― ジン




新しい念。
は回復系の念を作ることを望んでいたが、回復系の念のイメージがわかない。
その代わりと言っては何だが、現時点での念能力の応用が出来るようになった。

「これで逃げる時には更に逃げ切れる確率アップ!」

鏡の前で自分の姿を見ながらはぐっと親指を立ててみせる。
だがすぐに虚しくなる。

「こればっかりは性格だから変えられないし、仕方ないよね」

はぁ〜と大きなため息をつく
逃げることを第一に考えてしまうのは、そういう性格なので仕方ないだろう。
朧月の頃からそれは変わらないのだ。
は鏡に映った自分の姿を見る。

黒い短い髪に黒い瞳。
髪の色も瞳の色もと同じもの。
違うのは体つきと背の高さくらいだろう。

「久しぶり、『俺』」

意識して出した声はの声ではないもの。
少し低めの男の声。
姿も声もこれは朧月のものだ。
の手に握られているのは細い銀の杖。
『空間を創る賢者の杖』である。
この姿は、その念能力の応用になる。

「思ったより違和感がないかな?」

自分の周囲の空間を僅かに歪める事によって、自らの姿を別の姿へと見せる。
あくまでこれは幻覚のようなものであって、感触までは誤魔化せない。
と朧月では体つきも身長も違うので、実際手合わせするとなると相手は違和感を覚えることだろう。
声は空気に干渉することによって空気の振動を変えて、声色が変化しているように見せる。
これはあらかじめ変更する声がどのような声が知っていないとできない。

「ミスティは驚くかな?」

くすっと笑って、はミスティがいる部屋へ向かうことにした。


普段ミスティが何をやっているかと言えば、大抵何かのデータを整理していたり、情報収集をしている為姿が見えなかったりする。
ミスティのデータ収集の方法は特殊で必要なデータをパソコンに入力していくのだが、入力したデータはすでにミスティの頭の中で整理されたもの。
ミスティのデータ処理能力は物凄く早いのである。

「ミスティ?」

普段ミスティがいるはずの部屋をひょっこり覗きこむ
ミスティは画面に映ったデータをじっと見ているところだった。
自分が入力した内容の確認というところなのだろう。
”朧月”の声でひょいっと後ろを振り向く。

「マスター?どうしたのですか、その姿」

その表情に驚きはなく、心底不思議そうな感情だけを見せる。

「やっぱりミスティは驚かないか。う〜ん、残念」
「当たり前でしょう。マスターはどんな姿でもマスターですよ。ですが、その姿は懐かしいです」
「うん、すごく久しぶりだからね」

朧月が亡くなって20年は経つだろう。
朧月が亡くなったと同時にが存在し始めた。
入れ替わりでなければ、ミスティは消えてしまうことになるので、朧月がこちらで息を引き取った時間には生まれたのだろう。

「ミスティ、突然だけどジン君の場所は分かる?」
「フリークス氏ですか?ええ、分かりますよ。会うのですか?」
「うん。としては会うつもりはなかったし、偶然会ってしまったら仕方ないかな?くらいに思っていたんだけど、この姿なら会ってもいいかなって。今どうしているか気になるし」
「フリークス氏ならば、マスターのその姿が今の本当の姿でないことは分かってしまうと思いますよ」
「だと思う。これは”俺”の気持ちの問題だからね」

ミスティはパソコンに向かってデータを調べだす。
一見普通のパソコンにしか見えないこの中には、想像つかないほどの大量のデータが入っているらしい。
ミスティの情報屋としての仕事に関しては、は一切ノータッチである。
手伝おうにも何も手伝えないだろうし、が手を出せば足を引っ張るようなものである。

「見つかりました。ヨルビアン大陸の南にある森の中にいるようですね」
「ヨルビアン大陸の南?それなら以前その辺りまで行ったことがあるから、すぐ行けそう」
「今から行ってきますか?」
「そうする」
「お帰りは明日になります?」
「う〜ん…、ジン君の都合もあるだろうし、遅くなるようなら連絡するよ。なるべく今日帰ってくる」
「はい、分かりました。留守は任せて下さい、マスター」

笑みを浮かべてはその部屋を後にした。
すぅっと空間を創る賢者の杖を具現化して、振る。
朧月の姿だと、この念も使いやすい気がする。
元々この念は朧月として使いやすいように作り出したものだ。
この姿で使うと使いやすいと言うのは、気持ちの問題だろう。

空間が歪み裂ける。
その隙間にはもぐりこみ、空間を渡る。
渡る先は声にだしてもいいが、基本的にはイメージだ。
転移先は、ヨルビアン大陸の南。



とんっと地に足をつけた場所は森の中だ。
ヨルビアン大陸の南には森が広がる。
その巨大な森の中にジンがいるらしい。

「円しながら、探すのが一番早いかな」

は念を広げる。
直径で100メートルほどの円を広げ、そこで止める。
とんとんっとその場で軽く跳ね、だんっと駆け出す。
が走れば円もそのまま移動する。
そこに何か引っかかれば、誰かが居る事になる。

「100じゃ狭いかな」

ぐいんっと円の範囲が広がる。
は簡単に円を広げるが、ここまで円を広げられる念能力者は極少数だろう。
円ができない念能力者もいる。

木々を避け、岩を飛び越え、はざっと走る。
途中奇妙な生き物が引っかかったりするが、生物と人との違いは分かる。
特に念を会得している人の気配は独特だ。

「絶してないといいんだけど…あ」

足をぴたりっと止め、まっすぐ進んでいたは方向転換する。
円にひっかかった。

「ジン君、発見」

思わず顔に笑みが広がる。
気配の方に走り出す
ジンの気配だとはっきり分かるほど、彼の気配は分かりやすい。
絶をしているわけでもないし、その場で異彩を放っているわけでもない。
自然に溶け込んでいるように思える。
朧月にとっては最初で最後の弟子。
教えることが上手かったわけではない朧月は、ジン以降は弟子を取ろうとはしなかった。

弟子の成長を見るのは面白かった。
でも、やっぱり最初に天才の弟子を持つと、次にも無意識にそれを期待してしまいそうになると思ったから、師匠となるのはやめた。
ジン君、今はダブルハンターの君はどれだけ成長した?

ぼさぼさな黒髪に、服の端がボロボロになった状態でも、雰囲気は最後に見た時と変わらないと思った。
火をおこして鍋を上にのっけ、なにやらぐつぐつ煮込んでいるところを見ると料理でもしているのだろうか。
は気配を絶ってそっと近づく。
ジンの後ろからひょっこりと鍋の中を覗けば、そこには毒々しい緑色。

「薬?それとも料理?」
「料理だよ。なんだよ、悪いか?」

背後からのの声に驚きもせずに答えるジン。

「やっぱり、気づかれてたんだ」
「これだけ近くまで来られれば、どんなに気配を絶っても分かるに決まってるだろ」

顔だけ振り向き、朧月の姿をしたを見る。
その姿を見てジンは顔を盛大に顰めた。

「お前、誰?」
「”俺”が分からない?」

ジンはすっと目を細める。

「朧月は死んだ。オレが霞の妖精に頼まれて火葬した」

は思わずぽんっと手を打つ。
そう言えば、朧月が死んだ後の遺体がどうなったかを知らない。
が知っているのは朧月が過ごしてきた時の事だけだ。
死んだ後の事は知るわけがないので、墓があるかどうかすらも分からない。

「ジン君が火葬してくれたってことは、墓とかも?」
「墓はないよ」
「そっか」

ジンはから視線を外し、鍋の方を見る。

「霞の妖精が墓はいらないって言ったからな。遺体は骨が残らないほどに燃やし尽くした」

朧月の墓があったらあったで、は複雑だったかもしれない。
朧月としての記憶があるのに、本人はここに眠っている。
まるで自分の墓を自分で見ているかのような気分になってくるだろう。

「ジン君?」
「その呼び方はやめろ」
「”オレはもう子供じゃないから”?」

ジンがばっと振り返る。

「お前、本当に誰だ?その姿は朧月だし、纏う念も朧月と同じようにしか見えない。けど、アイツは確かに死んだんだ」
「うん、”朧月”は死んだ。俺がやったことは馬鹿な事で、ミスティを悲しませただけだった」

ジンはちょいちょいっと手招きして、隣に座るように促す。
話が長くなりそうだと思ったのか、じっくり聞きたいと思ったのかは分からない。
は誘われるまま、ジンの隣に腰掛ける。
ジンは隣にすわったをじっと見る。

「ジン君?」
「こう見ると確かにまんま朧月なんだよな。けど、なんか…」

ジンは顎に手を当てて、朧月の姿をしたをじっと見つめる。
この姿は幻術のようなものであり、触れられると違和感を感じてしまうだろう。

「なんでその時の姿なんだ?」
「へ?」
「ほら、それ、死んだ時の姿じゃないだろ?あん時はもっと髪が長かったし」
「あ、ああ。だって、ジン君と最後に会った時はこのくらいだったと思って」
「そーいや、そんな感じだったよな。朧月ってぽけぽけっとしたイメージが強いから、髪の長さなんてどれでも一緒だし」
「ぽけぽけ…」

ジンが朧月をどう思っていたのかがよく分かる言葉である。
確かにほけっとしたところがなかったかと言われれば、ないと言い切れないところがある。
ジンはの手をつかむ。
にぎにぎっと手で感触を確かめているようで、はぎくりっとなる。

「幻か」
「そうあっさり見破られると、なんか悲しいんだけど…」
「けどな…」

じっと穴が開きそうになるほど、の方を見るジン。

「オレは朧月の遺体を見ているから、あんたが朧月じゃないって言えるけど、雰囲気そっくりだし、反応も同じだし、朧月だって言っても嘘だって否定できない気がするんだよな」
「きっぱり否定されるとものすごく悲しいものがあるよ、ジン君。朧月ではないけど、朧月の記憶はあるし」
「はあ?」

ジンの顔が盛大に顰められる。
朧月でないのに朧月の記憶があるとはどういうことなのか。
そう思っているのだろう。
は簡単に事情を話す。
ジンに事情を話すためにここに来たわけではないのだが、話したほうが早そうだと思った。

朧月はミスティに幸せをつかんで欲しいと願って、自分とは薄い繋がりのみを残してミスティの存在を残した。
として別の世界に生まれ変わり、3年ほど前に念の暴走でこちらの世界に来てしまった。
ふとした切欠で記憶が戻ってきていること。

「生まれ変わりね。そんな能力があるなら誰も彼もその能力を望むだろうな」
「俺の場合は偶然みたいなものだけど」
「朧月だから出来たことなんだろ。朧月らしいし」

ミスティには、が今の生を終える時に同じように消えることを望んだ。
はミスティの念をかけなおした。
次にが生まれ変わっても、朧月ととしての記憶を持つことはないだろう。
その理由がなくなってしまったから。

「今の姿は?」
「へ?」
「それは朧月の姿で、今のお前の姿じゃないんだろ?」
「あ、うん」

は手に持っていた銀の杖をすっと軽く振る。
ヴンっと空間が歪む音がし、朧月の姿が霞み、の姿に戻る。

「…女?」
「うん」
「けど、全然雰囲気変わらないよな」
「それって私が男っぽいってこと?それとも朧月が女っぽかったってこと?」
「雰囲気に性別の違いはあんま関係ないだろ。どちらかと言えば朧月が女っぽかったけどな」

なんと反応していいものか、微妙な気持ちになる。
は女なので女っぽいと言われても嫌ではないが、朧月としては女っぽいと言われるのは嬉しくない。
朧月と変わらないというのはミスティにも言われた。
彼を知る人から見れば、は本当に朧月と変わりがないのだろう。

「そう言えば、ジン君。弟子をとったんだね」
「げ…、どっから聞いたんだよ」
「ミスティを甘くみちゃ駄目だよ」
「霞の妖精か…」

正確にはミスティに聞いたわけではなく、ジンにカイトという弟子がいることをが”知って”いるだけだ。

「朧月の苦労が少しだけ分かった気がする」
「師匠の立場ってのも結構大変でしょ?ジン君は手がかからなかったから、”俺”の教え方が下手でも成長速度すごくはやかったけどね」
「あの頃は自分が強くなるのを実感できて、1日1日がすっげー楽しみだったんだよな」
「”俺”も楽しかったには楽しかったけど、ジン君には苦労したな〜」
「世界1周勝負は楽しかった。またやりたいくらいだ」
「え…、あれは流石に勘弁して欲しいよ」

最初の頃は朧月も楽しかった。
だが、世界一周の勝負内容をミスティとジンが凝り始めて、最後の勝負内容は物凄いことになっていたものだ。
集めるものが名所にある名物でなく、レアなものになって集めること自体がすごく難しかった。

「また、こうして話せるなんて思っていなかった」
「私も。本当は朧月を知る人にはなるべく会わないようにしようと思っていたんだよね」
「じゃあ、何でオレに会いにきたんだ?」

は苦笑する。

「ジン君は最初で最後の弟子だったから、どうしてるか気になった。ゴン君に会ったから余計ジン君のこと思い出しちゃったし」
「ゴンに会ったのか?」
「ハンター試験一緒だったんだよ」
「ハンター試験受けたのか?」
「うん。今回はなんと一発合格!」

笑顔で報告するに、ジンは意外そうな顔をする。
今回はというのは、朧月の時は2回目の受験での合格だったからだ。

「朧月って1回目でハンター試験合格してなかったのか」
「…同じ受験者にちょこっと騙されちゃって」
「朧月らしい理由だ」

笑うジン。
ジンは勿論1回で合格、それもその時期ではただ1人の合格者だったはずだ。
朧月は第267期ハンター試験合格者の裏試験を担当する仕事を引き受けていた。
それがジンただ1人だけだった。

「でも、ジン君、元気そうでよかったよ」
「オレはいつでも元気さ」
「ゴン君、ジン君をおっかけてるよ」
「知ってる。ま、あいつがどのくらいで追いつくか分からないけどな」
「意地悪しないで、ちゃんと会わないと駄目だよ」
「……………分かってる」

はくすくすっと笑う。
どこか照れたようにそっぽ向くジン。
小さな少年だったはずのジンは今や一児の父である。
人の成長は早いものなんだなと、ジンを見ては実感したのだった。