WORLD OF TRUTH 12
この世界、というよりもこの国、ティッシには日本と同じように四季がある。
冬は雪が降り、夏は照らす太陽がギラギラと暑い。
今は比較的すごしやすい春であり、特に用事がない時は、シリンは部屋の窓辺でぬくぬくしながらお茶を楽しむのが好きだった。
窓際にある大きめのソファーに身を沈めながらのんびりする。
(子供だからこそできる贅沢だよね)
7歳だからこそできる贅沢。
学院に行く必要もなく、なかなか要領よく勉強をサボっているシリンにしかできないこののんびりとした時間。
頑張って働く両親のように、シリンもいずれは働かなければならない日が来るだろう。
(働く…か)
シリンはこの世界はこの国のことしか知らないが、この国での貴族の仕事というのは法術を使った仕事だ。
法術を使って国を守る軍に入るか、法術を学びながらも主に政治を学び、そして国を治める政治家となるか、大抵がどちらかである。
政治家になるとしても、軍経由でなる者が殆どである。
(私の場合は学院に通えないから、軍への所属ってのは無理だろうし)
やはり城下町に出て色々見てまわるべきだろう、とシリンは思った。
シリンの生まれたフィリアリナ家は名門なので、例え法力が少なくとも嫁の貰い手がないことはないだろう。
(政略結婚、しなきゃならないって可能性もあるんだよね)
7歳のシリンにとっては、まだまだ先の話だが、そういう可能性が全くないわけではない。
こんな御伽噺のような世界に来て、さらに自分はいい所のお姫様ときた。
政略結婚という話が出てきても、驚きはしないが進んで選びたいとは思わない。
最も現在7歳であるシリンの将来がどうなるかはまだ分からない。
(法術に関しての研究職でもあれば面白そうなのに)
生憎そんな研究職は存在しない。
法術理論をきちんと理解している人が少ないだろうこの国に、法術の研究機関など存在するはずもない。
はあ…と大きなため息をついてしまう。
今から先のことを悩んでいても仕方ないが、考えなければならない時は必ず来るだろう。
「何を悩んでいるのかな?」
ひょこっと顔が後方から覗き込むように現れて、シリンはぎょっとする。
「な、な、な…!」
「驚いた?」
にこっと笑みを浮かべるのは、つい最近法術理論を教えると約束していたクルス。
そりゃ、なんの前触れもなく顔が目の前に現れれば驚くに決まっている。
「時間が出来たから来たんだけど、せっかくだから脅かしてみようかな、って思って」
ガキですか、と思わず言いたくなってしまったシリンは別に悪くはないだろう。
噂に聞くクルスは、年の割には大人びて優秀のように思えるが、どうもシリンの前では実年齢よりも子供っぽいように感じる。
信用されているのか、それとも普段のクルスを知らないからそういう態度をとってくるのかは分からない。
「ここにあまりそうひょいひょい来ないでもらいたいんですけど…」
「どうしてだい?」
(どうしてって…)
「噂になったらどうしてくれるんですか?」
「私がシリン姫を慕っているって?」
「そうじゃなくて、私がクルス殿下を誑かしたって」
誰がどう思えば、こんな平々凡々のなんのとりえもない貴族の小娘に若くして実力も身分もある王弟殿下が慕うなど言う噂が出てくるだろうか。
噂になるとすれば、シリンが無理やりクルスを屋敷に引っ張っているとか、クルスを誑かしたとか、そのような傾向のものだろう。
それで兄や両親にまで迷惑がかかってしまうとなると、大変困る。
「それじゃあ、見つからないようにこっそり来ることにするよ」
「こっそりではなくて、来ないという選択をして頂くと大変助かるのですが?」
シリンのその言葉にシリンの顔を後ろから身を乗り出すように覗き込んでいたクルスの顔が引っ込む。
傷つけてしまったか、と思ったがそれは甘かった。
クルスはソファーをひょいっと乗り越えて、シリンの前に立ち、そのまま覆いかぶさるように圧し掛かってくる。
「は?ちょ…?!」
(重いーー!)
ずしっと圧し掛かってくる成人男性のみの身体の重さ。
7歳の少女の力のなさを分かって圧し掛かってきているのだろうか。
いや、絶対に分かっていないに違いない。
(人に圧し掛かってくる癖でもあるのか?!)
とりあえずしばらくクルスの言葉をじっと待ってみる。
背中にソファーの背もたれがある分、今回圧し掛かられても多少は楽だろう。
「ただ側にいたいと思うのは、いけないことかい?」
「へ?」
「君と一緒にいたいと思うのは駄目なのかい?」
(いや、別に個人的には駄目だとは思わないけどね)
とは心の中でのみ呟くことにする。
しかし、何故こんなに懐かれてしまったのだろうか。
別に変わったことは何もしていないと、シリンは思うのだが。
「クルス殿下、とりあえず退いてください」
「嫌だ」
「……重いです」
「それでも嫌だ」
シリンは大きくため息をついて、クルスを落ち着かせるように背中に手をまわして、背中をゆっくりと撫でる。
落ち着くように落ち着くように。
(どうしようか)
綺麗な顔立ちの少年に抱きつかれているのに、シリンはまったく胸がときめくようなことなどなかった。
どうみてもクルスは図体の大きな子供にしか見えない。
「シリン姫は…」
「はい?」
「私がこうしても怒ったりしないんだね」
(こうしてもって圧し掛かってきてもって事だよね?まぁ、そりゃ、怒るようなことじゃないからなんだけど…)
このクルスの行動に思うことはただひとつ、重い、だ。
怒るよりも何よりも、この重さを何とかして欲しいと切実に思う。
(幼い頃に母親に先立たれてしまった、現国王の年の離れた優秀な弟、か)
甘やかされるということなどなかったのではないのだろうか。
そう、今のシリンの兄であるセルドのように。
だが、セルドはまだいい。
両親が存在していて尚且つ、両親はセルドを愛してくれている。
笑顔を向け、抱きしめ、頭を撫でてくれる。
それはそう多くはないが、その記憶があるだろう。
今シリンにしがみつくように圧し掛かっているクルスには、そういう存在はいたのだろうか。
(甘えたい…んだろうね)
人を見る目があると褒めるべきか。
シリンにクルスの身分は殆ど関係ない。
何故なら法力がないゆえ、出世にも縁がない、だからこそ身分あるクルスに何も望まない。
だからこそというか、クルスに対して見返りも持たずに愛情を与えることができる存在だ。
「クルス殿下、とりあえずお茶でも飲みましょうか」
ぽんぽんっとクルスの背中を軽く叩く。
「時間が出来たといってもあまりゆっくりは出来ないのでしょう?」
言うだけ言ってクルスの反応を待つシリン。
少し間があったが、クルスはシリンの上から退いてくれた。
大人しくシリンの隣にすとんっと腰を下ろす。
シリンがクルス分のお茶を入れようと立ち上がると、ぐいっと腕を引かれて再びソファーに逆戻り。
「お茶は構わない。だから、少し話をしよう?シリン姫」
引かれた腕を握られたまま、それを離してくれなければお茶を入れようにもできないのに、クルスは気づいているだろうか。
「別に構いませんけど、話って?」
「そうだね…何を話そうか?」
(まてやコラ)
思わず言葉にでそうになった突っ込みは心の中でのみに留めておく。
待っていても仕方ない、シリンは何か話題はないものかと考え込む。
そこでふとした事が思い浮かんだ。
「クルス殿下は、イディスセラ族のことをどう思っていますか?」
「イディスセラ族?」
「私の両親もセルドもそうですが、問答無用で警戒しているので、それが私には不思議なんですけど…、クルス殿下はどうかなのかな?と」
シリンが合ったイディスセラ族はカイだけで、両親がイディスセラ族に対してどう接しているのかは知らないが、警戒はしていることはなんとなく分かる。
セルドも、昔法術の基礎を教えてくれた老教師があれだけ危険性をクドクドと言っていたので、警戒心はあるだろう。
「私は正直な所どうでもいい、かな」
興味なさそうなクルスの口調。
「その法力は確かに警戒すべきもの、そして、このティッシの近くに彼らの国がある以上、私たちは民を彼らから守る義務がある」
「守るって、やっぱりイディスセラ族ってこの国に攻めてきたりするんですか?」
警戒するならばそれなりの理由があるだろう。
イディスセラ族の国であるシュリと戦争をしているという話は聞いた事がない。
シリンが知らないだけで、小さな小競り合いくらいはあったのかもしれない。
「攻めると言うほど大規模なものじゃないけどね、彼らはたびたび村や街を襲う。被害は戦争をする事を思うほど大きくはないけど、それによって民の不安や不満は出てきてしまうんだ」
「和平は出来ないんですか?」
「昔はそういう提案も出てきたけどね、彼らの国は結界で覆われていて連絡を取ろうにもどうしようもない。無理やり結界を破ったとしても、それはこちらが侵略したことになってしまうだろうね」
被害がないわけでもないが、深刻と言い切れるほどのものではない。
その為に果たして結界を破って侵略をしてまで、連絡を取る利益があるだろうか。
「イディスセラ族は総じて法力が高い。だから、下手にシュリへは攻め込めない。私は現状維持が一番いいと思っているよ」
イディスセラ族がこちらに出て村や街を襲うようなら捕らえ、牢獄へと放り込む。
「ただ…」
「ただ?」
クルスはシリンに困ったような笑みを浮かべる。
言いにくいことなのだろうか。
「今は状況が少し変わってきているんだよ、シリン姫」
「変わってきている?」
「そう、彼らの動きがここ数年ほど妙に活発だ。まるで、この国を侵略する為の情報を集めるかのように頻繁にティッシに不法侵入を繰り返している。あれだけの法力を持つ彼らを完全に封じ捕らえ続けることが出来るのも難しくてね、兄上を初めとする上層部では彼らへの対応を考え直している」
たまに襲撃されるくらいならば目をつむろう。
しかし被害が広がるならば、対応を考えなければならない。
民の不満が膨れ上がり、暴動となってしまっては困るという所か。
「私は現状維持でもいいんだけどね。彼らの法力を感知し、何かする前に不法入国したとして捕らえる。ただ、牢屋の数が足りなくなるかもしれないというのが一番の問題だね」
クルスの言う通り、それが出来れば一番だろう。
きっと被害も少なくて済む。
しかし、随分と気楽に言うが、それは言うほど簡単なことではない。
「彼らとの和平を結ぶというのは難しいことだよ、シリン姫」
どこか諭すような言葉。
シリンがどうしてイディスセラ族のことを持ち出したのか、クルスは気づいているのだろう。
イディスセラ族の少年、カイの脱獄を手伝ったのはシリンだ。
クルスはそれを知っている。
たとえシリンの知っているカイが悪い人でなかったとしても、今の状況ではイディスセラ族と手を取り合うのはとても難しいのだと、クルスはシリンを優しく諭す。
(分かってる)
多分、シリンは自分でも分かっているのだ。
けれど、イディスセラ族を疎まない人がいるかもしれないと少し期待をしているだけなのだ。
カイのことはまだ忘れられないから。
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