WORLD OF TRUTH 24.5



シリンから事情を聞いたクルスは、穏やかな笑みを浮かべながらその場に座っていた。
ここはティッシ国城内の一室である。
室内に並ぶ顔ぶれは、どれも高官ばかり。
中には王の姿、そして政務官長、シリンの父であるグレンの姿もある。

「ティッシ軍の何者かによる転移は未だに何が起こったのか不明です。あのような現象を起こす法術を調べてみましたが、ティッシ国内の書物には記されておりませんでした」

報告書を読み上げる政務官。
恐らくティッシの書庫にある全ての法術を調べつくしたのだろう。
似たような法術とその説明を続けて述べる政務官を笑みを浮かべながら見たまま、クルスは説明を殆ど聞き流していた。
ティッシ国内の法術を調べたところで、該当するものが出て来ないだろうことをクルスは分かっているからだ。

「それから、朱里の結界ですが、こちらの方はかなり強力なものであると推察され……その…」
「どうした?」
「それが…、あれほど強大で強力な結界を張ったという前例は世界中にもなく、解析不能としか言いようが…ありません」

以前まで張られていた結界と強度が全くと言っていいほど違うものだ。
そして恐らく人の身では、あれほどの結界を張ることは難しいだろうもの。
だからこそ、あれほどの結界は前例がないのだろう。

「グレン、その場にいたお前はどう考える」

報告を聞いて王がグレンに問う。

「私は…」

口を開いてグレンはすっと視線を上にあげ、王をまっすぐ見る。
静かな表情で、慌てた様子はない。

「シュリに捕らえられてました娘が危険を知らせに来てくれまして、私は娘と自分に転移法術を使っただけで、周囲に注意を向ける余裕がありませんでしのた。ですから申し訳ないのですが、何とも申せません」

その場にいた者でなければグレンの言葉が嘘であることなど分からない、まるでその場で起こった真実のみを述べているような口ぶり。
クルスは決してグレンに口裏合わせを頼んではいなかった。
口裏合わせを頼んだとしても、その場を誰かに目撃でもされてしまえば、後で何か言ってくる者が必ずいるだろう。
グレンにも分かっているはずだ。
あの場でシリンが行ったことをそのままここで言うことは、ティッシがシリンにとる対応が決してシリンにとって良いものではないことに。

「問いを変えよう。お前にならばできるか?グレン」
「張られる結界内に点在しているティッシ軍人を全て転移することを、ですか?」
「そうだ」

グレンはゆっくりと首を横に振る。

「そのような法術がティッシには存在しないことは先ほどの報告でご存じの通りでしょう。万が一他国にそのような法術が存在するとしても、使いこなすのは難しいかと思われます」

この世界で法術の理論を本当に理解して使っている者は殆どいない。
グレンの言う”使いこなす”は、その法術にどれだけの法力が必要でどんな属性が使われているか、である。
これだけでは、シリンからみれば理論を理解しているとは言えないのである。
属性が分かっても、使用できる法力の量が分かっていても、組まれている術の仕組みがどうなっているかが分からなければ理解できていないことになり、応用もできない。

「使われた法術が1つなのか2つなのかすらも分からない。もしかしたら転移させた人数分の法術が使われたとすると、その法術師は相当の腕を持っているのでしょう」
「そうだろうな」

そう、普通はグレンのように考える。
しかしクルスはシリンに聞いている。
複数の転移法術を使うとしても、法術をその人数分組み上げる必要はないと言う事を。
シリンの法術組み上げの才能に改めて感心してしまう。
だからこそこの国に…いや、この国だけではなく、権力ある者に利用されるわけにはいかない。
大切なシリンが、権力権化に関わることによって変わってしまうのは、クルスにとってはたまらなく許せないことだ。

「クルス。お前もその場にいたのだろう、何かあるか?」
「いえ、私もシリン姫から聞いた報告を認識して、その場にいたグレンとセルド、そしてシリン姫と私自身を避難させることで精一杯でしたから」

王はそれ以上はクルスに問うことはなかった。

「陛下、よろしいですかな?」
「バルドか」

口を挟んできたのはグレンよりも少し年上だろうかに思える男。
軍属ではなく衣服も政務官のものだ。
だが、彼はフィリアリナよりは劣るが名門な家柄の当主である。

「シュリの結界、そしてティッシ軍の転移法術の件、どちらもセルド・フィリアリナとシリン・フィリアリナに査問をかけるのがよろしいかと。ここで討論していても情報が少なすぎると思われますが…」
「それは承知している。セルドに関しては学院経由で査問の申し出はもう出している。グレンに同席をしてもらい、セルド・フィリアリナには後日査問をする予定だ」

この場にセルドがいないのは、正式にティッシ軍に所属しているわけではないという理由と、まだ幼いからという理由からだ。
あの年齢では、このような高官が集まる場所での査問は萎縮して真実を話すことができなくなってしまうだろうという配慮。

「陛下、それではシリン・フィリアリナにも査問を…」
「ラングリード卿」

バルドの言葉を遮るかのように冷え切ったクルスの声が響く。
口元だけ笑みの形にし、バルド・ラングリードへ視線を向けるクルス。

「セルドは8つといいましても学院の生徒であり、今回の事に特例で参加したこともあるでしょうから査問は当然でしょう。しかし、シリン姫に査問する理由がどこにあります?」
「シリン・フィリアリナは敵国であるシュリに捕らえられていたのですよ、クルス殿下。クルス殿下達にお伝えした結界を張るという情報をどこで得たのか、そしてイディスセラ族からどうやって逃げ出して来れたのか、不思議ではございませんか?」
「ラングリード卿。貴方はどうにか必死で敵国から隙をついて逃げて、なおかつ途中で思いがけない情報を拾ってしまっただけの幼い姫君を、査問するつもりなのですか?」

シリンは何の才能も持たない、ただ名家に生まれたというだけのまだ幼い姫君。
彼女の境遇を知らない者はこの場にいないし、彼女ほど無力で名のある貴族などいないだろう。
フィリアリナ家に悪感情を持っていなければ、幼い姫君が無事で生還したことに安堵するのが普通だ。
だからこそ、この場にいる大半の者は、クルスのその言葉に心の中で頷く。
”運良く敵国から逃げ出し、その途中で強大な結界を張ることを盗み聞いて急いで危険な戦場へと知らせに来てくれた小さな姫君”それが大半のシリンへの印象だろう。
グレンとセルド、そしてクルスが何も言わなければその印象が変わることはない。
シリンにはこれまで何かをしてきた実績も噂もなにもないのだから、その印象を疑う事はないだろう。

「敵国に捕らえられていたという精神的に追い詰められた状況にいたシリン姫に、更に精神的負荷をかけるなど…、ラングリード卿もそこまで非情ではないでしょう?」
「…む」
「査問は例えされる側に何の非はなくとも、何も知らない普通の姫君が受けるようなものではありませんよ、ラングリード卿」

クルスはあくまで笑みを浮かべているが、室内にいる者の殆どはクルスからの冷たい感情を感じていた。
クルスは冷静に、そして深く怒っているのだ。
シリンという幼い姫君への査問を良いことではないと思っている者はこの場では多くいるだろう。
時に厳しい対応する事もあるだろうこの場にいる彼らだが、無理やり幼い姫君…それも名門の家の出の姫を査問するほど冷酷ではない。

「ですが、クルス殿下。それではティッシ軍の転移とシュリの結界は…」
「それを調べるのが貴方がたの仕事でしょう?複数の転移法術も、シュリに張られた結界も、他国には似たような現象があったかもしれませんよ」

人に聞かず、まずは自分達で全力で調べろ、とクルスは言いたいのである。

「バルド、悪いが私もクルス同様シリン姫への査問は反対だ。まだ幼い姫君だ、帰ってきて間もないというのに査問では姫の心が壊れてしまいかねない。どうしてもと言うのならば、私とグレン、そしてクルスの立会いという条件のもとで検討しよう」

王にまでそう言われてしまえば、バルドはそれ以上言えないだろう。
幼い姫君への査問など民への対外も悪くなる。
元々賛成者が多数得られない意見だった。

「では、次の報告を」

ティッシ軍転移とシュリの結界の件はここで保留となる。
まだ調査が必要であるという事と、セルドへの査問待ちという結果。
この件は恐らく明らかにされないまま終わるだろう。
その場にいたクルスとグレンが、この場で真実を言わなかったのだから。



政務官と王族、軍人との会議が終了し、クルスは小さく息をつく。
この室内にいる者の中でクルスが一番若いだろう。
3年ほど前からクルスはこの手の会議にも参加するようになっていた。
最初は話を聞き理解し、知識を蓄えるだけで精一杯だったが、1年ほど前から口を出すようになってきた。
部屋を出て、クルスは風のあたる場所へ移動する。
会議をしていた部屋からそう離れていない外が見える場所。

「クルス」

そのクルスを呼ぶ声。

「兄上」

ふっと笑みを浮かべたクルスに、王は嬉しそうな笑みを浮かべた。
クルスにとっては年の離れた兄ではあるのだが、年が離れすぎているため会議終了後にニコニコしながら話をするほど仲は良くない。
こうして王が話しかけてきたのも初めてだ。

「随分と変わったな、お前」
「そうかな?」

今は会議中でもないので言葉遣いは丁寧なものにはなっていない。
公式の場ではクルスもきちんとわきまえている。
普段はシリンと話す時と同じ口調だ。

「兄上が声をかけてくれるなんて、何か私に用事でもあるのかな?」
「そうだな、耳に入れておいて欲しい事があるにはあるな」
「耳に入れておいて欲しい事?」
「そのうち皆に知らせ、意見を聞こうとは思うがな」
「重要なことなんだね」

王は小さく息をつくことで肯定を返す。
そして小さく防音の法術結界を張った。
恐らくまだ誰にも聞かれたくないことなのだろう。

「実は、シュリから和平の申し出があった」
「和平?」
「今まであれだけ閉鎖的で、連絡手段も何もなかったシュリがだ。何が切欠で和平を申し出るに至ったのか全く見当がつかない。可能性のひとつとしてシリン姫が滞在したことが…」
「兄上」

声を低くしてクルスが王を見る。

「ああ、分かってる、分かってる。そんなことを言えばシリン姫を査問しろとの話題が再び出るのではないかと言いたいのだろう」
「私はシリン姫に害を及ぼすつもりなら、兄上でも容赦しないよ」
「お前は…、私はこれでもこの国の王だぞ」
「彼女に害を及ぼす国ならば、国そのものを変える方法を私は選ぶよ」

王は大きなため息をつく。
だが、その表情は嬉しそうなものだ。

「シリン姫は、周囲と表面上の関係しか持たなかったお前を良い方向に変えてくれた存在だ、そんなことには私もさせないさ」

シリンと関わるようになってクルスは変わった。
それまでのクルスは差しさわりのない関係しか作らなかった。
浅く広く、それがクルスの交友関係で、クルスの本質を知る者は殆どいないだろう。
だが、シリンと出会い、シリンに甘えるようになり、少しずつ感情を出すようになったというべきか。
王とクルスの関係もここ1年で随分変化したことを、シリンは知らないだろう。
以前はもっと冷めた会話ばかりだった。

「しかし、1つだけ確認したい」
「何を?」
「シリン姫は本当に無力で幼いただのお姫様か?」

クルスは必要以上ににこりっと優しげな笑みを浮かべる。

「兄上、私は会議でも言ったと思うけれどね」
「”何も知らない普通の姫君”か?大体、何も知らない普通の姫君があれだけひねくれていたお前を変えられるほどの影響力を持つはずがないだろう」
「ひねくれ…ね。兄上は私の事を以前はそう思っていたんだ?」
「家族にすら表面上の笑みを貼り付けて接するお前を、ひねくれと言わずにどう表現するんだ」

こうやって本音を言い合うことも以前はできなかった。
クルスが本心を隠し接すれば、王の方も気軽に接することもできない。
本当に親しい身内にだけ本心を少しだけさらけ出してくれるようになったクルス。
きっとシリンには本音でのみ接しているのだろう、と王は思っている。

「仕方ない、今度直接話でもしてみるか」
「直接?間違っても王宮に呼び出したりしないでよね。シリン姫は目立つの嫌いらしいから」
「そうか。それなら城下町に部屋でも借りて会うほうがいいか?お前がやっているようにな」

クルスは僅かだが顔を顰める。
知られていないなどとは思っていなかったが、知っていると言われるとなんだか気に入らないのは仕方ないだろう。

「それより、シュリからの和平はどうするの」
「話をそらすつもりか?まぁいいが…、和平は受ける方向で考えたいものだな。問題は多くあるだろうが、あれだけ強力な結界を張られている状態では、話を聞くだけでもしなければ状況は変わらん」
「兄上はシュリを受け入れないと思っていたよ」
「受け入れるとは言っていないだろう?自国の民を傷つけられた代償は払ってもらうつもりだ。でなければ話にならんよ」

ティッシは少なからず被害を受けているのだ。
その代償がなくては、和平は到底受け入れられないだろう。
もし受け入れることができたとしても、イディスセラ族への恐怖は根付いたまま。
その認識が変わるのに時間はかなりかかることになる。

「これからの事も考えれば、和平が一番なんだろうとは思うよ。他国の動きも怪しいものがあるしな」
「西の方では継承関係でモメている国があるようだしね」
「いつかどこかでこの状況を絶たねばならないなら、今やるべきだろうな」

問題は反対する者の説得である。
直接被害を受けた民の問題もあるだろう。
だが、やられたからやりかえすと言う方法では、どちらかが滅びなければ終わらない。
今のシュリに攻撃は出来ず、こちらは被害を受け入れるだけしかできない。
それならばシュリから代償を払ってもらうほうが良いのかもしれない。
それを決めるのは王だけではなく、ティッシという国そのものだ。


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