ここにロナ・ファルダという1人の少女がいる。
5年前のロナ・ファルダは、結構純粋で一途な少女であったと言えよう。
たまたま”男装”をしていたかの有名な大魔女に一目惚れをし、追いかけ、しつこく拝み倒し、押しかけ弟子入りを果たしたのだ。
これで好きな人のそばにいる事が出来る!と、弟子入りできた事に喜んだのもつかの間、当時のロナは”男装”をしていた相手が大魔女であることを知らなかった。
普段の大魔女の姿に”戻った”相手を見て唖然。
ボン・キュ・ボンの見事なスタイルの美人がそこにいた。

「ちょうど、雑用する子が欲しかったの」

にこりっと、それはそれは美しい笑顔でほほ笑んだ彼女の表情を、一生忘れることはできないだろうとロナはその時思った。
まさに何もかも解っていましたと、その目に浮かんだ表情がそう言っている。
ロナが一瞬で目を奪われた綺麗な青年は、実は世間では有名な大魔女と呼ばれる存在であった。
大魔女の事はロナも知ってはいたのだが、まさか”男装”しているなどとは思ってもいなかったのだ。
まだ、当時11歳だったロナの淡い恋心は見事に砕け散り、しかしながら、弟子入りしたことを取り消しもできず、今に至るのである。



ディライト・ルヴィア・ラ・フェスティバリテは、世間でも有名な大魔女だ。
スタイル良し、才能あり、運動神経もよくどうやら剣術もたしなんでいるらしく、まさにパーフェクト人間だ。
年齢不詳、一部では100歳以上生きているのではないだろうかと囁かれているが、それが本当かどうかは誰も知らない。
人を寄せ付けないかのように、森奥深くに住居を構え、現在は弟子がたった1人のみである。

「ロナ〜。悪いけど、下を片づけてくれるかしら?」

美女の”男装”姿に一目ぼれをして弟子として押しかけてから5年。
ロナは師匠である大魔女の存在に慣れ、大魔女が住むこの住居に完全に順応していた。

「下って、今度は何をやったんですか?」
「ちょっと失敗しちゃったのよ」
「ちょっとって…うわ?! ディライト様?!」

足音を立てながら地下に続く階段から上ってきた全身真っ黒と言えるディライトを見て、ロナは思わず驚く。
サラサラの長い金髪は完全にグレーに染まっており、顔中もススだらけ、袖は半分以上破れており、所々魔女のローブも裂けて汚れている。

「だ、大丈夫なんですか?」
「ええ、大した怪我はないわよ。先に、身体を綺麗にしたいから後は頼むわね」
「分かりました。何か危険なものはありますか?」
「床に転がっているのは平気だと思うわ。テーブルの上のものはそのままにしておいて頂戴」
「はい」

すたすたとディライトは浴場へ向かっていった。
ディライトが歩いた後にも黒いものが点々とある。
思わず黒い点々がついた床をじっと見てしまうロナ。

(こっちから先に拭いた方がいいよね)

ディライトの姿から地下の実験室がどれだけ酷い事になっているか、なんとなく想像がつく。
地下を片づけるのにかなり苦労するだろう事が分かっているのならば、簡単に済む方を先にやっておくべきだろう。
大仕事をした後、ちょっと汚れたこの床を掃除する気にはなれない。
浴場までの床を簡単に掃除して…と考えるロナははっと思いだす。

(しまった! この間浴場のタオル新しいのに変えたばかりだ!!)

浴場には何枚かタオルを置いてあるのだが、この間そのタオルを新品へと変えたばかりなのだ。
あれだけ汚れた状態ならば、新品のタオルよりも古いタオルを使ってもらった方がいい。
金銭面での余裕はあるのだが、新品のタオルが早々駄目になるかもしれないのはちょっと悲しい。

『Eu isto ordeno!』

呪文を唱えると、ロナの手の中にぽすぽすんっとタオルが何枚か降ってくる。
大魔女に弟子入りして5年も経てば、例え才能がなくとも物を取り寄せる魔法くらいは使えるようになる。
ロナはタオルを抱えて浴場へ向って走り出す。
ここにはロナとディライトしか住んでいないというのに、森の中で土地があり余っているからなのか、家の中は異様に広いのだ。
1部屋1部屋が大きく、長い廊下があり、地下まである。

「ディライト様!」

ガラリッと浴場と廊下を隔てている引き戸を、ノックせずに開けるロナ。
他の部屋は普通の扉なのだが、ここの浴場だけは引き戸なのはディライトの妙な拘りだ。

「……ロナ?」

突然浴場に乱入してきたロナに、半裸のディライトは心底驚いた表情をしている。
タオルを…と言いたかったロナだが、ディライトの姿に思わず引き戸を開いたままの状態で固まってしまう。
浴場で半裸なのは別に不思議なことではない。
腰に大きめのタオルを巻いて、先ほどの黒い汚れもほぼ取れたらしい、上半身裸のディライト。

「ディ…ライト様?」
「あら、見られちゃったわね」

にこりっと綺麗な笑みを浮かべるディライト。
ロナが知っているディライトは、同性として羨ましいと思えるような出る所は出て引き締まっている所は引き締まっている体型のはずだ。
しかし、今目の前にいるディライトは胸のあたりの豊かなものがさっぱりない。

「あの、ディライト様の胸のあたりには、私が知る限りずいぶんと豊かなものがあったと記憶しているのですが…」

すごく気になるので思わずその疑問を口に出してしまうロナ。
ディライトは笑みを崩さずロナを見ている。
胸にあるはずのふくらみは全くなく、これを貧乳と言っていいのかと思うほどにペッタンコである。

「胸ならちゃんと服についているわよ」
「ああ、服にですか。なるほど」

ロナは頷きながら、ディライトのその言葉に納得してしまいそうになる。

「って、何で服に胸がついているんですか?!」

思わず叫ぶロナだが、良く考えれば胸がないと言えるほど貧乳ならば、服に胸をつけて豊満に見せるのは分からなくはない。
肩がこるほどデカイのが欲しいとは思わないが、やはり女としては適度な膨らみのあるものが欲しいと思うものだ。

「だって、綺麗でスタイルのいい女の方が何かと都合がいいでしょう?」
「都合がいい、ですか?」
「ええ、男は単純ですもの」

ディライトが何故かゆっくりとロナの方に近づいてくる。
未だ固まったままのロナは、近づいていくるディライトをじっと見るだけだ。

「私の友人もね、ロナ」

ディライトは右手でロナの頬に触れる。
そのままロナの右耳に触れるほどに顔を近づける。

「俺の女装に鼻の下伸ばしっぱなしだったからな」

別人かと思う低い声がロナの耳に届く。

「っ?!」

明らかに女の人のものではないその声に、ロナは顔を真っ赤にしてディライトから逃げるように1歩後に引く。
ディライトは相変わらず笑みを浮かべて…いや、すごく楽しそうな表情をしているように見える。
男のような低い声にペッタンコの胸、その2つの条件がそろえばロナでなくても分かるだろう。

「ディ、ディ、ディライト様って…!」
「私は自分が女と言った覚えはないわよ」

普通、自己紹介で自分の性別まで言う人はあまりいない。
ある程度の年齢になれば、見た目と服装で大体性別は分かるからだ。
男はガッチリした体格、女ならば出る所は出ている体型というように。
ディライトが性別を言っていなくとも、理想体型美女にしか見えない人がいれば女としか思わないだろう。

「で、でも、魔女って…!」
「あの姿で魔法使う事が多いから”魔女”って呼ばれるようになっただけよ」
「その話し方…!」
「あの姿では、この話し方の方が似合っているでしょう?」

確かに、と頷きそうになるロナ。
しかし、すぐにここで納得してはいけないと頭を軽く横に振る。

「ほ、本当に男の方、なんですか?」
「あら、気になるのならば下も確かめてみる?」
「け、結構です!」

ちらりっと下半身を覆っているタオルをめくって見せるディライトにロナは顔を真っ赤にする。
そこまでして確認したいとは流石に思わないだろう。

「ど、どうして、女の人の格好なんてしているんですか?」

ロナの質問にディライトは笑みを深くする。
開いたままの戸に手をつけて、息がかかりそうな程近くまで顔を寄せる。
綺麗な顔のドアップに、ロナの顔は更に赤くなる。

「ロナはどうしてだと思う?」

反対に質問で返されてしまう。

(そんなの分からないよ!!)

男が女装する理由など全く思い当たらない。
しかも、顔立ちが整っているからという事もあるだろうが、完璧な美女に女装だ。
男ならば誰もが見惚れるだろうとも言えるほどの完璧に女装している。
返された質問にどう答えたものかと、頭の中でぐるぐると考えているロナに、ディライトはくすりっと笑う。
すっとほんの少しだけロナに顔を近づけ

ちゅっ

わざと音をたてて、考えこむロナの鼻のてっぺんに唇を軽く落とす。

「身体を洗ってくるから、その間ゆっくり考えていていいわよ」

がらがらっと目の前の引き戸がディライトによって閉められる。
ぴっちりと戸がしまった3秒後、ロナの顔がぼひゅっと音をたてて熟れたトマトのように真っ赤に染まる。

(き、キスされたー?!)

鼻を両手で覆ってロナはその場にしゃがみ込む。
バクバクと心臓の音がうるさいと思うほどに耳に響く。
浴場でディライトのペッタンコの胸を見て、低い声を耳にするまでは平然と話をしていたというのに、ディライトが男であると分かった以上、どうしても異性として意識してしまう。

(ディライト様の嘘つきー!)

ディライトは本当の事を言っていなかっただけで、嘘をついたわけではないのだが、ロナは内心どうしてもディライトへと責任転換してしまう。
だが、ディライトがどうして5年間も完璧に女装し続けたのかは、少し考えれば分かる事だ。

5年もの長い間、当時11歳の少女を自分の家に住まわせたりするだろうか。
普段魔法を使う姿が女の姿とはいえ、自分の家でもずっと女の姿でいる必要などあるだろうか。
血縁関係もない男女が、5年もの間何の問題なく暮らせていたのは、女同士であるからだと片方が思っていたからではないだろうか。
そして、何よりも今のロナには、ここを出て行こうという考えが微塵もないというのが全てを物語っているのではないだろうか。

― 大魔女は、策士でもある

これは世間でも有名な言葉であるのだが、その意味にロナが気付くのはいつだろうか。
苦笑しながら浴場から策士の大魔女ディライトが出てくるまであと数分である。





この世界には魔法がある。
しかし、魔法を使えるものは世界に少なく、かといって選ばれた者しか魔法が使えないわけではない。
ただ、魔法はとてつもなく難しいのだ。
よし、覚えようと思って頑張っても初級魔法を使えるようになるまで10年はかかると言われる。
この世界に魔女はいる。
だが、その数は圧倒的に少なく、魔女の名は伝説と言われるほど有名なのだ。
ディライト・ルヴィア・ラ・ウェスティバリテもその魔女の一人である。

ディライト・ルヴィア・ラ・フェスティバリテは、一目ぼれをした。
最初はそれが一目ぼれだと気付かなかった。
しかし、まだ幼さが残る少女がコロコロと変えていく表情に目が離せない。
少女に異性が近付けば、その相手を氷漬けにして海に沈めてやろうかなどと言う物騒な事を考えもしていた。

「そりゃ、一目ぼれってヤツでしょ」

友人らしき魔女にそう指摘されて初めて気付いたのだ。
ディライトは一目ぼれの相手を諦める事はできなかった。
年齢が親子以上に離れている事など百も承知。
彼女を落とす策を練り、その5年後が今なのであった。