WOT -second- 15



「いいか、シリン!帰る時は僕を呼べよ!」

シェルファナの所へとシリンを案内して、クオンはシリンにそう言い残して母であるシェルファナに一礼して、その場から退出した。
エルグはシェルファナの元までは一緒に来なかった。
決して暇な立場にいる人ではないので、時間を割いてわざわざ来たようだった。

(わざわざ来てもらわなくても良かったのに…)

シリンは心底そう思ったが、それは口に出さなかった。
クオンに「シリン殿の送り迎えの役目をきちんと果たせよ」と言ったまま、仕事に戻っていった。
どうも、本当にシリンの力を確認する為だけにあの場に来たようだ。
自分は随分と過大評価をされているものだ、とシリンは思ってしまった。

「そう固くならないで、楽しく会話しましょう?」
「あ、はい」

にこりっとシリンの目の前で微笑むシェルファナ。
さらりっと揺れる銀色に近い白金の長い髪は、日に照らさると眩しいと思える程。
優しげな蒼い瞳を見ると、こちらもどこかほっとする。

「クオンと仲良くなれたようで、嬉しいわ。あの子、自分が気に入った相手に対しては名前を敬称付けずに呼び捨てするのよ」

内緒よ、と言いながらシェルファナは人差し指を口元に当てる。
そう言えば、いつの間にかクオンはシリンの事を”シリン”と呼んでいた。

「本当はね、貴女にはもっと早くに会ってみたかったの。クルスがとてもお世話になっているでしょう?」
「いえ、そんなお世話という程では…」
「けれど、クルスが変わったのは貴女のおかげよ。ずっとお礼を言いたかったの。クルスの義姉として」

シリンにはクルスを変えたという自覚は全くない。
ただ、甘えてくるクルスをそのまま甘やかしていただけにすぎない。
それがきっと良かったのだろう。

「私がエルグの所に嫁いできた時には、クルスはもう誰も受け入れようとしなかったの」

初対面のクルスをぱっと思い浮かべる。
物も人も全てが同じようにしか思っていないかのような、どこか冷たい瞳。
表情や言葉遣いは柔らかいというのに、優しさを何故か感じなかった。

「義姉だから、なんとかしようって思っていた時期もあったのだけれど、クルスとエルグの仲があまり良くなかったものだから反対に警戒されちゃって逆効果になってしまったの」

ふっと悲しげな笑みを浮かべるシェルファナ。
クルスとエルグの仲が悪いというのは、シリンは初めて聞いた。
エルグはクルスの事を気にかけているようであったし、クルスもエルグを性格悪いと言いながらも決して嫌っているようではなく認めているようだった。

「エルグって、ひょっこり出てきて自分の言いたいこと言ってそのまま帰っていく身勝手な性格でしょう?勿論その行動は計算されたものなんでしょうけど、それがクルスには良くうつらなかったようで、仲はあまり良くなかったようなの」

成程、とシリンは思ってしまう。
先ほどもいつの間にと思うほどに、ひょっこり現れ、知りたい事を確認できたと思えばすぐに仕事に戻っていった。

「私は、大した事をしたわけでは、ないのですが…」
「けれど、クルスの本質を感じて接してくれたのでしょう?」

(だからそんな大それた事じゃないんだけどな)

シリンには”紫藤香苗”という日本人として生きていた過去がある。
日本にティッシのような身分制度はなかった。
身分違い状況が全くなかったわけではないが、それでも王族だから名家の者だからという感覚がいまいちよく分からない。
恐らく、それがクルスには良かったのだろう。

「とても嬉しいと私は思うの。けれどね、シリン姫」

ふっとシェルファナは真剣な表情になる。

「貴女の事を聞いて最初に思ったの」
「シェルファナ様?」

真剣な表情の中に心配そうな感情が見える。
シリンはなぜシェルファナがそんな表情をするのか分からない。

「ちゃんと、我儘言えてる?」

それは、娘を案じる母のような言葉。
子供として大人に甘える事が出来ているのか、我慢ばかりしていないか。
シェルファナはそう言いたいのだろう。

「エルグもクルスも、そういう気遣いとか全然下手なのよね。上に立つ者だからかしら?クルスを支えるのもいいわ、エルグの頼みをきくのも構わないわ。けれど、受け止めるばかりで、貴女が壊れてしまわないかが心配なの」

確かにシリンが普通の9歳の子供ならば、クルスを甘やかし、なおかつエルグに頼まれごとをしても引き受けるなどとは出来ないだろう。
そこまで精神的に成長してないはずだから。

「頼れる人はいる?遠慮せずに話が出来る相手はいる?」

シェルファナに言われ、シリンは考える。
頼れる人となると、シリンは自分の能力がそこまで素晴らしいものだとは思っていないので、信用できる相手に頼るくらいはする。
何でもかんでも自分で出来るとは思っていない。

(遠慮せずに話というか、愚痴とか聞いてくれる相手は…いない事もないよね。人じゃないけど)

今のところシリンが何の遠慮もせずに、愚痴だろうがなんだろうが平気で言える相手は2人ほどいる。
果たして2人と数えていいものか分からないが、シリンの事情を理解してくれている2人だ。
桜と翔太。
特に翔太に対しては、まったく遠慮をする必要がないとシリンは思っている。
遠慮などしようものならば、恐らく不気味がられるだけだ。
勿論相談事ならば、2人以外にも出来る事だし、シェルファナが言うほどシリンは周囲に遠慮をしているわけではない。

「お気遣いありがとうございます、シェルファナ様。けれど、大丈夫ですよ」

シリンはただの9歳の子供ではないのだから。
精神年齢で言えば、シェルファナやエルグよりも年下にはなるだろうが、それでも大人と言っていい年齢だ。

「本当に?」
「はい、本当に」
「それなら、私がこうやってたまにお茶に誘っても迷惑じゃない?」
「は?…え?」

反射的に「はい」と答えてしまいそうになった。
ちらりっとシェルファナを見れば、にこりっと笑みを浮かべている。
どうやら本気らしい。

「私は他国から嫁いできたから、仲のいい友人がいないの。お茶会に誘ってくださる貴族のご婦人方はいるのだけれども話の内容がくだらな…少し趣味が合わなくて、楽しむ余裕がないの」

シェルファナの言葉に、シリンはひくりっと口元を引き攣らせる。
”くだらない”と彼女は言うつもりだったに違いない。
それを言い換えたのは故意か、それとも考え直したのかは分からないが、ちょっぴりシェルファナの本性を垣間見た気がした。

「シェルファナ様は他国から嫁いできたのですか?」
「当時はかなり騒がれたのだけれども、…緘口令が布かれたからシリン姫は知らないわよね」
「何かまずい事だったのですか?」

別の国へと嫁ぐこと。
それ自体が問題とは思えない。
あるとすればエルグの身分だ。
当時国王になるところだったのか、すでに国王となったばかりだったかは分からないが、エルグの伴侶はそれ相応の身分が求められてしまうのは仕方のない事。

「私の実家は私のいた国ではそれなりの家柄でね、大叔父様が大反対されていたから」
「大叔父様?」
「私の実家では一番発言権があった方なの。大叔父様が大反対しているのに逆らってもティッシとしてはいい事は何もなかったから、エルグも周囲の反対がかなりあったようで」
「結局は説得できたんですよね?」
「それがね」

シェルファナは苦笑する。
エルグとシェルファナが結婚したのは、シリンが生まれる前の事。
丁度今から15年ほど前の事になるだろう。

「結局説得しないで、浚われちゃったの」
「…はい?」

シェルファナが言うには、エルグが説得は無駄だと判断しシェルファナをその家から浚って来てしまったらしい。
今のエルグを見る限りそんな情熱的な性格には思えない。
寧ろ策略をめぐらせて周囲に認めざるを得ない状況を作るくらいはしそうだ。

「だから、ティッシでもあちらでもかなり問題になってね。今はあちらの国とはあまり交流がなくなってしまったのだけれども、当時はすごく大変だったの」
「いや、あの、それってすごく大変どころではなかったと思うんですが…」

ふふっと笑うシェルファナだが、幸せそうに見える。
浚われたと言っていたが、シェルファナにとってそれは良かったことなのだろうか。

「でも、政略結婚される事を思えば良かったと今では思うの。エルグは素敵な人だもの」

少し照れたように語るシェルファナ。

(確かにエルグ陛下は、色々な意味でステキな人ですけどね)

かなり”いい性格”をしている事も含めて、シリンはそう思う。
あのエルグをさらっと素敵な人と言えるシェルファナは大物だ。

「ティッシに来たのは良かったと思っているわ。でもね、そんな事情があったから、周りが遠慮している感じがあるみたいなの」

だから、たまにでいいから、一緒にお茶につきあってくれないか、とシェルファナは言いたいらしい。
確かに他の国からきた王妃相手に、気安く付き合おうと思う人はいないだろう。

「それにお話の内容も私には合わないし」
「私との話の趣味が合うというわけではないと思うのですが…」
「駄目、かしら?」

不安そうにじっとシリンを見てくるシェルファナ。
見た目儚い姿で、そんな表情をされるとこちらが悪い事をしているような気分になってきてしまう。

「駄目…というわけではない、です」
「本当に?」
「ですが、私は別にシェルファナ様を楽しませるお話を知っているわけでもありませんよ?」
「お話なんていいのよ、シリン姫。貴女はとても可愛らしいもの。それだけで十分だわ」
「はい?」

何かあまり耳になじまない単語が聞こえた気がする。
妹馬鹿のセルドと、どう考えても美的感覚がちょっとおかしいとしか思えない甲斐とクルスからそんな言葉は聞いた事がある。
だが、世間一般のシリンに対する評価は、両親や兄に似ずに本当に平凡、のみだ。

「高価なもので飾り立てて自分が高潔な存在だと錯覚している化粧お化けとか、プライドだけ高くて口うるさい小娘なんかに比べれば、断然シリン姫が可愛いわ」

シェルファナの楽しそうな言葉に、シリンは再び、今度は盛大に口元を引き攣らせる。

(この人…、確かにクオン殿下の母親だ)

言っている言葉は正直なのだろうが、かなりキツい言葉だ。
まさに見た目を裏切る言葉。
ほわわんっとした笑みを浮かべている所を見る限り、先ほどの言葉は聞き間違えたのではないかと思ってしまうほどだ。

「内面というのは外見に反映されるものなのよ、シリン姫。中身醜い人はやっぱり外見も一見綺麗に見えても部分部分が崩れていたりするものなの」

ふふっと笑うシェルファナの言葉。
可愛いと言ってくれているという事は、自分の中身も良いと判断してくれるのだろう事は分かる。
だが、素直に嬉しいと思えないのはどうしてだろう。

「また、お茶に誘ってもいいかしら?」

にこりっと笑みを浮かべて問う姿だけ見ると、優しく返事を待っているように見える。

「時間があれば、是非」

そう問われれば、と答えるしかないだろう。
別にシリンはどうしても嫌ではないのだ。
基本的に自分は暇を持て余しているのだから。
ただ、今回みたいに試されるのはあまり好きではないだけで。

「あ、でも1つ先に謝っておかなければならない事があるの、シリン姫」
「何でしょう?」

シェルファナに何かをされた覚えはない。
謝られる事をされた覚えなど全くない。

「実はお茶に誘ったのは、私が貴方と話してみたいというのもあったのだけれども、エルグに頼まれたからだったのよ」
「…やっぱりですか」

溜息をつきながら答えるシリン。
予想はなんとなくついていた。
シェルファナはシリンの返答に驚いた様子もなく、くすりっと笑み浮かべる。

「来る途中で陛下にひっかけられたので、多分この誘いも半分はそのためかな…と」
「本当に、ごめんなさいね」
「いいです。エルグ陛下がそういう人ってのはなんとなく分かってますから」

シェルファナが本当に申し訳なさそうだった。
シリンは小さくため息をつくだけにする。
エルグに騙されたのは、実はそんなに怒っていなかったりするのだ。
昔からどこか見下す視線を多く見てきたシリンにとって、対等に近い扱いをしてくれるエルグの事は、苦手ながらも嫌いではないのだから。


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