはその辺りが分かってしまうのだろうか。
「起き上がれそうかい?シリン姫」
「クルス殿下がどいてくれれば」
クルスはくすくすっと笑いながら自分の身体を起こす。
シリンは身体に力を入れてゆっくりとだが、上半身のみを起こそうとするが、ひょいっとクルスに身体を起こされてしまう。
「何をしたのか分からないけれど、まだ回復しきっていないようだね」
「ありがとうございます」
シリンの背中にクッションをいくつかつめて、寄りかかるようにしてくれる。
ぽすんっとクッションに寄りかかり息をつくシリン。
身体を起き上がらせるだけでも大変なくらい、まだ体力が回復していないようだ。
「何をしたのか説明できそうかい?」
「やっぱり説明しなきゃ駄目ですか?」
「そうだね」
法力の少ないシリンがシュリから自力で脱出できる可能性は低いと見られるだろう。
そのシリンが自分でこちらに戻ってきただけでなく、法術を使った所をクルスとセルド、そしてグレンには見られている。
「シリン姫がどうやって戻ってきたのか、そして結界範囲内にいたティッシ軍が転移した理由。それも知っているね」
「疑問系じゃなくて確定ですか」
普通ならばシリンがやったと考えることはないだろう。
だが、あの場にいた3人の中でクルスだけはシリンが法術理論を理解し、オリジナルの法術を作り上げることが出来る事を知っている。
だから、シリンがやったのだと考えたのだろう。
「私には、あの場であんなことが出来るのはシリン姫くらいしか心当たりがないからね」
「私の内包する法力は少なくて、あんな高度な法術は普通使えませんよ?」
「そうだね。けれど、私の知るシリン姫ならそんな常識も関係なく出来てしまいそうに思えるんだ」
どれだけ違うと言い張っても、クルスは信じないだろう。
シリンは小さくため息をつく。
「全部話す必要なんてないよ、シリン姫。私が知りたいのはシリン姫がどうやってシュリから出てくることができたのか、ティッシ軍がどうして転移してきたのか。ちゃんと説明してくれれば、他の人を誤魔化すのはやってあげる」
「え…?」
「浚われたシリン姫が戻ってこれた理由、やっぱりどうあっても政務官の老人達は問い詰めようとするだろうからね。そのあたりは、私が誤魔化してあげるよ。勿論、セルドとグレンもね」
政務官はこのティッシの政を行う高官の事である。
軍務と政治を兼任している者もいるが、政のみを行う者もいるのだ。
法力を扱える軍人だけでは国は治められない。
敵国であったはずのシュリからあっさり戻ってきたシリンだが、何か取引をして戻ってきたのかもしれないと疑う者もいるだろう。
幼い少女に何ができると思う者が多数だろうが、名門であるフィリアリナ家をこれを期に貶めたいと思う者がいるはずだ。
「けれど、それじゃあクルス殿下に迷惑がかかりませんか?」
「大丈夫だよ」
にこりっと優しい笑みを浮かべるクルス。
「シリン姫は自分の能力を随分と過小評価しているよね」
「そう…ですか?」
「うん。だから、君の能力が正当な評価をされて、政治に利用されるのが私は嫌なんだよ」
シリンは法術理論を理解しているからこそオリジナルの法術を組み上げる事が出来る。
そしてその場でとっさに新しい法術へと組み替えることも出来るのではないかとクルスは思っている。
実際”出来るのではないか”ではなくシリンがそれをやって見せたからこそ今シュリが無事な状況としてあるのだが。
「君が利用されるのだけは絶対に嫌だから、私が周りをなんとかするよ。だから、話してくれるかな?」
シリンが政治の道具とされることになれば、今までのようにはいかない。
利用されるのが嫌だという気持ちは本当だろうが、何よりも今までのようにシリンに会えなくなるのがクルスは嫌なのだろう。
幸いシリンが法術を使ったのを見たのは、シリンの身内であるセルドとグレン。
そしてシリンがティッシ軍を転移させた法術を使ったと思ったのは、ティッシ軍の中ではクルスのみ。
周囲の説得はそう難しくはないだろう。
(桜とカイと愛理の事とかを省けば大丈夫かな?クルス殿下は私がオリジナル法術を組み上げる事を知っているから別に構わないし)
シリンは頭の中で簡単に整理してから話し始める。
まだ自分でも分かっていない部分もあるが、それはきっと後でわかる事だろう。
なぜかそう感じていたのだった。
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