WOT -second- 13.5



― もう、近づかないで下さい

困ったように、どこか怯えたように言われた言葉。
その言葉がクオンの奥底にはいつもある。
それはまだ、クオンが5つという幼い時に言われた言葉だった。

王族は暗殺者などの襲撃にあいやすい。
狙う者はこの国の貴族であったり、他国の者であったり様々だが、その襲撃をどうにかできるようにする力をなるべく早く身につけなければならない。
どんなに幼い子供であっても、王族であればそれは例外ではなかった。
クオンは自分の身を守る力を必死で身につけた。
だが、幼い子供では自分の身を守る事は出来ても、他の者まで守り切る事は難しい、ただそれだけだった。

だから、仲が良かったはずの相手にそう言われたのだ。

― 貴方のような方に僕が傍にいる事がいけないことだったのです。ですから…

もう、近づかないで、親しくしないで欲しい。
そう願われてしまった。
クオンの身分を考えれば、これからも側にいろと命令する事は出来た。
けれど、仲の良かった相手に拒絶された事がショックで、クオンはそんなことを思い浮かびもしなかった。

それからクオンは、守らなくていい者だけを好むようになった。
自分が誰かを守る事が出来る強さを持つまで、決して力ない者は側に寄せないように。
それが、幼いクオンが考え抜いて出した結論だった。



「クルス兄上!明日はセルドの誕生祝いのパーティーなんだ」
「そう?クオンは行くんだね」
「セルドの誕生祝いはしてあげたいから」
「うん。生まれてきた事を一緒に祝うのは良い事だよ」

にこりっと穏やかな笑みを浮かべるのは、クオンの父であるエルグの弟にあたるクルスだ。
本来ならばクルスは叔父にあたるのだが、年齢がそう離れていないので兄弟のような関係だ。
クオンは幼い頃から優秀なクルスに懐いていた。
けれど最近までは結構邪見に扱われていた。
相槌くらいしか返事がなかったが、クオンは決してめげずにクルスと接してた。
それが変わったのが、クルスがある人物と接触を取るようになったかららしい。
クオンはその人物が気に入らなかった。

「クルス兄上が大切にしているシリン・フィリアリナ姫にも会ってくるよ」
「シリン姫はとてもいい人だよ」
「…うん、クルス兄上が大切にしている人だからね」

クルスの言葉に納得のいっていないような返答のクオン。
シリンを認めていないのがクルスに分かってしまったのだろうか、クルスは苦笑する。

「自分の見たものを信じればいいよ。私の価値観をクオンに押し付けるつもりはないよ」
「クルス兄上」
「けれど、くれぐれも兄上には利用されるないように。あの人は性格悪いからね」
「うん、それは分かってる」

力強く頷くクオン。
クルスがエルグのことを性格悪いと称するようになったのも最近だ。
エルグの性格が変わったわけではなく、クルスがクオンに対して正直になってきているということなのだろう。
ここまでクルスを変えた存在に対して、クオンは少し期待をしていた。
もしかしたら世間の噂は噂なだけで、会ってみたら印象は変わるかもしれない、と。
だが、その期待は誕生パーティーでは裏切られることになる。



セルドとシリンの誕生パーティーで見た、そのシリン・フィリアリナは、クオンから見て本当にどこにでもいる平凡な子だった。
セルドと似ている部分があるとすれば、髪の色と瞳の色くらいだろう。
感じる法力は確かに小さい。
だが、法力だけでは判断はできない。
そう思っていたかったが、シリンはセルドの法力が不安定になることすら知らなかった。
だから、思わず尋ねたくなった。

「シリン姫、ひとつ聞いていいか?」
「はい、何でしょう」

にこりっと笑みを浮かべて答えてくるシリン。

「クルス兄上は、君のどこが気に入ったんだ?何か特別なものがあるわけでもないだろう?君はどう見ても普通だ」

彼女のどこを見て、クルスが変わったのだろうか。
クオンには分からない、どうしてこんな普通の子にクルスが影響されたのかが。

「そうですね」
「僕はクルス兄上をとても尊敬している。クルス兄上は法術も剣術も体術も、そして政治や戦略に関しても、すべてにおいて才能があって素晴らしい人だ」
「はい、私もそう思います」

クオンの言葉を肯定するということは、シリンは自分の平凡さを自覚しているのだろう。
そこだけは評価できる。
だが、それだけではクオンにとっては駄目なのだ。

「セルドだって、僕は将来はクルス兄上に並ぶ素晴らしい人になるのだと思っている。セルドにはそれだけの才能がある」
「兄様はとても頑張っていますから」
「君はその2人に好かれているようだけど、どうして何もしようとしないんだ?守られるしかないだろう自分を何も思わないのか」

守られるような存在ならば、側にいるのは足手まといだ。
邪魔な存在にしかならない。
だから、当たり前のように側にいるのはやめろとクオンは言いたかった。

「そうですね。私もクルス殿下やセルド兄様のお役に立てるようになりたいと思っています」
「役に立つ…ね。君に何が出来るんだ?」

大した法力も感じられない、学院に通っているわけでもないので知識が豊富なわけでもない。
ただ、フィリアリナという名門の家に生まれただけしか取り柄がないお姫様。
クオンはシリンをどこか見下すように見てしまう。

「今の私にはきっと待つことしかできません」
「待つこと?それじゃあ、何もできないのと一緒だ」

待っていたからといって何が変わるわけでもない。
全く意味がないものだとクオンは思うのに、セルドはそれだけでいいと言う。
待つだけの護られるだけの人間に何の価値があるというのか。
自分の身が危険にさらされれば、誰だって自分の命を優先する。
だから、力ない者がクオンは好きではないのだ。



クオンは機嫌があまり良くなかった。
それを覆い隠すほどクオンは大人ではなく、周囲には機嫌があまり良くないのが分かってしまう。

「クオン、周りに八つ当たりだけはしては駄目よ?」
「機嫌の悪さの原因は、なんとなくは分かるがな」

クオンの雰囲気をたしなめる母シェルファナと、くくっとどこか楽しそうに笑う父エルグ。

「フィリアリナのパーティーに行ってきてからその様子だからな。シリン姫に会ったのだろう?」
「会った。けど、あんな…セルドと似ても似つかない平々凡々だとは思わなかった」
「平々凡々ね…」
「なんだよ、父上。違うって言いたいのか?」
「いや、一般的な評価はそれでいいだろ」

違うという事はないぞ、と言うエルグだが、この父が何か知っているような気になってくる。
だが、何か隠しているようにも見えず、クオンはエルグを少し睨むだけに留めた。

「シリン姫には私も会ってみたいわ。エルグも会ったことがあるのでしょう?」
「クルスがお世話になっているからな。なかなか面白い姫君だよ」
「それなら一度是非お話してみたいわ。あれだけそっけなかったクルスを変えてくれた子だもの」

クルスがシリンと接するようになって変わったのは、クオンも分かる。
だが、それを認めるのはどうも気に入らないのだ。
あっさりシリンを認めている両親を、どこか睨むように見るクオン。

「シリン姫を少し脅かしてみるか?クオン」
「父上?」

両親のシリンへの評価が気に入らない様子のクオンに、エルグが提案する。

「シェナはシリン姫に会って話をしてみたいのだろう?」
「私がシリン姫を誘えばいいのかしら」
「クオンがシリン姫をシェナの所に案内するだけでいい。どうだ?」

王妃であるシェルファナの誘いをシリンが断ることなどないだろう。
シェルファナのいるところまで案内する間に、脅かしてみればいい、とエルグは言いたいのだ。
クオンは少し迷うそぶりを見せる。

「何だ、クオン。シリン姫1人位、守ることはできるだろ?」
「けど、父上。確かに今僕を狙っているヤツは三流暗殺者ですが、万が一一流の暗殺者の襲撃の場合は…困るのでは」

王族が常に狙われる立場である事は、日常茶飯事で彼らにとっては当たり前の事。
これはクオンが誰かに襲撃を受ける予定があるという前提で行われている話だ。
クオンが自分を狙っている暗殺者がいると言っても、エルグもシェルファナも驚きはしない。

「それならば、エルグが贈った手鏡を持って来てもらうのはどうかしら?あれを持っていれば何度か攻撃は防いでくれるでしょう?」
「そうだな、それがいいだろ」
「父上!あれは、絶対防御ではなく、本当におまけ程度の護りしかついていないんだろ?そんなんで平気なのか?」
「あれでも名門フィリアリナの姫君だ。そのくらいどうにかしてもらわなければ今後困るだろう?」
「確かにそうだけどさ」

クオンはシリンがあまり好きではないが、殺されるほどの恐怖を味あわせたい訳ではない。
ちょっと脅かせればいいとは思っているが、実際クオンを狙う暗殺者が襲撃してくる場に居合わせるというのはやり過ぎではないのだろうか。

「あの名門フィリアリナの姫に生まれた子だ。自分がいつか誰かの人質のようにされる危険があるかもしれない程度は感じているだろう。もし、それすらも感じていないのならば、自覚させるのにも丁度いい経験だ。グレンや将来有望なセルドの足を引っ張るだけの姫君ではこちらも困る」
「厳しい意見ね、エルグ」
「王としては当然の事だろう?」

国の中枢の役職を持つ者の大切な存在が自分の身も守れない者では、どこかで影響が出かねない。
国王である父は時に厳しい事も言う。
シリンの事を気に入っているように感じていたが、役に立たないのならばあっさりと切り捨てそうな気がする。

「どうする?クオン」
「やる」
「だ、そうだよ。シェナ」
「それなら、シリン姫にお茶への招待をしなくてはならないわね」

やりすぎかもしれない、とクオンは一瞬思ったが、パーティーでのシリンを思い出すとその気持ちは消えてしまう。
クルスとセルドの傍にいたいというのならば、自分の身も危険にさらされるのを自覚するべきなのだ。



シェルファナが誘ったお茶会への場所までシリンを案内する際、その道筋はなるべく襲われやすい場所がいいだろうとの父の助言をきいて、人気がない所を通る。
シリンには、シリンとクオンが2人でいる所を他の者に見られてしまえば邪推する人がいるかもしれないとの事を話した。
草木のみで人の影も殆ど見られず、大声を上げた所で誰かが気付いてくれるか分からないような、貴族院の中でも王宮に近い奥の自然のある場所。
シリンはクオンを疑いもせずについてくる。
そして、狙い通りにクオンを狙った襲撃者は現れた。
対象に現れる事が分かってしまうような襲撃者は所詮三流だ。
襲撃者がシリンを攻撃した瞬間、シリンの持つ手鏡の法術が発動してシールドが張られる。

「このような場所で共の者もつけずに子供2人だけとは、殿下は随分とご自分の力を過信してらっしゃるようですな」
「そんな事は君らには関係ないだろう」
「いえいえ、都合が良いという点では大いに関係がありますよ、クオン殿下」

べらべらしゃべりだす襲撃者。
だから三流なのだ。

「何にせよ。殿下がこのような人気のない場所にいらしたのは好都合」
「僕にとっても好都合だよ。やっと君らとの付き合いも今日で終われそうだからな」
「随分と自信があるご様子。ですが、我らを殿下のような未熟者が殺せますかな?」
「そんなもの…やってみなければ分からないだろう?!」

相手は3人だった。
2人位を想定していたクオンは、時間がかかるかもしれないと思いつつ、呼びだした剣と法術で応戦する。
問題はシリンの持つ手鏡のシールドがいつまでもつかである。
気配からシリンが動く様子はない。
怖くて動けないでいるのか、どうしたらいいのか分からないのか。

あの優秀なセルド・フィリアリナの妹姫というのに、まったく違う。
もはや呆れながらもクオンは目の前の相手に集中しようとしたが、その瞬間、背後で大きな法力が集まるのを感じた。
クオンの背後にいるのはシリンだけのはずだ。
襲撃者は法術を使ってこないので、法術を使わない…使えない暗殺者なのだろう。

(まさか…っ!)

一瞬父が何か仕掛けたのだろうかと思うがそれは違うと思う。
クオンが何かを考えるその前に、シリンの声が響く。

「クオン殿下、動かないで下さい!」

聞こえたのは迷いのない力強い声。
その声と同時にざあっと吹き抜ける風と、感じる大きな法力、…そして見た事もない竜の形をした3つの炎。
クオンはシリンに言われた通りその場を動かなかった。
炎はクオンの側を通り、だが熱さはクオンには感じられなかった。
周囲は炎に包まれ、一瞬シリンも炎に包まれる。
シリンに言われて動かなかったのではなく、クオンは目の前の光景に動けなかった。
一体何が起こったのか状況が分からない。
クオンが状況を把握する前に、周囲を包み込むようにあった炎の存在が一切消えていた。
熱を感じない炎、それが示すのは幻であるという事。

「今のは…何だ?」

呆然とした声が、クオンから零れる。

「炎の幻術だな。幻を使った法術とは随分と珍しい」

耳に届いた声は父エルグのもの。
その声にはっとなるクオン。
一瞬シリンが「げ…」とつぶやくのが聞こえた。
それが恐らくシリンの本性なのだろう。
幻とはいえ、あれほど見事な法術を綺麗に使いこなして見せた。
ぎこちない感じはまったく受けず、使い慣れているようにも感じた。

(僕も彼女も、父上にひっかけられたってわけだ)

父にひっかけられる事は良くあることだ。
怒りはあるが、騙された自分も悪いと思う事にしている。
それは自分が良くひっかけられるからであり、立場上このくらいの事は相手の思惑を読めるようにならなければならないというのがある。
だが、同じように騙されたはずのシリンに怒りは見られない。
バレてしまったことを、仕方ないとでもいうかのようにため息をつくのみ。

「聞きたいことあるんだろ?言ってみろよ」

どうしてこんなことになっているのか、事情は知らないはずである。
ならば聞きたい事はたくさんあるだろう。
シリンは怒って詰っていい立場だ。
騙されて襲撃に巻き込まれてしまったのだから。
それをしないのは、それを”すべきでない”と分かっているからか。
エルグに怒って詰っても決して得をする事はない、ちょっと気持ちがすっきりするだけだ。
恐らくシリンは、それが分かっている。

(信じられない。なんで、普通に父上が騙した事を受け入れられるんだ?)

9歳の姫君ならば、この場でエルグを罵ることくらいはしそうだ。
その前に襲撃の時点で腰を抜かしているか、泣き叫ぶかしていそうだろうが、シリンはどちらでもなかった。
クオンの方が助けられてしまった。
自分の目が確かではなかったという事だ。
クオンを護れるほどの法術の才能がシリンにはある。

(けど、女に護られるのは、なんか嫌だ)

法術の使いこなしをみて強さは認めようとクオンは思う。
そして精神的にも決して弱いわけではない事も分かる。
けれど、なんとなくだが、守られたくないと思ってしまうのは男としての意地かもしれない。

すぐ後に、シリンは法術の才能があるどころではなく、このティッシでは恐らく唯一の法術を作り出す事ができる存在である事を、クオンは知る。
この貴重な存在をエルグに利用されない為に、クルスとクオンが共同戦線を張ることになるのはそう遠い事ではないのかもしれない。


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