WOT -second- 39.5



2人にとって大切な存在であるシリンの手助けをする為、桜と翔太は今この場でティッシの状況を見る。
海の底深く沈んでいる研究所の中、桜と翔太は立体映像の姿でスクリーンに映る光景を眺めていた。
シリンに言われない限り手を出さないでいるのは、シリンがそれを望んでいるからだ。
翔太にとって姉であり、桜にとっては父の姉、そして大切な主。
桜と翔太の存在が朱里の切り札的なものである事を分かり過ぎるほど分かっているシリンは、そう簡単に桜と翔太に助力を仰がない。
ティッシの生まれでありながら、朱里の事を大切に考えているのは、朱里が弟である翔太が建国に手をかした国であるからと共に、日本の面影があるからだろう。
決して朱里の不利益になることをシリンは望まない。
だから、桜と翔太の力を簡単に借りない。
桜と翔太もそのシリンの意思を尊重するつもりであった。

『ドゥールガ』

強大な法力の出現を感知。
それはその場にいた誰かが発したものではなく、突然転移で出現した法力だ。
圧倒的とも言えるその法力に、翔太は覚えがあった。
ぱっとスクリーンに大きく映る強大な法力の持ち主の姿。
それは、その昔見た姿よりも少し変わっているかに思える、翔太と桜にとっては懐かしいドゥールガ・レサの姿。

『ちっ、あの法術は…?!桜!』
『無理じゃ。あれはかつての父上ですら解けぬ法術であったものじゃ。妾がどうにかできる代物ではない』

ドゥールガがあの場に現れたと同時に放たれた法術。
それは大戦時に最も恐れられた法術。
翔太が唯一解読できず、翔太だけがドゥールガと対峙できた理由でもある。
桜がその法術についてシリンに一言二言説明し、シリンは何か考え込んだ後、法術で苦しむ人たちをシールドで覆った。

『法力の影響そのものを遮断したのか?けど、それは…』
『中の者も法術が一切使えぬな。離れた所に放出する方法を知っておれば別じゃろうが』

ドゥールガがシリンに近づき、手でシリンの頬に触れる。
スクリーンを睨みながら翔太はぎゅっと拳を握り締める。

『姉さん…!』

駆け付けて護ってやりたいが、今の翔太は法術が使えない。
シリンを守る力が今の翔太にはない。
本当ならば、他の人達を護っているシールドを解いて自分の身を守れと言いたい。
けれど、シリンは絶対にそんな事をしないだろう。
その間にシリンが張ったシールドがドゥールガに壊され、だが、すぐにそれを補うように桜が同様のシールドを張る。

「条件付きだが、引いてやろうか?」

うっすらとドゥールガが笑みを浮かべるのが見えた。
その表情に翔太は少しだけ懐かしいものを感じた。

「アイツは殺すことを嫌がっていた。オレにしてみれば、これが最大の譲歩だ」

はっとなる翔太。
合成獣となった彼らは、非情で冷酷、そして好戦的で、そして何故か一度懐いた相手にはとことん優しくなる純粋さも持っていた。
ドゥールガも例外ではなく、命を奪う事に対して何のためらいもなく多くの人間を手にかけ、戦う事が楽しいかのように戦場では笑みを浮かべ、しかし、手を差し伸べた翔太に対して困惑しつつもその手を取った。
多くの仲間を彼ら種族に殺された。
けれど、翔太は最後までドゥールガを憎むことはなかった。
ドゥールガにも多くの仲間が傷つけられたが、どうしても翔太は彼を憎むことはできなかった。

「アイツはここに眠る身内と、友を静かに眠らせてやりたいと言っていた」

ドゥールガの言葉に、そう言った自分の記憶を翔太は思いだす。
そう正確にはここではないが、この日本の周辺で騒ぎを起こしたくはなかった。
友が、そして家族が眠る場所だから。

(律儀すぎるんだよ、お前…)

憎み切れなかったのは、ドゥールガが翔太に敵意を向けたのは最初の1度だけだったからかもしれない。
そして、素直に自分の手を取ってくれたかもしれない。

「好き、でした?」

感傷に浸りかけた翔太の意識をシリンの声が現実へと呼び戻す。
今の自分は生身ではないのでこの表現は的確ではないが、嫌な予感がしてくるのだ。

『ちょ、ちょっとまて、姉さん。何を聞く気だ?』

シリンの状況は今良くなく、ドゥールガがその気になれば、シリンは無事では済まないだろう。
ドゥールガの事を知っている翔太としては気持ちがとても複雑で、けれど大切な姉が傷ついて欲しくないと思う気持ちの方が大きい。
しかし、シリンが傷つくかもしれないという予感ではなく、翔太が感じたのは別の嫌な予感だ。

「何がだ?」
『って?!お前も律儀に姉さんの言葉に反応するな!てか、今戦い真っ只中だぞ!好きとか嫌いとかの会話してる場合じゃないだろ!姉さんも!』

翔太の言葉がドゥールガに聞こえるはずなどもなく、しかしシリンには届いているはずだ。
聞こえているはずなのに、シリンはさらっと無視している。

「その人の事、好きでしたか?」
『さらに問う?!って、何考えているんだ、姉さん!そいつはグルド・レサみたいにモノ分かりは全然良くないぞ!ついでにめちゃくちゃ頑固だぞ!悠長に話なんかしてる場合じゃないだろ?!』

相変わらずシリンは翔太の言葉に何の反応もしない。
ドゥールガをじっと見ているシリンを、桜は「うむ」と何か感付いたように見る。
そして、シリンを見て、ドゥールガを見て、桜が「成程」と頷いた事を翔太は全く気付かない。

「オレは…」
『お、おい、何を言う気だ?』

ドゥールガの声に込められた感情に、彼は翔太の存在を知らないのに、まるで自分にその声が向けられているようでぎくりっとなる。
翔太はドゥールガとの間にあった事を全くと言っていいほどシリンに話してはいない。
それは当時の状況がそれだけ酷かった事を話したくないという事もあったのだが、理由はもう一つある。

「アイツを今でも愛してる」

真剣なドゥールガの言葉に翔太は頭を抱え込む。

『っだあああ?!お前、それやめろって、ずっと前から言ってただろうがっ!てか、公衆の面前だぞ!公衆の!こんな所で正々堂々とそういう事言うなぁぁ!しかも姉さんの目の前でっ!』

うがーと叫びまくる翔太。
こんな翔太を見るのは久しぶりだが、決して初めてではない桜は冷静である。
そして声が聞こえているはずのシリンは、やはり綺麗さっぱり翔太の言葉を無視している。

『熱烈な告白じゃな』
『冷静にとんでもないこと言うな、桜!』
『何を言うか、間違ってはおらぬじゃろ』
『相手が俺って所が巨大な間違いだ!!』
『何を言うとる、父上。あやつは昔から父上に熱烈告白していたじゃろう。100パーセント本気じゃ、間違いもないから安心せい』
『安心できるかぁぁ!』

いっその事あの場に出て行ってドゥールガの口を縫い付けてやりたいくらいだが、別の意味であの場には行きたくないと思ってしまう翔太である。
その間もシリンのドゥールガの会話は続く。
言葉は共通語である英語から日本語へと変わり、周囲でその言葉を聞き取ることができるのは甲斐くらいだろう。

『日本語での会話はありがたいが、甲斐だけに聞かれるってのもかなり嫌だぁぁぁ!』
『大丈夫じゃ。尊敬する始祖は魔族の長に一途に想われる程すごかったと良い方向に解釈するじゃろうて』
『…それもそれで微妙』
『我儘じゃの』
『我儘か?俺のこの意見って我儘か?!』
『我儘以外の何ものではないわ。誰かにこうも長く一途に想われるのは嬉しいと想うべきことじゃぞ』
『桜は当事者じゃないから、そんな事言えるんだ!』
『ま、そうとも言うがの』

さらっと肯定する桜。
他人事だからこそ面白いのだ。
いじけそうになる翔太だが、シリンとドゥールガの言葉はクリアにこの室内に響く。

『そういう所が翔太らしくて、貴方は惹かれたんじゃないの?』

優しくドゥールガの気持ちを知って嬉しいと感じる姉であるシリンの言葉。
弟がこれだけ想われている事が嬉しいだろうというのは分かる。
分かるのだが、翔太はぞわりっと寒気がしてくるのを止められない。

『ひ、惹かれたとか言うなぁ!』
『何故父上がそこまで嫌がるのか、妾は分からぬ。好かれているから良いじゃろうて』

アレだけ一途な想いは大きすぎて、想われる方は大変かもしれない。
けれど、翔太がここまで拒否する必要性が桜には感じられない。

『俺は奥さんを愛してるんだよ!』
『愛の形は1つだけではなかろう?』
『うっ…!』

そう言われると反論できない。
別に最初から翔太はこうしてドゥールガの気持を真っ向から拒否していたわけではないのだ。
決して善人とは言えない敵だったというのに、最後まで憎み切れなかった相手だ。
それがここまで拒否するようになったのは言うまでもない、相手が所構わず告白しまくってくるようになってきたからだった。
現に今も、時と場所を全く考えていない。

『紫藤香苗殿』
『私の事を知っているの?』
『翔太からよく聞いていた』
『そう…』

尚も聞こえてくるのはシリンとドゥールガの会話。

『よくって、お前が勝手に聞き出したんだろうが!そこまでして守りたい身内と友はどんな人だったんだ!とか詰め寄ってっ!』
『あれは可愛い嫉妬じゃったの』

当時の事を思い出しつつ桜は頷く。
翔太どドゥールガの対面の場に桜の姿があったわけではなかったが、彼らの事を桜は知っているのだ。

『嫉妬とか言うなぁぁ!』
『間違う事なき嫉妬じゃろう。否定しても何も変わらぬぞ、父上』

大きなため息をつきながら、翔太はしゃがみ込む。

『…あの馬鹿、何で全然変わってねぇんだ?800年以上経ってる上に俺、死んでるんだぞ?いい加減、想いも風化するだろ普通』
『父上のたらし込み具合がそれだけすごかったということじゃな』
『たらしこんでなんかねぇ!』
『うむ、その辺りの無自覚な所は、主に似ておるの。主も無自覚にクルス・ティッシをたらしこんだからの』

似た者姉弟の典型的な見本かもしれない。
恐らくシリンがこの場にいたならば、「たらしこんだ覚えはない」と否定しただろう。
無自覚天然たらし姉弟である。
そうこうしているうちに、ドゥールガは本当に引いてくれるようでグルドに声をかけていた。
それをスクリーンで見ながら翔太は苦笑する。

『会わぬのか?父上』

少しだけ複雑そうな笑みを浮かべながら桜は翔太に問う。
今でも翔太を思うドゥールガ。
その翔太がデータとはいえ、人格そのままで残っている事を彼は知らない。

『すでに紫藤翔太はこの世にはいないんだ。今の俺は娘である桜、お前を一人にしない為の話し相手にすぎないんだよ』
『じゃが、主とは話をしておるじゃろ?』
『姉さんはいいんだよ、姉さんはちゃんと分かってるからな。けど…』

ふっと翔太はスクリーンに映るドゥールガの姿を見る。
例え生身でなくとも、翔太という存在が少しでも残っている事にドゥールガは喜んでくれるだろう。
だが、それは出来ないと翔太は思うのだ。

『今の俺があいつの前に姿を見せたら、あいつがどんな行動をするか予想がつかないんだよな』

シリンはシリン・フィリアリナとしての生活があり、翔太を頼ることがあっても決して依存はしないだろう。
紫藤香苗も紫藤翔太も、すでに双方ともにその存在がこの世界にはない事を自覚しているから。
翔太が永遠に、今あるこのデータさえも眠りにつくことになっても、シリンならば最終的には納得するだろう。
だが、ドゥールガはどうだろうか。

『あやつの想いは深すぎるからの』

桜も翔太の言葉に同意する。
ドゥールガの想いは深い、今生きている意味が翔太の為だけだと言い切れるだろうほどに、翔太の事を思っている。

『ん?ちょっと待てよ』

ふと、翔太はスクリーンを見ながら思いついた事があった。

『あいつ、姉さん嫁にするとか言わないよな?』
『…どこをどうしてそのような話になるのか、妾には父上の脳内回路が良く分からぬのじゃが?』
『いや、だってよ。あいつ、姉さんに対してあんな丁寧な態度とっただろ?あのまま姉さんの事を気に入って嫁に……だぁぁ、それは絶対に許さん!!年齢差ありすぎだろうがっ!』
『…父上、それでは完全に小舅じゃ』

呆れたように桜はため息をつく。

『姉さんに言い寄るような素振り見せたら、俺が直々に一発拳を叩きこんでやる!!』
『あやつの前には姿を見せぬつもりではないのかえ?』
『それとこれとは別だ!!』

翔太の心配は無用だと桜は思う。
800年以上も一途に思い続けている気持ちをどうして変えられようか。
その程度、少し考えれば分かるだろうに、翔太はどうもシリンに対しては過保護すぎる。
過保護すぎる理由が分からないでもない桜としては、大きな息をつくだけにとどめるのだった。


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