WORLD OF TRUTH 22.5
朱里を覆うように大きな虹色の結界が広がる。
それはこの星の奥底に眠る、桜という人ではない存在が引き出せる法力を使った結界。
恐らく人の身ではこれほどまでに強力で強大な結界を張ることはできないだろう。
きんっと安定するような音ともに、結界の広がりが止まる。
そして、訪れたのは静寂。
『これでひとまず安心じゃろうて』
最初に言葉を発したのは桜。
甲斐と愛理は状況が分からず、桜が結界を張るのを眺めていたようなもの。
昴はと言えば、シリンに法力をかなり吸い取られてしまった為、動けずに地面に座り込んだままである。
『エーアイ、結界…』
『結界を張り終えたから大丈夫じゃろう。当分ティッシに攻め込まれる心配もない。予定通りじゃ』
『予定通りって…!ちょっと待ってくれ!違うだろ?!』
『何がじゃ?』
甲斐が口を出す間もなく、シリンが動き桜が結界を張った。
ティッシ軍を追い払って結界を張る。
確かにそうするつもりだったのだ。
だが、これは甲斐が思っていたやり方と違っていた。
『シリンはどうして空間転移法術なんて使えたんだ?…いや、そうじゃない、エーアイが強力な結界を張れるなら最初から…!』
『妾の本体を開放したのは主、シリン・フィリアリナじゃよ。主がいなければ妾は今のような力はふるえぬ』
『あるじ…、シリンが?』
『そうじゃ』
シリンと桜の会話を側で聞いていたわけではない甲斐は、何がなにやら良く分からないようだ。
愛理も困惑したように桜を見ている。
『甲斐、お主は妾の”本来の力”を使えるようになるには、妾の”問い”に答えねばならぬことは知っているじゃろう?』
『シリンがその問いに対する正確な答えを知っていたってことか?』
『そうじゃな』
『だから、シリンがエーアイの主』
甲斐は複雑な表情で、シリンがいるだろうティッシの方を見る。
ここから見えるのは結界の光だけで、先ほどまでいたティッシ軍数名の姿も何もない。
残っているのは破壊されかけた朱里の町並み。
『甲斐』
『分かってる。報告しなきゃならないんだろ』
『紫藤、柊、春山が納得してくれれば良いがの』
甲斐は盛大に顔を顰める。
だが、すぐに小さくため息をつき、城の方へと目を向ける。
壊れた町の片付けと再建、そして町の人たちへの説明と…。
『起こっちゃったことは変えようがないんだから、大丈夫だよ、お兄ちゃん』
『愛理…』
『それより、城に行くんだよね?昴はどうする?』
甲斐と愛理、桜の視線が座り込んだままの昴へと向く。
昴はぎっと睨んでくるが、起き上がれるようではない。
桜は知っているが、あれだけシリンに遠慮なく法力を奪い取られたのだ、肉体への影響もかなりあるだろう。
『全て自業自得じゃ、放っておけばそのうち静香あたりが回収してくれるじゃろうて』
『え、いいのか…?』
『エーアイが言うんだからいいんだよ、お兄ちゃん』
愛理が甲斐の手をぐいっと引っ張り出す。
甲斐が昴の方をちらっと見れば、昴は先に行けとばかりに睨んでくる。
『ねぇ、エーアイ。ひとつだけ聞いてもいい?』
『なんじゃ?』
甲斐の手をひっぱり歩きながら愛理は桜を見る。
『シリンって、もしかして逃げようと思えば最初から逃げることができてた?』
昴の法力を奪い取ったまでは愛理には分からないだろうが、空間転移法術を使うのを実際目で見たのだ。
シリンの持つ法力が小さいことは分かっている。
カイが愛理の知らない見たこともない威力の法術を放てるようにしたのはシリンである。
そんなことができたのだから、持つ法力が少なくてもどうにかする方法をシリンは知っているのかもしれないと愛理は思ったのだ。
『そうじゃの。主…シリンが愛理に構わずどんなことをしても逃げようとすれば、朱里から脱出することはできたじゃろうな』
愛理の法力を奪い、または自然の法力を使い、そして法術を使うことがシリンにはできた。
それをしなかったのがどうしてなのか。
それは桜にも明確なことは言えないが、シリンが”日本”を知っている事をから察するに、懐かしいと感じたのと、待遇が良かったからなのではないかと思っている。
『そっか。うん、それならいいや』
『良いのかえ?』
『うん』
愛理が何を考えてそんなことを聞いてきたのか、それは愛理に本人にしか分からない。
甲斐は愛理と同じことを聞きたかったのかは分からないが、桜の答えにどこかほっとした表情を浮かべた。
逃げようと思えば逃げられたのにそうしなかったのは、朱里の人たちを信用してくれたのだと、愛理と甲斐は思っていたいと感じた。
*
朱里にティッシのような統治体制はないものの、権力を持つ家系というものがある。
朱里の人口は少なく、大規模な統治体制を取らずともまとめることができる規模なのである。
住民の意思を確認し、統率する家が3つ。
紫藤、柊、春山であり、朱里の者は御三家と呼ぶ。
彼らの祖が朱里を再建した要となる人物であった為、この3つの家がまとめる立場にあるのだ。
『エーアイ殿が結界を張ってくれたのか』
朱里の城の上階にある比較的広い一室で、彼らは集まっていた。
彼らと言っても、集まった人数は十名程しかいない。
口を開いたのは一番年長と思われる老人、彼は柊の者であり、この中では一番の年長者戸いうことでその発言力は大きい。
『して、エーアイ殿の主となれたのはどちらだ?』
老人、柊が甲斐と愛理を見る。
甲斐と愛理はこの場では年齢的に幼い方であり、集まる視線に居心地悪そうに視線をそらす。
朱里御三家の1つ”紫藤”の名を名乗る甲斐と愛理ではあるが、年齢ゆえに上層部が集まる会合に参加することはまれだった。
『それは妾が話したほうがよいかの?』
甲斐のすぐ側に座っている桜がにこりっと笑みを浮かべる。
その姿に甲斐と愛理に向けられた視線が少しだけ和らぐ。
『妾の主は、先日静香が連れてたティッシの姫じゃ』
『ティッシの者…ですか』
朱里の者ではないとの答えに、ざわつく者達が多数。
ティッシと言えば、先ほどまで朱里に攻撃を仕掛けてきた国だ。
戸惑う者がいるのは仕方のないこと。
だが、中には桜を批判するように睨みつける者、直接桜に問いただす者もいた。
『エーアイ殿、ティッシの者を主とするなど…!』
『仕方なかろう。お主らが答えられぬ”答え”を彼女が持っておったのじゃから』
『だからと言って、よりによって外の者など!』
『そうです!朱里の者ならばともかく、外の者ではエーアイ殿の力を悪用されるとも限らぬのですぞ!』
『我ら種族の始祖が与えてくれたエーアイ殿の恩恵を、外の者に渡すことなどあってはならぬのです!』
朱里での桜の立場は護り神のようなものだ。
ただ、その存在は御三家のみに伝えれ、決して人間ではないことだけを彼らは知っている。
彼らの先祖が桜の存在を認め、”護る存在である”と伝えてきた為、彼らはそれをずっと信じて桜に助けられてきた。
桜の本体が海の底にあり、その姿が立体映像であることは誰も知らない。
『シリンは…っ!』
彼らの言葉に甲斐が声を荒げて反論しようとする。
甲斐の声に一瞬彼らの視線が集まり、ぐっと黙りそうになってしまう甲斐。
『シリンは朱里に危害を加えるような子じゃないです!』
ぎゅっと拳を握り締めて、甲斐は彼らを見る。
ティッシに友好的な穏健派とティッシに反発的な過激派の両方が集うこの会合。
ティッシの姫の存在に反発的でなくとも、桜の主となると別なのだろう。
『だがな、甲斐。誰にだって故郷は大切だ。どちらかを選べと言われて、そのティッシの姫が朱里を選ぶ可能性など低かろう?』
柊が諭すように甲斐に語る。
彼らはシリンがどういう子であるかを知らない。
ティッシの姫としてしか知らないから、このような反応しかできないのだ。
『けれど、柊のおじいちゃん。朱里に結界を張るようにエーアイに提案したのはシリンだったんだよ』
『なんと、エーアイ殿の判断でした事ではなかったのか?』
『たまたまシリンがエーアイの主になる”答え”を知っていただけで、シリンは最初からこの朱里を護ろうとしてくれた』
愛理と甲斐は知っている。
たとえ桜の主とならなくても、シリンはシリンなりの方法で今と同じ状態を作り出そうとしてくれていたのだ。
『しかしだな…』
『柊殿。例えそれが本当であるとしても、そのティッシの姫がエーアイ殿の問いの答えを知りえているのは危険です』
『本来のエーアイ殿の力は今の結界を見れば明らか、かなり強大です』
『その姫を始末する必要もあるのではないか?!』
始末という言葉に顔色を変える甲斐と愛理。
『始末とは穏やかではないな、春山殿。どちらにしろ、エーアイ殿の主となった姫の事を知る必要はありそうだ。ということだが、エーアイ殿』
『妾の主は朱里からティッシへ理不尽な攻撃をせぬ限り、朱里には危害を加えぬよ』
妙にはっきりとした桜の言葉に、それを信じる者も何人かはいる。
朱里を護ろうとしていたシリンの想いは本物で、信じられるものだからだ。
浚われた状態で、いくら待遇が良くても普通ならば護ろうなどとは思わない。
だが、シリンがそう思ったのは甲斐と愛理の存在、危害を加えないと言い切れるのは桜の主と成り得た者だから。
『ティッシの姫の事を調査するためにも、わしはティッシへの和平の申し出をすることを提案するが…』
『柊殿!和平など正気ですか!』
荒げた声を上げたのは柊に春山と呼ばれた男。
だんっと床に拳を叩きつけ、柊を睨むように見る。
『我らがこの地に追いやられ、ここまで人口を減らすことになった理由を柊殿とてご存じであろう?!』
『春山殿、今の世代に500年以上も昔のことを責めても仕方なかろう』
『しかし!彼らの私達を見る目はどうです?!期待を込めて了承したイリスとの交易は、我らがイリスの商人の食い物にされているも同然の状況ではありませぬか!』
朱里の者であるイディスセラ族への反応は、恐怖と異物を見るような目、そして拒否。
シリンのような反応はとても珍しいのだ。
クルスのように何も感じず、物もイディスセラ族も同じというように見る者もいる。
『春山殿、お主らがティッシへ攻め入る案を持ち続けるのは、このような状況が続くのが嫌であるからだったはずだが?』
『そうです!確かにエーアイ殿の結界で護られていれば安全でしょう。しかし、こんな閉鎖的な状況が続くのは耐えられない!だから、こちらから仕掛け、こちらに被害をもたらすことなど考えさせなければ良いと私は思っているのです』
閉じこもったままでは何も解決しない。
いつか結界が解けて攻撃されて支配される…絶滅させられるくらいならば、先に打って出ろと春山は言いたいのだ。
ティッシの者達が少しでもイディスセラ族へ好意を向けているそぶりがあれば、彼らもそこまでの強硬手段に出ようとは言い出さないだろう。
しかし、現実のティッシでイディスセラ族への評価は悪いとしか言えない。
『確かにいつまでも結界内で安穏と暮らしているわけにもいかぬ。春山殿の考えが悪いとは言わないが、和平の申し出を試してみてもよいのではないかと思うのだよ』
幸い今の朱里は、ティッシ軍には破られそうもない結界が張られている。
再び攻め入られる心配は当分はないだろう。
『ティッシがこちらの申し出など受けるはずもないでしょう』
『あちらが朱里に手を出す方法も今はない。この状況をあちらもよしと思っていないのならば、反応は返してくるだろう』
『しかし…っ!』
『無論、対等であるように条件はつける。それをあちらが呑めぬと言うのであれば、現状と変わらぬだけだ、春山殿』
目だけで春山の言葉を封じ込める柊。
確かに朱里が和平を申し出たとして、それを断られても朱里にデメリットは殆どない。
あるとすれば、桜の主となったシリンの事を調べることができないと言うことだ。
『エーアイ殿の主となったティッシの姫を放置しておくわけにもいかんだろう。その為の”和平”でもあるのだよ』
『それは、”和平”は表向きであり、実際の目的はティッシ内部の調査の為と解釈してよろしいのですか』
『さてな』
肯定はしないが否定もしない柊。
桜の主となった存在を放置することの危険性は春山だけでなく、桜の存在を知る者ならば誰にでも分かるだろう。
『他に反対意見はあるか』
柊が問えば、しんっと静まり返る室内。
無言の肯定。
了承する返事を言葉に出せないのは、こちらから歩み寄るからか、それとも相手がティッシであるからか。
シリンに害を及ぼさない結果となったようで、甲斐と愛理はほっと息を吐く。
『反対がない為、詳しい内容の検討に移ろうか』
柊は1人1人の顔を確認するように見る。
甲斐はぎゅっと拳を握りしめ、柊を見る。
まだ、この場で甲斐の意見をまともに取り入れてくれる者は少数だろう。
それでも、シリンが悲しむのならば、出来る限りの事を自分もしなければならないと思っている。
シリンは朱里を護ろうとしてくれた。
今度は、甲斐自身が自分の国とティッシの国の良い道を見つける為に、できる限りの事をする番なのかもしれない。
Top