WOT -second- 14.5



ティッシはこの世界の中でも領土はかなり大きい国の1つだ。
城下町もかなり広く、そしてこの首都から出ても大きな街や村は多数ある。
それらを納めているのがティッシ王族、ティッシ国王、クオンの父であるエルグ・ティッシだ。

ティッシ国王、エルグ・ティッシがシリン・フィリアリナの存在を知ったのは、彼女が生まれた時だった。
フィリアリナ家に生まれる者は代々法力が突出して高く、周囲の期待を背負っている。
その中で生まれた双子の男女。
片方は周囲の期待以上の法力を宿し、成人するまでその法力を暴走しないように法力を少し封じる必要があるほどのものだった。
だがもう片方、女児として生まれたシリンには、期待通りどころか、普通の貴族にも満たない法力しか持たなかった。
周囲の期待を裏切って誕生し、名門生まれというだけしかない彼女を、エルグはどう育つのか楽しみとは思っていた。
だが、ただそれだけだった。
他国に嫁がせるのには丁度よい”駒”程度にはなってくれればいい。
その程度の認識だった。



ある時期を境に、だんだんと変わり始めた弟、クルス。
次期国王としてではなく、兄としてクルスに接するべきだったと後悔したのはいつのことだろうか、とエルグは思う。
周囲の評価は高いクルスだったが、エルグはそうは思わなかった。
だが、クルスへエルグが言葉を投げかけても、それをクルスは受け止めるだけで受け入れる事はしなかったのだ。

「兄上、実は頼みがあるのですが」

1年ほど前だろうか、唐突にクルスが話しかけてきた。
しかも”頼みごと”だ。

「城下町に隠れ家が欲しいので、治安が良さそうで口が堅そうな住人がいそうな場所って分かりますか?」

その言葉にエルグは、聞くならば地区行政を担当している者に聞けとそっけなく返してしまったのだが、実際内心かなり呆気に取られていた。
一体何の為の質問だったのだろう、とその時はそんな事も思い浮かびもしなかった。
その奇妙な質問があってからか、クルスの態度がどこか柔らかくなってきている事に気づいた。
何がきっかけでそうなったのか分からなかったが、調べてみれば簡単なこと。
1人の姫君との出会いがクルスを変えたようだ。

「軍はどうだ?クルス」
「兄上」

クルスの雰囲気が変わってから、エルグの方から話かけるようにもなった。

「そうですね、相変わらずと言った所でしょうか。もしかしたら私には軍人よりも政務官の方が性に合うかもしれません」
「向いている仕事の方がいいだろう。決めるのならばそう遅くない方がいいぞ」
「分かっています」
「それよりだな、クルス」
「なんでしょう?」
「その丁寧な口調を改める気はないか?公の場では構わないが、それ以外では必要ないだろう?」

クルスは何かを考えるように口元に手をあてる。
言葉遣いも変われば、仲の良い兄弟という関係になれるのではないか。
その考え方は単純だが、クルスとエルグの仲があまり良くないのはティッシにとっても歓迎すべきことではない。
可能性があるならば、打診するくらいは無駄ではないだろう。

「まぁ、そうだね。兄上に気を遣う必要なんて元々ないんだろうし」
「…お前、そんな性格だったか?」
「お陰さまで。まっすぐに育つ事はなかったから、結構ひねくれているんだよ」

にこりっと笑みを浮かべたクルス。
初めてクルスと本心で会話できた瞬間だったのではないだろうか。
エルグは、クルスを変えてくれた姫に感謝の気持ちを持った。
そして気になるのはその姫君の事である。
感謝の念はあれど、足を引っ張るような存在では困る。
だから、エルグはクルスに何も言わずにシリンに会いに行った。

「時間があるようなら、私と一緒に少し話でもしてくれないかな?シリン姫」

一瞬驚いた表情を浮かべた幼い姫君。
なんの力も持たない、フィリアリナという籠の中で護られるように甘やかされて育てられた姫には思えなかった。
瞳に宿る光が、普通の子供とは違う。

「王宮ほどではありませんが、この屋敷の庭もとても綺麗ですよ」

名乗らずにエルグが誰であるかが分かっていたらしいシリン。
一瞬驚いたエルグだったが、反対にその態度の興味を持つ。
世間の評価などあてにならない事は、長年の経験で分かっている。
クルスを変えるだけの何かが、この小さな姫君にあるということだ。
そして、エルグはシリンの能力を知ることになる。



「兄上」

小さく笑みを浮かべながら声をかけてきたのは、エルグの年の離れた弟であるクルス。
小さく浮かべた笑みに今のように感情が見え始めたのは最近からだ。
決して感情がなかったわけではない。
ただ、クルスはそれを表に出す事が本当に少なかったのだ。

「どこへ行っていたんだい?」
「いや、少しクオンと約束をしていたからな。会ってきただけだ」
「クオンに?」

じっとクルスがエルグを見てくる。
昔から成長が早く優秀だと周囲に言われてきたが、エルグから見れば、クルスの成長はこの1年が一番伸びが大きいと思える。
今まで流されるままに軍へ属し、仕事をこなし、そして副将軍という位置につけさせられながらも決して文句を言わずに、もくもくとこなしていた。
それはそれで構わないのだが、上に立つ者がそれでは駄目なのだ。
今はそれが変わってきている。
軍を退役する事を希望し、自らの意思で政務官への道を進み始めた。

「何か企んでるのかい?それともその企みは終わった後?」
「さあ、どうだろうな」
「兄上がそう言う時は、企みが成功に終わった時だね。で、何をやったんだい?」

エルグの曖昧な答えをさらっと流し、クルスは尋ねる。
そう簡単に騙されなくなったこの弟の成長に、エルグはちょっと嬉しかったりする。

「人の言葉を信じようという気持がまったくないんだな、クルス。私は悲しい…」
「兄上の言葉をそのまま信じる方が馬鹿をみるんだよ。言葉には必ず裏があると思ってい聞いているからね。で、クオンを使って誰を仕掛けたんだい?」

エルグの言葉をざっくりと切り捨てる。
容赦をしないということはこういう事を言うのだろう。
くすくすっとエルグは笑いながらクルスを見る。

「疑り深いな、クルス」
「兄上に対しては、しつこいくらい疑う方がいいからね」
「成程。だが、彼女はクルスに護られるような子ではないだろう?」
「兄上を騙しきるほど腹黒くないからフォローは必要だよ」

固有名を出さないが、ある子の事を言っているのである。
エルグが”彼女”と言ったのにクルスは驚きもせず、当然のように答える。
クルスにとって大切なのは、今のところ彼女1人きりであり、他の人はどうでもいい…というのは言いすぎだが、心配りはあくまで最低限。

「彼女の正確な実力を知りたかっただけだ」
「それでクオンをけしかけたって事かい?」
「クオンは世間の評価だけで相手を判断する悪い癖があるからね。世間の評価がすべてではないというのを分かってもらいたかったという親心もあったんだが」
「親心ではなくて、純粋に驚くクオンが見たかっただけでしょう?」
「まあ、それもある」

否定しないエルグ。
こういう所があるから、息子にも弟にも性格が悪いと言われるのだ。

「それで、正確な実力を知ってどうしようって言うんだい?」

すぅっと目を細めて冷たい瞳でエルグを見るクルス。
殺気すら籠った視線。
エルグはその視線を真っ直ぐ受け止め、クルスを見返す。

「私は王だ、クルス」
「そんな事は知っているよ」
「優秀な人材があれば、それを使うのは当然の事だろう?」
「そうだね。けれど、それは彼女以外にして欲しいね」

あくまでも大切な存在を関わらせたくないという態度のクルスに、エルグはため息をつく。
分からなくもない。
彼女…シリン・フィリアリナは、クルスが初めて心から気を許した相手だ。
クルスにとって決して誰も代わりならない存在であり、唯一の存在。
最近は周囲の者へも目を向けるようになってきたのだが、シリンの存在が変わる事はないようだ。

「私は王として彼女、シリン殿をそのまま放置するわけにはいかない」
「何故?」
「何故と?それを問うのか、クルス。この国ではシリン殿しか持ち得ないモノがあるからに決まっているだろう」

ちっとクルスが小さく舌打ちをする。
やはりクルスはシリンの能力を正確に理解しているようだと、エルグは感じた。

この世界に存在する法力という力、そしてそれを使う為の法術。
ティッシ内に存在する法術の全ては、過去に存在した者が作り上げたものである。
今使われている法術の種類はかなり豊富なのだが、どうしても上限がある。
なぜならば、法術の理論をどうしても解読できないのだ。
初級のかなり簡単な法術の解読に成功した者は過去にいたのだが、その程度。
それ以上の解読は進まなかった。
故に、ティッシには法術の専門研究機関はない。
法術に関する書物、高度なものになればなるほど、その護りは厳重にする事のみをしてきている。

「だから、利用するという事?駒として」
「そうだ、と言えばどうする?」

ふっとクルスは笑みを浮かべる。
それは口元だけ笑みをかたどっている、凍りつくような微笑。

「兄上殺して私が王座につけば問題解決かな、と思わなくもないよ」

クルスの視線はその言葉が本気である事を示している。
確かに今この状況で国王であるエルグが亡くなれば、第一王位継承者はクオンであっても、クルスを王位にと推す者は多いだろう。
クオンはまだ8歳だ、そしてなによりもクルスは今まで軍で成果を残している。
何よりもクオンがまだクルスの上に立つという事を全く考えていない。

「冗談だ、クルス。彼女を駒として扱うつもりは、今はない。大体、シリン殿をそんな扱いにした場合、フィリアリナ全てを敵に回すことになる。そうなればティッシは内部分裂で潰れる可能性すらある」

そう、シリンは名門本家の姫君だ。
世間一般の本人への評価はともかく、シリンが万が一エルグに利用され傷つくような事があれば、恐らくフィリアリナは黙っていないだろう。
フィリアリナの繋がりはとても大きいのだ、それを敵に回すことなどティッシ国王としてはできないことである。

「だが、放置できないというのは分かるだろう?」
「分かるよ。けれど、シリン姫が国に利用されるのは嫌だ」
「私は彼女を表の重要な役職に就けることだけはしたくないと思っているよ」
「兄上?」

自ら法術を作り出す事が出来る才能。
あれだけ鮮やかなものを果たして才能と言い切ってしまっていいものかは迷いどころだが、手放すには惜しい存在。
彼女が生まれたばかりの頃は、”駒”であればいいと思っていたのが嘘のようだ。
クルスにとって、シリンは絶対に代えのきかない存在ではるが、それはティッシという国にとってもそうかもしれない。

「表の権力権化の腐れ爺共に目を付けられるわけにはいかない。国の為とほざいて、とんでもないことさせようとするかもしれないからな」

エルグの言葉に驚きもせずに同意するように頷くクルス。
どの国にも、古いしきたりや考え方、そして権力にしがみついたままの頭の固い連中というのはいるものだ。
シリンの能力は貴重だからこそ、そういう輩に利用されるわけにはいかない。

「かといって、兄上が利用していいって事にはならないよ」
「しかしなぁ、勿体ないだろう?」
「兄上が言いたい事は分かるけれど…」
「シリン殿が嫌がる事はしないさ。私が彼女に何か依頼をしたとしても、彼女が断ればそれ以上はしつこく引き受けさせようとはしない」
「兄上の場合、シリン姫が引き受けざるを得ない状況を作り出しそうだから、その約束はあてにならないんだよ」

参ったとばかりにエルグは溜息をつく。
シリンと会ってから変わり始めたクルスは、簡単に騙されてくれなくなった。

「クルス、一つ聞いておきたいんだが」
「何だい?」
「シリン姫がオリジナルの法術を作れる事を知っているのは、クルスの他にいるか?」

シリンを下手な連中に利用されない為にも、シリンの本当の能力を知る者は少ない方がいい。
それはシリンの身内であっても例外ではない。
寧ろ、身内がシリンの能力を理解している方がエルグとしては厄介だ。

「兄上とクオンを除けば、私とカイくらいだよ。多分、グレンもセルドも知らない」
「カイ?今ティッシに滞在しているあの子か?」
「そうだよ。あくまで僕が知る限りだから、他にもいる可能性は否定できないけどね」

他に知っている人がいたとしても、少なくともシリンの能力を公にしようとしている人ではないことだけは分かる。
うむ、と考えるエルグ。
何度か甲斐と対面した事があるエルグは、彼を扱いやすい人物であると判断している。
朱里でシリンの事を知る者が彼だけならば、問題はないだろう。

エルグ・ティッシにとって、シリン・フィリアリナという存在は予想外のもの。
クルスを良い方向に変えてくれたのも、その能力も。
その能力に利用価値があるとは思うものの、それをなるべく周囲に知らせずに欲と権力にまみれた者に利用されないようにするべきだと思った。
その人への認識、評価というのは、相手を知れば知るほど変わるもの。
その典型的な例がシリンなのかもしれない。


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