WOT -second- 52



馬車でティッシ国内を途中まで移動。
のんびり向かうわけにもいかないので途中から転移法術を何度か使いながら、朱里に到着したのは日が暮れる頃だった。
1日で着けるのだから十分早いのだが、シリンにとってはものすごく長い1日だった。
二度とエルグと同じ馬車には乗るまいと心に固く誓った。

朱里の町並みはティッシとは違うのだが、薄暗いのではっきりとは分からないだろう。
見えるのは法術の明かりに照らされた朱里の城。
ティッシの一行を出迎えてくれたのは、十数人程の人たちだった。
時間も時間だ、そんなに大げさに出迎える事はしないだろう。

「ようこそ、朱里へ」

にこやかな笑みを浮かべて綺麗な共通語で話しかけてきたのは、1人の老人。

「私は柊家のカナメ・ヒイラギと申します。エルグ・ティッシ国王陛下でいらっしゃいますか?」

エルグが頷きながら一歩前へ出る。
ティッシの人たちにとって聞き取りやすいように名前を発音した老人だが、正しくは要・柊…、朱里風に言えば”柊要”になるだろう。
エルグは正式なものではないが、簡略の礼を柊老人の前でとる。

「エルグ・ティッシです。このたびはお招きいただき、ありがとうございます」

互いに顔を合わせて握手を交わす。
にこりっと笑みを浮かべる事も忘れていない。

「ヒイラギ殿は、ずいぶんと共通語がお上手なのですね」
「柊と紫藤は外交関係も昔から担当しておりますので、共通語を話せるよう教育されているのですよ」
「ですが、朱里の言葉と共通語では随分と言葉が違うので難しかったのでは…?」
「そうですな…、外とあまり交流がない我々が覚えようとするとやはり時間がかかりましてな。ですが、これからはティッシの方々との交流もあるでしょうから、柊や紫藤だけではない者達も覚える事が出来るようになるでしょう」

ほのぼのとした雰囲気で言葉を交わすエルグと柊老人。
それからいくつか言葉を交わして、すぐに中へと促される。
シリンは後ろの方についていればいいと思ってすぐに歩きださなかったのだが…。

「シリン殿」

エルグに名を呼ばれ、側にいろとばかりに手招きされてしまったので、エルグのすぐ後ろを歩く事になってしまう。

(…一番後ろが良かった)

小さくため息をつきながらも、城の中の構造を見て、懐かしさがこみあげてくる。
木造の建物、木の香り。
ふわりっと天井をまう法術の明かりに全く違和感を覚えないので、違和感が出ないように明かりを舞わせているのだろう。

(床は木、天井も木。本当に昔のお城みたい…)

この城は果たして朱里という国が出来てから建てたものなのか、それとも日本にあった城を移築したのか。
どちらにしても建設してから年数はかなり経過しているに違いない。
木造の天井も床も、新しいもののようには見えない。
階段も勿論木造で、段を上がるたびに軋むような音が聞こえる。
廊下の横は外の風景かフスマ…もしくは壁である。
いくつか階段を昇った所で外の風景が目に留まる。
上から見上げる夜の朱里の城下町。

(うあ……)

きらきら輝くのは法術の明かり。
ティッシも貴族院の中は夜でも明かりがあるが、城下町はそこまで明るくない。
だが、朱里は法力の高いものばかりだからなのか、おしみなく明かりが使われている。
それが城の上から見ると、まるで星空のように綺麗なのだ。

「大部屋に食事を用意させましたので、まずはゆっくりと食事を楽しんでください」
「ありがとうございます、ヒイラギ殿」

にこやかな笑顔で会話をしているらしいエルグと老人。

「随分と可愛らしい訪問者も連れてこられたのですね」
「政治をする者の視点のみでは、偏った印象になってしまいますからね。彼女は”あの件”の当事者でもありますし」
「そうなのですか」

ちらりっと老人の視線がシリンに注がれる。
どこか見定めるような視線に、一瞬ぎくりっとなる。
彼がエルグを出迎えたという事は、朱里での立場はかなり上の立場という事で、シリンが桜の主である事を知っている人なのだろう。

(話、しないとまずいんだよね)

シリンが桜の主である事は変えられない事なのだが、それを果たして好意的に受け入れてくれているのか、それとも保留としているのか。
思わず小さくため息がこぼれてしまうのだった。



案内された部屋は大きな部屋だった。
だが、畳だ。
首を傾げながらも言われるままに靴を脱いで部屋にあがるティッシの人達。
シリンは抵抗もなく靴を脱いで揃えておき、畳の上に上がる。

(あ、畳のにおいだ)

ふふっと小さく笑みを浮かべながら、室内を見回す。
上座から下座まで左右一列ずつ座布団が並んでいる、完全な日本式だ。
先に何人か、朱里の人たちが下座の方に座っているのが見える。

「エルグ殿、そちらの可愛らしい姫君には、紫藤の姫の話し相手を頼んでもよろしいかな?」
「そうですね、シリン殿も同じ年頃の姫君と一緒の方がいいでしょう」
「では、お願いできますかな?」

柊老人の最後の言葉はシリンに向けられた言葉だ。
シリンはこくりと頷く。
柊老人は室内を見回し、1人の少女に目を止めると声を少し大きくしてその少女を呼ぶ。

「愛理!」
「…はいっ!」

柊老人に呼ばれ、部屋の下座に座っていた少女が立ち上がりこちらに駆け寄ってくる。
長い黒髪に薄紫色の紐でサイドの髪を簡単にまとめている、顔立ちの整った少女。
見覚えのある少女の顔立ちを見て、そこで初めてシリンは愛理が部屋の中にいた事に気づく。
愛理はシリンの前に立ち、にこりっと笑みを浮かべる。

「この姫君を頼むぞ」
「うん!」

元気よく返事をする愛理だが、柊老人はそれに眉を寄せる。

「……愛理」
「あ、じゃなくて、えっと…お、お任せ下さい?」

疑問形の愛理の言葉に、ため息をつく柊老人。

(あれ?共通語…?愛理って確か…)

たどたどしいながらも、確かに共通語を話している愛理を見て、疑問に思うシリン。
シリンが愛理と会った時、愛理は共通語はまだそんなにできなかったはずだ。
シリンと話している間も全てイディスセラ語でのみだった。

「シリン、こっち」

シリンの手をとってぐいっと引っ張る愛理。
愛理に手を引かれるまま移動するシリンだが、ちらりっとエルグの表情を確認する事を忘れない。
楽しそうな企み笑顔を浮かべていたように見えたが、それは気のせいだと思いたい。

「愛理、もしかして言葉は勉強したの?」
「え?…あ、うん。やっぱり覚えないと…えっと、ふ、不便?だから」
『慣れないなら別にこっちの言葉でもいいのに』
「ううん。覚えるには、話して覚える方がいいって言われたから。シリンも共通語で話して」
「ん、分かった」

共通語を覚えるのは大変だろうに、短い間にこれだけ話せるようになるとは随分と勉強家なんだと感心してしまう。

「共通語、誰かに教わったんだよね?」
「うん」
「お父さん?それともあの柊さん?」
「お父さんは共通語話せるけど、お兄ちゃんほど上手じゃないよ。それに柊のおじいちゃんはそんなに暇じゃないし…。後でシリンにもちゃんと紹介するね」
「愛理の共通語の先生を?」
「うん。シリンの話をしたら、会いたいって言ってたから」

愛理が何を話したのか分からないが、どういう経緯でシリンに会いたいと言い出したのだろう。
桜の関係でだろうか。
それとも愛理の話で興味を持ったただけなのだろうか。

「そういえば、愛理にはずっとお礼を直接言いたかったの」
「お礼?」
「誕生日プレゼントの」
「プレゼントって…」
「うん、これ」

シリンは左の中指にはまっている指輪を愛理に見せる。
この指輪はほとんど指にはめたまま持ち歩いている。
何かあった時にかなり重宝するからだ。
誘拐事件の時は、かなり役に立った。

「ありがとう、愛理。これ、すごく役に立ってる」
「本当に?使うのは難しいんじゃないかって…えっと、思ったんだけど、エーアイがこれが一番いいだろうって、だから、これにしたの」

にこりっと笑み浮かべる愛理。
桜はきっと全部分かっていてシリンにこれをと選んだのだろう事が、翔太の事を知ってから分かった。
これは放置しておくにはあまりにも惜しいもの、使いこなせる者がいるのならばその人に譲るのもいいとも考えたのかもしれない。

「あとね、シリン。後で柊のおじいちゃんから話があると思うんだけど…」

小さな声で、少し困ったような表情をしながら言いだす愛理。
シリンはそれにこくりっと頷く。
恐らく桜の事だろう。
愛理の言う”柊のおじいちゃん”というのは、先ほどエルグに挨拶をしていたあの老人の事のはずだ。
柊老人が今のところ、この朱里をまとめている人物と考えていいだろう。
その彼がシリンと話すことと言えば、桜の事しか考えられない。

「分かってる。その事はちゃんと話し合う必要があるって思ってるよ」
「ごめんね、シリン…」
「愛理が謝る必要なんてどこにもないよ?」
「でも、シリンの事疑ってるみたいな感じで…私はなんか嫌」

シリンは少し驚いた表情をした後、嬉しそうににこりっと笑みを浮かべる。
確かに朱里の人間は、ティッシの姫が桜の主になったことで警戒をしているのだろう。
当の本人である桜と、その創造主である翔太は、シリンが朱里にとって不利益になる事などしないだろうと信じている。
そして、おそらく甲斐と愛理も同じようにシリンを信じてくれているのだろう。
桜と翔太のように、シリンの”昔”を知っているわけでもないのに信じてくれるのは嬉しいものだ。

「他の人たちは私の事を知らないから、当然の対応だと思う。だから、ちゃんと話をして分かり合う必要があると思ってるんだ」
「それは分かってる。…でも、絶対にシリンの事を悪く言う人が出てくるから、それが嫌なの。シリンは酷い事なんて絶対にしないのに」

朱里の人間全てに自分の存在が受けいられるとはシリンは思わない。
少し前まで敵国と言っていい国の姫なのだ。
ティッシの軍人に嫌な思いをされた人はいるだろうし、そんな人はシリンがいくら朱里に対して不利益な事をしないとはいえ、良い感情を抱くと言うのは難しいだろう。

(悪意を向けられるのは怖いし、嫌だけど…)

朱里の人たちとシリンとの話し合い。
それは避けられない事である。


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