異世界にトリップするなんて、現実に起こるわけないと普通思うでしょう?
私もそう思っていた。
それでも、何か間違って異世界にトリップしたとして、王道はやっぱり魔王を倒す勇者とか世界を救う巫女とかそんな感じじゃない?
貴方が来るのを待っていました…!とかね。
貴女には何の役目もありません、な異世界トリップなんて普通ないでしょう?
いや、でも、これがあったんだよね。
しかも、トリップした状況も王道とは外れてとんでもない状況だったりするのよ。





私、西野カヤはどこにでもいるようなごくごく普通の平凡少女。
顔立ちだって十人並みもいい所、頭がいいわけでも、特技があるわけでもない。
それなのに突然、いつものように一日の身体の疲れをとる為にゆっくりと湯船につかって、そして身体を洗っていた時、突然ふわっと身体が浮くような感覚がしたと思ったら…
身体が痛くなるほど強く水の中にばしゃーんっ!!
気がつけば水の中。

なんじゃこりゃー?!

って内心、ものすごい悲鳴を上げましたよ。
ええ、可愛い悲鳴なんて、とてもじゃないけどあげられなかった。
普通はそうだと思う。

それで、水の中に落ちた瞬間は何が起きたのかさっぱり分からず。
けど、後で分かった事だけど、 私が落ちた泉らしき所は聖なる泉らしく、だけど、まぁ、前に述べたとおり王道通りの展開なんて何にもなく、ただふらっと別の世界からたまたま落ちてきちゃっただけらしい。

いや、私にどーしろって?

元の世界から持ってきたものと言えば、身体を洗う時に持っていたスポンジひとつきり。
これ売ってもお金にならないよね…と思っていたところ、泉に落っこちた私を見ていた男がいたらしく、その男が突然妙な事を言い出した。

「私と結婚して下さい」

とな。
その人は金髪碧眼、見惚れるような美形さんで、後で聞けば将来も有望、お家もかなり裕福な人だという事。
いやしかし、そんな人ならば結婚相手など沸いてくるようにいるだろうに何でそんな事を言いだしたのか。
彼の言い分を聞くには、泉に落っこちてきた私に一目ぼれをしたらしい。

お兄さん、恋は一時の病、将来をよぉく考えてからそういう事を言おうね。

惚れられるのはちょっと嬉しいが、後で間違いでしたと言われるとかなり傷つくものだ。
予防線の意味を込めて、私は何かの間違いではないかと何度か彼に言う。
いや、だって、しょうでしょ?
美形のお兄さんに惚れられるのは嬉しいが、フラれるのはやっぱ嫌だよね。

「君は天から降りてきた羽衣を纏った天女のようだよ。君のような純粋な瞳と、優しいまなざしを持った女性など他には存在しない」

彼…グラディスは、私の勘違いじゃないかという発言など耳に入れず、そんな妙な事を言いながら私を口説き始めた。
身体をごしごし洗っていたボディーソープの泡がどうやら羽衣に見えたようだ。
聞けばこの世界では、石鹸などを泡立てて身体を洗うような習慣がないらしい。
まぁ、この世界に突然来て1人きりの私にとって、結局は彼の存在は救いだったのだろうと、今ならそう思う。





異世界に来て2年。
帰れる可能性など殆どゼロに近く、夜空に浮かぶのは大小3つの月。
思えば月が3つも浮かんでいるのを見て、ぎょっとした事もあったなぁ〜としみじみと思う。
元いた世界との違いに戸惑いながら、叫びながら、結構今では順応してきた。

慣れというのは、すごいものだ、うん。

私は唯一元の世界から持ってきていたスポンジを手に、それを眺めていた。
いつもそのスポンジは宝石箱の中に大事にしまってある。
なぜ大事かと言えば、2年ここで暮らしてきて分かった事だが、このスポンジのような素材は存在しないらしい事が分かったからだ。
何かあった時に絶対に高く売れる。
というより、知り合いに妙なものを好む人がいるから、高く売りつけてやろうと思う。
売れれば当分の資金繰りには困らないに違いない。
備えあれば憂いなし!

「カヤ…」

どこか熱のこもったような声と同時に、ずしりっと肩にのしかかる重み。
圧し掛かるのが体温だけならまだしも、重さはいらん。

「重い」

正直に私は背中の後ろの人物にきっぱりとクレーム。

「カヤが冷たい、初夜なのに…」

どこか拗ねたように呟く男は、グラディスだ。
2年間この男は諦める事なく私を口説き続け、結局私の方が折れたのである。
彼の事は好きだが、重いものは重い。
私は自分に正直なのさ。

「カヤ、それは…っ!」

私の手の中のスポンジに気づいたのか、グラディスの顔色が変わったのが顔を見ずとも分かった。
両肩に軽く体重をかけるだけだったグラディスが、ものすごく強く私を抱きしめてくる。
ギシギシと骨がきしむ音でもするんじゃないかと一瞬思う。
おのれ、馬鹿力めっ!

「ちょっ…痛い痛い痛いってばっ!」
「駄目だよ、カヤ。元の世界には絶対に返さないからね!」

何を勘違い発言を!
とにかく痛い!

「違うって! そういう意味でコレを見ていたんじゃないってばっ!」
「何があっても君を離さないよ」
「だから違うってば! 話を聞け!」

思い込んだら一直線なのは、私に一目ぼれしてから全く変わらない。
ただ、スポンジを見ていただけじゃないか。
グラディスは将来有望な軍人さんらしいから、腕力が半端じゃなくマジで痛いのだ。
頭突きでもかまして対抗してやろうか…。

「帰らない、絶対に帰らないって」

私の少し大きな声に、ぴたりっと腕に力を込めるのを止めるグラディス。
そのまま解放してくれ。

「帰らない?」
「うん」
「絶対に?」
「絶対に」

うんうんと頷いておく私。
男のくせに、しつこいな。
大体グラディスの想いに応えた時点で、帰るのはやめたって何度も言ったじゃない。
信用してないのか?

「愛しているよ、カヤ」
「はいはい」

今度は優しく抱きしめてくるグラディス。
辛い体制だろうに、髪にキスして、耳にキスして、頬にも唇を落としてくる。
相変わらずスキンシップ大好き男だ。

「君だけをずっと愛してるよ」

優しく響く嘘ではないだろう声。
そう言われるのは結構嬉しいのは口にしない。
多分、口にすれば、グラディスは調子に乗るだろうから。
でも、彼はきっと私には本当に勿体ない相手なんだろうとはたまに思う。


この世界に来て2年。
なんだかんだ、過ぎてみればとあっという間だったような気がする。
王道ではないかもしれないが、これもまた王道かもしれない。
ま、こんな異世界トリップもアリでしょうよ。