WOT -second- 17



ほんわか漂う香りの中、シリンの部屋にあるのは3つの湯呑みと、皿の上に並べられたどら焼き。
本日のお茶うけはどら焼きである。
甲斐とのお茶の時間は結構頻繁だったのだが、ここのところクルスが乱入してくることが多く、お茶の時間は3人になる。

「シリン姫、これは何だい?」

どら焼きを指してクルスは問う。
それはどこか新しいものを発見したばかりの子供にも見える。

「これはどら焼き。カステラは食べたよね?」
「うん」
「そのカステラみたいなものの中にあんこを挟んだもの…っていうのかな?」
「大体そんな感じだな」

同意を求めるように甲斐を見れば、甲斐は頷いてくれた。
一足先にどら焼きにかじりついている。
甲斐は故郷の食べ物を食べる事ができるこの時間を、かなり気に入っているようだ。
クルスが来ると喧嘩腰だったのが、最近ではそうでもなかったりする。

「朱里のお菓子は本当に色々なものがあるんだね」
「材料似たようなものでも、形を変えて別の名前のお菓子になってたりするしね」

シリンもどら焼きに手を伸ばして、はむっと食べ始める。
本当にいつも思うのだが、桜の料理の腕は見事なものだ。
決してあの立体映像が調理器具を持って料理しているわけではないのだが、すごいと思えてしまう。
実際は自動調理のようなものなのですごくもなんともないと桜も翔太も言っていたのだが、桜を”人”と同じように感じるシリンとしてはすごいと思えるのだ。

「甘くないお菓子があるというのも珍しいよね」
「お煎餅とかね」
「俺は胡麻煎餅好きだな〜」
「あれは独特だね。私は無難に醤油かな?シリン姫は?」
「うーん、迷いどころだけど、あっさり味の塩かな?」

ぱくりっとどら焼きを食べ始めるクルス。
和菓子を食べるクルスの姿も最近では見慣れてきた。
思いっきり外人という容姿のクルスが和菓子を食べる姿は、最初はもうかなり違和感をおぼえたものだ。
自分の事を棚に上げてという感じだが、シリンは自分の食べている姿が見えていないのだから仕方ないだろう。

「和菓子食べれるのはいいんだけどさ、やっぱりたまにはご飯が食いたくなるんだよなぁ。味噌汁〜、焼き魚〜、寿司ぃ…」

緑茶を飲んで甲斐は唸る。
確かに幼いころから食べ続けてきたものが、食べれなくなるのはストレスになるだろう。
シリンは赤ん坊の頃からティッシの食文化に徐々に慣れていったので、甲斐ほど日本食が恋しくなることはない。
しかし、朱里で食べた久しぶりの和食は懐かしくて美味しかった。

「本格的なものは無理でも、簡単なものなら作れるかもしれない」

料理をやった事もないながらも、シリンはぽつりっと呟く。
調理器具の使い方さえ分かれば、作れない事はないのだと自分では思う。

「作れるのか?!」
「作れるのならば、是非食べてみたいね」

ぱっと顔を輝かせる甲斐に、期待する様ににこりっと笑みを浮かべるクルス。
あくまでシリンは”かもしれない”と言っただけであって、作れるかどうか本当の所は分からない。
それに、シリンとしての初めての料理が、果たして人に食べさせていいものに出来上がるかどうかも分からない。

(流石に料理の腕に自信があるわけじゃないんだけど…)

ここでやっぱり駄目だと断りきれないのは、2人共かなり期待に満ちた視線をシリンに向けてくるからなのだろう。
ここで出来ないと言ってしまうと、純粋に期待している子供を裏切る気持になってしまう気がする。

「検討はしてみるけど、そんな期待はしないでよ?」
「本当にできるのか?!」
「うーん、凝ったものは無理だし、お魚類は捌けないし、焼き魚にしてもやっぱり難しいだろうし…」
「私はシリン姫が作ってくれるのならばどんな料理でもいいよ」
「うーん、どんな料理でもって言われても…ちょっと簡単そうなのを検討してみる」

シリンでもできそうな料理を、桜ならば提案してくれるはずだろうと思い、シリンは桜に聞いてみようと思った。
てっとり早く桜に作ってもらえばいいのだろうが、料理はやはり作りたてが一番。
桜にここの屋敷で調理してもらうわけにもいかないので、シリンができそうならばシリンが作るのが一番だろう。

「あと、料理とは別の事なんだけどね」
「何だい?」
「ほら、無効化法術教えているじゃない?あれ、そろそろ室内でやるのは難しくなってきたから場所を移動しようかと思うんだけど…」
「どこか使えそうな場所があったのかい?」
「うん、目星はつけておいたの」
「けど、そこに移動するまでの時間とか考えると、大変じゃないか?」
「それもちゃんと考えて、場所検討したから大丈夫」

場所は元日本だった小島だ。
移動に関しては法術陣を使えば問題はないだろう。

「移動はね、そこと行き来する専用の法術陣を敷こうかと思ってる」

シリンの部屋と小島を行き来する法術陣。
移動の法術というのは、移動の場所を固定しまった方が安定し、使いやすい。

「ナラシルナの移動法術陣と似たような方式かい?」
「ナラシルナ?」
「知っていて真似たわけ…じゃなさそうだね」

クルスが感嘆のため息をつく。
ナラシルナは西にある大国であり、法術国家と呼ばれるほど法術に突出した国だという事をシリンは聞いた事がある。
だが、それだけしか知らない。

「ナラシルナは法術が盛んである事は知っているかい?」
「聞いた事はあるよ」
「私も訪問したのは数回程度だけどね、あの国はティッシと同じで国土も広い。だから、国内に多数の法術陣を敷いて、それを使って移動しているんだ」
「へぇ〜、多数の法術陣の移動か。できない事はないけど、それって法術陣が増えれば増える程使い方が難しいし、理解できない人でも使えるようになるとかなり複雑になると思うんだけど…、そんなのあるんだね」

心底感心するシリン。
理論上不可能ではないが、それはかなり複雑で難しい。
昔法術が理解できる頃に作られたものなのか、その作り方が書物に残っていたのかは分からないが、それだけのものは一度見てみたいものだとシリンは思う。

「んで、シリン。その場所ってどこなんだ?ティッシ国内のフィリアリナの領土内とかか?」
「フィリアリナ家の領土も広いからね」
「ううん、違うよ。流石に勝手にフィリアリナの領土を使うわけにもいかないから…えっと、あそこはどこかの国の領土になるのかな?」

元々日本だった所なので、どの国の領土かとなると朱里になるだろうか。
あの島から近い国は朱里かイリスのどちらかだ。

「ティッシ国内ではないのかい?」
「うん。海を越えた小島で、一応無人島…かな?」
「そう言えば、海を越えた所に小島が多数あるってのは聞いたことあるな」

日本に一番近いのは朱里だ。

「けど、あの辺の小島って呪われてるって噂だぜ?島に降りると気分が悪くなったり、急に変な霧がでてきたり、誰もいないはずなのに女の悲鳴が聞こえたりとか」

シリンは甲斐の言葉に顔を引き攣らせる。
脅かすために翔太がやったことなのだろうが、それは確かに呪いっぽい。
島に降りてきた人を傷つけて追い返す方が、まだましなのではないだろうか。

「呪いなんて、シリン姫がそんな島を使うわけないだろう?」
「そりゃそうだけどさ。シリンは下見とか行ったか?」
「ええっと、うん、一応ね」

少なくとも今は、その呪いっぽい類の現象は起こらない。
仕掛けた本人がやり過ぎたと反省しているから。

「今はそういう現象は起こらない普通の小島だよ」
「本当に本当か?」

念を押すように甲斐が聞いてくる。

「カイはシリン姫の言葉が信じられないのかい?」
「そ、そいうわけじゃないんだけどよ、父さんや爺ちゃん達にあの小島があった場所は、随分昔にたくさんの人が亡くなって眠っている場所だって聞いてるし」

かなり大雑把だが、大震災で多くの人が亡くなった事は朱里で伝わっているらしい。
この世界は”現代”の名残があまり見られないので、そう言った過去も年月とともに忘れ去られていったのかと思っていた。

「大丈夫だよ、多分、ちゃんと供養されているよ。もう、800年以上も前の事だし」

どれだけ情勢が厳しいものでも、その家族や友人達が亡くなった者たちをそのまま放っておくわけもないだろう。

(いや、でも、ちゃんと供養してるって事は、私の墓が海の底にあるにはあるってことになるんだよね)

それはかなり複雑な気分である。
”紫藤香苗”は確かにすでに死んでいる存在ではあるのだが、記憶をばっちり持っているシリンとしては、かつての自分の墓を見たいような見たくないような気分だ。

「800年って、シリン何か知ってるのか?」
「書物でも残っていたのかい?」
「あ…」

(しまった、失言…!)

かつての大国だった国の名前すら全く残っていない、今のこの世界。
前の世界の記録が残っているはずもなく、甲斐のように何となくで知っている程度しか、伝わっていないのだろう。

「もしかして、シリン姫は”サクラ”に聞いたのかい?」
「え?」
「彼女は”精霊”のようなものなんだろう?それなら年齢も恐らく関係がないから、遥か昔の事を知っていても不思議じゃないと思ったんだけど、違ったかな?」
「確かにエーア…桜って言った方がいいか?桜は、年齢不詳だしな」

うんうんと甲斐はクルスの意見に同意する様に頷く。

「ん、確かにこの世界の昔の事とかはね、書物で記録に残ってないから桜に聞いたよ」

桜だけでなくて翔太にも色々聞いた。
震災の事、イディスセラ族のこと、翔太自身の事。

「けど、勝手に使っていいのか?」
「桜がいいって言ったからいいと思うよ」

朱里でもイリスでもない小島。
持ち主は誰かと言えば、わがもの顔をしているのは翔太なのだろうとシリンは思う。
翔太がオッケーを出したので、海の中に潜らない限りは平気だろう。

「でも、その準備はゆっくりでいいと思うよ、シリン姫」

ちょっぴり困ったような笑みを浮かべるクルス。
確かに急がなければならない理由はないが、クルスの言い方では何か理由がありそうだ。
ちらっと甲斐を見れば、甲斐もちょっと困ったような表情をしている。

「実はさ、オレとクルス、ちょっとの間、西の方に行かなきゃならくなったんだよ」
「クルス殿下と甲斐が一緒に?」
「兄上の命令でね、西のナラシルナがちょっと不安定だから国境辺りの様子見と…」
「オレが行くのは、ティッシは朱里と繋がりを持ったと知らしめたいからだとさ」

黒髪に黒い瞳の色を持つのは朱里の人間のみ。
何かを間違ってティッシに攻め入っても、イディスセラ族が味方にいるのだと他国に思わせるためなのか。

「でも不安定って大丈夫なの?」
「不安定だからこそ、私とカイが行くんだよ」
「何かあっても対処できる能力があるってことでな」
「下手に戦闘経験がない正規の政務官連れていくよりも、見習いとはいえ同等の事が出来る戦闘経験がある私が行った方がいいだろうってね」
「オレがついていく表向きの理由は、ティッシ国内の街をオレに見せるって事らしいが…」
「本音はイディスセラ族のカイを暫くは王宮から遠ざけて、精神的に皆で一休みって所だろうね」

互いにため息をつく甲斐とクルス。
イディスセラ族の存在は恐れられているのは何も変わっていない。
法力を封じられていても、表面上は普通に接する事が出来たとしても、心底にある恐怖が完全に消える事はない。
その恐怖は幼い頃に刷り込まれたようなものなのだから。
シリンのように最初から怖がっていないのならばともかく、イディスセラ族は怖いものだと思い込んでいる人たちには、甲斐のいない状況は必要になるのかもしれない。

「すぐに行く事になってるの?」
「出立はまだ10日ほど先だよ」
「それじゃあ、できそうだったら和食作ってみるね」
「本当か?!」

ぱっと甲斐の表情が輝く。

「できそうだったら、だよ?」

とりあえず念を押しておくが、嬉しそうに頷く甲斐はちゃんと聞いているだろうか。
クルスもどこか楽しみであるかのように、にこりっと笑みを浮かべている。
ちょっとプレッシャーである。

「シリン姫が出してくれる食べ物は、美味しいものが多いから楽しみだよ」
「オレは和食が久々に食えるならば、何にも文句はないぞ!」

相当期待されているようである。
これは失敗ができない、とシリンは思う。
早急に、簡単な和食の作り方を桜に聞く必要がありそうだ。
お手ごろ簡単、ティッシでも作れる和食のピックアップをすぐに始めようと思うシリンだった。


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