WOT -second- 60



海の底にある桜の本体のある場所のように、この部屋も椅子やテーブルが自由に出し入れできるようで、何もない床からすっと出てくる椅子と机。
形は朱里には珍しい洋風。
この技術が作り出された当時の文化基準だろうから、和風でなく洋風なのは当たり前なのかもしれない。

(多分、転移法術の応用か何かだよね)

何もない空間から物質を作り出すのは難しいはずだ。
どこかにあるものを転移してきているのだろう。
なんとなく、そうぼやっと考えるシリン。
全員が椅子に腰かけると、ぱっかりと机の表面が割れてディスプレイが出てくる。
流石にもう驚かなくなってきているらしいエルグは落ちついた表情だ。

「彼ら魔族の情報は我らの始祖達…翔太殿達が戦った過去の情報しかありませんが、それより強化されている可能性は低いため、当時の情報で十分かと思います」

柊老人が語りながら、机のディスプレイに文字と画像が現れる。
文字は日本語なのでエルグには分からないだろう。
表示された画像は数人の魔族が空に浮いている状態のものだ。

「カナメ殿、何故強化される可能性が低いと思われるのですか?」

質問したのは当然エルグだ。
この説明にシリンが口をはさむ事はないだろう。
翔太と同じくらい彼ら魔族の事を知っているのだから。

「魔族を強化できる者がすでに存在していないからです。詳細を説明するとなりますと、十数日程要してしまいますので、この場では詳細を省きますが宜しいですか?」

ゆっくりとエルグが頷くのを確認して、柊老人は説明を続ける。

「一般的に魔族と称される者達の容姿は獣の姿。顔や腕、脚など全てが毛に覆われ、瞳の色は金色。長寿の生命体であり、彼らの長であるドゥールガ・レサが最も長く生きていると言われています」

柊老人が説明する内容は、シリンがすでに知っている事ばかりだった。
いくつかシリンからエルグに伝えた事もある。
昔はドゥールガ・レサと同等の力を持つ者が多数いた事。
今の魔族は彼らと人間との混血である事。
彼らの特徴は強大な法力と腕に刻まれた法術陣である事。

「過去の大戦時、我ら始祖達を襲ってきた者たちの情報は画面をご覧ください」

ざっとディスプレイに並ぶのは、恐らく戦闘時の写真と思われる顔写真と名前と戦闘スタイル、使用法術の系統などが表示されたデータ17人分。
全て獣人であり、その中の1つにドゥールガ・レサの名前がある。

「内5名は当時戦死しております。残りの12名のうち、現在の魔族の始祖となっている者は8名、他4名は子孫を残さずにすでに亡くなっております」

ぱぱっと画面の写真と情報がグレーに変化するのは、戦死した者と子孫を残さず亡くなった者たちだろう。
残ったデータは8名。

「彼らは自らの腕に刻んだ法術陣の属性、この8名全員両腕に法術陣を刻んでいた為2属性の法術を呪文なしで自由に扱えます。ただ、この中で1人、特殊な法術を使う者がいます」
「特殊な法術?」
「厄介な事に、その者は今も存命」
「ドゥールガ・レサか……」

小さくため息をつきながら、その名を呟いたのはエルグ。
柊老人もエルグも顔を顰めこそしなかったものの、ドゥールガの存在を疎ましく思っているようで、シリンは思わずほんの少しだが悲しげな表情を浮かべる。

「カナメ殿、その特殊な法術とは?」
「対象に激痛を与えるものであり広範囲にわたる法術で、その場にいる者ほぼ全員に効果のある法術です」
「激痛とは具体的にどのような?」
「先日ティッシに現れたドゥールガが使用したと聞きましたので、効果のほどはエルグ殿の方が詳しいのではないでしょうか?」
「ああ、報告を受けています。あれですか…」

あの時は、あの場にいたティッシ軍人、誘拐された令嬢達、ドゥールガにとって仲間である魔族、そしてクルスと甲斐とシリン。
ドゥールガに近い場所にいた人ほど、かなりの苦痛を味わっただろう。
シリンには効かない法術の為、その痛みの程がどれほどなのかシリンには分からない。

「効果範囲は、そちらでは把握していますか?」
「ドゥールガ自身で調整できるようで、ドゥールガの目の届く場所までが限界のようです。シールドで効果の遮断は可能のようですが、その場合はシールド内の人物は攻撃が不可能となってしまいます」
「厄介ですね」
「ええ、一番厄介な法術です。それさえなければ、彼ら魔族と対等に戦う事は不可能ではありませんから」

柊老人は、魔族と対等に戦う例を話す。
ドゥールガ以外の魔族の脅威となるのは、呪文なしで発動する決められた系統の法術と、膨大な法力であり、相手の使える法術の系統を把握していれば、戦闘経験ある者ならばそう苦戦することはないだろうとの事。

「呪文なしで発動する法術以外、彼らに使えるだろう法術は限定されております」
「限られた法術しか使えないという事ですか?」
「そうです。こちらの画面をご覧になって分かる通り、現在の魔族の先祖はこの8名。彼らが当時使っていた法術の一覧はこちらです」

ぱっともう一つウィンドウが出てきて、ばっと法術呪文が並ぶ。
それは数にしてそう多いものではなかった。
覚えようと思えば覚えられるだけの種類だ。

「これだけなのですか?」
「魔族は補助系や回復系の法術を使う事はできません」
「攻撃系の法術のみだと?」
「彼らは他の法術の記録を持っておりませんので、それ以外の法術を使う事が出来ないのです」

エルグはじっと画面の法術を見る。
その法術の効果を考えながら、どう対処すべきかを考えているのだろうか。
シリンが少し考え込んでいるエルグをじっと見ると、ちらりっとエルグが視線を向けてくる。
にこっと笑みを浮かべられ、ぎくりっと嫌な予感が走る。
その視線はすぐに外され、エルグは柊老人へと視線を向ける。

「この法術の一覧は書面でいただけるので?」
「後日、ティッシへと同じものを何部かお送りしましょう」
「助かります」
「それから今までの彼らの動きの記録で良ければありますが、参考にご覧になりますか?」
「よろしいのですか?」
「文字のみの記録ですが、ここ数百年ほどの記録は存在しますよ」
「頼みます」

パネルを操作しようとした柊老人は少し手を止め、ちらりっとシリンへと視線を送る。
エルグも何かを思ったのか、シリンへと視線を向けて苦笑する。

「まだ幼い姫君には少々酷な内容になるのですが…」
「そう…でしょうね」

柊老人が見せようとしている内容がどんなものなのか、エルグには想像がついているらしい。
そして、それはシリンに見せられるような綺麗なものではない。
ふっとドゥールガや、グルド、ゲイン達の顔がシリンの頭の中に浮かぶ。
シリンにとっては怖いと思えない彼らが行っているだろうだろう残酷な事実。

「構いません、続けて下さい」

知るべきなのだとシリンは思ったのだ。
彼らがしてきただろう事は多少は想像はつくが、想像すると事実を突き付けられるのは似ているようで違うのだから。

「見た目と違い、随分と気の強そうな姫君ですな」

柊老人は苦笑しながらパネルへと手を伸ばす。
ぱっと変わる画面に映るのは箇条書きに書かれた文字。
表示されたのは共通語である。
ざっと内容を見て、シリンの顔色が変わる。

主な被害はオーセイ方面だ。
オーセイ国内の被害、オーセイ近隣の小国の被害状況、そして西方の小国の被害が少し。
ドゥールガの命令があったからなのか、やはりティッシや朱里周辺での被害はゼロだ。
数年ごとに発生する少女誘拐事件、物資の強奪事件、小さな村の消滅。
全てにおいて死傷者がかなり出ている。
先日あったティッシでの誘拐事件で死者が出なかったのは幸運だったとしか言えないだろう。

「オーセイでは何度か彼らと交流を試みようとした事があったようですが、どれも全て最悪な形での失敗に終わっているようです」
「話し合いのテーブルにすらつこうとしない…か」
「彼らはどうやら対話する事を望んでいないようです」

柊老人の言葉にシリンは不思議に思う。
シリンと接した彼らは、決して対話を望んでいないように見えなかったのだ。
こちらが言葉を返せばきちんとした返事があり、会話が成り立っていた。
それともシリンと接した彼ら達が特殊だったのだろうか。

「密偵として彼らに捉えられた者は例外なく殺されていますし、浚われた者の中でも彼らに逆らえば殺される事も多いようです」

シリンはきゅっと自分の手を握りしめる。
柊老人の言っている事、画面に並ぶ被害状況、それは全て本当の事なんだろうと頭の中では分かる。
だが、実感があまりない。
シリンにとっての魔族という存在は、会話のできる二足歩行のワンコであって、こんな残酷な事をするように思えないのだ。

「彼らは人を道具のようにしか考えてないでしょう」
「種の存続の為の道具、そして簡単に替えのきくような道具、ですか?」
「ええ、悲しい事に」

道具が壊れれば直せばいいと思うように、人間が死ねば替えればいい。
それが魔族の考え方。
恐らくそれは間違ってはいないだろう。
グルドやゲインはシリンに対して普通に接していたが、ガルファのミシェルに対する態度は、あれは女の子に対する扱いではなかった。

「姫…?」
「はい?」

柊老人が心配そうな表情を浮かべてシリンに声をかける。
どうしてそんな表情をされるのか分からないシリンは、不思議そうに問い返してしまう。

(え?何?)

エルグと柊老人が小さくため息をつく。

「やはり、幼い姫君には少しつらい内容ですね。エルグ殿、隣の小部屋で姫を休ませても構いませんか?」
「お願いします、柊殿」
『佐久、シリン姫を隣へ』
『分かりました』

きょとんっとするシリンに佐久が手を差し出す。
シリンは差し出された手をじっと見るが、ひょいっと誰かに抱えあげられる。

「俺も一緒に隣にいるよ。いいだろ、要?」
「はい、ありがとうございます、翔太殿」

シリンは自分が翔太に持ち上げられているのだとそこで分かる。
人の体温ではないような手に持ち上げられて妙な感じだ。
椅子からシリンを持ち上げた翔太は、シリンを床に立たせて手をひく。
素直にひっぱられるようにして翔太についていくシリンと、その後に続くのは佐久。

「やはり、幼い姫君には残酷すぎる内容でしたな」
「そうですね」

再度小さくため息をつく柊老人とその意見に同意するエルグ。
確かに表示された内容は残酷なものであった。
しかし本来ならば身分が高いとはいえ、幼い姫君に見せるような内容ではないのだ。

柊老人にしろ、エルグにしろ、この場にいたのがシリンでなければ素直に見せるような事はしなかっただろう。
エルグはこの先非道な事を目にしてもシリンが取り乱したりしないようにする為の耐性をつける為、柊老人は桜の主であるシリンにはこの程度の事を知っておいて欲しいと思っていた為だ。


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