思い出01



ぱらりっと薄暗い部屋の中に紙をめくる音が響く。
レイとリーズが泊まった部屋では、リーズがまだ起きていた。
レイはベッドでぐっすり眠っているようである。
リーズはレイに聞いた情報を元に自分なりに整理していた。

3年に渡る魔物の活性化と大量発生の原因。
その原因は不明で、人的介入があることは噂されていたものの確実な証拠というものが今まで綺麗なほどに見つからなかった。
自然発生だろうと結論付けられていたのに、今になって何故それが発覚しだしたのか。

「わざと…か?」

広げられた紙にはびっしりと精霊語が書かれている。
全てリーズが書いたものだ。

「いや、でも、最初のお粗末な魔道士もどきはそう指示されているようには見えなかった。それとも、アレの性格を見越していたのか」

顎に手をそえてリーズは考え込む。
第二の土地はともかくとして、第一の土地にいた小物とも言える魔道士は愉しんで魔物を作り出したように見えた。
あの小物の性格と、リーズ達がいつか来るだろう事も計算していたとしたら、相手は相当怖い人物だろう。

「まったく…」

リーズは大きなため息をついて、窓の外を見る。
外は綺麗な星空が見えるほどに、雲ひとつない夜空である。

「俺も姉さんみたいに逃げたいよ」

魔物の活性化と大量発生に始まり、その原因はファスト魔道士組合にあるかもしれないことが分かった。
魔物への対応だけでも精一杯とだというのに、この事実を果たして民衆に公開していいものだろうか。
ただでさえファスト魔道士組合には不満がある人が多い。
この事実を公開しようものならば、ファスト魔道士組合が潰れてしまいかねない。
リーズ個人としてはファスト魔道士組合がどうなろうと構わないのだが、魔道士組合があってこそ、今の魔物の対処がどうにかなっているのも事実ではある。
ファストとファスト魔道士組合からの魔道士の派遣、そしてレストアからの剣士の派遣、それらがあってこそ、現時点での生活が保障されているのだ。

「問題が、多すぎる」

リーズは自分が大魔道士の位を戴いた時の事を思い出す。
それが始まりだったのかもしれない。


リーズ・ファストはその名の通り、ファストの王族の一員だ。
直系というわけではなく、王位継承からは遠くもなく近くもない存在だった。
だが、ファストの王族は総じて魔力が高く魔道士として優秀な者が多いため、当たり前のように魔法を身近に育っていった。

リーズには姉がいた。
だいぶ年の離れた姉で、リーズが3歳の頃にファスト魔道士組合とファスト国を出て行った為、”本物”の姉をリーズは殆ど覚えていない。
当時”大魔道士”であった姉は”大賢者”であった魔道士に敗れ、自らの力の無さを悟ったからこそファストを飛び出したと云われている。
だが、本当にそうだろうか?

― リーズ、幸せにね

リーズが覚えているのはその言葉と優しげな声。
姉がファストを去ったのは大賢者に敗れたからなのだと、リーズもあの時まではそう思っていた。
そう、リーズが13歳になり、第一級魔道士の資格を取得したばかりの、あの時までは。


「大魔道士…ですか?」

第一級魔道士の資格を取得したばかりのリーズに、魔道士長からそう話があった。
魔道士組合は魔道士長が7人おり、それ以上増えることはない。
魔道士長7人のうち5人以上の承認がなければ、何に対しても決定をすることが出来ない面倒な組織体系だ。

「そうです、リーズ様。大魔道士の位は長らく空位となっておりました。しかしながら、貴方様が先日第一級魔道士の資格を取得なされました。その年齢でそこまでの才能をお持ちのリーズ様に大魔道士の即位をと願っている方々が多いのです」

大魔道士という位は、魔道士になれば誰だって1度は憧れる地位だ。
世界で自分が最高位であると認められるようなものである。
この時のリーズはまだ子供で、自分の実力が認められたのだと純粋に嬉しかった。
その裏に隠されているものを知ろうとはしなかった。

「私でよろしければ、承りますよ」

だから、リーズはにこりっと笑顔で了承した。
良く考えてみれば、この時のリーズでも分かったかもしれない。
これはリーズが第一級魔道士の資格を取得するのを待っていただけであり、最初から魔道士長達はそのつもりだったのだという事を。
リーズがそれに気づいたのは、大魔道士としての即位式が終わった後のことだった。

― 姉の責任は弟が取るべきだろう
― 幼い子供の方が扱いやすい
― あの年であれほどの魔力ならば、早めに枷をつけてしまったほうが安心だろう
― そうですな。前大魔道士のようにあの才能を逃がすわけには行きませぬ

魔法で盗聴のようなことが出来ることを知っている者は少ないが、リーズはその魔法を知っていた。
ちょっとした好奇心で魔道士長達の会話を聞いてみた結果がこれだ。
それからしばらくの間、リーズは大魔道士として与えられた部屋に篭る事になる。
その部屋は代々の大魔道士が暮らす部屋であり、大ホール並みの広さを持った実験場と図書館と呼べるではないかと思えるほどの書物と代々の大魔道士の研究書がある部屋だ。

『新たな大魔道士は貴方?』

大魔道士たちの研究所にまぎれてあった水晶球。
そこから立体映像として現われたのは、前大魔道士である姉だった。
その姿にリーズは最初は驚いた。
それはそうだろう、1人だと思っていた部屋に見知らぬ女の人が実体ではないにしろ現われたのだから。

『あら?あら?……もしかして、リーズ?』

目をぱちぱちさせて驚いたようにリーズを見る映像の女性が姉であると知ったのはこの時だ。
そもそも映像なのだから記憶されたものを流しているだけかと思いきや、詳しく聞けば、こちらの質問に答えられるような魔法をかけてあるらしく、姉の知識や考え方や答え方、性格などが組み込まれている魔法だということだ。
かなり高度な魔法である。

『私が大魔道士の位を突然放棄しちゃったから、後に就く人は引継ぎも何もなくて大変じゃないかって思って一応これを残したのよ』
「…ということは、貴方は大魔道士の位をかなり前から放棄するつもりだったのですね」

こんな魔法を残せるという事はそういう事なのだろうとリーズは思った。

『まぁ、少しはそう思っていたけれども、実際はちゃんと周囲を説得するつもりだったのよ。この魔法も暇つぶしで作ったものでたまたまこれに活用させてもらっているだけだしね』
「暇つぶし…」
『大魔道士って結構暇なのよ?煩い老人の愚痴に付き合うくらいなら研究と称してこもってばっかりだったから、時間は結構あったの』
「煩い老人とは魔道士長様方のことでしょうか?」
『そうよ。でも、リーズ。魔道士長ごときに様付けなんて必要ないわ』
「ですが、ご老人などと丁寧な呼び方などしたくありませんよ?嫌味をこめて魔道士長様と呼んだほうがマシです」
『…リーズ。貴方、なんか似てるわね。将来大物になるわよ』
「似てる?」
『ええ、私の知り合いの魔道士に』
「そうですか…。ちなみに、その知り合いの魔道士の方は魔道士長のことを何ておっしゃっていますか?」
『そうね…、干物爺とか萎れた婆とか肉塊とか』
「なるほど、それは良い表現です」

にこりっとリーズが笑みを浮かべた。
大魔道士の位を戴くまでは、それなりに敬意をはらっていた魔道士長だったが、影での話し合いを聞いてしまった今はそんな気は微塵もない。
姉が言っていた表現はとても的確だ。
これからはその表現を使わせてもらおうとリーズは思ったのだ。

リーズは食事の時や、必要な式典以外の時は部屋にこもって、姉に色々なことを教わる事になる。
教わる事の中には大魔道士としての仕事のほかにも、古代精霊語の使い方があった。
現代精霊語を主としているファスト魔道士組合の教えでは、独自で学ぼうと思わなければ古代精霊語に手を出そうとは思わないだろう。

『古代精霊語は使い始めると結構便利なのよ。覚えておいて損はないと思うの。それに、リーズの魔力ならば現代精霊語よりも古代精霊語の方が時間が短縮できていいと思うわ』
「魔力が関係するんだね」
『ええ。それなりの魔力がなければ古代精霊語が精霊たちに伝わらないから、この魔法は人を選ぶのよね。でも、きっとその方がいいと思うの』
「下手に悪用される心配もないからね」

姉の映像と話を続けるうちに、リーズの言葉遣いは砕けたものになっていく。
21歳の今のリーズが使う古代精霊語の魔法は全てこの姉から教えてもらった。
幼い自分を置いて大魔道士という位を放置した姉。
この交流がなければ、もしかしたら姉を恨んでいたかもしれないとリーズは思う。
大魔道士の責務はそれほどまでに面倒なものだった。

「姉さん、もしかして大魔道士の仕事が面倒で逃げたってわけじゃないよね?」
『え?!………ま、まさかそんなことあるわけないでしょう?』
「その間が怪しい」
『えっと、えっと、ちょこっとだけそんな理由もある、かも?』

てへっと笑う姉を見て、リーズがため息をついたのは言うまでもない。
年の離れた姉なのだが、思ったよりも大人っぽくはなかった。
時々やっぱり大人なんだな、と尊敬すらする時もあるが、子供っぽいところもまだ残っている。
この映像がリーズが3歳の時に作ったものらしいので、今はもっと落ち着いた性格にはなっているはずだと思っている。
1度だけ、今どこにいるのか聞いてみたことがある。

『それが、今の私は昔の記憶のままでしょう?だから、今どうなっているのかは分からないのよ。生きていることは確実だと思うわ』
「姉さんに会えることは?」
『そうね…。リーズがそこから外に出ることが出来れば会えるでしょうけど、そちらに私が行ったとしてもファストが離してくれるとは限らないから難しいのよね』
「今は優秀な魔道士が1人でも欲しいところだしね」
『やっぱり、今も人手不足なのね。全く、本当に身分なんかに拘らなければいい魔道士がたくさん育つのに!』
「俺もそう思う」

リーズが常々思っていたことは、姉も同様に思っていたらしくて嬉しくなった時もあった。
やはり血が繋がった姉弟だからなのか、考え方も似てくるのかもしれない。

『背負わせて、ごめんね』

1度だけ、姉が小さくそう呟いたのを聞いた事がある。
大魔道士の役目を放棄したことを悪いと思っているのだろう。
謝るくらいなら最初から役目の放棄などしなければよかっただろう、と以前のリーズならばそう言ったかもしれない。
だが、その言葉を聞いた時には、リーズにとって姉の存在は”出て行った大魔道士”ではなく、師匠であり血の繋がった姉という存在だった。
相手が傷つくだろう言葉を投げつけることなどできなかった。


ぼんやりとした明かりしかない部屋の中、リーズはレイの寝ているベッドを見る。
気持ち良さそうな寝息が少しだけ聞こえてくる。

「レイに俺と同じものを背負わせる気はないんだけどね」

くすりっと笑みを浮かべるリーズ。
大魔道士という位の重要さはわかっている。
この位は才能がある魔道士だからといって、そうひょいひょい譲れるようなものではない。
だからこそ、前大魔道士である姉が出て行き、リーズがその位につくまで大魔道士は誰もいなかったのだ。

「ファスト魔道士組合のあり方を変えるために、協力してもらうからね」

利用すると表現すれば、言い方は悪いかもしれない。
だが、今のファスト魔道士組合のあり方を変えるためには、大賢者程の実力を持った”一般市民”が必要なのだ。
大賢者が協力してくれれば一番いいのだが、どこにいるのかどんな姿なのか果たして今もまだ生きているのかすらも分からない曖昧な存在に頼るわけには行かない。
確実に事を運ぶ必要がある。

「よろしく頼むよ、レイ」

レイの魔道士としての実力を認めているからこそ、リーズはレイへ期待する。
まだ子供とも言えるような相手にこんな期待をするのは酷だろうか。
それでも、レイならばやってくれるのではないのだろうかと、リーズは何の確証もなく感じていた。

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