― マチ




朧月が使えた念は、ミスティを含めると全部で4つ。
500年という永き時を生きてきて、他の念の開発をしなかったかと言われるとそうでもない。
ただ、他の開発途中の念は失敗して、その危険性ゆえに使うのをやめたのばかりだ。
その中のひとつ。
空間転移の応用で、数分だけでも時間を越えることはできないものかと試してみたことがあった。
結果は失敗だ。
飛べたには飛べたのだが、そこに飛んだ朧月は肉体がなかった。

『透けてるし…』

飛んだ場所は廃ビルのような所だった。
薄暗く、外の光が少し入ってくることから昼間であることだけ分かった。
壁に触れようとすればすかっと手が突き抜ける。
程よく密閉されたこの空間から出るためには、壁抜けでもすればいいのだが、外がどうなっているか分からない為、出ないほうがいいだろう。

『元の場所との繋がりは…あるよね』

薄くだが元いた場所との繋がりが見える。
そこに自分の肉体があるだろうことも分かる。
その繋がりを辿って、先が見えたら飛べばいい。

『ちょっと時間がかかるか』

はぁ…と大きなため息をつく朧月。
またミスティに心配をかけてしまう事が分かっていた。
集中して繋がりを辿っていこうと思っていたその時、ギ…と扉が開く音がした。
この部屋についてる扉は古く、開こうと動かすときしむようだ。

「誰…」

聞こえた声は少女のもの。
朧月がその声の主を見れば、底にいたのは10にも満たない小さな少女だった。

「あんた、誰?」
『えっと、俺のこと見える?』
「見える…」

ここがどこか分からない朧月の疑問を解決してくれる存在。
それがこの少女だった。
それは、朧月がハンターになって間もない頃にあった事。
少女は朧月の姿を見て、顔を僅かに顰めながらも、ここが”流星街”であることを教えてくれた。

『流星街か。それなら外に出ても平気かな』
「やめたほうがいいと思う。あんたみたいな奇怪な姿の人なんていないし、怪しまれる」
『……もしかして、心配してくれてる?』

少女はふいっと顔を背けたが、朧月は嬉しかった。
それから繋がりをゆっくりこの場で辿っていく朧月だったが、それは何日もかかる。
1人でそんなことばかりしていれば気が滅入るのだろうが、少女が毎日のようにひょっこり現われた。

『俺ハンターなんだけどね、ちょっと念を…あ、念って言っても分からないかな?』
「知ってる」
『え?知ってるの?それじゃあ、説明らずだね』

10にも満たない少女なのに、もう念を知っている事に朧月は驚いた。
話してみれば、少女は色々なことを知っている。
知らなければここでは生きられないかもしれない。

『髪を上げていたほうが可愛いよ』
「別にお世辞なんていらないよ」
『う〜ん、本気で言っているんだけど…』

少女の髪を結い上げたくても、朧月は少女に触れることが出来なかった。

『君の髪に似合いそうな布を買ってくるよ』
「どうやって?」
『ここから戻れたら、普通に買うけど』
「流星街に来れるの?」
『え?だって流星街って入るの制限されてるわけじゃないよね?前に行った事あるし』

朧月は本気で言っていた。
だからここから戻れたらこの少女に似合いそうな布を買おう。
その布をリボンにするも、紐にするも少女の自由だが、少女の髪に似合いそうな布を買おうと思った。
この寂しい所で、自分の話し相手になってくれたお礼に。

そこにいたのは10日くらいだったと思う。
元の場所に戻れた朧月は、少女に似合いそうな布を購入した。
センスがあるわけではないので、一応ミスティにアドバイスはしてもらったのだ。
流星街の自分が飛ばされたはずの場所に行った。
行ったその日に少女は現われなかった。
その次の日も、その次の日も…。
1週間ほど経って、ようやく気づいたのが自分が失敗した念は時間を超えようとしていたものであったこと。

「そうか…。あの”時”は今でなくて、過去か未来である可能性の方が高いんだよね」

朧月はその場に少女へのお礼の綺麗に包まれた布を置き、置手紙を残した。
いつの”時”に会ったか分からない少女が、またここに来て、これを手に取るようにと。
念をかけ、少女にしか取れないようにした。
その少女の名をキーワードに、念をかけたのだ。

「頭を撫でてみたかったな…」

触れれば気持ちの良さそうな髪質をしていた少女。
朧月にとってはミスティと同様、娘のような感覚だった。

「また、会えたら会おうね、マチちゃん」

そして朧月は流星街を後にした。
その後、亡くなるまで少女に会うことはなかった。



はぱちっと目を覚ます。
目に見えた天井は書店の『朧月』の天井だ。
ここは『朧月』にあるの部屋である。

「夢…」

はぽつりっと呟く。
夢で見た記憶は朧月の過去の記憶だ。
思い出したことも多いが、全てを思い出したわけではないため、こうやって夢として思い出すこともある。

「そういえば、どうなったのかな?あれ」

流星街に置いてきた布。
色と質だけで値段など気にせずにあの子のために買ったものだった。
1人の寂しさは嫌いだ。
だから、一緒にいてくれたあの子の存在がとてもありがたかったのを覚えている。

「行ってみようかな、流星街」

そうと決まったならば行動あるのみ。
はばっと起き上がり、ミスティに出かけることを伝えに行った。
は出かけてばかりのように感じてしまうが、ちゃんと書店の店番もしていることもある。
ミスティの情報収集の趣味が外でやる必要のないものなので、部屋にいるミスティに甘えて店番を頼んでしまうのである。



として流星街に来たのは初めてだ。
堂々と歩いていれば、ここの住人は気にしない。
広がるのは廃墟のような建物と、廃棄された物。
の目的の建物はすぐそこ。
以前来た時は誰も住んでいなかったし、人が住めるような場所ではないと思う。
だが、この街ではどんな場所に誰が住んでいてもおかしくないと感じる。

かつん…

響いたのはの足音だけ。
そこは朧月が以前訪れた時と変わらないままそこにある。
ほんの少しの光が漏れてくる、何もない部屋。
ただ、この部屋にあった扉がなくなっていた。

「あれから、もう50年くらい経ってる、よね」

は少女への贈り物を置いた場所を見る。
そこには何もなかった。
この部屋にあったボロボロの木箱の上にメモと一緒においておいたのだ。
は木箱の上に手を置く。

「念と言っても簡単なものだったから、誰かに持ってかれちゃったのかな」

ふぅっと小さく息をつく。

「あれ?」

木箱に何か文字が削られているのに気づいた。
誇りが被っているが、それをそっと掃う。
削られた文字はこの世界の文字だ。

― ありがとう、オボロヅキ

その文字を見て、は目を開いて驚く。

「受け取って…くれた?」

少女と出会ったのが未来であるように願っていた。
未来ならば少女に贈り物が渡るだろうから、少女が自分と出会ったらこの贈り物に気づきますようにと、思って念をかけた。
嬉しくなっては笑みを浮かべてしまう。
会えなかったけれども、受け取ってくれたのが分かっただけでも嬉しい。
もしかしたら、年月が経って布はボロボロになってしまっていたかもしれない、それでも、受け取ってくれたことだけが嬉しかった。
だが、の表情がぴたりっと止まり、ばっと後ろを振り向く。
気配を感じたのだ。

「誰…」

それはの言葉ではなく、扉があった場所に立っている少女からの声だった。
その少女は朧月が出会った小さな少女がそのまま大きくなったような姿だった。

「…マチ、ちゃん?」

ぴくっと少女が反応し、を睨みつけてくる。
ははっとなる。
そうだ、今の自分は朧月ではないのだ。
この少女があの時会った子であったとしても、突然名前を呼ばれれば警戒されるのは当たり前。
何か言われる前にここから去らねば、とは思ったが、少女が髪を上でまとめ、まとめた部分に布を巻いているのが見えた。
それは朧月が少女の為にと買ったものとよく似ていた。

「それ、もしかして本当に髪の毛纏めるのに使ってくれたの?」

使ってくれたのかもしれないという嬉しさから、警戒されるなどという考えなど吹き飛んでそんな言葉が漏れてしまう。

「あんた、誰?」

警戒するだけでなく、僅かに殺気をこめた視線を向けられ、はまずいと思った。
でも、これだけは言いたい。

「ありがとう」

1人になりそうだったあの時、一緒にいてくれてありがとう。
気持ちをこめた贈り物を残したけれど、ちゃんと言葉を伝えたかった。
朧月が亡くなるまでに彼女には会えなくて、ずっと言えないままだったと思っていたけれども、今言う。

「あの時、一緒にいてくれてありがとう。…って、朧月からの伝言」

の言葉に殺気こそなくなったものの、少女はを睨むのをやめなかった。
この言葉は朧月が言いたかった言葉であって、嘘ではないから、聞いてくれただけでもよしとしなければ、とは思う。
は”空間を創る賢者の杖”を具現化して、この場を去ろうとした。
だが、ぱしっと腕を掴まれてしまう。

「マチちゃん?」
「アタシをそう呼ぶのは、1人だけだ」

は驚いて少女、マチをじっと見る。
朧月の呼び方がの呼び方であり、より年上のはずのジンもにとっては”ジン君”のように、マチも”マチちゃん”なのである。

「アンタ誰?」
「あ、えっと…、私は朧月の知り合いなの」
「嘘だね。どうみても20そこそこの年齢にしか見えないのに、20年前に亡くなった朧月の知り合いのはずがない」
「でも、それを言うならマチちゃんもそうだと思うよ」
「アタシは特別。あんな偶然が起きなければ会うことはできなかったよ」

確かに、とは納得してしまう。
あれは念の暴走のようなものだった。
突然マチがくすくすっと笑い出した。
はこくっと首を傾げる。

「顔に出てるよ」
「え?え?!な、何が?!」
「事情はよく分からないけど、朧月なんだろ?」
「へ?」

の姿でそう言われたのは初めてかもしれない。
ミスティは別として、が朧月だったことはそうと聞いても信じられないことだろう。

「反応が一緒だ。それに、50年くらい経っていると言えるのは朧月だけだよ」
「き、聞いてたの?!」
「アンタが来る前からここにいたんだ」
「…気づかなかった」

綺麗に気配を絶っていたのだろうか、それとも単にが周囲に気を配っていなかったから気づかなかっただけなのか。
両方該当するのかもしれない。
戦闘モード以外のはぽけぽけしているのだから。

「普通に朧月だって言われたの、ミスティ以外は初めてだよ」
「雰囲気と反応が一緒だ。朧月を知ってるなら分かると思うよ」
「そうかな?」

でも、ジン君は結構疑ってたし…。
あ、そっか。
ジン君、遺体埋葬してくれたんだもんね。

「でも、マチちゃんにお礼言えてよかった。どうなったか気になってたんだよ」

流星街に行くよ、と一方的な約束を自分の方からして、結局行けなかった。
朧月が生きている時間は、マチと出会った時までもたなかった。

「会えてよかった」

朧月ではなく、今はとしてここにいるけれども、その時の気持ちをお礼を伝えることができてよかった。
マチのことは心残りの1つだったから。

「私は、。朧月じゃないけど、朧月の気持ちはすごくよくわかるから、彼の変わりにマチちゃんにお礼がしたい」
「お礼はこれをもらったから十分だよ」

マチは髪の毛をまとめた上から巻いている布に触れる。
やっぱりそれは朧月が贈ったものなのだろう。
使っていてくれているのがとても嬉しい。

「それでも、やっぱりお礼したいよ。私に出来る事があったら、言って。何でも…は無理だけど、出来る限りの協力をするよ」
「別にいいのに」

くすっと笑うマチ。

「それでも!必要な時は言って、マチちゃん」
「わかったよ。でもも、アタシに協力できることがあったら言ってよ」
「マチちゃん?」

どうしてそうなるのだろう、とは首を傾げる。
この流星街で得たいの知れない透けた存在であった朧月の話し相手になってくれたのはマチだ。
付き合ってくれたのはマチであって、朧月は迷惑をかけただけだろう。

「お礼を言うのは、アタシの方だよ」

マチはそう言ってとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
あの時朧月がマチを話し相手とすることで、マチにも何かいい変化があったというのならばそれは嬉しいことだと思う。
念能力の失敗であそこに飛ばされてしまったが、それが無駄でないと感じるから。