WORLD OF TRUTH 10
屋敷の自分の部屋でシリンは考える。
この世界に生まれてシリンはいくつか気づいたことがある。
科学力は殆どなく、鉄砲のような物騒な武器はないので、武器と言えば剣か弓くらいなものである。
他にも専門的な武器などはありそうだが、少なくともシリンは知らない。
生活のレベルは悪くない。
現代に生きていた頃に比べると不便なところもあるが、貴族暮らしのシリンが不便と感じる所は少ない。
しかし、決定的におかしいと思えるのが法術に関してだ。
持つ法力が少ない者が法術を学べる機会というのがないのは分かるのだが、その法術の学び方が問題だ。
(まるで、法術を作り上げた人がこの世界の人じゃなくて、ただ使い方を真似ただけみたい)
使い方を真似ただけなので、知っている使い方以外のことをして暴走という危険なことをしてしまわないように、今ある使用方法を忠実に守っている。
法術だけにそんな感じがある。
シリンがセルドと一緒に学んだ基礎というのも、理論ではなく基本的な用語だ。
法力が生命力のようなものであり、使い切ることで死を招く恐れがある事。
言葉、または印によって発動すること。
持っている法力の大きさによって使える術が限られてしまう事。
(昔は、難しい法術は理論を理解しないと使えないと思ってたけど、そうじゃないみたいだし)
大切なのは法力のコントロールと、自身の法力の量らしい。
使い方をそのままなぞるようにして、あとは法力をコントロールして威力を調整する。
シリンとセルドに法術の基礎を教えてくれた老教師の教え方が下手だと思ったのも納得できる。
理論を理解できているわけではないから、あんなに説明が下手だったのだろう。
(別に私は頭がいいわけじゃないし、何を使うにしても理解をしてからの方がいいと思うから独学で理解しているだけなんだけど…)
刷り込みというのかなんというか、法術はそういうものだと思いこんでいる人が殆どなのだろう。
シリンのように法力が少ないのに法術を学ぶ人など稀であり、法力の大きな人はある法術を覚えるのが精一杯で理論の理解など思い浮かぶこともないだろう。
それともこの国だけのことなのか。
そう思ったが、カイも法術の理論を全く理解していなかったことを思い出す。
(法力が大きい人に見られるだけなのかな?)
コンコン
扉のノック音が聞こえてシリンははっとなる。
自分の思考の世界に完全に沈んでいたようだ。
「シリン、時間大丈夫かな?」
扉を開けてシリンの部屋を覗き込んできたのはセルド。
部屋の中に入らずに伺うだけというのは珍しい。
別にセルドならば許可なく入ってきても構わないのに、とシリンは思う。
「兄様?」
「シリンが忙しいようだったら構わないとおっしゃっていたけど、お客様が来ているんだ」
「お客様?」
自分に客など初めてではないだろうか。
今のシリンに屋敷を訪ねてくる友人などいるはずもないので、誰だろうと首を傾げる。
「別に何かしていたわけじゃないから大丈夫だよ」
シリンの言葉にほっとした様子のセルド。
セルドは扉の外にいる誰かにどうぞ、と話しているのが聞こえる。
扉の外まで来ていたのだろうか。
そう思っていたシリンの目に入ったのは、にこりと優しげな笑みを浮かべて部屋に入ってきたのは、先日会った訳の分からない子。
クルス・ティッシ殿下である。
「先日のお茶会ぶりだね、シリン姫」
その顔を見て反射的に帰れときっぱりと言いそうになるが、なんとかそれを留める。
来るなと言っていたのに平気で来ているクルスにシリンの顔が引きつる。
(兄様の前、兄様の前、タメ口きいちゃ駄目、失礼な態度も駄目、我慢我慢)
「この間のお茶会でシリンの具合が悪かったことを気にして、来てくださったんだよ、シリン」
あの後、法力を使って法術解除などをやったシリンは、やはりというか疲れてしまっていた。
そんな状態で優雅に仮面をかぶってお茶などできるはずもなく、隅っこで座って眺めていただけで終わったのだ。
あの場にいた人は具合が悪かったのだと思ったようで、セルドには心配をかけてしまった。
「セルド、悪いけれど席を外してもらってもいいかな?」
「はい、分かりました」
クルスの言葉に素直に従うセルド。
こんなのと2人だけにしないで欲しいと思うが、そんな理由で兄を引き止めることは出来ない。
「それから、お茶は必要ないからね。そんな気を使わなくていいから」
「ですが、殿下…」
「シリン姫が入れたお茶を飲みたいから、2つもいらないからね」
シリンの部屋にはお茶セットなるものがある。
お湯は法術で出せばよくて、片付けも法術で水を呼んでせこせこ洗えばそれで済むので、置いてあるのだ。
セルドは納得したのかどうか分からない複雑な表情で退室していった。
ぱたんっと閉じる扉を確認して、シリンの表情が物凄く不機嫌なものへと変わる。
その表情のまま、シリンは一応2人分のお茶を用意するべく、法術でお湯を呼び、さっさと準備する。
「座ってもいいかな?シリン姫」
尋ねてくるクルスはシリンの了解など待たずに、窓際にあるソファーに腰掛けていた。
シリンの部屋の窓際には、3人くらいかけられるソファーと小さなテーブルがある。
ソファーに本を置いて天気のいい日にのんびりと読書するのが日課となりつつあるシリンにそのソファーの大きさは丁度よかった。
「お茶を飲んだらさっさとお帰り下さい」
王宮育ちの殿下の口に合うか分からないが、一応紅茶を1つクルスの前に置く。
「そんな話し方じゃなくて、この間みたいな話し方にして欲しいな」
「仮にも王弟殿下にそのような口の聞き方はできません」
「私がいいと言っても?」
「無理ですね」
シリンは自分の紅茶のカップに砂糖を1つ落とす。
くるくるっと砂糖と溶かすようにかき混ぜる。
すると突然身体に何かが覆いかぶさってくる。
「クルス殿下?!」
圧し掛かるかのようにシリンにぎゅっと抱きついてくるクルス。
16歳と言えば成人男性に近い体つきなので、そんなのが圧し掛かってくれば重いに決まっている。
「お、重いです、殿下!」
「そうだね」
「そうだね、じゃなぁい!さっさとどいて下さい!」
「やだ」
「やだって…、貴方は子供ですか?!」
(誰かこれをどうにかして欲しい…)
本当に冗談抜きで重い。
全体重をシリンに向けているわけではないだろうが、今のシリンは所詮7歳の子供の力しかない。
普段から力仕事をしているわけでもない、一応お嬢様でもあるので、成人男性並の体を押しのける力などあるはずもない。
そのまま圧し掛かられてもシリンが大変なだけなので、シリンは身体の力を抜いて、ソファーに倒れこむ。
抱きついているというよりもしがみついているクルスも一緒にぽすんっとソファーに横になる形で倒れこむ。
半分寝転がってもかかる重さはあまり変わらなかった。
「一体何がしたいんですか、貴方は…」
7歳の子供に何を期待しているのか。
一応世間上はシリンの方が9歳ほど下だ。
16歳という年齢が、大人でもなく子供でもない微妙な年齢であるのはシリンも分かる。
7年前は自分も16歳だったのだから。
「法術理論を教える件ですけど、それはもうちょっと待ってて下さい」
クルスが何も言う気がないようなので、せっかくなのでシリンは自分の用件を述べていく。
「連絡をとる方法なんですが、あるにはあっても、貴方はともかく私の法力に合わせるとなるともう少し複雑な方法にしないと無理なので」
悲しいかな、自分の法力が足りないためにその連絡手段は使えない。
連絡手段ができるものを作っても、シリンの法力が少ない為に相手から発信したものを受け取ることができないし、自分も発信できるほどの法力がないのだ。
ふっと前触れもなくシリンに圧し掛かっていた重みが消える。
「ちゃんと考えてくれているのかい?」
「そりゃ約束しましたしね。だからもう少し時間を下さい。それから、ついでに上から退いてください」
圧し掛かっていた重みがなくなっていても、クルスの顔はシリンの顔の近くにある。
クルスの両腕はシリンの顔の近くにあり、それを支えにして身体を少しだけ起こした状態である。
クルスが退いてくれなければ、シリンは起き上がれない。
「大体、副将軍なんて位の人がこんな所に来てていいんですか?仕事はどうしたんですか、仕事は」
「今日は休暇だよ。働き詰めで副官に休めって言われたくらいだからね」
「休暇なら休暇らしく、自分の家でゆっくり惰眠をむさぼるなりなんなりして下さい」
「流石にお昼寝はできないかな?緊急の呼び出しがないとは言えないし」
「それでもこんな所に来るよりも、のんびりしていた方が身体が休まるでしょうに」
「そうだね。どこかの誰かが私の管轄のイディスセラ族を逃がすのに手を貸したりしなければ、ゆっくり休めたんだけどね」
にっこりと笑顔を浮かべてくるクルス。
嫌味か、とシリンは思ってしまう。
分かっていて言っているだろう所が性格が悪いのではないのだろうか。
「とにかく退いてください」
「いやだ」
シリンは大きなため息をつく。
「貴方は本当に一体何がしたいんですか?法術の理論を学んで何をするつもりなんですか?そもそも法術理論なんて私に教わらなくても、貴方程の人ならば独学でもどうとでもなるのではないですか?」
関わらないで欲しい、と心底思う。
どうしようもなく訳の分からない人だから仕方ないと思う部分もあるが、シリンは彼がカイにしたことを許しているわけではない。
自分は大人ではあるとは思っているが、あまり側にいたくない相手にひっつかれてずっと大人しくしていられる自信はない。
「シリン姫は私をどう思っているのかな?」
「どう、とは?」
「私を天才だと思うかい?1を言えば10を理解できる優秀さがあると思えるかい?年不相応の落ち着きと冷静さで的確な指示を出せる優秀な軍人であると思えるかい?」
噂に聞くクルス・ティッシ王弟殿下は、幼いながらに優秀な軍人で、敵にまわすならばとても恐ろしい人物であり、その法力も法術もかなりの腕前。
シリンとは世界が違う人物であり、一生関わることがないだろうと思っていた相手だ。
どう思っていたと言われると、王弟殿下であり、軍の副将軍であるとしか言えなかっただろう。
だが、本人を知って思ったことは1つ。
「正直に言ってもいいですか?」
「構わないよ」
にこりっと浮かべる笑みは、心からの笑みには見えないとシリンは思う。
「天才だと思うかについては、天才だとは思います。1を言えば10を理解する頭もあるでしょうし、私が知る限りの副将軍としての評判は悪くないのでとても優秀な軍人でもあるでしょうね」
優秀だろうとは思うのだ。
だから、法術理論くらい自分で理解して勉強しろと言いたい。
何故シリンに教わろうとしているのかが分からないが、シリンに構って欲しいかのように見えるクルスを見て感じたことは1つだ。
「それを全部ひっくるめて私が貴方に感じることは、巨大な犬、ですね」
苦手だというのに、巨大な犬に懐かれてしまったような感じがしてくるのだ。
追い払いたくても離れようとした時に見える悲しそうな瞳を見てしまい、捨てることが出来ない。
かなりタチが悪い犬だ。
「巨大な…犬?」
きょとんっとするクルス。
まさかそんな表現をされるとは思っていなかったのだろう。
「貴方が天才でも、どんなに理解する頭があっても、優秀な軍人であっても、私にとっては法術理論を理由に構って欲しいと言ってくるただの巨大な犬にしか見えないです」
シリンにはクルスが周囲にどう思われているというのは関係ない。
自分にしていることだけが問題なのだ。
それだけを考えると、結論として”巨大な犬”とういものが出てくる。
「巨大な犬…」
「こんな状態で圧し掛かってること自体が、犬でしょう?」
クルスは今の状況を良く見て、確かにと頷く。
頷いたところで退いて欲しいと思うのだが、クルスは動こうとしない。
本当にこの人は訳が分からない。
「9歳も下の私に甘えたいとでも言うんですか?」
構って欲しい犬のように思えるから、甘えたいとでも言いたいのか。
そんなはずはないだろうとシリンはそう口にしたのだが、クルスはその言葉に少し驚いた後、考えるそぶりを見せる。
物凄く嫌な予感がしてくる。
「そう…かもしれない」
(え、半分以上冗談のつもりだったんだけど…)
「近づいたのは純粋な興味からだったんだけど、君は私に期待するような目を向けないから」
「貴方に私が何を期待する必要があるんですか?」
「え?」
シリンは自分が軍に関わることは出来ないのも分かっているし、政治で不満な点があってもたった1人に言ったところで何が変わるわけでもないことも分かっているつもりだ。
例え相手にとても高い身分というものがあったとしても。
本当に変えたいもの、得たいものがあるのならば、人に頼まずにまずは自分から動くべきである。
「それじゃあ、シリン姫に少しだけ甘えてもいいかな?」
「駄目です」
「どうして?」
「あのですね!だからなんで9歳も下の私に甘えようとするんですか?」
「シリン姫は私に何も期待していないから」
「期待されないことを望むなら、城下町の豊満な肉体のお姉さんあたりを誘って甘えて来てください。身分さえ言わなければきっとよりどりみどりですよ」
(そして、さっさと上から退いて欲しい)
「私はシリン姫がいい」
「私は嫌です」
間髪いれずにきっぱりと言い切るシリン。
誰が好き好んで苦手な相手に付き合おうというのか。
シリンの言葉にクルスは捨てられてしまった犬のような目をする。
初対面の穏やかに笑みを浮かべるクルスとは正反対かのように、子供のように素直に感情を出してくる今のクルスを、シリンはどうしても切って捨てられない自分に気づく。
「法術理論を教えるという事だけで譲歩して下さい」
本音を言えば、シリンはクルスに関わりたくないのだ。
でも、彼を放っておけないと思う気持ちがあるのは確かだ。
だから、約束している法術理論を教えるという事だけで我慢して欲しい。
「それなら、その時は私の屋敷まで来てくれるかい?」
「それは無理です」
「私がこの屋敷に…」
「それは駄目です」
この様子では電話のような法術を使っても、それだけ済ますことはできそうもない。
実際会って講義しなければならないのならば、どこか場所が必要なのは確かだ。
(相手に頼るってのはあまりよくないかもしれないけど…)
教えて欲しいと最初に申し出たのはクルスの方だ。
こちらが指定する条件の場所をあちらが用意してくれてもいいのではないか、とシリンは思う。
「場所を用意する時間とお金はありますか?」
「場所の指定が王宮の一室とかでなければ大丈夫だよ」
「でしたら城下町にそう広くない部屋を一室借りてください」
「城下町に…かい?」
「はい」
貴族達が住む貴族院の中で会っていれば、いつか絶対に噂になる。
シリン個人は何を言われても構わないのだが、それだけで済まないのが貴族の噂というものだ。
両親や兄、そして家にまで迷惑をかけたくはない。
「分かったよ。用意できたら連絡するね」
「そうして下さい」
それで納得できたのか、クルスはそれ以上言ってこなかった。
しかし、これから自分が教える立場になると思うとため息しか出てこない。
学ぶ立場になったことは数多くあっても、教える立場というのは殆どなかったのだから。
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