WORLD OF TRUTH 15



攻め入る事が決まったからといって、すぐに進軍するわけではない。
相変わらず忙しそうな屋敷の中をちらりっと見て、シリンは庭へと出る。
両親もセルドも屋敷にはいない。
進軍の準備ということで、忙しいようだ。
父とセルドは恐らく前線、母はさすがに前線には行かないだろうが戦場に出ることはあるだろう。

(父様、母様、セルドだけじゃない、クルス殿下も参加するんだよね)

日が経つにつれて、周囲の雰囲気がピリピリしてくるのをシリンでも感じる。
こんな雰囲気は嫌だと思う。
自分が知る人達が、無事で帰ってくることを祈るだけしか出来ない。
今更どうしようもないことだと分かっていても、自分の力のなさがどうしても悔やまれる。

「シリン姫様、私たちの目の届かないところに行かないでくださいね」

屋敷の中からメイドの1人が声をかけてくる。
シリンはそれに軽く手を振る。
庭といっても、この屋敷の庭はとても広い。
公園くらいの大きさはありそうな程の広さだ。
見通しがとても良いので、庭の端にいても屋敷の中からシリンの姿は見えるだろう。

(戦争がどんなものかなんて本当は良く分からないけど…嫌だと思う)

シリンも”香苗”も実際の戦争を知らない。
歴史の事実でのみの戦争しか知らないのだ。
だから、命のやり取りというのがどういうものか分からない。
ティッシに軍があっても、戦争などずっと別世界のことだと思っていた。

ティッシには軍がある。
それは自国を守る為の者で、守らなければならない何かがあるだろうことも予想がつく。
クルスだって、父だって母だって、仕事で遠出することがあった。
それは、どこからかこの国へと襲撃があったから、守る必要のある事態があったからだろう。

(父様、母様、クルス殿下……それから、兄様)

身近すぎる人達が、命をかける場所に出向く。
どうして、どうしてこちらから攻め入らなければならないのだろう。
この戦争をすることによって、そんなに大きなものが得られるのだろうか。
別の方法で解決することはできなかったのだろうか。
今のままでは駄目なのだろうか、分かり合うことは出来ないのだろうか。
シリンはふぅっと小さくため息をつく。

(法術をもっと勉強しておけば良かった)

自分の力は小さくても、守る為の法術を何か1つでも作り上げることができれば、それを教えて身を守ることに役立てることが出来たかもしれないのに。
シリンが組み立てた法術はあるが、どれもシリンの法力では発動できないものであり、未完成と言ってもいいもの。
果たして想像通りに発動するか分からないあやふやなものばかりだ。

(止められない、止める事は出来ない)

シリンはぺたんっとその場に座り込む。
顔を上げて綺麗に晴れ渡った空を見上げる。
神様は信仰していないし、信じてもいない。
だから祈るのはこの空に。

(無事に帰って来てくれればそれでいい)

親しい人達の無事をシリンは祈る。
そして帰ってきたら笑顔で出迎える。
それしか出来ないのだ。


どんっ!


突然の大きな衝撃音と僅かな地揺れ。
シリンははっとして、音が聞こえたらしき方向に目を向ける。
何か暴発でもしたかのような爆音、音のしたほうには煙か土ぼこりか、何かが舞い上がっているのが見える。

(何かあったのかな?法術の失敗とか?)

シリンがそちらの方をじっと見ていると、影が1つそちらからこちらに向かってくるのが見えた。
風をまとって移動しているからか、人であるとしか分からない。
物凄いスピードでここまで来る。

(中に入った方がいいかな)

シリンはゆっくりと屋敷の方へと歩き始める。
だが、爆音の方向に背を向けたのが悪かったのか、何かにぐいっと後ろに引っ張られる。
後ろから手が伸び口を封じられ、両手は後ろで絡め捕らえる。

「動くな」

耳の側で聞こえたのは低めだが女の人の声。
ばたばたばたっと人の足音が多数近づいてくる。
シリンは何が起こったのか良く分からず、とりあえずは暴れないでじっとしている。

「ここまでだな!イディスセラ族の悪魔が!」
「おい、待て…!」

軍人らしき人が1人こちらに向かって構えたが、それをもう1人が止める。
その後から何人か軍人がこちらに集まってくる。
シリンを捕まえている彼女は軍に追われている存在らしい。

「シリン姫様だ」
「何だって…?!」

彼女がふっと笑みを浮かべたのがなんとなく分かった。
小さな子供であり、何の力もないシリン。

「ほぉ、これが噂のフィリアリナのシリン姫か。なんとも運のいいことだ」
「貴様!姫様を放せ!」
「そうはいかない。法力のない、それでいて身分のある姫君などこれ以上ない人質だ」

シリンはひょいっと自分の身体が浮き上がるのが分かった。
口を塞いでいた手は離され、彼女の腕一本で抱き上げらたようだ。
軍人達は、攻撃したくても出来ないようでこちらを睨んでいるだけ。
フィリアリナ家は名門だ。
両親と兄がこの戦争に参加することから分かるように、シリンに何かあれば彼らが黙っていないだろう。
それもあってシリンに当たるかもしれない攻撃はできない。

シリンの目の端に風に揺れる黒髪が見えた。
好奇心でひょいっと顔を上げてみれば、シリンを片手で抱き上げている人の顔が見える。
自信溢れる笑みをを浮かべた、長い黒髪に黒い瞳の綺麗な女の人だ。

(うわ…、すごく綺麗な人)

母も綺麗には綺麗だが、黒髪美人となるとまた印象が違う気がしてくる。

「きゃぁぁぁぁ!」

屋敷の方からメイドの叫び声。
シリンの置かれている状況に屋敷の者が気づいたようだ。
叫び声を聞きつけて他の者がやってくる。
その声にちっと舌打ちした彼女は、シリンを抱えたまま飛んだ。

(のひゃあおぅぅぅぅ?!!)

地面が屋敷が遠くなり、シリンは場違いなまでに内心叫びまくる。
法術で空を飛ぶことができるのは知っていた。
彼女も法術を使ってここまで高く飛んでいるのだろう。
しかし、そうとわかっていても、自分ではそんなことなど出来ないシリンにとっては初めての体験であり、パニックになるのは仕方ないだろう。

(地上に、早く地上にぃぃぃ!)

そうシリンが願うことなど全く気にしていないかのように、彼女はそのままふわりっと空に浮く。
しゅるんっと風を纏い、小さく何か呟いたように聞こえたと思った瞬間、一気に強い風を全身に感じる。
風を使って空を飛んでいる。

(そ、そ、空、飛んでるー?!)

まさか生身で空を飛ぶ日が来るとは思わなかった。
風をまとって身体を浮かすことはできても、飛ぶほどの持続力を持てなかった。
いつかはと憧れながら、自分の法力のできる範囲内で空飛ぶ法術を作ろうとしていた時もあったが、どうにもこうにも上手くいかなかったのでまだ空を飛んだことなどなかった。

「すまないが、もう少し付き合ってもらうぞ」
「へ?」

シリンが後方をちらっと見れば、何人かが追ってくるのが見えた。
彼女はそれが分かったのか、もっとスピードを上げる。
ティッシの城下町はとっくに過ぎ、今はシュリとティッシの間にある大きな森の上空を通過中だ。

(すごい速さ。新幹線とかより早いんじゃないのかな…)

時速何キロかなどは分からないが、下に広がる森がすごい速さで通りすぎていくのが分かる。
黒髪に黒い瞳、イディスセラ族なのだろう。
そしてティッシにいたということは、カイと同じように捕らえられていたという事か。
良く見れば、彼女の身体はあちこち傷だらけである。
一番酷いように見えるのは手首だ。
何かが嵌められていたかのように痣になっている。
シリンはもう一度後方の方を見る。
軍の人達はある場所で進めないで止まっているように見えた。

(止まった?諦めたのかな?いや、違う。向かっている方向がシュリなら、多分結界で進めないんだ)

どうして彼女がシリンを連れてすんなり結界を通れたのかは分からない。
その場所らしき所を通る時、特に違和感もなく通り過ぎたはずだった。
何か条件のようなものでもあるのだろうか。


「静香!」


男の声が聞こえてはっとなるシリン。
彼女が向かう先に1人の男が浮いているのが見えた。
シリンを抱えている彼女が、どこかほっとしたのが分かる。

『昴、どうしてわかった?』
『ティッシの方向からお前の法力を感じたからな』

彼女と男が会話する言葉は、シリンが普段使っている共通語とは違うものだ。
でも、シリンにはその言葉が理解できた。

(え?なんで…?)

理解できたことにシリンは混乱している。
ティッシで使っている言葉はこの世界の共通語であり、それ以外の言葉が存在ことはシリンは聞いた事がない。
だが、彼女達の言葉は確かにシリンが普段使う言葉とは違う。
でも、それを理解できるのだ。

『ソレはなんだ?』
『ああ、逃げるのに協力をしてもらった。噂のシリン・フィリアリナだ』
『法力が欠片もないってアレか。運がいいな、人質にしてはこの上ない逸材だろ?』
『そうだな、この子には悪いがな』
『悪いもなにもねぇよ。こいつの親にオレ達仲間が何人殺られたかを思えばな』
『だが、彼女自身には何も関係がないだろう?』
『お前も甘いな……』
『事実だ』

男は仕方ないかのようにふっと笑みを浮かべる。

『とにかく国へ戻れ。皆待ってるぞ』
『分かっている』

シリンは彼女に抱えられたまま、また移動する。
このままならば、彼女の国であるシュリに行くことになるだろう。
ティッシでイディスセラ族がどれだけ疎まれているかは戦争を起こそうというところから分かった。
ならばイディスセラ族がティッシの人間を疎んでないと言えるだろうか。
このままシュリに向かうのは危険だ、それは分かっている。
分かっているのだが、シリンはどうしてもこの混乱から抜け出せない。

(なんで、私、言葉が理解できるの…?)

他の国の言葉など学んだこともない。
理解できるはずがないのに、言っている言葉の意味がよく分かる。
シリンは混乱した状態のまま、シュリへと入国させられるのであった。


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