WOT -second- 29



グルドに船内を案内された時間はそう長くなかった。
甲板をゆっくり見て回った後、ゆっくりと来た道を戻ってきただけだ。
他にも調理場や客室があるらしいが、それは時間がある時に見せてもらう事にしたのだ。
グルドもこの船にいてずっと暇というわけではない事もあり、シリンは今、他の子達と一緒に部屋の中にいる。
指輪の中から、エルグが贈った鏡を取り出し、鏡の法術陣をじっと睨むように見る。

(通信機能も護りの機能も、どちらかと言えば単純なものだから普通には使えないよね)

シリンは手鏡に手をかざし、ゆっくりと呪文を唱えだす。

「狭間の力、護りの壁にて限られた時を隔てよ、優しき風と静かなる闇よ、我が願いし想いを水の導きの下へと運べ」

ふわりっと手鏡が淡い光に包まれる。
鏡の表面をこんこんっと軽く手で叩く。
エルグはこの手鏡の通信機能の使い方を全く教えてくれなかったのだが、これはもしかしてあちらから一方的に連絡する為に渡されたのだろうか。

「シリン様?何をしていらっしゃるのですか?」

ベッドの上でやることもなく静かに座り込んでいたミシェルが顔をあげる。

「ん、ちょっと通信できるかテスト」
「ですが、法術を使っているように見えましたが…」
「普通に使っても多分シールドに妨害されるだろうから、ちょっと加工をね」

他の子たちもシリンのする事が気になって来たのかひょこひょこ顔を上げる。
こんな部屋にやる事もなく閉じこもっているだけなど、気が滅入るだけだろう。
シリンは彼女達にこちらに来るように手招きをする。
シリンがいるのはベッドから離れた部屋の窓際だ。
気分の問題かもしれないが、外に近い方が通信も可能になるのではないだろうかという考えのもとである。

「フィリアリナ姫様、その手鏡で通信が…?」

恐る恐るとシリンに近づきながら問うのは、さらりっと流れるような金髪をした少女。

「多分ね。うーん、やっぱり相手の準備がされてないと通じな…ん?」

ざっと鏡に映るシリンの姿が歪む。
ミシェルを含む彼女達4人共、シリンの傍まで移動してきている。
彼女達が見るのは鏡ではなく、シリンの表情である。
映る姿が歪み始めた鏡の中に映るものはだんだんと歪みが消え、シリンの顔とは別の姿が映し出されていく。

[この機能は教えていなかったはずだが、良く使えたな、シリン殿]

ふっと鏡の中で笑みを浮かべているのは、シリンに囮を依頼したエルグ・ティッシ国王陛下だった。

「ま、見ればなんとなく分かりましたので」
[ああ、そうだったな。とりあえずは無事に誘拐されたようでなによりだ]
「…なにより、ですか」

これは喜ぶべきことなのだろうか。
確かにシリンは囮としてここに来たので、無事に誘拐されたというのは間違ってはいないかもしれない。
だが、実際言われてみると微妙な気分だ。

[これを使ったという事は、何か用があるんだな]
「はい。連絡がいったかの確認と、頼みたい事がありまして」

桜が連絡用の法具は回収されたと言っていたので、エルグの所に届いているだろう事は分かるがここでそれを聞かなければ、シリンが知っている事に感づかれ後々厄介なことになりかねない。

「シリン様、連絡が…とれましたの?」
「どなたに繋がっているのですか?」

不安半分期待半分で聞いてくるのは、ミシェルと先ほどシリンに声をかけてきた金髪の少女。
シリンはにこりっと笑みを浮かべて頷く。

[シリン殿、浚われた他のご令嬢たちもそこにいるのか?]
「はい、皆特に外傷はありませんよ。最も、内面的なものはどうかわからないので、救出はなるべく早い方がいいでしょう」
[分かっている。ミシェル嬢に預けていた法具を回収できたから、場所の特定はできた。
だが、そこは外から見えないようになっているな]
「二重のシールドがあります。外から見えないようにする機能と、外部と内部を完全遮断する機能の2つ」
[どうにかすることは可能か?]
「今すぐには無理ですが、おそらく可能だと思います」
[そうか…]

手鏡からの声はシリンだけに聞こえているわけではない。
ミシェル達は会話から声の主が誰なのかわかったようで、4人共驚いた表情のまま固まっている。

[残されている日数はそう多くはないだろう。どのくらいでシールドを無効にできそうなんだ?]
「そうですね…、3日もあれば恐らく」
[ならば、3日後にまた連絡を。こちらはその周囲に兵を配しておく。それでいいんだろ?]

ふっと笑みを浮かべるエルグにシリンは苦笑する。
シリンが頼みたい事などエルグにはすでに分かっているようだ。
ここから逃げ出す事が出来ても、シリン1人で彼ら全員を相手にする事は難しい。
彼らをどうにかして追い返す事をしてもらいたいと思っていたのだ。
それはシリン達が逃げ出すと同時に、その援軍が駆けつけてくれなければならない。

[一応確認をしておく。シリン殿達を浚った犯人は”魔族”だな]

その言葉にびくりっと怯えるように身体を震えさせたのはミシェル達4人の少女だ。

「陛下…」

シリンは思わず小さく溜息をつく。
犯人の想像はついていると言っていたエルグ。
グルド達種族が犯人であると殆どは分かっていたのだろう。

[いや、返事は必要ない。確認したかっただけだ]
「私は肯定はしていませんが?」
[シリン殿のその反応は肯定しているようなものだよ]

(もうやだ、この人…)

連絡を取った事を少し後悔する。
自分はそんなに分かりやすい表情をしてしまうのだろうかとすら思ってしまうほどにエルグは鋭いのだ。
何も言わずにこちらの言いたい事を分かってくれるのは時にありがたいのだが、なんでもかんでも筒抜けのような言葉を返させると流石にありがたみが無くなるだろう。

[彼らに対抗できそうな者を配置しておくことにしよう。他に何かあるか?]
「ティッシ軍が彼らと互角に戦えますか?」
[恐らく、としか言えないな。まぁ、でも、3日後ならばクルスとカイ殿も乱入するだろうしなんとかなるだろう]
「…はい?」

クルスと甲斐は確かエルグの命を受けて西の方へ1ヵ月ほどかかる仕事へ出ているはずだ。
2人が出立してまだ10日程しか経っていない。
予定より早く用事が終わるとしても、あと3日で駆けつけるというのはどういうことなのか。

[実はクオンの姿が昨日から見えない]
「課題か何かの都合で学院にいるのでは?」
[学院にもいない。ついでに見張りは綺麗に撒かれた]
「見張りって陛下、ご自分の息子に見張りをつけているんですか?」
[常につけているわけではないよ。今回はシリン殿の事があって万が一勝手に動かれては困ると思ってね]

つまりクオンはシリンが囮になった事をクルス達に知らせにいったのだろう。

(けど、なんで?)

クオンがそこまでしてクルスの所へ知らせる理由が思い浮かばないシリンである。
エルグはどうやら理由が分かっているようで苦笑している。
もしかしてクオンが動いたことも計算のうちだったりするのだろうか。
実際クオンがクルスの元へとシリンが囮になった事を知らせにいったのは他でもない、クルスが怖いからだ。
何事もなく事件が収束し、後日シリンの件を聞いたクルスは絶対に怒るだろう。
クオンがそれを知らなかったとしてもエルグの息子である立場上、クルスの怒りがクオンに向かわずにいるということはあり得ない。
誰よりも尊敬する兄のような存在の性格を、クオンはそれなりに正確に理解しているのだ。

[では、シリン殿。3日後にまた連絡をくれ。緊急の用件があればそれ以外でも連絡をしてくれて構わない。私かシェナが対応しよう]
「はい、お願いします」

手鏡の映像がふっと歪んだと思えば、それは普通の鏡へと戻っていた。
と同時に手鏡を覆っていた淡い光がふっと消え、小さな軋むような音が耳に届く。
シリンはわずかに顔をしかめながら、手鏡をじっと見るが見た目に変化はあまりない。

(元々、ちゃんとした通信用ってわけじゃないから、負荷が大きすぎたのかな?)

本来ならば通じない通信を法術という補助を付けて無理やりつなげたのだ。
この手鏡を使ってここから連絡を取るにしても、あと数回ほどでやめておいた方がいいだろう。
最も、そう頻繁に連絡を取るようになるほどここに長居するつもりは、シリンにはない。
ぱっとシリンが手鏡から視線を上げれば、じっとシリンに集まる視線が4対。

「どうにかなりそうだから、あと3日ほど我慢できそうかな?」

にこりっとシリンが笑みを浮かべれば、彼女達は困惑した様子になる。

「フィリアリナ姫様、わたくしたちは本当にここから、出られるのですか?」
「外には、…シールドがありますわ」
「それに、あの…ま、魔族がそう簡単にわたくしたちを逃がしてくださる、とは…」

次第に表情が沈んでくる彼女達。
自分たちの言葉に、無理だと完全に思いこみ始めてしまったのだろう。

「私が持てる全ての力を使っても、貴女達を必ず親元に帰すから」

最終的な手段として桜に全面協力してもらうという方法がある。
しかし、桜の力は朱里の力でもあるのだから、シリンがそう簡単にひょいひょいと使わない方がいい事は自覚している。
だからあくまでそれは最後の手段だ。

「もしかして、フィリアリナ姫様は王家直属部隊の方…なのですか?」

(はい?!)

声には出さないが、シリンはそう言った少女をまじまじと見てしまう。
確かに今回の件の依頼人は王家の象徴とも言えるだろう存在の国王陛下だ。
だが、生憎とシリンは直属部隊というものになったつもりはない。

「噂で聞いた事があります。王家の方には軍とは別の特殊な能力のある部隊があると」
「ええ、シリン様の先ほどの法術などを見れば確かにそれはそうかもしれませんわ、フローラ」
「でしょう!ミシェル。フィリアリナ姫様の冷静さ、そしてわたくし達の知らない法術を扱えるその才能!」
「わたくしが出来なかった事を、シリン様ならば成す事が出来ると陛下がお思いになってシリン様をここに送ったという事は…」
「ますます、その可能性は高いですわよ」

どこか興奮しながら話すのは金髪の少女、フローラとミシェルである。

「ということは、フィリアリナ姫様の普段のご様子は偽りですのね!」
「そうに決まっていますわ!無知を装って周囲を騙しておられるのです。ふふ、女の隠し事ってなんだかドキドキしますわね、フローラ」
「ええ、本当ですわ、ミシェル」

シリンが口をはさめない雰囲気を出している気がする。
無知を装っているわけではなく、純粋な知識でいうのならば本当に知らない事は多いのだ。
ただちょっと法術に関しては才能があったというだけ。
最も、その法術の才能がとんでもないものという事なのだが、シリンはそれをあまり自覚していなかったりする。

「はっ!そうですわ。フローラ、それからカナリアとセレンも」
「ミシェル?」
「シリン様が普段本当のご自分を隠されているという事は、わたくし達もシリン様の事を周囲に決して話してはいけないということです!」
「この場にいるわたくし達の秘密という事ですね、ミシェル」
「そうですわ!」
「わたくし、絶対に周囲に話したりしませんわ!勿論お父様にもお母様にもお兄様達にも、愛しい方にだって話しませんわ!」
「わ、私も!シリンさま、とてもお優しいから、シリンさまの困る事はしたくない!」
「私も絶対に話さないわ!だって、シリン姫様は私の弟よりも断然格好いいんですもの!憧れますわ!」

妙な所で一致団結している彼女達。
団結した女ほど怖いものはないというが、やはりこの雰囲気に水を差す勇気は、シリンにはなかった。

「シリン様を見守る会、ここに結成ですわね!」

とんでもない言葉が耳に届き、シリンは頭を抱える。
この状況で明るくなってくれるのはありがたいし、シリンのことを吹聴されないのは大変ありがたい…のだが、こうはなることは決して望んでいない。
大きなため息をつかずにはいられないシリンだった。


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