ひだまりの君 02



陽菜がここにきて10日ほどが経つ。
10日ほどでそうペラペラ言葉が話せるようになるはずもなく、日本語を使わないように短い言葉だけでどうにか会話をするのはディスティドールとだ。
この10日で分かったことは、この国がナラシルナと呼ばれる国である事、ヴィシュレルがそれなりの身分の人で結構忙しい事くらいだ。

(ナラシルナなんて国聞いた事もないけど、どこかの小国、それともここって…)

ここが全く知らない世界なのだろうか、と陽菜が考え始めたのはそう遅くなかった。
陽菜の部屋にも窓はある。
窓があれば外の景色は見える。
そして外に広がっていた光景は、壮大なものだった。
陽菜がいる部屋は、何階に当たるのか分からないが高い所のようである。
自分が住んでいるのはまっ白い大きな建物…宮殿と言って差し支えないくらい大きなもの…、そしてその建物を囲むようにレンガ造りの建物が多く並ぶ。
そしてその先には砂漠と平原が続く。

「ヒナ、お菓子持ってきたけど食べる?…って、また外見てたの?」
「あ、ディス君」

陽菜は外を見る癖がついてしまったかのように、1人でいる時は窓の外をぼぅっと眺めている。

「うん。外の…えっと町?がすごいから」
「よく飽きないで見ていられるね」
「あき…?」
「退屈しないでって言えば分かる?」
「退屈…、うん、分かる」

ディスティドールはティーセットとお菓子をテーブルの上に手際よく並べている。
陽菜はディスティドールを”ディス君”と呼ばせてもらっているのだが、ディスティドールは陽菜に対して短い言葉を使って言葉を覚えさせようとしてくれている。
どう見ても陽菜より年下に見える容姿なのに、陽菜よりもしっかりしているように思える。

「言葉は少しは慣れた?」
「…ちょっとだけ」
「1ヵ月くらい経った頃には説明したいってマスターが言ってるんだけど」
「1か月…」

複雑な表情をする陽菜。
説明してもらえるのは嬉しいのだが、そこで自分が理解できるかどうかが不安である。
それはそうと、ディスティドールはヴィシュレルの事をマスターと呼ぶのは普段からのようので、ヴィシュレルもディスティドールもその呼び方に全く違和感がないらしいので、これは普通のことなのだと陽菜は思う事にした。

「無理そうだったら、もう少し時間をおいてくれると思うよ」
「うん、でも…」
「でも?」
「私、何もしなくていいの?」
「何もって、何で?」
「だって、仕事とか、えっと、何もしないてないのに、私は普通に食事とかできるから悪いなって」
「うーん」

テーブルに肘をつき、頬に手添えながらディスティドールは天井を見る。
話すべきか話さないべきか迷っているのだろう。
この10日間話すことといえば、本当に日常的な事だけで、どうして陽菜がここにいるのかなどは何も聞いていない。

「これくらいなら言ってもいいかな?」
「ディス君?」

こくりっと首を傾げる陽菜。
小さくため息をつきながらディスティドールは陽菜に視線を移す。

「実はね、ヒナがここにきたのって半分は事故なんだよ」

一瞬何を言われたのか分からなかった。
最初に会った時に陽菜を”喚んだ”と言っていたのだ。

「事故?」
「そう、半分だけどね」

陽菜が事故でここに来てしまったことと、陽菜が何もしないでいることに何か関係があるのだろうか。

「半分事故だからマスターは責任感じているんだよ」
「責任?」
「だって、ヒナは普通の家庭で普通に育った子だよね?」

迷いながらも陽菜は頷く。
少なくとも何か特殊な家庭環境ではなかったはずだ。

「ヒナは共通語も少ししか話せないような所にいたのに、半分事故でこんなところに連れてきちゃったから、マスターはヒナを無事に元の所に戻すまでは不便がないように取り計らうのは当然だと思っているんだよ」
「う…ディス君、早くて聞き取れない」

ぺらぺらと長い言葉を一気に話されると最初の方しか意味が分からないのだ。
困ったような表情をした陽菜に、ディスティドールはごめんと謝る。

「とにかく、マスターは半分事故だからヒナに変な負担はかけたくないって思ってるってこと」
「十分よくしてもらってる。ちょっと申し訳ないくらいだけど…」
「気にする事ないって」
「でも…」

陽菜は不安なのだ。
ここは自分がいた”世界”と全く違う世界なのかもしれない。
話す言葉が英語という事だけが、世界が違うかもしれないという疑惑を否定できる唯一のものだ。
ただ英語を話す別の世界というのも存在しているかもしれない為、ここが異世界であることを完全に否定はできない。
だから、この部屋でディスティドールと話すだけの生活では不安がつのるばかりだ。

「そうですね。でしたら手伝ってもらいましょうか?」

唐突に聞こえてきた声に、びくっと肩を震わせて盛大に驚く陽菜。
にこりっと笑みを浮かべているヴィシュレルが部屋にゆっくりと入ってくるのが見える。

「ヴィシュレルさん…?」
「私の事はヴィシュレルで結構ですよ、ヒナ。貴女が私に敬称をつける必要はありませんからね」
「え、でも…」
「私の名は略して呼んでいただいても構わないのですよ?」

ヴィシュレルの話し方は陽菜に合わせてくれているのかとてもゆっくりだ。
これだけゆっくり話してくれると、長い言葉でもなんとなくは理解できる。
気を遣ってくれるのはありがたいのだが、流石に年上の人間を呼び捨てになどは出来ない陽菜である。
どうみても、ヴィシュレルは青年で陽菜よりも年上なのだ。

「私の名は、ヒナは発音し難いでしょう?」
「え?」
「私の名を呼ぶのにどこかためらっていた印象がありましたからね」

陽菜は図星をつかれて思わず顔を俯かせる。
確かにヴィシュレルの名は呼びにくいのだ。
最初に聞いたヴィシュレルのフルネームなど長すぎて、もはや覚えてもいなかったりする。

「ヒナ」
「えっと…」

(う、そんな笑顔反則だよ…!)

どうぞとばかりに笑みを向けてくるヴィシュレル。
寧ろ陽菜がどう呼ぶかを面白がっているようにも見える。
こうなると普通に呼び捨てしてはいけない気がしてくるのが不思議だ。

(ヴィシュレルだから…、ヴィ…ヴィ…ヴィシュ?ヴィル?)

横文字な名前の知り合いが今まで陽菜にいるはずもなく、横文字な名前の略し方などさっぱり分からない。
開き直って自分が呼びやすい、けれどなるべくヴィシュレルの名とかけ離れていない呼び方を考える陽菜。

「ヴィス?」
「はい、なんでしょう、ヒナ」

(うあぁぁ!な、何か照れるよ…)

自分の決めた呼び名に笑みを浮かべて返事を返してくれたのは嬉しい。
思いつきのような呼び名だっただけに、尚のこと。
嬉しくてへにゃっと笑う陽菜に、くすくすっとヴィシュレルは笑う。

「ヒナは文字を読めますか?」
「文字?」

突然の話題にきょとんっとなる陽菜。

「簡単なものなら少しだけ」

文章を読んで理解もできるだろうが、普通に読むようには読めない。
理解するのに時間がかかるだろう。
だが、簡単な知っている単語ならばぱっとみて分かる。

「何かをしたいというのならば、せっかくですから手伝ってください、ヒナ」
「ヴィスの手伝い?」
「はい、私の仕事の手伝いですよ」
「し、仕事?」

ヴィシュレルが何かの仕事をやっていること、それなりの地位にいるだろう事は分かっているつもりだ。
だが、それは陽菜が手伝ってもいい仕事なのだろうか。
それよりも陽菜が手伝える仕事なのだろうか。
陽菜の考えていることが分かったのか、陽菜を安心させるように笑みを浮かべるヴィシュレル。

「そう難しい事ではありませんよ。ただの書類整理ですから」
「書類整理…」
「そうです。バラバラの書類を種類別に区分けしてもらうだけですから」
「で、でも、私、文字は少ししか…」
「書類の上部にある文字を見てアルファベット順に整理するだけですよ」

(あ、それなら内容知らなくてもできる)

あからさまにほっとする陽菜。
何かしたいと言ったのは自分だが、難しい事を頼まれては困ると思ってしまうのは我儘だろうか。

「できますか?ヒナ」
「はい、やります!」
「それではお願いしますね」
「はい!」

どんな小さなことであっても人の役に立てるのは嬉しいことだ。
陽菜は勢いよく返事を返した。
この部屋に閉じこもっているよりは、書類整理でもやった方がいい。

「いいのか?マスター。マスターの部屋には…」
「いつまでも隠しておくわけにはいかないでしょう」

困ったような笑みを浮かべてヴィシュレルは小さくため息をつく。
陽菜はここに来てから、ディスティドールとヴィシュレル以外の人に会ったことがない。
ヴィシュレルの仕事部屋に行くという事は、ヴィシュレルの仕事仲間に会う事もあるだろうということだ。

「ヒナ、ひとつだけ約束をして下さい」
「約束?」
「そうです。私もディスティドールも気をつけてはいますが、”ここ”いるには良い人ばかりではありません」

陽菜のいる部屋が大きな建物の中にあるという事は分かっている。
この建物の中には、陽菜とヴィシュレル、そしてディスティドール以外の人も多くいるのだろう。
その中の全ての人が信じられる人ではないのだろう。

「私とディスティドール以外の人にはついていっていけませんよ」

こくりっと陽菜は頷く。

「ディスティドールが常に傍につくので、問題はないと思いますが…」
「何かあっても俺が陽菜を守るよ、マスター」
「お願いしますよ、ディスティドール」

2人はすごく信頼し合っているように見えた。
顔立ちが似ていれば親子とも言える年齢差がありそうなものなのに、互いが互いを信用信頼している。
陽菜にも無条件で信頼を寄せる相手が2人いる。
物心つく前から一緒にいた幼馴染の2人だ。
大切な幼馴染の事を思い出して、寂しい気持ちが湧き上がる。
会いたいと思うけれども、今の状況がはっきりしない状態では会う事ができるのは果たしていつの事になるか分からない。
陽菜の事を気遣ってくれているヴィシュレルとディスティドールには悪いが、陽菜は一刻も早く帰りたいと思った。
それが例え不可能なことであっても。


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