― 朧月 09




リーディスに泊まり込んで10日目の朝、は借りている部屋のベッドからもそもそっと起き上がる。
半分寝ぼけながら、半目で部屋の中を見渡す。

流石にそろそろ1度戻らないとならないよね。

お留守番をしているミスティから、戻って来いといわれそうな気がする。
リーディス探しに時間がかかるので、少し長くなるかもしれないとは言ってはある。
ここからケータイで連絡を取ろうにも、念で妨害されているからか、それとも電波が届かないだけなのか、ケータイが繋がらない。

ピリリリリ

「……あれ?」

一応枕元に置いておいたケータイの着信音が響く。
ぴっとケータイを取ってみれば、機械を通して聞こえたのはミスティの怒鳴り声。

『マスター!!どーして連絡してくれなかったんですかーー!!』

思わずケータイを耳から話す。
びりびりっと耳に響いた。
耳がちょっと痛い。

「どうしてって言われても、圏外でケータイ繋がらないかったし」
『圏外でも『朧月』には繋がります!わたくしがそう改造しましたから!』
「え?そうなの?」
『そうです!以前ちゃんと言いましたよ!』
「ごめん、多分聞いてなかった」
『マスター!』

泣きそうなミスティの声にものすごく悪い気持ちになってくる。
彼女の泣きそうな声や表情にはめっぽう弱いである。

『酷いです、マスター…。わたくしがどんな気持ちで待っていると思っているんですか?』
「え?あ、ごめんね」

なんか、亭主の帰りを待ち続けてる奥さんみたいな台詞に聞こえるんだけど…。

一応謝罪の言葉を述べるが、あまり反省していない
連絡を取らなかったのは悪いとは思う。
思うが、本に夢中になっていてちょっと忘れかけていたとは言えない。

「多分明日か明後日には帰るから」
『本当ですか?!』
「本当、本当」
『明後日までに帰ってこなかったら迎えに行きますよ?!』
「うん、いいよ」

ちょうどそろそろ帰ろうとは思っていたのだ。
通行証明ももらった事だし、ここにはまた来ればいいだろう。
ミスティと約束をして、ぴっとケータイを切る。
ふぅっと小さくため息をつく。

「家族か?」
「いえ、家族とかではなくて…」

聞こえた声に普通に答えようとしただが、その言葉を途中でぴたりっと止める。
この部屋は1人が寝泊りしている。
ダイスも入ってくるような事などしないし、以外の人がいるはずもない。
ぎぎっとロボットのようにぎこちなく、声が聞こえた方を見る。

「おはよう、

の隣でぬくぬくとベッドに寝転がりながら、笑顔で挨拶してくるのはクロロ。

「っ!!?」

一瞬息をのむ
同じベッドの中にクロロの姿。
服はきちんと着ているし、にくっついているわけでもない。
この部屋のベッドはキングサイズとも言っていいほど広いので、2人くらい寝ても問題はない広さではある。
寝起きで気配を探らないが気づかないのは仕方ないのだろう。

だが次の瞬間、は空気が震えるほど大きな声叫んだのは言うまでもないだろう。
リーディスの中に大きく響く叫び声。
自身もここまで大きな声が出たのに驚くほどだった。



むすっとした表情のまま、リーディスの本棚の中を歩き回る
その後をクロロがついてくる。

「しんっじられないです!いっくら寒かったからって、普通人の許可なくベッドにもぐりこみますか?!」

叫んだ後にはクロロを部屋から追い出しにかかったのだが、クロロはしつこく食い下がって出て行かなかった。
何故部屋にいるのかと問えば、寒かったから、らしい。
布団でも毛布でももう一枚もらえー!と叫び返したは間違ってはいないだろう。
どうして寒いからと言って人のベッドにもぐりこむ事につながるのか、クロロの思考回路は理解できない。

「朝起きた時のの反応を見たいってのもあったんだよね」
「クロロさん、悪趣味です!意地悪です!」

ぐるんっとクロロの方を振り返り、びしっと指でクロロをさす。

「服を着ていたんだから、問題は何もないだろ?」
「そっ…!そういう問題じゃないんですっ!」

の顔がほんのり赤くなる。
ベッドにもぐりこまれる意味が分からないほど、は鈍くはない。
クロロにそういうつもりがなくても、やっぱりやめて欲しいのだ。

「それにずっと1人じゃ寂しいじゃないか」
「寂しいって…、子供ですか?!」

突っ込むにクロロはくくくっと笑う。
完全にからかわれている。
クロロはの前では良く笑う。
それこそ何が楽しいのかと思えるほどに。

は寂しくない?」
「私は1人寝が寂しいような年齢じゃありませんから」
「オレはと一緒だと楽しいし、寂しくないよ」
「私は1人の方が気楽です」

すたすたっと歩きだす
クロロは笑いをとめずにの後ろをついてくる。

「結構本気で言っているんだけど」
「本気ならタチが悪すぎです」
「そう?」
「そうです」

はぴたりっと歩みをとめて、クロロの方をぐるんっと振り返る。

「私は明日にはここを出ますから、今日の夜は絶対にもぐりこんでこないでくださいね!」

やめろと言っても、クロロは自分が面白いと思えばやめることはないだろう。
そうは分かっていながらも、やめてくださいとは言わずにはいられない。

この人は自分がどんなに格好いいか絶対に自覚してない!
朝起き抜けに、あの顔が最初に目に入りでもしたら、心臓に悪すぎるっ!

かつかつっとどこか怒ったかのように歩くを、クロロは今度は後をついていかなかった。
困ったように首を傾げる。

「参ったな。本当に結構本気で言っているんだけど…」

ぽそっとしたクロロの呟きをが聞くことはなかった。
その呟きを耳にしたのは、このリーディスの管理を任されているダイス達くらいだろう。



クロロを置き去りにして、は本棚の本を読む。
ぱらぱらっとめくる本の内容は、古い神話の本。
読むというより、目を通すという感じでぱらぱらっとめくる。

「これもだ…」

は小さく呟く。
”自分”は初めて読むはずのこの本。
でも、読んでいけば内容を知っているかのように頭に浮かぶ。
なんとなくのストーリーがふっと浮かんでくるため、前に読んだような気がしてくるのだ。

「『この本は、”俺”が始めて読んだ神話なんだ』…か」

恐らく朧月の記憶なのだろう。
この本を読んだ事がある気がするのも、読んだ事があるような本を手に取ると浮かぶ”記憶”も。
リーディスにある神話の本の半数くらいは、朧月が読んだ事があるもののようだ。
手に取る本は5割の確率で”知っている”本なのだから。

―マスター、この本はいかがですか?
―パドキア共和国にマスターの好きそうな本があるようですよ。
―もう!たまには身体を動かすべきですよ。
―だ、大丈夫ですか?マスター!
―はい、わたくしができることでしたら何でもしますよ、マスター。

浮かぶ”記憶”にはいつもミスティが側にいた。
だんだんと思い出してくる朧月の”記憶”。
自分が朧月の転生体であることは半信半疑だったのだが、こう記憶が浮かんでくるようでは肯定せざるを得ないだろう。

「これも読んだ事があったね」

本の背表紙に手を沿え、は呟く。
世界中のあらゆる本が集まっていると言われるリーディス。
本が切欠で”記憶”が出てくるとは思っていなかった。

なんか、不思議。
本当に自分の”過去”を思い出しているみたい。
ほんと、朧月って性別以外は、考え方とか私そのものだし。

前世の記憶がもし戻ったら、自分は前世の朧月に乗っ取られてしまうのではないのだろうか。
そんな考えが思い浮かばなかったわけではない。
でも、それは単なる杞憂。
は消える事はない。
何故なら、が朧月自身なのだから。

「あ〜、でも、なんか…」

くすくすっとは思い出す”記憶”に笑う。
朧月は本当にそのものなのだ。

「すごく親しみが沸くんだけど、本当に私と同じなのが可笑しい」

例えば思ったことがすぐに表情にでてしまう事とか、たまにうっかり大きなミスをしてしまったりする事とか、念能力は使えるのに使えないふりをしている事とか。
500年という長い時全ての”記憶”が思い浮かぶわけではなく、浮かぶのは断片的な”記憶”。

「でも、おかげで…」

元の世界に帰るヒントをつかめた気がする。
朧月の能力を完全に使えるようになれば、帰れる。
ただ、今の私ではコントロールがちょっと難しいかもしれないけど…。

その辺りはミスティあたりにでも協力してもらおう。

―はじめまして、マスター。

にこりっと笑みを浮かべた”自分”の念能力から生まれたヒト。
忠実であれと思って創ったわけでもなく、ただ誰か側にいて欲しかっただけ、寂しかっただけ。
そんな事が理由で創った、初めての朧月の念能力。

「暖かな永久の霞(ミスティ)」

”ミスティ”の名を口にする。
朧月が念を覚えて最初に望んだのは、永久に共に歩める話し相手であり、暖かな存在。
かすんで見える月である”朧月”が自分ならば、共に歩める相手は”霞”、ミスティ。
ミスティの能力は何もない。
ヒトと同じような存在である事を願っただけなのだ。




  

― 暖かな永久の霞 ミスティ
人と同等の意思を持ち、成長もする人の形の念。
話し相手として望んだ為、話し上手で説明上手、さらに聞き上手。
見た目は女性体だが、性別はないようなものである。
本人が努力し成長したため、情報収集能力と体術のレベルがかなり高い。