WOT -second- 38.5



紫藤翔太とドゥールガ・レサが初めて会ったのは戦場だった。
それは、後にイディスセラ族と呼ばれる反乱軍と、彼らを実験体としていた国々との戦争が始まった頃であり、ドゥールガは対イディスセラ族用合成獣の中でもかなり最初に創られた存在であった。
当時、紫藤翔太31歳、ドゥールガ・レサ15歳という年齢だった。
最初の頃こそ獣人達に完全に圧されていたイディスセラ族だったが、翔太のオリジナル法術を起点として一気にそれを盛り返す。
何度か戦い、そして何度か戦場で話もし、決して敵同士というだけではなかった関係である事を知っていたのは桜くらいだったろう。

「お前、ちゃんと食ってるか?」
「は?」

戦場で翔太に倒されたドゥールガが、翔太に最初にかけられた言葉がそれだった。
その時ドゥールガは一瞬何を言われたのか分からなかった。
ただそれは、先ほどまで命のやりとりをするような戦いをしていた相手にかけるような言葉ではない事は確かだった。



オーセイの北方、元カナダという国があった辺りに彼ら”魔族”と呼ばれる種族の里がある。
それは国と認められているわけではない為、彼らはその集落を里と称し、そこで日々の生活をしている。
魔族は里から出ることが少なく、しかし、感情の赴くままに人から奪えるものは奪い、そして人々に恐れられる。
この里の長、ドゥールガ・S・レサはそれを咎めず、自らも感情のままに力をふるい、逆らう者は力で捩じ伏せる。
それに例外があることは、今生きている同種である彼らとて知らぬ者が殆どだろう。

ドゥールガは里から少し離れた遺跡の上で空を眺めている事が多い。
遺跡に思い入れがあるなど言われているが、この場所が静かで過去に想いを馳せるのに丁度いいからだ。
自分がこの姿となる前、まだ人間だった頃の記憶はもうあやふやで、しかしあの大戦時に会う事が出来た、今ではとても大切とも言える人間の事は、鮮やかに思い出せる。

イディスセラ族の殲滅、それがドゥールガ達合成獣に与えられた使命であり任務だった。
だがその任務は失敗。
まさに”あっさりと”という表現が正しいかのように、簡単に地に伏す事になってしまったドゥールガ。
そこで出会ったのが紫藤翔太だった。

「お前、ちゃんと食ってるか?」

当時のドゥールガは15歳、実験体として能力は高かったが身体がまだ成長期の段階でそう大きくはなかった。
だから翔太はそんな言葉をかけたのかもしれない。

「お前、まだ子供って言える年齢だろ?ちゃんと食わなきゃ成長できないぞ」
「何故…」
「ん?」
「何故、殺さない?」

ドゥールガ達を圧倒した相手。
感じる法力はそう大きくないのに、翔太にはどうしても敵わなかった。
だが、翔太からは殺気や敵意が感じられなかった。

「俺、人を殺すのは嫌なんだ」
「…ここは戦場だ」
「分かってるさ。けどな、少年。俺はぬるま湯のような平和な時代を生きて、その時の常識が頭と心に根付いている。だから、絶対に人は殺せないんだ」
「甘いな」
「そのくらい分かってる。だからこそ、自分が死なない為にもこうして…」

ぽんっと翔太は傷ついたドゥールガの肩に手を置く。
そこから流れ込んでくるのは癒しの力。
ドゥールガは翔太のしている事が信じられず、大きく目を開いて驚く。

「護れる力を死に物狂いで身につけた。犠牲は出したくないんだ、それが敵でもな」

甘すぎると、こんな戦場でそんな考えは甘すぎるとドゥールガは思った。
だが、それ以上に、常に実験体としてしか扱われなかった自分に対して、こうして対等に声をかけてくれたのは翔太が初めてだった。
そして優しく癒してくれたのも。



あの時から始まった翔太とドゥールガの交流。
戦いのたびに翔太に叩きのめされながらも、決してドゥールガは翔太に殺されることはなかった。
ドゥールガが倒れれば、翔太は手を差し伸べて助けてくれる。
馬鹿だと思った。
敵を、自分を殺そうとしている相手を助けるなんて、なんて馬鹿だと。

「何故、オレを助ける」
「何故って、だってお前可愛いじゃん」

何故助けるのかと問えば、思いもしない答えが返ってくる。

「俺、ワンコ好きだぜ。ぐりぐり撫でまわしたくなる」

何故かその言葉にむっとした。
人として扱われていないと思ったわけではない。
対等ではないと感じたのだ。
ドゥールガは翔太に隣に立つような相手ではないと思われている。
どちらかと言えば庇護すべき相手であると思われている。
それが、何故か嫌だと感じた。

「オレは子供じゃない」
「俺から見れば十分子供だよ」

更ににむっとなる。

「オレは子供じゃない!オレは…オレは…!」

”自分”という存在を見て欲しかった。
いや、翔太はドゥールガ自身をちゃんと見ていた。
だが、ドゥールガが望んだのはそうではなかった。
自分を認めてくれた、だからもっと認めて欲しい、傍にいて欲しい。

…大切にしたい。

その気持ちに気づいたのはいつだったのか、ドゥールガは今ではもう思い出せない。
けれど、風化する事なくこの気持ちは800年以上も続いている。

「兄弟はいいぞ。子供作るなら兄弟たくさんつくってやれ」
「翔太にも兄弟いるのか?」
「姉さんが1人な」
「仲良かったか?」
「結構良かった方だと思うぞ。小さい頃からよく一緒に遊んでたしな。…まぁ、コキ使われることも結構多かったけどさ」

何気にそんな話題で会話をした時ドゥールガは思った。
子はたくさん作ろうと。
姉の話をする時の翔太はどことなく寂しそうで、それが何故かその時のドゥールガにはよく分からず、兄弟が姉しかいない事が寂しかったのだと勘違いをしていた。
翔太が寂しそうだったのは、もうすでにその”姉”が亡くなっていたからと知ったのは、大分後のことだった。

「子供…?」
「おう!男の子がな!こんなご時世だから、あんま派手な祝い事とかできねぇんだけど」

妻が出産したと嬉しそうに報告してくれた翔太。
もうすでにその時、ドゥールガと翔太の関係は敵同士というだけではなかった。
戦場で戦い、ドゥールガは翔太に負け、そしていくつか会話をしてそのまま別れる。
戦いがない時もドゥールガはこっそりと翔太に会いに行き、日常的な事について話をする。
そんな空間をドゥールガは大切にしていた。
友と言える関係ではあったと、ドゥールガはその時思っていた。

「やっぱ、家族が増えるってのは嬉しいよな!」
「か、ぞく…」
「失われる命が多い中、新しい命の誕生ってのは喜ばしい事だ」

翔太の言う事は正しい、新しい命の誕生は喜ばしいことだ。
しかし、その時のドゥールガは祝いの言葉などとてもではないが口にはできなかった。
ぞわりっと自分の内側から沸き上がる憎悪を抑えるので精一杯だった。
翔太に幸せそうな笑みを浮かばせる事ができる存在、それが自分ではない。
その知らぬ見えぬ相手が憎くて憎くてたまらなかった。
その時、ドゥールガは自分が既に引き返せない気持を抱いている事を実感した。



「愛してる」

初めての告白は唐突で、それは戦場だった。
傷だらけになりながらも、ドゥールガは翔太をまっすぐ見つめてそう言う。
その言葉を聞いた翔太は完全に固まっていた。

「冗談ではない。翔太を、愛してる」

否定される前に再度口にする言葉。
翔太と出会ってから2年、ドゥールガ17歳の時の事だった。
ドゥールガは何も考えずに告白をした。
自分の想いに応えて欲しいわけでも、今の状況を考えていたわけでも、翔太が男であり自分も男であり、そして種族が違うとも言えるほどドゥールガと翔太が違い過ぎることも、何も考えていなかった。
翔太は困惑した表情を浮かべ、だが決してドゥールガを拒否することはなかった。
ドゥールガはそれだけで良かった。
想っても想ってもあふれ出すこの気持ちを口にして、自分の想いの深さを、大きさを、少しでも伝えることが出来ればそれでよかった。

「愛している」

翔太の顔を見るたびに口にする言葉。
返ってくるのはいつも困惑した表情だけで、翔太がどう思っているのドゥールガは全く分からなかった。
いつもと違う反応が返ってきたのはいつからだっただろう。
「愛してる」と言われ続けた翔太が、何を思ってそんな結論に達したのか分からなかったが、ドゥールガはその翔太の対応には決して不満を感じなかった。

「愛している、翔太」
「おまっ…!いい加減にしろっ!つーか、俺は男、お前も男!ついでに言えば俺は既婚者で子供もいるんだっつーの!」
「知っている」
「知ってるなら無駄だって分かるだろ?!」
「無駄じゃない」
「俺はお前に同じ気持ちを返す事は絶対にないぞ!」
「分かっている。そんな事は望んでいない」

そう、ドゥールガは同じ気持ちを返してもらおうなどとは望んでいない。
ただ、知っていてくれればいいのだ。
ドゥールガはいつもと違う反応を返してくれた翔太に、嬉しそうな笑みを向けた。
自分の知らない翔太を見ることができるのは、知ることができるのは嬉しかったからだ。

「愛してる」
「やめい!そういう言葉は女に言え!」

翔太が初めて困惑以外の反応をしてからだろうか、ドゥールガの告白に翔太はいつも叱るような怒っているような言葉を返す。
本気で怒っているわけではなく、実際は困っているだけだろう事は分かっていた。
だが、感情を自分にぶつけてきてくれる事が嬉しくて、自分の気持ちを伝えられる事が嬉しくて、ドゥールガの告白は変わることなく続けられた。

「愛してる」
「だから、やめろって言ってるだろぉがっ!」
「愛してる」
「俺は日本人だから日本語以外は受け付けんっ!」

翔太がそう言葉を返して来た時には日本語を覚えようと思った。
日本語は英語を使い慣れていたドゥールガには難しく、そして勉強できるような環境にいなかった自分にはとって覚えるのはとても難しかった。

『愛してる、翔太』

綺麗な発音で日本語での告白をした時の翔太は驚いた表情で固まっていた。
その表情を見ることが出来ただけで、ドゥールガは日本語を覚えた価値があったのだと思えた。

『愛してる』
『お前っ、しつこいぞ!』
『愛してる』
『俺が愛してるのは妻と子だっ!』

ドゥールガの言葉にいつも律儀に反応を返してくれるのが嬉しかった。
しつこい程に熱烈な告白をしていても、ドゥールガは翔太と共に暮らしていけることはないだろう事は分かっていた。
こうして言葉を交わせるだけで幸せだった。
例え、相手に妻と子がいても、この時だけは自分を見てくれる。
そんな日がずっと続くのだと自惚れていたわけではない。
だが、そんな日々が崩れ去ったのは戦争でドゥールガ達が負けたわけでも、翔太達が負けたわけでもなかった。

世界中を襲った大震災。
地震など起こったことのない地域の被害はとても深刻で、ドゥールガのいた研究所のある地域はそれに当てはまった。
建物はあっけないほど脆く崩れ去り、身体を鍛えていたわけでもない研究者達はその建物の下敷きとなり、ドゥールガ達身体をいじられ合成獣となった者達は唐突な自由を与えられた。
呆然とする彼らをドゥールガがまとめたのは、翔太がイディスセラ族をまとめているのを見ていたからかもしれない。
その時翔太もイディスセラ族を護りまとめ上げ、生きているのだろうと思えば、ドゥールガが合成獣達をまとめ上げ、生きるための基盤を作り上げていくのも苦とは思えなかった。
それが”魔族”の始まりである。

そして、今の里となり落ち着くまでは時間が思った以上にかかり、だが、彼らは幸いにも長寿であるため急ぐ必要性はなかった。
必要あるものは人々から力づくで奪い去り、生活できるだけの物資を確保した。
ただ、安定した生活になった頃には、何十年という月日が経っていた。
そして、紫藤翔太が亡くなっている事を知った。



大きな法力をかつて日本があった周辺で感知する。
法力を感知する感覚は鋭く、それはそのように作られたからだ。
すぅっと目を細めて顔を上げるドゥールガの表情はどこまでも冷たい。

(あの場で騒ぎを起こすなと、オレは何度もくどいほどに命じたはずだがな)

800年以上も何故自分が生きているか。
生きている意味はもうたった1つだけだ。
深く愛した、かの人の眠る地の平穏を保つこと。
だからドゥールガは、翔太が眠るだろう日本に近い国である朱里やティッシ、そしてイリスには決して近づくなと一族に命じていた。
気まぐれに近づいた者達は、ドゥールガ自らの手によって処罰を受けている。

(雑音は消さなければならないな)

すぅっと上げられたドゥールガの右手のひらは光を帯びる。
うっすらとその手のひらに法術陣が刻まれているのが分かる。
複雑な構成をしている法術陣、それはかつてドゥールガが翔太以外の存在に恐れられる切欠となった、ドゥールガ達を作り出した研究者達が全ての知識を総動員して作り上げた法術陣。
そして、ふっと風と共にドゥールガの姿はその場から消えた。
転移法術によって、法力を感知した場所へと一気に飛ぶ。
その場にいる者達全てを地に叩き伏せて、必要ならば皆殺しにするつもりで。

ドゥールガは転移した先の場所で、普通ならばあり得ないだろう出会いをする。
全ての者達がもがき苦しむだろうドゥールガの法術の中で、1人だけその法術が効かないでいた金髪の少女。
遥か昔、同様にドゥールガの法術が聞かなかった男が1人だけいた。
顔立ちは全く似てない、髪の色も、瞳の色も、似ている所などどこにもないように思えるのに、ドゥールガはその少女と目を合わせた瞬間、少女の瞳と翔太の瞳が重なった気がしたのだった。


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