WORLD OF TRUTH 22




シリンが自分で空間転移の法術を使うのは勿論初めてだ。
初めての大きな法力のコントロールに少々戸惑うが、できないことはない。
身体がふわりっと浮くような浮遊感は、風の力を借りて浮くのとはまた違った感覚。
ひゅっと音を立てて、シリンは昴の目の前にタイミング良く現れる。

『なんだ、てめぇ?!』

突然目の前に現れたシリンに、昴はぎょっとする反応を返す。

『悪いけど、法力根こそぎもらっていくから』
『はあ?!』
『自業自得』

にこっと昴に笑みを向けて、シリンは昴の腕を掴むと法力を一気に吸い上げた。
昴の身体をシリンが組み上げた法術陣が囲む。

『て、め…なに…』

がくりっと昴の身体から力が抜けていく。
シリンはそれを支え、ゆっくりと昴を地面に下ろす。
少し離れた所にいる桜に目で合図を送ると、桜は小さく頷いた。

(結界よろしくね、桜)

シリンはただ純粋に驚き、こちらを見ているセルドへ目を向ける。
後方にいる桜が溜め込んでいる法力が一気に開放される力の流れを感じた。

(タイミング間違えると兄様たちに怪我させちゃうから気をつけないと)

たんっと軽く地を蹴ってシリンはふわりっと風を使ってセルドの元へ飛ぶ。
驚いたままのセルドの腕をがしっと掴み、そのまま飛びながらセルドをひっぱり今度は父とクルスがいるだろう方向へ向かう。

「え?!シ、シリン?!」
「兄様、ここ危ないから」
「け、けど…、というか、シリン、いつの間に浮遊の法術を使えるように?」
「細かいことは気にしない!」
「こ、細かい…?」

シリンはぐんっとスピードを上げる。
法術の理論に問題はないし法力のコントロールもちゃんと出来ている。
だが、法術を使って飛んだりすることなど今までなかった為、緊張をしていないわけではないのだ。
集中力をなるべく途切らせたくないシリンとしては、会話をする余裕が今はない。

― 主、結界を発動させるぞ

シリンの耳にだけ桜の声が聞こえてくる、と同時に父とクルスの姿が見えた。

「場所と場所、歪めるは光、指し示す道しるべは闇、我が道を前に示せ…」
「シリン、その法術は?!」

父とクルスが立つその丁度間に、シリンは着地する。
法術を使ってセルドを引きつれてきたシリンの姿を見て、父グレンもクルスも驚いたようにシリンを見る。

「シリン…?」
「シリン姫?」

シリンが法術をここまで使いこなせていること、そしてセルドをひっぱってきたこと、説明は必要かもしれないが、今は時間をかけている場合ではない。
どんっと大きな音と共に、城を中心に虹色の光の膜が広がっていくのが見えた。
虹色の光の膜は、桜が再度張り巡らせようとしている強力な結界。
シリンはセルドの腕を掴んだまま、空いている方の手でクルスの腕を引っつかんで引き寄せる。
そのままグレンに体当たりするように身体を倒す。

(少しでも消費する法力は少なくしたいから、やっぱり直接触れていた方がいい)

グレンの体温を感じ、シリンは先ほど唱えていた法術を発動させる。
キィンと耳鳴りがするような音が響く。

「異なる空間を繋ぎ、”我ら”を転移させよ!」

ぐんっと身体が別の空間へとひっぱられる。

(くっ…!やっぱり思った以上に負荷がかかるっ!)

風を使っての空を飛ぶ法術と空間転移の法術。
セルドやクルスなどの自分の法力を持つ者が使う分には、シリンほど身体に負担はかからないだろう。
だが、シリンが使うのは自分のものではない法力だ。
人と人に相性があるように、法力にも相性がある。

(きつ…っ!)

身体がミシミシ音を立てそうな程に所々が痛む。
しかし、ここで気を抜くわけにはいかない。

(”全て”を守りきって…、意識飛ばすのはそれから!)

シリンは殆ど気合いだけで意識を保っている。
高位の法術を使うことがここまで負担を強いるものだとは分からなかった。
次に法術を使うときに課題にすべきだろう。

(あと…もう少し!)

シリンは転移先をイメージして、3人を連れて側に”出た”。
イメージした転移先が見え、シリンの意識は沈んでいった。



どさりっと投げ出された身体は1つだけ。
空間から抜け出て、セルド、クルス、グレンは綺麗に地に足をつけた。
どさりっと音を立てて倒れたのはシリンだけだった。

「シリン姫!」

一番最初に気付いたのはクルス。
倒れているシリンに近づき抱き上げる。
セルドもシリンに近づき、心配そうにシリンに目をやる。
クルスが抱き上げたシリンには意識がなかった。
額に手をやれば額が熱いし、息も荒い。

「随分と無茶をしたようだね」
「シリンは元々あんな法術を使えるはずがないんです」
「けれど、セルド、君をあのイディスセラ族から遠ざけ、私達を転移させた」

クルスは顔を上げて周囲を見る。
転移して出た先はティッシの貴族院の中、しかもフィリアリナ家屋敷の庭だ。

「グレン。ティッシ軍の者達がどうなったのかを調べてもらえるかい?」
「承知しました、クルス殿下」

彼らはここに飛ばされてしまったが、他のティッシ軍人がどうなっているのかを調べる必要があるだろう。
クルスも本来ならば動くべきなのだろうが、目の前で目を閉じ意識のないシリンの側を離れるのが嫌だと思った。
それに、イディスセラ族…シュリとの戦争が再開されることはないだろう。
クルスは視線をシュリがあるだろう方向へと向ける。
セルドも導かれるかのようにクルスが見ている方向へと視線を向けた。

そちらに見えるのは虹色の光。
目で確認できるほどシュリの結界は強いものではなかった。
だが、あの一瞬で桜が張った結界は肉眼で確認できるほど強力なもの。

「あの結界に巻き込まれていたら、私達もただでは済まなかっただろうね」
「そう…ですね」

クルスとグレン、セルド以外のティッシ軍人はカイの法術で殆ど吹き飛ばされていて、あの結界に巻き込まれたものがいてもほんの僅かだろうとクルスは思う。
クルスはシリンに視線を戻す。
転移法術は単体ならば中級法術だが、複数転移となると高位法術になる。
法力が小さなことで有名であり、理論は理解していても高位法術など使うことができないこの小さな姫にクルス達は助けられた。

「セルド。シリン姫は本当は実力を隠していた…ってことはないかな?」
「いえ、それはありません……と思いたいです」

言い切りたかったがセルドは少し自信がなくなった。
シリンはいつも悩みなどないようで、何か起こっていてもセルドがそれを知るのは随分後になってからの事ばかりだった。
隠し事をされてもセルドにそれを見破ることが出来るか、今は自信がない。
仲の良い双子の兄妹だとセルドは思っているが、シリンはあまり自分の事を話さないのだ。

「クルス殿下!」

グレンがどこか慌てたようにすぐに戻ってきた。
ティッシ軍の様子を見に行ったはずなのに、こんなに早く戻ってくるのはおかしい。

「どうしたんだい、グレン」
「それが、他の者の事なのですが…」

グレンは言うべきか言うまいか迷っている様子だった。
その様子にセルドが首を傾げる。
父は優柔不断な性格ではなく、報告も起こったことを簡潔に分かりやすく報告する性格のはずだ。
迷うことなどないはずなのに、何か言いにくい状況なのだろうか。

「あの強固な結界に巻き込まれた犠牲者の数が、予想以上に多かったのかい?」
「いえ、そうではなく…。あの結界に巻き込まれる位置にいた筈の者が、全てこの貴族院へと転移されているのです」

グレンは報告する。
信じられないことだが、転移してきた者の話では何が起こったのか良く分からないとの事。
虹色の光が迫ってきたと思えば、自分の身体が何かにひっぱられ気付けばこの場所に転移していたらしい。

「結界を張った者がわざわざ逃がしてくれた…可能性は低そうだね」
「はい。あれほどの強力な結界を張り、更に結界内になるだろう場所にいる者の位置を全て特定し、更にあの人数を全て転移させる法術など…」
「ない、ということか」

グレンは頷く。
そんな細かいことができる法術は、クルスもセルドも、そしてグレンも知らない。
数多く存在する法術全てを習得したとしても、そんなことを果たして出きるのだろうか。
クルスははっとなる。
法術の理論をさらっと説明しながらも、オリジナルで法術を組むことができる少女がここにいる。
高度な法術を発動させる為には、シリンの法力があまりにも小さすぎて無理のはずだ。
だが、シリンならばそれさえも克服させる方法を見つけてしまっているのではないのだろうかと、クルスは思う。

「結界外にいた者の事も気になる」
「分かりました」

怪我をした者は治療を、まだ戻ってきていない者への退却を。
口にはしないが、クルスの言いたい事を汲み取りグレンは了解の意を示す。

「セルド、シリンを頼んだぞ」
「はい、父上」

セルドはまだ正式にティッシ軍に所属しているわけではないので、何か仕事があるわけでもない。
クルスは抱き上げているシリンを見て、ぎゅっと抱きしめ顔をシリンの方にうずめる。

「優しき風よ、この者に安らぎを」

ふわりっと緑色の風がシリンを包み込む。
しかし、シリンの容態が変わったようには見えない。

「やっぱり、法術で回復するようなものじゃないようだね」

クルスはその様子を見て、困ったような笑みを浮かべる。
シリンが何らかの無茶をして法術を使ったのならば、これの症状をおさめる事はクルスには出来ないだろう。
時間が経ち、回復するのを待つしかないのか。

「セルド」
「はい」

クルスはシリンをセルドへと渡す。
セルドは少しよろけながらも、シリンを抱き上げ受け止める。

「シリン姫を部屋へ運んであげて」
「クルス殿下」
「後で会いに行くけれど、やっぱり軍の方を放っておくわけにもいかないからね」

名残惜しそうにクルスはシリンの頬を撫でる。

「行って来るよ、シリン姫」

クルスは本当にシリンが大切なのだとセルドは感じた。
グレンが向かっただろう方向へとクルスは向かっていった。
セルドは意識のない妹シリンを見る。

「心配させないように隠し事はして欲しくないって思ったこともあったけどね、シリン。一気に心配事を増やさないで…早く目を覚ましてよ」

イディスセラ族に浚われ、無事な姿を見たと思えば高度な法術を使い、何があったのか聞きたいと思った時には聞けるような状態ではない。
シュリで何があったのか、乱暴な扱いは受けなかったのか。
聞きたい事はたくさんあるが、シリンが無事に目を覚ましていつものように笑顔をみせてくれること、それだけが今のセルドの願い、いやセルドだけではなくシリンを心配していたクルス達の願いだろう。


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